ベルリンなる無縁の地をあとに
僕が14年の時を過ごしたベルリンとは無縁の地ではないか、という思いが京都に帰還して一年経とうとする今になって首をもたげてきた。 „ベルリンからまた別の「ベルリン」へ“ weiterlesen
コロナ時代の辺境地帯の歩き方について
僕が14年の時を過ごしたベルリンとは無縁の地ではないか、という思いが京都に帰還して一年経とうとする今になって首をもたげてきた。 „ベルリンからまた別の「ベルリン」へ“ weiterlesen
今日の御題はロシア人作家あるいは活動家のエドゥアルド・リモノフについて。というよりも、エドゥアルド・リモノフについて書いたログを再投稿しようとして介入してきた雑念が実はお題である。 „日常生活の冒険は、自己責任で。“ weiterlesen
京都から電車に乗って淀川を渡って最初の駅。
京都から阪急電車に乗り十三を過ぎて淀川を渡る鉄橋を渡る。目を閉じて、電車からの窓ごしに川を実際に目の当たりにしなくとも、ヘッドホーンからどれだけ高揚するような大音量の音楽に聞こえてこようと、背後に聞こえてくる阪急京都線の特急電車が鉄橋を渡るガタンゴトンの音が、これから大阪のカオスに踊り込もうとする小生をある種の興奮状態へと導く。
クリティカル・マスという言葉を初めて耳にしたのは昨年ぐらいのことだった。カリフォルニア出身の友達が、ベルリンでもここ数年クリティカル・マスという名の自転車デモが「起こる」ようになってきて、数千人サイクリストがベルリンの街中を行く様は壮観だった、と興奮気味に語っていた。 „チャリ通たちの蜂起“ weiterlesen
ちょうど1週間ほど前はカーニヴァルだった。
ベルリンは祭りの都市だった。
そう過去形で語らずとも、未だにそこらじゅうで祭りが行われているじゃないか、という向きもあるだろう。 „「祭りの後」というフィクションの中での日々と。“ weiterlesen