Praha-Dejvice, Czech Republic, 14.5.2015

 

シェア、とは。

シェア、という言葉にまといつく意味を再考しよう。と思いついたのは、 10月1日。プラハ・新市街、Cafe Neustadt と、メモの日付を見る限りは、もう8ヶ月程も前、プラハを離れるついこの間のことであるようだ。 以下、真っ昼間からビールを飲みながら書きはしったことと記憶。 その前に、私の今日に至る迄数々ことを、様々な人に負っていることをまず感謝。 以下本文。

新年早々雪。2015年1月2日。京都・鷹峯。

新年あけましておめでとうさんです。 年明け早々京都は雪です。今もジャカジャカ降ってます。立命館大学北門周辺では積もった雪に手を突っ込んだら、ゆうに手首まではつかるぐらい降ってます。日本海側なら普通かもしれませんが、京都の北野あたりでこれぐらいつもるのはちょいと記憶にない。明日の朝迄断続的に降り続くらしく、このままだと明日の朝までに30センチぐらいはつもりそうな勢いかも。

スターリンかマイケルか − 歴史の大皮肉について。

最近話題の白井聡氏の「永続敗戦論」が今回の帰国後、まず手が伸びた本だった。昨年の春出版されて以降、今に至る迄版を重ね続けている話題の書。今年の秋いまさらながら小生もこの本を手にした。 白井氏は本書の末尾に、彼がベルリンを訪れた際にブランデンブルク門横で目の当たりにした奇妙な記念碑について書いている。それは「対独戦戦勝記念碑」という。それが、なぜブランデンブルク門と戦勝記念碑(ジーゲスソイレ)の間、しかも旧西ベルリン側に建造されたのかは、未だに謎だが、その記念碑のその存在自体が大いなる皮肉ではある。つまり、俺たち(ソ連をはじめとした連合国)がきさまら非道なファシストに勝利したことを、永遠に忘れることなかれ、と。

プラハはまもなく秋。プラハ・ジジュコフ、チェコ共和国、2014年9月22日。

月曜日のプラハは朝方の気温が10度割り込んで、昼過ぎまで肌寒い時間が続いた。小生が7月から住まうことになったプラハはジジュコフの家の北側のバルコニーから中庭を見下ろせば、栗の木が段々と葉を落とし始めていることに気付く。ここ数日、栗の実が落ちる音が家の中庭で響いていた。ここ数日の落葉で、中庭が赤い絨毯を敷き詰めた様に模様替え。

肉屋の二階。プラハ・ヌスレ、チェコ共和国、2014年3月。

1年住まうこととなったプラハもといチェコという地での生活を振り返るにあたり、貴様はなぜそれほどまでにチェコという国に惹かれるのかという問いが、執拗に、小生の単細胞な脳内で繰り返されるのだが、そもそも、2009年から定期的にこの国を訪れるように至って、その答えは結局のところ、まだ見つけ出すにはいたっていない。 恐らく以前とプラハを見る小生の眼差しはそれほど変わっているとも思えないのだが、それでも、この街における小生の行動レイヤーが新たに形成されたということは、疑いがない。

ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル、6時間、2014年9月15日

ベルリン帰還間近、と本日はプラハから打電。 まもなく1年にわたるプラハ滞在も残すところあと一月。時の過ぎ去り方の早さに愚痴をこぼしても、瑣末なだけゆえ、これからじっくりその濃密なプラハもといチェコでの1年間について、おいおい語っていきたいと思っている。 このところは実にベルリン帰還を果たしてはいる。それこそ二週間もとい三週間に一回のペースで。 先週末も実はベルリンにいたのであるが、天気も良かったことであるので、久々にベルリンより、ポツダムを超えてさらに西にあるブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルへ。

サッカー無縁プラハ。

世間はサッカーで盛り上がっているといわれるが、小生が住まうプラハでは全くその気配すら感じることがないまま、4年に一度のサッカーの祭典ワールドカップなるものが始まってしまった。 チェコは今回大会には予選敗退ということもあり欠場。小生の周りのチェコ人は関心すらみせない。そもそも小生の周りにはサッカーをみるチェコ人の友人がいないということもあるが。 なんで、日本人の知り合いも片手で数えるほどの小生には、日本代表に入れ籠む日本人の知り合いもおらず、これまでの人生で一番盛り上がらないワールドカップになる可能性がある。

11. Neisse Film Festivalのための忘備録

個々4年ほど、ドイツはザクセン、ポーランド、チェコ共和国との国境地帯に5月の第二週に開催されるこのナイセ映画祭に参加するのが、この皐月の始まりの恒例行事になりつつある。まだ11回目と歴史の浅い映画祭ではあるが、毎年10月に行なわれるコトブス映画祭と並んで、中東欧各国からの作品を焦点にしていることでも知られている。

最強のビール注ぎ職人はポニー。ブルノ、チェコ共和国、2014年4月12日。

この4週間で三回目の訪問となったモラヴィアの首都はブルノでのことであった。(その一回目のストーリーはここから、英語) そこにいたこれまで小生が見て来た中で最強のビール注ぎ職人の話である。 あほーい、今おいどんはブルノじゃけんど、ちょっくらモラビアくんだりまでこやしまへんか、とその前日の金曜日の深夜前に小生のダチより連絡が。 なんで、土曜日の午前中に、ブルノへいくだ、と手帳と読みかけの本を一冊とカメラだけをもって近所のパン屋に出かけるような格好で、プラハの中央駅に向かったのであった。

カオスコンピュータークラブ(CCC)は連邦政府を刑事告発する。

カオスコンピュータークラブをご存知だろうか? 通称CCC(Chaos computer club)とよばれているこの団体はいわゆるハッカーの集団で、すでにコンピューターという概念が一般化する以前、1980年代からその活動と続けており(設立は1981年)、現在において、世界でももっとも活発なハッカー集団のみならず、ヴァーチャルな空間、つまりインターネットにおける検閲なき自由とその権利に対してもっともラディカルに戦っている集団の一つである。 本部はベルリンにあり、毎年12月にはその総会、「カオス・コミュニケーション・コングレス」が開催され、数々のウォークショップなどがその中で行なわれる。

プラハの飲み屋の一人で佇む親父列伝Ⅲ。プラハ・マラー・ストラナー、2014年3月25日。

プラハの飲み屋で1人で佇む親父はいつでもミステリアスである。 かなり近寄り難いオーラを発しているが、なかなか愉快な親父であることも多い。 豪快親父の武勇伝を店がカンバンになるまで語ってくれることだろう。 ちなみに、この飲み屋は、プラハではまだ大量増殖する手前にあるヒップスター占有率80%程度の店なのだが、それでもこの親父が、店内衆目の中、ヒップスターとギャルの間を大行進する様、豪快に突撃してくる様が、素晴しく痛快であった。