そういえば、同じくKöpenikcerstr.のさらにMitteよりにあったシュプレー河畔にあったKater holzigも小生がプラハに一年半の間亡命していた間に跡方もなくなって、やはりコンクリートシティー分譲マンションなるものがたとうとしていた・・・。
コロナ時代の辺境地帯の歩き方について
そういえば、同じくKöpenikcerstr.のさらにMitteよりにあったシュプレー河畔にあったKater holzigも小生がプラハに一年半の間亡命していた間に跡方もなくなって、やはりコンクリートシティー分譲マンションなるものがたとうとしていた・・・。