リベレツ(チェコ共和国)-チッタウ(ドイツ・ザクセン)、2010年5月。

年の大半を異国の地で過ごしている故か、ハラハラドキドキの冒険や旅の夢でもよく見たいとも思っている。 実際の夢の内容は金輪際記憶にはないのだけれど、実によく見る夢の大半は、しかも、あまりにも繰り返してみる故に、目覚め後も非常に記憶に残るのだが、それは、是から旅に出ようとして駅や空港行く途上、あるいはその駅と空港での旅立ちの時を迎えるその刹那、なにかによって、その旅立ちが妨げられる、というような不条理なものばかりである。 よく小生が旅にでると予告しても、なかなか諸事情によって、実際に旅立てない、あるいはその旅立ちの日を遅らせるということも実に実際よくある。その現実によくある小生の大言不実行ぶりに対して、昨年の4月と5月にポーランドとウクライナをめぐった写真家のMクンはその名も「行く行く詐欺」なる痛烈なる皮肉を小生に賜われたのであった。

シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(下)

先日した中央ヨーロッパの国境地帯の話の続きをいたそう。 ポーランドの南西の最果てにあるシェニャフカという小さな村。ここは小生が訪れたポーランドもとい中央ヨーロッパの場所の中でいまだかつてなく強烈な印象を残してくれた場所である。 前回も紹介したが、このポーランドの最果て、独逸とチェコ共和国の国境三角地帯に存在する、この香しき地を訪れたのは同名のSieniawkaなるドキュメンタリー映画を見たがゆえであった。

シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(上)

ヴァーンスドルフを訪れてから2日後のことだ。天気もよくようやく夏のはじまりか、と思えるような週末の日曜日の午後のことだ。 映画館へいくような、天気にあらず、と小生たちはナイセ川沿いへと散歩に出かけることになったのだが、ふと思いついたように足を運ぶことになったが、チッタウのナイセ川を挟んだ向かい川にあるポーランド側にある集落だ。 チッタウからナイセ川を挟んだポーランド側にも小さな集落があって、かつてはチッタウの街の一部であったのだが、現在はポーランドの四角形上の国土の左下隅に位置する自治体であるボガティニアBogatyniaの一部となっている。 その村の名前をシェニャフカSieniawkaという。

ヴァーンスドルフ、二時間。

電脳派チェコ文学者などという不遜な自称を奉じておきながら、あるまじきことに2011年の12月以降、一年半以上もチェコ共和国の地を踏まない日々が続いていたが、久々に彼の共和国の一部であるボヘミアの地へと再上陸を果たしてきたのは5月の初頭のことであった。 といっても、独逸から国境を跨いですぐの場所にある小さな街に、たった二時間程の間であったが。 独逸はザクセン自由州Freistaat SachsenはツィッタウZittauからザクセンとボヘミアをまたぐローカル線に揺られて15分程にあるヴァーンスドルフVarnsdorf。かつてはWarnsdorfと綴っていたのは、オーストリア・ハンガリー帝国の時代からチェコスロヴァキア第一共和国の時代を経て第二次世界大戦の終焉まで独逸人人口が街の多数派を占めていたが所以だ。