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	<description>人間万事塞翁が馬</description>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後10時（東ヨーロッパ時間）。リビウ到着。</title>
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		<pubDate>Mon, 21 May 2012 16:34:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
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		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[国境越え]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="125" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0395-188x125.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0395" title="IMG_0395" />ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。 といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。 なによりもウクライナ側が手荷物検査がなくなった。 バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうのただの暗闇。 ポーランド側のパスポートに出国のスタンプを押すだけの形式的な検問の後、バスは黄色と青色につつまれたウクライナ側の検問ブースにはいていく。妙にすべてが新しく映える。急ごしらえの印象は拭えなかったが、表面的には建物や設備はEU側となんらかわらない。 これから久々に、毎日ロシア語をしゃべらなくてはないらいのか、と少々身を固くする。 だが、小生の予想に反してウクライナ側のコントロールも妙にあっさりしたものだった。若い警察官が英語を話したのも驚きだった。片言ではあったが。それで、いままで面倒さを極めたウクライナの入国審査は完了であるならばなんの文句もない。 前回の2010年夏の入国の時には、何度もパスポートの写真（しかしこのパスの写真も10年以上前のものなのだ）と実際の小生を比べて、これは本当におまえか、などといわれ、満員のバスから一人だけ、一度ならずも二度も検問所の建物に呼び出されたりした。 今回の若い女性警官もその時と同じ警察官のようにみえた。 小生を検問所に招き入れた彼女は小生の顔をじっとみる。パスポートにかかれた小生の下の名前を読み上げる。小生は苦笑しながらも、じっと彼女の顔と目を覗き込んだ。お互いがじっと互いの目を見つめ合う奇妙な状態が３秒ぐらいは続いた。すると、向こうの顔の表情がふいに崩れて、ふふふ、といいながら、となりにいたまた別の同僚の女性警官に、これ本当に彼よね、と尋ねる。すると、パス持ってるのは彼だからね、とパスの写真と小生を見比べて、小生の顔を一瞬じっとみたのち、表情を崩して、小生に笑いかけながら、彼でしょう、もういいじゃない、といってパスポートを閉じて、小生の方に押し戻した。そして、バスに戻っていいわよ、どうもありがとう、といいながら停まっているバスの方を指差した。小声で、スパシーバ、とだけ答えて、建物を出ようと扉を閉めようとする時にもう一度彼女と目があった。それはとても国境の警察官のしているような目ではなかった。 その時の彼女かどうか確信はなかったが。その時の彼女は英語をしゃべろうともしなかった。ロシア語はしゃべれる？Po russky?とだけ短く小生にいいはなち、どこまでいく？、いつまでウクライナへ？、という最大最小限の質問のみをなげかけた。 もちろんこれにいらだっては旧ソ連圏の旅は始まらない。 こちらもそのときは聞かれたことだけ答えればよい。余計なことはいわなくなったよい。それでおしまいなのなら。 だが、あのときの彼女は妙に小生のパスポートの写真とその当時の小生にこだわろうとした。 単に彼女が職務に忠実であった、ということだけならば、それはそれでよいことだったのだが。 10人ほどのバスの乗客にパスポートが帰ってくる間もなく、バスは目の前の暗闇へ向けて走り出した。 小生の腕時計はすでに午後８時をまわっていた。つまり、ウクライナの位置する東ヨーロッパ時間では標準時＋3時間であるから、現地の時刻ではもう午後９時だった。 M君は少々焦りだしてた。というのは、リビウではとある現地在住の日本語教師のある人と会う約束をしていて、時間通りならば、もうすでにリビウについていても良い時間だったからだ。約束の時間は午後９時ということになっていたのだが、すでにポーランド側の国境にいるうちに、もはやその時間につくのは無理だというのはあきらかだった。それでも、先方の家と小生たちが泊まることになっている場所はそうは遠くない場所にあることがわかったので、向こうは多少遅くとも待ってくださる、ということだった。 バスはようやくウクライナに入国したばかり。リビウまで100キロとないのは分かっていたが、まだ交通状況によりまだ二時間はみておかなければならないのは分かりきっていた。 しばらくするとまたバスはとある明かりのほとんどない薄暗がりの空き地に停まった。 ドライバーが、両替とか買い物休憩、みんな用事がすんだら出発、はよおわらせて、という。 時間が時間だったので、到着後の時間のリビウでは確実にできないはずの両替をすませておく。両替所の前にできた列にたちながら、前回の休憩のときに話をした青年と話す。 やれやれ、いつまでかかるんだろう・・・、今日でこのバスに乗るのも２回目だが、前回より確実に長くかかっている、いう小生に対して、彼も、今回は工事が多いのさ、ポーランドもウクライナも同じ穴の狢よ、と。 で、ウクライナもヨーロの準備はどうなんだ、と聞く小生に対して、酷いもんさ、もっともサッカーはあまり興味がないがね、という。  &#8230;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="125" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0395-188x125.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0395" title="IMG_0395" /><p></p><br /><p>ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。</p>
<p>といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。</p>
<p>なによりもウクライナ側が手荷物検査がなくなった。</p>
<p>バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうのただの暗闇。<span id="more-802"></span></p>
<p>ポーランド側のパスポートに出国のスタンプを押すだけの形式的な検問の後、バスは黄色と青色につつまれたウクライナ側の検問ブースにはいていく。妙にすべてが新しく映える。急ごしらえの印象は拭えなかったが、表面的には建物や設備はEU側となんらかわらない。</p>
<p>これから久々に、毎日ロシア語をしゃべらなくてはないらいのか、と少々身を固くする。</p>
<p>だが、小生の予想に反してウクライナ側のコントロールも妙にあっさりしたものだった。若い警察官が英語を話したのも驚きだった。片言ではあったが。それで、いままで面倒さを極めたウクライナの入国審査は完了であるならばなんの文句もない。</p>
<p>前回の2010年夏の入国の時には、何度もパスポートの写真（しかしこのパスの写真も10年以上前のものなのだ）と実際の小生を比べて、これは本当におまえか、などといわれ、満員のバスから一人だけ、一度ならずも二度も検問所の建物に呼び出されたりした。</p>
<p>今回の若い女性警官もその時と同じ警察官のようにみえた。</p>
<p>小生を検問所に招き入れた彼女は小生の顔をじっとみる。パスポートにかかれた小生の下の名前を読み上げる。小生は苦笑しながらも、じっと彼女の顔と目を覗き込んだ。お互いがじっと互いの目を見つめ合う奇妙な状態が３秒ぐらいは続いた。すると、向こうの顔の表情がふいに崩れて、ふふふ、といいながら、となりにいたまた別の同僚の女性警官に、これ本当に彼よね、と尋ねる。すると、パス持ってるのは彼だからね、とパスの写真と小生を見比べて、小生の顔を一瞬じっとみたのち、表情を崩して、小生に笑いかけながら、彼でしょう、もういいじゃない、といってパスポートを閉じて、小生の方に押し戻した。そして、バスに戻っていいわよ、どうもありがとう、といいながら停まっているバスの方を指差した。小声で、スパシーバ、とだけ答えて、建物を出ようと扉を閉めようとする時にもう一度彼女と目があった。それはとても国境の警察官のしているような目ではなかった。</p>
<p>その時の彼女かどうか確信はなかったが。その時の彼女は英語をしゃべろうともしなかった。ロシア語はしゃべれる？Po russky?とだけ短く小生にいいはなち、どこまでいく？、いつまでウクライナへ？、という最大最小限の質問のみをなげかけた。</p>
<p>もちろんこれにいらだっては旧ソ連圏の旅は始まらない。</p>
<p>こちらもそのときは聞かれたことだけ答えればよい。余計なことはいわなくなったよい。それでおしまいなのなら。</p>
<p>だが、あのときの彼女は妙に小生のパスポートの写真とその当時の小生にこだわろうとした。</p>
<p>単に彼女が職務に忠実であった、ということだけならば、それはそれでよいことだったのだが。</p>
<p>10人ほどのバスの乗客にパスポートが帰ってくる間もなく、バスは目の前の暗闇へ向けて走り出した。</p>
<p>小生の腕時計はすでに午後８時をまわっていた。つまり、ウクライナの位置する東ヨーロッパ時間では標準時＋3時間であるから、現地の時刻ではもう午後９時だった。</p>
<p>M君は少々焦りだしてた。というのは、リビウではとある現地在住の日本語教師のある人と会う約束をしていて、時間通りならば、もうすでにリビウについていても良い時間だったからだ。約束の時間は午後９時ということになっていたのだが、すでにポーランド側の国境にいるうちに、もはやその時間につくのは無理だというのはあきらかだった。それでも、先方の家と小生たちが泊まることになっている場所はそうは遠くない場所にあることがわかったので、向こうは多少遅くとも待ってくださる、ということだった。</p>
<p>バスはようやくウクライナに入国したばかり。リビウまで100キロとないのは分かっていたが、まだ交通状況によりまだ二時間はみておかなければならないのは分かりきっていた。</p>
<p>しばらくするとまたバスはとある明かりのほとんどない薄暗がりの空き地に停まった。</p>
<p>ドライバーが、両替とか買い物休憩、みんな用事がすんだら出発、はよおわらせて、という。</p>
<p>時間が時間だったので、到着後の時間のリビウでは確実にできないはずの両替をすませておく。両替所の前にできた列にたちながら、前回の休憩のときに話をした青年と話す。</p>
<p>やれやれ、いつまでかかるんだろう・・・、今日でこのバスに乗るのも２回目だが、前回より確実に長くかかっている、いう小生に対して、彼も、今回は工事が多いのさ、ポーランドもウクライナも同じ穴の狢よ、と。</p>
<p>で、ウクライナもヨーロの準備はどうなんだ、と聞く小生に対して、酷いもんさ、もっともサッカーはあまり興味がないがね、という。</p>
<p>そう言い残して、両替を済ませた彼はバスと駐車場の薄暗がりのほうへ戻って行った。</p>
<p>20ユーロ札がまだ財布の中にあったので、今日の宿代とタクシー代、夜飯代、朝ご飯代ぐらいにはなるだろう、とふと考えたが、キエフ行きの列車のチケットも駅で買っておいたほうがよいな、と考える。レートをみると、1€あたりのレートは10.5フリヴナだった。あとから考えると、これはかなり良いレートだったいうことになる。正当なレートかあまり確信がなかったものの、とりあえず多少の誤差は損でもなかろうと考えて、50ユーロを両替しておく。</p>
<p>その両替所は小さなベットとテレビだけがおいてあるだけの手狭な場所だった。おじさんともおじいさんともいえない年齢の男性がこんな時間までこんなところに籠って両替の仕事をしている。ベットがあるということはそこで夜をあかすということもあるということなのか、それとも交代の人のベットなのか、判断はつかない。けれど、その男性の疲れようがつたわってくるような、ベットのシーツの薄汚れぶりと乱れ具合、そしてその小屋自体の薄暗さ。ぶら下がっている電球はもちろん裸。</p>
<p>これがウクライナだ。</p>
<p>バスに戻り座席にもどると、バスはまた動きだした。だがおかしい。小生の左前にすわっていたはずのあの青年の姿がない。</p>
<p>バスをみまわしても彼の姿がどこにもない。斜め前方すぐにすわっていたまた別の青年に、おい、あの前の席にすわってたやつおらんぞ、と話しかけるが、英語が通じないで、手短かにチェコ語でいうと、彼もすぐ前に乗り出して、うわ、おいておかれおったんか、と一緒にドライバーに、ひとり乗せ忘れとんぞ、とすぐさま引き返させる。</p>
<p>すると、件の「Litr」の横のガソリンスタンドの横に所在なさげにたつ、その青年が見える。バスはすぐさま、またUターンして彼の横にとまり、そして、また動きだす。</p>
<p>再び姿をあらわしたバスの乗客のささやかな「出迎え」をうけた、彼は少々恥ずかしげに小生の席の前に座って，ひまわりの種をローストもので満載になったビニール袋を差し出す。おいおい、どうしちゃたんだい、と聞く小生に、まあ、こういうこともあるさ、という彼もなかなか、ひょうひょうとしていて憎めない。</p>
<p>そういう小生も一度こんな形でバスに置いて行かれたことが一度ある。</p>
<p>2008年9月にトルコからグルジアの首都トビリシにむかっている最中だ。あの時は南オセチア戦争の停戦直後で、グルジアに向う人間なんぞよっぽどの物好きにほかならなかった。</p>
<p>バスも今回のリヴィウ行きのバス以上に空席がめだっていた。もちろん小生とトルコ人のドライバーのおっさん二人組以外は全員グルジア人だった。にもかかわらずおいてけぼりをくってしまった。いまでも、トイレからでてきて、バスが目の前にもうなかった時の光景に心臓がとまりそうなぐらいの驚いたことを今でも忘れない。小生はそのときどんな背中をしていたのか、背後でそこにいた人たちが本当に腹を抱えて笑っていたのを覚えている。どんな背中をしている間抜けなアジア人がいたのだという話だ。</p>
<p>それでも、なんとかバスに追いつくことははできたのだけれど。それはまた別の機会に。</p>
<p>バスはあとはリビウまで暗闇の中を往くのみ。どんぶらこ、どんぶらこと闇の中を漕いでゆく。</p>
<p>ウクライナに入って不思議なことに道路の状態はよくなった。バスはスピードをかなりあげているようだった。</p>
<p>時折、小さな村を通り過ぎる。そして、また暗闇の中をバスは漕いでゆく。だが静かに前へと。</p>
<p>もはや夜汽車のような光景。急激に眠気が小生をおそってくる。ほんのわずかだが浅い眠りに落ちてしまう。</p>
<p>小一時間もしてめざめれば、左前方遠くから段々と街の光がみえてくる。それは数を増すこともなく、まばらな光のまま近づいて来る。</p>
<p>高いところにみえる光はおそらく団地の光。まばらな光の間をバスは漕ぐのではなく今度は急いでいく。</p>
<p>リビウは時間のせいもあるのか、すでに街自体が眠りに入ってるかのようだった。石畳の通りを駆け抜け、市街の道をバスが角から角へ曲がっていっても、それがこれまできたことがある街、という確信もない。</p>
<p>バスは知っている道、中央駅に入る道ではなく、また横へそれていく。なぜ？</p>
<p>もうままよ、と流れる暗い窓の外をながめながら、わずかな光の街灯の中に見える通りの角を追いかける。そのうちバスはしった市場の横を通り過ぎているのかと思えば、中央駅へと続く石畳を滑走している。</p>
<p>そして突如、豪壮にライトアップされたさんざんみなれたリビウ中央駅が突如目の前に飛び込んできた。</p>
<p>やっとついたリビウ。時間は午後10時をとうにまわっていた。ワルシャワをでてすでに10時間以上が経過。</p>
<p>でもウクライナに戻ってきたか。ドネツクまでの旅はまだ半ば。明日も長い一日になる。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後６時。「最終ゲート」。Hrebenneにて。</title>
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		<comments>http://luegenlernen.de/2012/05/20/hrebenne-4-4-12/#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 20 May 2012 13:30:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ワルシャワ]]></category>
		<category><![CDATA[国境越え]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0391-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0391" title="IMG_0391" />小生たちを乗せたバスは、ワルシャワ市街を半周して、ウクライナはリヴィウへ向けてと走る。ワルシャワの郊外から市街へでるあたりはモダンな自動車専用道路だったが、とたんに整備のされていないアスファルトの波打つ道へとさしかかる。 小生たち乗客は、ホップ、ホップ、車とともに飛びはねる、またはねる。窓はその度にびびびと震える。 そして、なんと道半ばでの工事の多いこと。ウクライナの旅の後、ポーランドの開催４都市をまわった時にもさんざん目の当たりにすることになるのだが、ポーランドの幹線道路は工事ラッシュ。それにともなう渋滞で車での移動は、高速道路が整備されているような区間以外は、非常にストレスがたまる。 ここのところポーランドはようやく、自国民にとっても非常に悪名高いPKPことポーランド鉄道もふくめた、交通インフラの更新時期にあるようだ。こうした工事は、ユーロ開催に関係があるのかどうか断言はできないが、もし関係があるのあらば、こうした工事は、急ピッチですすめたとしても、おそらくユーロ開催中に間に合うどころの話ではない（もちろん2012年４月現在）。 もっともポーランド側の幹線道路の工事の遅れ程度のことは、ウクライナにいけば、まったく取るにたらない話だということを認識させられるのだが、それはまた後の話。 バスはこうして遅々として進まぬ。どんぶらこ、どんぶらこ、どんぶらこ、と進む。 そして工事の区間をぬけて状態のよい道をスムーズに走り出したかと思えば休憩。2時間程も走っても、まだ道半ばも来ていず、そこはまだルブリンの手前。停まった場所はワルシャワーリヴィウを行き来する時に何度も休憩したドライブイン。なんのヘンテツもない。ただ店内におかれたスロットマシーンと宝くじの看板だけがわびしいだけの場所。こんなものは世界中どこにいってもあると思うが、ポーランドらしいと思わせるものはやはりある。 例えば、外にでたM君が漫☆画太郎かくやの銅像を発見。 こんなものがあるポーランドなかなか奥ゆかしと騒ぐ日本人二人組。周囲の注目を集めていたのはいうまでもない。 するとバスの乗客の一人で、小生達の前のほうの座席に座っていた青年が、君たちどこにいくんだい、と話かけてくる。そういう彼もウクライナはキエフの実家にイースター休暇も兼ねて帰るのだという。もうワルシャワに長いことすんでいるらしく、パートナーはポーランド人だということ。彼はリヴィウに着いて、すぐ夜行列車でキエフに向うということで、小生達はリヴィウで人と会うがあいがてら一泊するため、旅程を同じくすることはできないが、小生達の旅の目的を話すと、キエフについたら是非連絡してくれ、といってくれる。そこで携帯番号でも交換しようという話になったところで、バスはようやく出発。 ところが、その彼は国境越え後、とんでもない目に会ってしまうのだが。それはまた次回の話。 そんな感じで動きだしたバスはルブリンにようやくさしかかり、この街は交通インフラの更新をすでに終えていたためか、あっという間に通過。それでも、ルブリンを通過し、国境との中間点ぐらいに位置する街全体がルネッサンス建築で著名なザモシチまでの区間も相変わらず工事が多く、遅々としてバスは進まない。 あまりにも時間の流れかたが違いすぎる。 ポーランドやウクライナでの旅では、そこで流れる時間の流れにまずは身をまかせねばならない。さもなくばその鈍重さに押しつぶされてしまうことだろう。 こうして、国境の通過ポイントHrebenneにたどり着いたのは日もかなり西に傾いたころ、午後６時きっかりであった。 ではまた国境越えの後でお会いしましょう。また自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0391-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0391" title="IMG_0391" /><p></p><br /><p>小生たちを乗せたバスは、ワルシャワ市街を半周して、ウクライナはリヴィウへ向けてと走る。ワルシャワの郊外から市街へでるあたりはモダンな自動車専用道路だったが、とたんに整備のされていないアスファルトの波打つ道へとさしかかる。</p>
<p>小生たち乗客は、ホップ、ホップ、車とともに飛びはねる、またはねる。窓はその度にびびびと震える。<span id="more-798"></span></p>
<p>そして、なんと道半ばでの工事の多いこと。ウクライナの旅の後、ポーランドの開催４都市をまわった時にもさんざん目の当たりにすることになるのだが、ポーランドの幹線道路は工事ラッシュ。それにともなう渋滞で車での移動は、高速道路が整備されているような区間以外は、非常にストレスがたまる。</p>
<p>ここのところポーランドはようやく、自国民にとっても非常に悪名高いPKPことポーランド鉄道もふくめた、交通インフラの更新時期にあるようだ。こうした工事は、ユーロ開催に関係があるのかどうか断言はできないが、もし関係があるのあらば、こうした工事は、急ピッチですすめたとしても、おそらくユーロ開催中に間に合うどころの話ではない（もちろん2012年４月現在）。</p>
<p>もっともポーランド側の幹線道路の工事の遅れ程度のことは、ウクライナにいけば、まったく取るにたらない話だということを認識させられるのだが、それはまた後の話。</p>
<p>バスはこうして遅々として進まぬ。どんぶらこ、どんぶらこ、どんぶらこ、と進む。</p>
<p>そして工事の区間をぬけて状態のよい道をスムーズに走り出したかと思えば休憩。2時間程も走っても、まだ道半ばも来ていず、そこはまだルブリンの手前。停まった場所はワルシャワーリヴィウを行き来する時に何度も休憩したドライブイン。なんのヘンテツもない。ただ店内におかれたスロットマシーンと宝くじの看板だけがわびしいだけの場所。こんなものは世界中どこにいってもあると思うが、ポーランドらしいと思わせるものはやはりある。</p>
<p>例えば、外にでたM君が漫☆画太郎かくやの銅像を発見。</p>
<div id="attachment_890" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_2527.jpg"><img class="size-large wp-image-890" title="IMG_2527" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_2527-494x370.jpg" alt="" width="494" height="370" /></a><p class="wp-caption-text">これは復路に撮影。4月17日。ワルシャワへ戻る途上にて。</p></div>
<div id="attachment_891" class="wp-caption alignnone" style="width: 380px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0364.jpg"><img class="size-large wp-image-891" title="IMG_0364" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0364-370x494.jpg" alt="" width="370" height="494" /></a><p class="wp-caption-text">「ばばあ」もどき？食われる小生。</p></div>
<p>こんなものがあるポーランドなかなか奥ゆかしと騒ぐ日本人二人組。周囲の注目を集めていたのはいうまでもない。</p>
<p>するとバスの乗客の一人で、小生達の前のほうの座席に座っていた青年が、君たちどこにいくんだい、と話かけてくる。そういう彼もウクライナはキエフの実家にイースター休暇も兼ねて帰るのだという。もうワルシャワに長いことすんでいるらしく、パートナーはポーランド人だということ。彼はリヴィウに着いて、すぐ夜行列車でキエフに向うということで、小生達はリヴィウで人と会うがあいがてら一泊するため、旅程を同じくすることはできないが、小生達の旅の目的を話すと、キエフについたら是非連絡してくれ、といってくれる。そこで携帯番号でも交換しようという話になったところで、バスはようやく出発。</p>
<p>ところが、その彼は国境越え後、とんでもない目に会ってしまうのだが。それはまた次回の話。</p>
<p>そんな感じで動きだしたバスはルブリンにようやくさしかかり、この街は交通インフラの更新をすでに終えていたためか、あっという間に通過。それでも、ルブリンを通過し、国境との中間点ぐらいに位置する街全体がルネッサンス建築で著名なザモシチまでの区間も相変わらず工事が多く、遅々としてバスは進まない。</p>
<p>あまりにも時間の流れかたが違いすぎる。</p>
<p>ポーランドやウクライナでの旅では、そこで流れる時間の流れにまずは身をまかせねばならない。さもなくばその鈍重さに押しつぶされてしまうことだろう。</p>
<p>こうして、<a href="http://g.co/maps/ex587" target="_blank">国境の通過ポイントHrebenne</a>にたどり着いたのは日もかなり西に傾いたころ、午後６時きっかりであった。</p>
<p>ではまた国境越えの後でお会いしましょう。また自戒。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午前10時半。ワルシャワ西駅前バスターミナル。</title>
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		<pubDate>Sat, 19 May 2012 16:42:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ワルシャワ]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0309-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0309" title="IMG_0309" />今回の旅の伴侶であるM君は非常に早起きだ。小生が目覚めたころにはもうすでに彼は朝のワルシャワ市中へと繰り出していた。これからの二週間、彼の早起きぶりには感嘆させられることしきりなのだが、やはり旅先での時間は貴重だ。彼の時間の使い方には歴然とした分がある。早寝早起きこそ今回の小生たちのような旅での時間の使い方の黄金律だ。 朝９時。天気はそれほどよくはみえない。曇りがちの空で、窓の下の地面は少しぬれているのがわかった。ポーランドの二日目は雨。リビウもウクライナもまた雨なのか。 小生が朝のシャワーをあびてでてくるころにはM君も帰還。彼はそういえば、今回がはじめてのワルシャワ、だったのだ。朝７時過ぎにでて旧市街方面へと向かいそして今戻って来るという早業ぶり。こうしてあわただしく出発の運びとなった。 小生達は中央駅の前まで徒歩で戻って、そこから市バスでワルシャワ西駅のバスターミナルを目指した。 バスターミナルは相も変わらず雑多な雰囲気がワルシャワ中央駅以上にのこっている。けれど、フリーのWiFiも通じるし、見かけ以上にモダンなところもある。 ポーランドもそうだが、ウクライナも基本的にフリーのワイアレスLANのインターネットにいたるところでアクセスできることは特筆に値する。もちろん、これからウクライナ／ポーランドに赴かれる読者諸賢に置かれては、ラップトップやスマートフォンのセキュリティなどには万全を期していただきたいが。 さて。リビウ行きのバスの時間をみると次は11時発と、小生がネットでしらべた通りであった（それ以外は夜行便が２２時過ぎにもう一本と朝９時半にもう一本）。しかし、切符売り場には長蛇の列。ひょっとすると、バスで運転手から直接かえるかもしれない、と思い、M君には窓口の列に立っていてもらい小生だけバス停へと向う。 するとバスはすでに国際線、と書かれたホームに止まっている。車内にのりこむと、前方の席に座っている女性が、チケットは？と尋ねてくる。やはり、窓口で買ってこないとだめなのか、と聞くと、そうだと。 ちなみにここで小生は最初英語で尋ねたのだけれど、反応がなかったので、チェコ語でポーランド語の単語をミックスさせて話したのだが、ポーランドでそれで問題になることはほとんどない。それほどチェコ語とポーランド語は似ている。けれど、それは切符を買ったり、レストランで注文するときぐらいの簡単なやりとり、そして、英語やドイツ語も通じないようなシチュエーションに限ったほうがよい。無論、経験上、チェコ語の方が、ポーランドでロシア語をしゃべるよりも、よっぽどいいことだけはわかっている。ポーランド人に、あれ、あんたポーランド語しゃべれんの？、ときかれても、いやチェコ語、チェコ語、と答えると、ああ、似てるからね、といつもかえってくる。 それでも、もうちょっとポーランド語もできたらいいな、と個人的にはいつもおもっている。 例えば、微妙な基礎語彙の違い、特に数字の読み方なんかは西スラブ系言語、チェコ語、スロヴァキア語と東スラブ系のウクライナ語とロシア語と多少の違いはあっても、経験上お互い通じないことはほぼないと断言してもいいのだが、ポーランド語だけ非常に奇妙な発音の違いがあって、チェコ語やロシア語の数字の発音がポーランドではほとんど通じない。特に基礎語彙の綴り方はにていても、ポーランドの人はポーランド語独特の母音の籠る音のせいか、それをなかなか了解してくれないことも多い。 そんなことをしなくても、ポーランドでは若い人ならば、かなり高い確率で英語でかえしてくれる。もちろん、大きな街とか観光地に限られるけれど。だから、田舎やある一定年齢以上の人には英語はほとんど通用しないとおもった方がいい。それに駅やバスターミナルの切符売り場で英語を喋れる人にはなかなか出会わないことのほうがおおい。 やむえず、ターミナルの切符売り場に送り返された小生たちは、やっぱり案の定というべきか、窓口の長蛇の列に並ぶはめになったのだけれど、はじめにならんだ窓口もいやな予感通り、国際バスのチケットの窓口ではなく、また違う窓口にまた並び直すはめになった。すると、その国際バスの窓口は今度はカードが使えない窓口だったのだけれど、それでも、カードの読み取りのターミナルをうまいこと、窓口間でやりとりしてくれて支払いを済ますことができ、切符はこうして問題なく買うことができた。けれど、色々うまく整備できていない印象が拭えない。 ここでもやはり英語は通じなかったので、チェコ語プラスポーランド語の語彙で話して、無事にリヴィウ（ポーランドではリヴィウのことをかルヴフLwówという）までのチケットを手にいれることができた。 けれど、これで6月以降、ポーランド語どころかチェコ語もロシア語もできないサッカーツーリストに対してどれだけ迅速な対応ができるのだろう、と思う。ユーロ期間中、切符売り場の前には、いつもよりもさらなる長蛇の列ができることは必至だろう。 提言。ポーランド／ウクライナでは移動当日に切符を買うことはできるだけ避けられることをおすすめする。 まあ、切符買うぐらい現地の言葉をしゃべれなくても買えるだろうよ、とは小生は思うのだけれど、ポーランドはともかくとして、ウクライナではやはりなかなかそうでもないようである（もちろん、ウクライナのほうが切符を買うにしてもめんどくさいことがとにかく多い）。実際、小生も、10年以上前に中国にいったとき、小生の全く様になっていない普通話の発音では行き先を相手に了解してもらうことすらできずに切符を売ってもらえず、「はい、次！次！」と言い放たれたとほほな現実にも直面しているので、大口だけはたたかないでおく。 というわけでワルシャワ出発。時間は午前11時を過ぎたところであった。 では又自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0309-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0309" title="IMG_0309" /><p></p><br /><p>今回の旅の伴侶であるM君は非常に早起きだ。小生が目覚めたころにはもうすでに彼は朝のワルシャワ市中へと繰り出していた。これからの二週間、彼の早起きぶりには感嘆させられることしきりなのだが、やはり旅先での時間は貴重だ。彼の時間の使い方には歴然とした分がある。早寝早起きこそ今回の小生たちのような旅での時間の使い方の黄金律だ。</p>
<p>朝９時。天気はそれほどよくはみえない。曇りがちの空で、窓の下の地面は少しぬれているのがわかった。ポーランドの二日目は雨。リビウもウクライナもまた雨なのか。<span id="more-791"></span></p>
<p>小生が朝のシャワーをあびてでてくるころにはM君も帰還。彼はそういえば、今回がはじめてのワルシャワ、だったのだ。朝７時過ぎにでて旧市街方面へと向かいそして今戻って来るという早業ぶり。こうしてあわただしく出発の運びとなった。</p>
<p>小生達は中央駅の前まで徒歩で戻って、そこから市バスでワルシャワ西駅のバスターミナルを目指した。</p>
<p>バスターミナルは相も変わらず雑多な雰囲気がワルシャワ中央駅以上にのこっている。けれど、フリーのWiFiも通じるし、見かけ以上にモダンなところもある。</p>
<p>ポーランドもそうだが、ウクライナも基本的にフリーのワイアレスLANのインターネットにいたるところでアクセスできることは特筆に値する。もちろん、これからウクライナ／ポーランドに赴かれる読者諸賢に置かれては、ラップトップやスマートフォンのセキュリティなどには万全を期していただきたいが。</p>
<p>さて。リビウ行きのバスの時間をみると次は11時発と、小生がネットでしらべた通りであった（それ以外は夜行便が２２時過ぎにもう一本と朝９時半にもう一本）。しかし、切符売り場には長蛇の列。ひょっとすると、バスで運転手から直接かえるかもしれない、と思い、M君には窓口の列に立っていてもらい小生だけバス停へと向う。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0300.jpg"><img src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0300-494x370.jpg" alt="" title="IMG_0300" width="494" height="370" class="alignnone size-large wp-image-851" /></a></p>
<p>するとバスはすでに国際線、と書かれたホームに止まっている。車内にのりこむと、前方の席に座っている女性が、チケットは？と尋ねてくる。やはり、窓口で買ってこないとだめなのか、と聞くと、そうだと。</p>
<p>ちなみにここで小生は最初英語で尋ねたのだけれど、反応がなかったので、チェコ語でポーランド語の単語をミックスさせて話したのだが、ポーランドでそれで問題になることはほとんどない。それほどチェコ語とポーランド語は似ている。けれど、それは切符を買ったり、レストランで注文するときぐらいの簡単なやりとり、そして、英語やドイツ語も通じないようなシチュエーションに限ったほうがよい。無論、経験上、チェコ語の方が、ポーランドでロシア語をしゃべるよりも、よっぽどいいことだけはわかっている。ポーランド人に、あれ、あんたポーランド語しゃべれんの？、ときかれても、いやチェコ語、チェコ語、と答えると、ああ、似てるからね、といつもかえってくる。</p>
<p>それでも、もうちょっとポーランド語もできたらいいな、と個人的にはいつもおもっている。</p>
<p>例えば、微妙な基礎語彙の違い、特に数字の読み方なんかは西スラブ系言語、チェコ語、スロヴァキア語と東スラブ系のウクライナ語とロシア語と多少の違いはあっても、経験上お互い通じないことはほぼないと断言してもいいのだが、ポーランド語だけ非常に奇妙な発音の違いがあって、チェコ語やロシア語の数字の発音がポーランドではほとんど通じない。特に基礎語彙の綴り方はにていても、ポーランドの人はポーランド語独特の母音の籠る音のせいか、それをなかなか了解してくれないことも多い。</p>
<p>そんなことをしなくても、ポーランドでは若い人ならば、かなり高い確率で英語でかえしてくれる。もちろん、大きな街とか観光地に限られるけれど。だから、田舎やある一定年齢以上の人には英語はほとんど通用しないとおもった方がいい。それに駅やバスターミナルの切符売り場で英語を喋れる人にはなかなか出会わないことのほうがおおい。</p>
<p>やむえず、ターミナルの切符売り場に送り返された小生たちは、やっぱり案の定というべきか、窓口の長蛇の列に並ぶはめになったのだけれど、はじめにならんだ窓口もいやな予感通り、国際バスのチケットの窓口ではなく、また違う窓口にまた並び直すはめになった。すると、その国際バスの窓口は今度はカードが使えない窓口だったのだけれど、それでも、カードの読み取りのターミナルをうまいこと、窓口間でやりとりしてくれて支払いを済ますことができ、切符はこうして問題なく買うことができた。けれど、色々うまく整備できていない印象が拭えない。</p>
<p>ここでもやはり英語は通じなかったので、チェコ語プラスポーランド語の語彙で話して、無事にリヴィウ（ポーランドではリヴィウのことをかルヴフLwówという）までのチケットを手にいれることができた。</p>
<p>けれど、これで6月以降、ポーランド語どころかチェコ語もロシア語もできないサッカーツーリストに対してどれだけ迅速な対応ができるのだろう、と思う。ユーロ期間中、切符売り場の前には、いつもよりもさらなる長蛇の列ができることは必至だろう。</p>
<p>提言。<strong>ポーランド／ウクライナでは移動当日に切符を買うことはできるだけ避けられることをおすすめする。</strong></p>
<p>まあ、切符買うぐらい現地の言葉をしゃべれなくても買えるだろうよ、とは小生は思うのだけれど、ポーランドはともかくとして、ウクライナではやはりなかなかそうでもないようである（もちろん、ウクライナのほうが切符を買うにしてもめんどくさいことがとにかく多い）。実際、小生も、10年以上前に中国にいったとき、小生の全く様になっていない普通話の発音では行き先を相手に了解してもらうことすらできずに切符を売ってもらえず、「はい、次！次！」と言い放たれたとほほな現実にも直面しているので、大口だけはたたかないでおく。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0303.jpg"><img src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0303-494x370.jpg" alt="" title="IMG_0303" width="494" height="370" class="alignnone size-large wp-image-850" /></a></p>
<p>というわけでワルシャワ出発。時間は午前11時を過ぎたところであった。</p>
<p>では又自戒。</p>
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		<title>鳥居が団地の下。Britzer Damm, Berlin-Neukölln, 17.5.2012</title>
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		<pubDate>Sat, 19 May 2012 15:15:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Berlin-Neukölln]]></category>
		<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ピロティ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[団地]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="112" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMAG1296-188x112.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMAG1296" title="IMAG1296" />ここのところあまりにも家にひきこもりすぎで、たいした遠出もしていないな、ということに気がついたとある夕方のことだった。 久々に団地逍遥でもしたかったのだけれど、小生宅から一番最寄りのベルリン四大団地の一つであるグロピウスシュタットまでは歩いていくのは面倒な距離なので、もう一度先日言及したRollbergの側を通って、テンペルホーファーフェルドの横を通り過ぎたあと、南に方角を転じ、ベルリンの環状線の線路を跨いで後、テルトウ運河まで歩いて、あとは、運河沿いをとことこ散歩していた。 Größere Kartenansicht 運河沿いにBritzer Dammの手前まであるいてきたところで、これまで入ったことのない団地があることに気がついたので、そこを通り抜けながら、家の方角へ向うことにした。 すると冒頭の写真にある通り、なんと、目の前に鳥居が団地の建物の下に組み込まれているという前代未聞の光景に出くわしたのである。かような香ばしき団地の風景。 グロピウスシュタットとノイケルンの間には、見本市のごとく様々なスタイルの団地が乱立している。 ノイケルンの南に境を接するBritzにはかの世界遺産にも登録されたブルーノ・タウト設計によるHufeisensiedlungという戦間期を代表する名作団地（？）があるし、そこからグロピウスシュタットへ歩をすすめていくうちに通り過ぎていくことになる、戦後ベルリンの市街が拡大していくのにしたがい誕生していった多種多様の団地群は見る者をたのしませてくれる。 しかし、団地とはかようなものではすまない問題を抱えていることが、団地の間を逍遥しているうちにきっとみえてくることだろう。 ドイツもといヨーロッパでの「団地」とはネガティヴな意味合いで語られることのほうがおおい。例えば、「団地」＝ゲットーであるという。それでも、そのイメージも団地逍遥を繰り返しているうちに極めて一面的な見方であるとも悟らされた。 そこにはどんな形でも生というものがある。ただそれがどんな営みの方をされていたか、あるいはいるかが問題なのである。 団地とは２０世紀以降の生のあり方を語る上でのキータームなのだ。一切は住むということにかかわるコンセプトでありそして住むということに関わる生一般を司るアートでもあったのだ。全ては全体主義芸術Gesamtkunstwerkの一環として生み出された。団地の神髄とは、ナチズムやスターリニズムを生み出したものと根を同じくする、ということを付きつとめることができるような場所へと到達することでなければならない。 だから、小生の想像力のはいつのまにか時と場所を越えて、はるかかなた東の国の小生の団地での幼年時代の記憶と結ばれることになったのだ。 だから、いつの日か、僕たちの「20世紀末ごろの団地での幼年時代」について語ることができれば、と思う。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="112" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMAG1296-188x112.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMAG1296" title="IMAG1296" /><p></p><br /><p>ここのところあまりにも家にひきこもりすぎで、たいした遠出もしていないな、ということに気がついたとある夕方のことだった。</p>
<p>久々に団地逍遥でもしたかったのだけれど、小生宅から一番最寄りのベルリン四大団地の一つであるグロピウスシュタットまでは歩いていくのは面倒な距離なので、もう一度先日言及したRollbergの側を通って、テンペルホーファーフェルドの横を通り過ぎたあと、南に方角を転じ、ベルリンの環状線の線路を跨いで後、テルトウ運河まで歩いて、あとは、運河沿いをとことこ散歩していた。<span id="more-782"></span></p>
<p><iframe width="450" height="350" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.de/maps?hl=de&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=Neuk%C3%B6lln&amp;t=h&amp;ll=52.459742,13.437792&amp;spn=0.002288,0.004828&amp;z=17&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.de/maps?hl=de&amp;ie=UTF8&amp;hq=&amp;hnear=Neuk%C3%B6lln&amp;t=h&amp;ll=52.459742,13.437792&amp;spn=0.002288,0.004828&amp;z=17&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">Größere Kartenansicht</a></small></p>
<p>運河沿いにBritzer Dammの手前まであるいてきたところで、これまで入ったことのない団地があることに気がついたので、そこを通り抜けながら、家の方角へ向うことにした。</p>
<p>すると冒頭の写真にある通り、なんと、目の前に鳥居が団地の建物の下に組み込まれているという前代未聞の光景に出くわしたのである。かような香ばしき団地の風景。</p>
<p>グロピウスシュタットとノイケルンの間には、見本市のごとく様々なスタイルの団地が乱立している。</p>
<p>ノイケルンの南に境を接するBritzにはかの世界遺産にも登録されたブルーノ・タウト設計による<a href="http://de.wikipedia.org/wiki/Hufeisensiedlung">Hufeisensiedlung</a>という戦間期を代表する名作団地（？）があるし、そこからグロピウスシュタットへ歩をすすめていくうちに通り過ぎていくことになる、戦後ベルリンの市街が拡大していくのにしたがい誕生していった多種多様の団地群は見る者をたのしませてくれる。</p>
<p>しかし、団地とはかようなものではすまない問題を抱えていることが、団地の間を逍遥しているうちにきっとみえてくることだろう。</p>
<p>ドイツもといヨーロッパでの「団地」とはネガティヴな意味合いで語られることのほうがおおい。例えば、「団地」＝ゲットーであるという。それでも、そのイメージも団地逍遥を繰り返しているうちに極めて一面的な見方であるとも悟らされた。</p>
<p>そこにはどんな形でも生というものがある。ただそれがどんな営みの方をされていたか、あるいはいるかが問題なのである。</p>
<p>団地とは２０世紀以降の生のあり方を語る上でのキータームなのだ。一切は住むということにかかわるコンセプトでありそして住むということに関わる生一般を司るアートでもあったのだ。全ては全体主義芸術Gesamtkunstwerkの一環として生み出された。団地の神髄とは、ナチズムやスターリニズムを生み出したものと根を同じくする、ということを付きつとめることができるような場所へと到達することでなければならない。</p>
<p>だから、小生の想像力のはいつのまにか時と場所を越えて、はるかかなた東の国の小生の団地での幼年時代の記憶と結ばれることになったのだ。</p>
<p>だから、いつの日か、僕たちの「20世紀末ごろの団地での幼年時代」について語ることができれば、と思う。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後8時半ごろ。ワルシャワ・セントラルナ帰還。</title>
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		<pubDate>Sat, 19 May 2012 11:22:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ワルシャワ]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0284-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0284" title="IMG_0284" />小生たちのベルリン・ワルシャワ・エクスプレスはほぼ定刻通り午後8時半ごろワルシャワ中央駅ことWarszawa Centralnaに到着した。この中央駅は地下に位置しており、訪れるたびに駅構内が明るくなっていく印象があった。かつてはとにかく暗い印象だけが残る駅だっただけに。 聞いてはいたけれど、2010年夏以来ぶりのワルシャワ中央駅は前回よりも、そしていうまでもなく、小生がはじめてこの駅に到着した90年代末とくらべても信じられないぐらい駅構内が明るくなっていた。 そして、その明るさに驚く間もなく、構内通路に続くエスカレーターを上がった先に驚愕は続く。 なんと、通路の明るさもさることながら、両脇にひしめいていた店舗群（ポーランド語でSklep)がすべて姿を消しているではないか。 これはもはや小生のしっているワルシャワ中央駅にあらず。 なによりもポーランドの駅といえば、このコンコースと通路の両側にしめるSklepのカオスなくしてはありえないし、ポーランドに鉄路で到着した諸賢を迎えてくれる風景のはずなのだ。もはやそれも過去のもとか、と一瞬おもったほどだった。 が、中央駅横のトラムの停留所下の地下道は、やっぱり両サイド今まで通りぎっしりのSklepだらけで、やっぱり元の木阿弥なのであった。それでも、このワルシャワ中央駅の構内に限っての変貌ぶりはかつてをしるものにとって特筆ものといえるだろう。 そして駅の上を走っているワルシャワを代表する目抜き通りであるイェルサレム大通りAleje Jerozolimskieに上がって向い側にそびえるスターリン様式の文化科学宮殿を見上げると、やはりかつてより美しくライトアップされているように思える。 見た目にはワルシャワはユーロ開催にそなえてか街の趣きを洗練されたものに変化させつつある、というのが第一印象だった。 さて、そんなワルシャワに今回は長居することは能わない。そんなワルシャワの中央駅とワルシャワの詳細はまたポーランド編にゆずるとしよう。小生たちは、次の日にはまたウクライナはリヴィウに向けて経たねばならず、それも一日中バスの中で過ごさねばならない。 その後、小生たちは旅の初日は名物のピエロギで腹をしっかりと満たし、ささやかに無事のワルシャワ到着を祝い、早々に床につくのでありました。そもそも小生の体調は相も変わらず芳しくなかった。 ではまた自戒。次回はいよいよウクライナ入り。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0284-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0284" title="IMG_0284" /><p></p><br /><p>小生たちのベルリン・ワルシャワ・エクスプレスはほぼ定刻通り午後8時半ごろワルシャワ中央駅ことWarszawa Centralnaに到着した。この中央駅は地下に位置しており、訪れるたびに駅構内が明るくなっていく印象があった。かつてはとにかく暗い印象だけが残る駅だっただけに。</p>
<p>聞いてはいたけれど、2010年夏以来ぶりのワルシャワ中央駅は前回よりも、そしていうまでもなく、小生がはじめてこの駅に到着した90年代末とくらべても信じられないぐらい駅構内が明るくなっていた。<span id="more-767"></span></p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0282.jpg"><img class="alignnone size-large wp-image-834" title="IMG_0282" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0282-494x370.jpg" alt="" width="494" height="370" /></a></p>
<p>そして、その明るさに驚く間もなく、構内通路に続くエスカレーターを上がった先に驚愕は続く。</p>
<div id="attachment_838" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_4021.jpg"><img class="size-large wp-image-838" title="IMG_4021" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_4021-494x370.jpg" alt="" width="494" height="370" /></a><p class="wp-caption-text">5月4日にあらためて訪れた時の写真。夕方と休日だということもあってガラガラだったが、それだけに改装後の通路が広くそして長く見える・・・。</p></div>
<p>なんと、通路の明るさもさることながら、両脇にひしめいていた店舗群（ポーランド語でSklep)がすべて姿を消しているではないか。</p>
<div id="attachment_833" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0011a.jpg"><img class="size-large wp-image-833" title="IMG_0011a" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0011a-494x327.jpg" alt="" width="494" height="327" /></a><p class="wp-caption-text">2010年７月末、ワルシャワ中央駅構内地下通路。ほぼ同じ場所だが、上の写真を撮ったポイント方を向いて。改装前は人が多い時は人いきれで空気はこもり、人ごみで前に進むのも難渋するほどだった。それが上の写真にある通り、左右の店舗はすべてきれいに整理されてなくなっていた。</p></div>
<p>これはもはや小生のしっているワルシャワ中央駅にあらず。</p>
<p>なによりもポーランドの駅といえば、このコンコースと通路の両側にしめるSklepのカオスなくしてはありえないし、ポーランドに鉄路で到着した諸賢を迎えてくれる風景のはずなのだ。もはやそれも過去のもとか、と一瞬おもったほどだった。</p>
<p>が、中央駅横のトラムの停留所下の地下道は、やっぱり両サイド今まで通りぎっしりのSklepだらけで、やっぱり元の木阿弥なのであった。それでも、このワルシャワ中央駅の構内に限っての変貌ぶりはかつてをしるものにとって特筆ものといえるだろう。</p>
<p>そして駅の上を走っているワルシャワを代表する目抜き通りであるイェルサレム大通りAleje Jerozolimskieに上がって向い側にそびえるスターリン様式の文化科学宮殿を見上げると、やはりかつてより美しくライトアップされているように思える。</p>
<p>見た目にはワルシャワはユーロ開催にそなえてか街の趣きを洗練されたものに変化させつつある、というのが第一印象だった。</p>
<p>さて、そんなワルシャワに今回は長居することは能わない。そんなワルシャワの中央駅とワルシャワの詳細はまたポーランド編にゆずるとしよう。小生たちは、次の日にはまたウクライナはリヴィウに向けて経たねばならず、それも一日中バスの中で過ごさねばならない。</p>
<div id="attachment_836" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0286.jpg"><img class="size-large wp-image-836" title="IMG_0286" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0286-494x370.jpg" alt="" width="494" height="370" /></a><p class="wp-caption-text">余りにもお腹が減っていたので、食べ始めの皿で失敬・・・。オーブンで焼いたピエロギを久々に食して満腹。この次の日からウクライナ／ポーランドではほぼ毎日バレーニキ／ピエロギを食することに。店の場所は中央駅方面からMarszalkowskaを南にPlac Konstytucijの一番南東角の横にある。注文をうけてから作ってくれるのでやはりうまいが値段もそこそこ。飲み物込みで10€程はしたから、ワルシャワ中心部のこういった場所での外食の値段はベルリン、特にクロイツベルクやノイケルンよりも若干高めか。</p></div>
<p>その後、小生たちは旅の初日は名物のピエロギで腹をしっかりと満たし、ささやかに無事のワルシャワ到着を祝い、早々に床につくのでありました。そもそも小生の体調は相も変わらず芳しくなかった。</p>
<p>ではまた自戒。次回はいよいよウクライナ入り。</p>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後4時。オーデル川越え。</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 18:36:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[チェコ]]></category>
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		<category><![CDATA[ワルシャワ]]></category>
		<category><![CDATA[国境越え]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0232-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0232" title="IMG_0232" />オーデル川越えは小生にとってはいつも特別な瞬間である。 ドイツ側のフランクフルト・アン・デア・オーデルからポーランド側のスウヴィッチェへ、またその逆へ。これまで何度となくこの川を越えてきた。それはポーランドという国の旅の始まりであり、同時にそこでの旅の終わりでもあった。 初めてこの川を越えたのは、もう10年以上も前になるから、20世紀末のことだ。 90年代の末、小生は、多くの日本人が最初のヨーロッパを旅する際に向うであろう、ロンドンやパリではなく、中欧という場所へなにかにせかされるようにして向った。チューリヒを出て、ウィーンへ向かい、そしてブダペスト、ブラチスラヴァ、プラハ、そしてワルシャワと。 そのワルシャワからベルリン行のEuroCityで小生はこのオーデル川を越えてドイツに「帰ってきた」のだ。 ここ数年はポーランドよりもチェコへ向うことが多かった。ベルリンとプラハをいったり来たりすることが続いたりした。 いつもベルリンからプラハへ向う時は、ブダペストかウィーン行きのEuroCityにのっていく。列車はドレスデンを過ぎるとピルナのあたりから列車はエルベ川沿いに走る。そして、いつのまにか国境を越えていて、いつのまにか自分がチェコにいることに気がつく。 でも、そこにはベルリンからポーランドへ向うときのような興奮がない。 バードシャンダウを過ぎ、国境前の最後の駅であるシェーナを過ぎると、いつのまにか列車は、延々とエルベ川沿いを走るうちにチェコ領内へと入って行く。どこで国境を越えたのか、という実感がそこにはない。 自分が今チェコにいるのだ、という実感が湧くのは、いつもシェーナを過ぎてしばらくして、小生の携帯にショートメッセージSMSが入るときだ。小生の携帯がチェコでローミングを始めたという知らせ。極めて機械的な実感。国境検査がなくなり、移動の自由が格段に広がったのはもちろん喜ばしい。けれど、ヨーロッパの中、少なくとも欧州連合内を旅することはとても乾いた体験でしかなくなったのかもしれない。 かつては車窓からみていて、チェコとドイツの家屋の状態の差などでどちらの側にいるのか、という確信はもてたが、最近はそうは簡単に見分けがつかなくなった。もちろん、何度も行き来をしていているので、このあたりからチェコ、ということは容易にみてとれはするのだけれど。 かつてはドイツ／チェコ国境の両側でパスポートコントロールがあったので、自分のパスポートにチェコの警官がスタンプを押すのをみて、違う国へと来た、という実感があった。ところが、チェコのシェンゲン条約加盟以降、最近はあったりなかったりとまちまちだ。それもだいたいドレスデン中央駅停車中かドレスデンをでてバードシャンダウへ向う車上で行われる。まだドイツ国内だというのに。 結局、今回も、また初めてウクライナへ向った2005年の時とやはり同じルートで同じ橋を越えた。 オーデル川を越えてしばらくするとジェーピンRzepinという駅にしばらくとまる。そこで乗務員の交代などがある。 その間、ドイツからの乗客はおもいおもいにホームへ立って、ポーランドでの最初に空気を吸う。もしく一服タバコを吸う。この風景はいつもこの駅に列車が止まるとき、全く毎回同じだ。これを目の当たりにして、自分が今ポーランドに来たのだという実感が濃くなる。彼ら彼女たちそれぞれのオーデル川越え後の光景。 こののんびりさ加減がポーランドという国の一面なのかもしれない、とふと思う。時間の流れ方が、ベルリンからやってきて川をひとつ越えただけで全く異なる、という。 ベルリンからプラハへ向う途上にこういう光景は全くない。ドイツ側のバードシャンダウでもチェコ側のジェチーンDěcínでも列車は止まったと思えば、すぐ動き出す。そして小一時間も経つと、列車の窓からはプラハ城の遠景を拝することができる。 極めてモダンに改装され、ユーゲントスティル旧駅舎もかつての輝きをとりもどそうとするプラハ中央駅に降り立っても、ベルリンとさして時間の流れ方はかわらないことに気付く。それどころ、駅構内から地下鉄の駅へと続く人の列に従っていけば、それも若干早いのではないか、と思ったりもする。 そういえば、前回訪問から今回にかけての一年半以上の間に、ワルシャワの中央駅が大掛かりに改装されたと小耳にはさんだ。まずはその変化ぶりを収めることから今回の小生たちの旅は本格的に始まるといってもよいだろう。 列車はまたポーランドの平原を走る走る、ワルシャワへ。日は段々と西に傾き始める。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0232-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0232" title="IMG_0232" /><p></p><br /><p>オーデル川越えは小生にとってはいつも特別な瞬間である。</p>
<p>ドイツ側のフランクフルト・アン・デア・オーデルからポーランド側のスウヴィッチェへ、またその逆へ。これまで何度となくこの川を越えてきた。それはポーランドという国の旅の始まりであり、同時にそこでの旅の終わりでもあった。</p>
<p>初めてこの川を越えたのは、もう10年以上も前になるから、20世紀末のことだ。<span id="more-750"></span></p>
<p>90年代の末、小生は、多くの日本人が最初のヨーロッパを旅する際に向うであろう、ロンドンやパリではなく、中欧という場所へなにかにせかされるようにして向った。チューリヒを出て、ウィーンへ向かい、そしてブダペスト、ブラチスラヴァ、プラハ、そしてワルシャワと。</p>
<p>そのワルシャワからベルリン行のEuroCityで小生はこのオーデル川を越えてドイツに「帰ってきた」のだ。</p>
<p>ここ数年はポーランドよりもチェコへ向うことが多かった。ベルリンとプラハをいったり来たりすることが続いたりした。</p>
<p>いつもベルリンからプラハへ向う時は、ブダペストかウィーン行きのEuroCityにのっていく。列車はドレスデンを過ぎるとピルナのあたりから列車はエルベ川沿いに走る。そして、いつのまにか国境を越えていて、いつのまにか自分がチェコにいることに気がつく。</p>
<p>でも、そこにはベルリンからポーランドへ向うときのような興奮がない。</p>
<p>バードシャンダウを過ぎ、国境前の最後の駅であるシェーナを過ぎると、いつのまにか列車は、延々とエルベ川沿いを走るうちにチェコ領内へと入って行く。どこで国境を越えたのか、という実感がそこにはない。</p>
<p>自分が今チェコにいるのだ、という実感が湧くのは、いつもシェーナを過ぎてしばらくして、小生の携帯にショートメッセージSMSが入るときだ。小生の携帯がチェコでローミングを始めたという知らせ。極めて機械的な実感。国境検査がなくなり、移動の自由が格段に広がったのはもちろん喜ばしい。けれど、ヨーロッパの中、少なくとも欧州連合内を旅することはとても乾いた体験でしかなくなったのかもしれない。</p>
<p>かつては車窓からみていて、チェコとドイツの家屋の状態の差などでどちらの側にいるのか、という確信はもてたが、最近はそうは簡単に見分けがつかなくなった。もちろん、何度も行き来をしていているので、このあたりからチェコ、ということは容易にみてとれはするのだけれど。</p>
<p>かつてはドイツ／チェコ国境の両側でパスポートコントロールがあったので、自分のパスポートにチェコの警官がスタンプを押すのをみて、違う国へと来た、という実感があった。ところが、チェコのシェンゲン条約加盟以降、最近はあったりなかったりとまちまちだ。それもだいたいドレスデン中央駅停車中かドレスデンをでてバードシャンダウへ向う車上で行われる。まだドイツ国内だというのに。</p>
<p>結局、今回も、また初めてウクライナへ向った2005年の時とやはり同じルートで同じ橋を越えた。</p>
<div class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0008a.jpg"><img class="alignnone size-large wp-image-761" title="IMG_0008a" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0008a-494x326.jpg" alt="" width="494" height="326" /></a><p class="wp-caption-text">Rzepinにて。前回のウクライナ行き途上。2010年7月末。</p></div>
<p>オーデル川を越えてしばらくするとジェーピンRzepinという駅にしばらくとまる。そこで乗務員の交代などがある。</p>
<p>その間、ドイツからの乗客はおもいおもいにホームへ立って、ポーランドでの最初に空気を吸う。もしく一服タバコを吸う。この風景はいつもこの駅に列車が止まるとき、全く毎回同じだ。これを目の当たりにして、自分が今ポーランドに来たのだという実感が濃くなる。彼ら彼女たちそれぞれのオーデル川越え後の光景。</p>
<p>こののんびりさ加減がポーランドという国の一面なのかもしれない、とふと思う。時間の流れ方が、ベルリンからやってきて川をひとつ越えただけで全く異なる、という。</p>
<p>ベルリンからプラハへ向う途上にこういう光景は全くない。ドイツ側のバードシャンダウでもチェコ側のジェチーンDěcínでも列車は止まったと思えば、すぐ動き出す。そして小一時間も経つと、列車の窓からはプラハ城の遠景を拝することができる。</p>
<p>極めてモダンに改装され、ユーゲントスティル旧駅舎もかつての輝きをとりもどそうとするプラハ中央駅に降り立っても、ベルリンとさして時間の流れ方はかわらないことに気付く。それどころ、駅構内から地下鉄の駅へと続く人の列に従っていけば、それも若干早いのではないか、と思ったりもする。</p>
<div id="attachment_189" class="wp-caption alignnone" style="width: 490px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_0018-e1336744373125.jpg"><img class=" wp-image-189" title="Prague Central Station, 25. December 2010" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_0018-e1336744373125.jpg" alt="" width="480" height="326" /></a><p class="wp-caption-text">ベルリン行きのEuroCityを待ちながら。この列車は結局プラハを一時間半以上遅れて出発した。とにかく雪のふる寒いプラハはクリスマスということもあり人気があまりなかった。プラハ中央駅、2010年12月25日。</p></div>
<p>そういえば、前回訪問から今回にかけての一年半以上の間に、ワルシャワの中央駅が大掛かりに改装されたと小耳にはさんだ。まずはその変化ぶりを収めることから今回の小生たちの旅は本格的に始まるといってもよいだろう。</p>
<p>列車はまたポーランドの平原を走る走る、ワルシャワへ。日は段々と西に傾き始める。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後2時50分。ベルリン東駅。</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 12:44:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[フットボール]]></category>
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		<description><![CDATA[<img width="188" height="140" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0246a-188x140.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0246a" title="IMG_0246a" />これから長旅に出る直前だというのに、しかも、最初の数日はかなり強行軍であるが分かっていたというのに、とにかく体調がすぐれないままベルリンは東駅Ostbahnhofのホームに小生はいた。 これからいくのはヨーロッパのメキシコあるいは中国ともいわれるポーランドのさらにその向こうのウクライナなのである。となるとウクライナはヨーロッパの・・・、何なのだろう。 ウクライナといえばコサック、コサックといえば大草原、大草原といえば遊牧民、遊牧民は酒を飲む、酒と言えばウォッカ、ウォッカといえばロシア、だめだ。もう一度。 大草原だ、大草原といえば、小さな家だ、そして馬だ、馬といえば、遊牧民、遊牧民といえばやはりモンゴルだ。 かつてウクライナにはモンゴル人がやってきて、例えば、ウクライナの南の先っぽにはモンゴル人の末裔でもあるクリミア・タタールというマイノリティも住んでいる。一度クリミアにいってときに、ベルリンでよくしっている日本人のなんとかさんとものすごく似ている人がのった乗り合いタクシー（通称マルシュルートゥカ）を運転していて、おもわず、どうもこんにちわ、御日柄もよく、なんて本当に日本語で挨拶してしまいそうになったこともある。ウクライナはじゃあヨーロッパのモンゴルか。 という冗談はほどほどにしておいて、これからいくのはウクライナなのだ。何をしに？サッカーを見に。サッカーである。 実はウクライナには一度サッカーを見にいってきたことがある。日本代表対ウクライナ代表の試合である。2005年の10月のことだ（もちろん中田ヒデもいた、生で彼の出ているのを見る最初で最後に機会だったが・・・）。 その当時の代表戦の試合会場だったのが、今回のユーロの決勝が行われたキエフのオリンピアスタジアムなのだ。当時ウクライナまで同行させていただいたベルリン在住のジャーナリストの中村真人さんのブログ／ベルリン中央駅にその旅の詳細を記されたエントリーがあるので、詳細はそちらを御覧いただきたい。中村さんのブログにある写真にもあるキエフのオリンピアスタジアムは今回のユーロの決勝の会場になるのだが、そのために当時とは大分趣きを新たにすることになった。 もっともそれも７年前の話になる。今から思えば感慨深い話なのだ。一度日本でロシアへの情熱を失い、一方でベルリンという街にひきつけられた小生を、再びヨーロッパの東へと再度向わせるきっかけになったのだから。人生とは分からないものである。 それが必然であったのか、いまでもよくわからないところがある。けれど、それが小生にとって、その2005年10月のウクライナ行きが一大転機になったことは間違いのないところだ。小生にとってはその７年間分の変化も加味したウクライナでのヨーロッパ選手権の直前の様を目の当たりにできれば、というのが当座の趣旨でもあった。 ところで、今回のウクライナ行き、事の発端は、小生はTwitter上で１月の終わりごろの呟きにさかのぼる。 どういう文脈でそのような発言するのに至ったのかは全く記憶にないのだが、ともあれ「この手のお祭り」が小生のような貧乏人には用がないのは当然であるとしても、東ヨーロッパとか中央ヨーロッパを研究とかほざいている小生のような輩にとっては、たとえユーロが金持ちのお祭りであったとしても、門外漢として見ていてもとおもしろくわけがないはずはないのである。とはいえ、大会前にどれほどこの国際的なお祭りのかの両国が変化をとげたか、それとも相も変わらずかをじっくりみるには絶好の機会であるのには間違いあるまい、ということで、大会前と大会後という祭りの前とその後を見にいくのことこそおもしろおかしき、と考えてのTweetだったのには違いあるまい。 ところがその小生の小言を読んでいた友人のフォトグラファーのM君が数日後やや興奮して、是非同行したいと連絡してきたころから、小生の冗談発言が冗談ではなくなるような様相を呈してきたのである。それ以降M君がしぶる小生のケツを盛んにたたくので、しょうがない、やっぱりいくしかねえか、という感じで（すっかり）その気になってしまったのが、3月の頭ごろだった。 ワルシャワ行きのユーロシティ、通称ベルリン・ワルシャワエクスプレスはほぼ定刻通りやってきた。乗車し予約してあったコンパートメントにいくと、中央駅から乗車していたM君がすでに車中の人であった。列車はゆっくりと動きだし、最近とんとご無沙汰しているワルシャワ通り駅を通りすぎるのを眺めながら、つかの間のベルリンに別れをつげた小生は、一年半以上ぶりのベルリン・ワルシャワエクスプレスの車上で、久々のオーデル川の向こう岸への旅に心をときめかすのであった。それでも、その高揚感に体がおいつかないという不具合も抱え、どうにもこうにもこの先のハードな行程に不安を覚えるのであった。 この旅行の計画の段階での小生たちの目的はおおざっぱにいって次の通りだった。 ユーロの会場となるスタジアム、もとい、そのスタジアムが位置するウクライナとポーランドの開催都市をすべての視察。 開催会場でおこなわれる地元リーグの試合も可能な限り観戦。 そして、開催都市でのスタジアムとリーグ戦以外のサッカーに関わる日常をつぶさに観察。 そこで地元リーグの開催日程をつぶさに検討しているうちに、四月七日にウクライナでの開催会場のひとつであるドネツクで、ナショナルダービーといわれるシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの試合がおこなわるということが判明した。 このウクライナ／ポーランドツアーの計画が浮上したころ、今年二月のベルリン映画祭で&#8221;The  other Chelsea&#8221;「もうひとつのチェルシー」というドキュメンタリー映画をみたのだが (この作品についてはまた別のポストにあるのでそちらを参照あれ）、この作品はドンバスという東ウクライナのかつてのソ連を代表する重工業地帯にあるドネツクと言う街に本拠地をおくシャフタール・ドネツクというサッカーチームとそのドネツクという街に住まう人々と地域をユーモアとサッカーにもつわる高揚感、そこで逆説的にうかぶウクライナ社会の矛盾と欺瞞を見事に描きだしていた。この作品をみたことが、一度はドネツクという街にいっておくべきだな、という小生の気持ちの背中を押したのである。 こうして小生たちの今回のウクライナ／ポーランドユーロ2012直前ツアーの最大の目標は4月7日のシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの一大カードの観戦ということに決まった。 ところが、小生は来客や野暮用などで4月3日にならないとベルリンを出発できなくなってしまった。遅くとも7日の朝にはドネツク到着していなくてはならないから、こうして小生たちはベルリンから４泊５日でドネツク到達を目指すこととなった。  &#8230;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="140" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0246a-188x140.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0246a" title="IMG_0246a" /><p></p><br /><p>これから長旅に出る直前だというのに、しかも、最初の数日はかなり強行軍であるが分かっていたというのに、とにかく体調がすぐれないままベルリンは東駅Ostbahnhofのホームに小生はいた。</p>
<p>これからいくのはヨーロッパのメキシコあるいは中国ともいわれるポーランドのさらにその向こうのウクライナなのである。となるとウクライナはヨーロッパの・・・、何なのだろう。<span id="more-406"></span></p>
<p>ウクライナといえばコサック、コサックといえば大草原、大草原といえば遊牧民、遊牧民は酒を飲む、酒と言えばウォッカ、ウォッカといえばロシア、だめだ。もう一度。</p>
<p>大草原だ、大草原といえば、小さな家だ、そして馬だ、馬といえば、遊牧民、遊牧民といえばやはりモンゴルだ。 かつてウクライナにはモンゴル人がやってきて、例えば、ウクライナの南の先っぽにはモンゴル人の末裔でもあるクリミア・タタールというマイノリティも住んでいる。一度クリミアにいってときに、ベルリンでよくしっている日本人のなんとかさんとものすごく似ている人がのった乗り合いタクシー（通称マルシュルートゥカ）を運転していて、おもわず、どうもこんにちわ、御日柄もよく、なんて本当に日本語で挨拶してしまいそうになったこともある。ウクライナはじゃあヨーロッパのモンゴルか。</p>
<p>という冗談はほどほどにしておいて、これからいくのはウクライナなのだ。何をしに？サッカーを見に。サッカーである。</p>
<p>実はウクライナには一度サッカーを見にいってきたことがある。日本代表対ウクライナ代表の試合である。2005年の10月のことだ（もちろん中田ヒデもいた、生で彼の出ているのを見る最初で最後に機会だったが・・・）。 その当時の代表戦の試合会場だったのが、今回のユーロの決勝が行われたキエフのオリンピアスタジアムなのだ。当時ウクライナまで同行させていただいたベルリン在住のジャーナリストの中村真人さんのブログ／<a href="http://berlinhbf.exblog.jp/1605755/" target="_blank">ベルリン中央駅</a>にその旅の詳細を記されたエントリーがあるので、詳細はそちらを御覧いただきたい。中村さんのブログにある写真にもあるキエフのオリンピアスタジアムは今回のユーロの決勝の会場になるのだが、そのために当時とは大分趣きを新たにすることになった。</p>
<p>もっともそれも７年前の話になる。今から思えば感慨深い話なのだ。一度日本でロシアへの情熱を失い、一方でベルリンという街にひきつけられた小生を、再びヨーロッパの東へと再度向わせるきっかけになったのだから。人生とは分からないものである。</p>
<p>それが必然であったのか、いまでもよくわからないところがある。けれど、それが小生にとって、その2005年10月のウクライナ行きが一大転機になったことは間違いのないところだ。小生にとってはその７年間分の変化も加味したウクライナでのヨーロッパ選手権の直前の様を目の当たりにできれば、というのが当座の趣旨でもあった。</p>
<p>ところで、今回のウクライナ行き、事の発端は、小生はTwitter上で１月の終わりごろの呟きにさかのぼる。<br />
<a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/スクリーンショット（2012-05-14-14.18.38）.png"><img class="alignnone size-full wp-image-416" title="スクリーンショット（2012-05-14 14.18.38）" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/スクリーンショット（2012-05-14-14.18.38）.png" alt="" width="442" height="195" /></a></p>
<p>どういう文脈でそのような発言するのに至ったのかは全く記憶にないのだが、ともあれ「この手のお祭り」が小生のような貧乏人には用がないのは当然であるとしても、東ヨーロッパとか中央ヨーロッパを研究とかほざいている小生のような輩にとっては、たとえユーロが金持ちのお祭りであったとしても、門外漢として見ていてもとおもしろくわけがないはずはないのである。とはいえ、大会前にどれほどこの国際的なお祭りのかの両国が変化をとげたか、それとも相も変わらずかをじっくりみるには絶好の機会であるのには間違いあるまい、ということで、大会前と大会後という祭りの前とその後を見にいくのことこそおもしろおかしき、と考えてのTweetだったのには違いあるまい。</p>
<p>ところがその小生の小言を読んでいた友人のフォトグラファーのM君が数日後やや興奮して、是非同行したいと連絡してきたころから、小生の冗談発言が冗談ではなくなるような様相を呈してきたのである。それ以降M君がしぶる小生のケツを盛んにたたくので、しょうがない、やっぱりいくしかねえか、という感じで（すっかり）その気になってしまったのが、3月の頭ごろだった。</p>
<p>ワルシャワ行きのユーロシティ、通称ベルリン・ワルシャワエクスプレスはほぼ定刻通りやってきた。乗車し予約してあったコンパートメントにいくと、中央駅から乗車していたM君がすでに車中の人であった。列車はゆっくりと動きだし、最近とんとご無沙汰しているワルシャワ通り駅を通りすぎるのを眺めながら、つかの間のベルリンに別れをつげた小生は、一年半以上ぶりのベルリン・ワルシャワエクスプレスの車上で、久々のオーデル川の向こう岸への旅に心をときめかすのであった。それでも、その高揚感に体がおいつかないという不具合も抱え、どうにもこうにもこの先のハードな行程に不安を覚えるのであった。</p>
<p>この旅行の計画の段階での小生たちの目的はおおざっぱにいって次の通りだった。</p>
<blockquote><p><strong>ユーロの会場となるスタジアム、もとい、そのスタジアムが位置するウクライナとポーランドの開催都市をすべての視察。</strong></p>
<p><strong>開催会場でおこなわれる地元リーグの試合も可能な限り観戦。</strong></p>
<p><strong>そして、開催都市でのスタジアムとリーグ戦以外のサッカーに関わる日常をつぶさに観察。</strong></p></blockquote>
<p>そこで地元リーグの開催日程をつぶさに検討しているうちに、四月七日にウクライナでの開催会場のひとつであるドネツクで、ナショナルダービーといわれるシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの試合がおこなわるということが判明した。</p>
<p>このウクライナ／ポーランドツアーの計画が浮上したころ、今年二月のベルリン映画祭で&#8221;The  other Chelsea&#8221;「もうひとつのチェルシー」というドキュメンタリー映画をみたのだが (この作品については<a href="http://luegenlernen.de/2012/05/17/drugoi-chelsea/" target="_blank">また別のポストにあるのでそちらを参照あれ</a>）、この作品はドンバスという東ウクライナのかつてのソ連を代表する重工業地帯にあるドネツクと言う街に本拠地をおくシャフタール・ドネツクというサッカーチームとそのドネツクという街に住まう人々と地域をユーモアとサッカーにもつわる高揚感、そこで逆説的にうかぶウクライナ社会の矛盾と欺瞞を見事に描きだしていた。この作品をみたことが、一度はドネツクという街にいっておくべきだな、という小生の気持ちの背中を押したのである。</p>
<p><iframe src="http://www.youtube.com/embed/VZx_NulsQVU" frameborder="0" width="450" height="259"></iframe></p>
<p>こうして小生たちの今回のウクライナ／ポーランドユーロ2012直前ツアーの最大の目標は4月7日のシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの一大カードの観戦ということに決まった。</p>
<p>ところが、小生は来客や野暮用などで4月3日にならないとベルリンを出発できなくなってしまった。遅くとも7日の朝にはドネツク到着していなくてはならないから、こうして小生たちはベルリンから４泊５日でドネツク到達を目指すこととなった。</p>
<p>そもそも小生のような貧乏人がドネツクまで飛行機でいくほどの余裕はないし、もともと飛行機での移動は小生は苦手としているので、その気は全くなかったのだけれど。なので、やはりポーランド経由で陸路でウクライナへ向うということになった。</p>
<p>が、四泊五日ならば余裕じゃないかということなかれ。ここでもう一度ルート確認をしておこう。</p>
<p><iframe src="http://maps.google.de/maps/ms?msa=0&amp;msid=200472668000339509701.0004bf973719abaed8feb&amp;hl=de&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;ll=52.375599,27.333984&amp;spn=18.834405,33.398438&amp;z=4&amp;output=embed" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="455" height="350"></iframe><small><a style="color: #0000ff; text-align: left;" href="http://maps.google.de/maps/ms?msa=0&amp;msid=200472668000339509701.0004bf973719abaed8feb&amp;hl=de&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;ll=52.375599,27.333984&amp;spn=18.834405,33.398438&amp;z=4&amp;source=embed">Going in Poland and Ukraine, shortly before EURO 2012 Poland &amp; Ukraine, April-May 2012 </a></small><small></small></p>
<p>当初の計画では、3日午後にベルリンを出発し、ワルシャワ到着は夕方遅くの９時。そこからワルシャワからリビウまで夜行バスで向い、リビウ早朝到着後とりあえず四日一日を過ごした後、次の日五日の朝リビウをたち、五日夕方にキエフ着、そして、六日夕方の夜行列車でキエフをたち、ドネツクには七日日朝に到着の夜行列車で到着の予定であった。</p>
<p>ところが小生の体調不良により、若干の予定変更を強いられることに。</p>
<p>出発前夜の時点で、当初の予定を3日夜のワルシャワーリビウを夜行バス泊をワルシャワの友人宅に一晩の宿を乞うことにし、昼前のバスでリビウへ出発することにしたのだ。</p>
<p>そもそも、ワルシャワーリビウの夜行便では国境通過が深夜な上、数時間は待たされることもあり、その間、パスポートコントロールもとい荷物検査で国境では寝ることはほぼ不可能であるのはわかっていたので、もともと気が進まなかった。その上、体調不良もあり、おそらく寝るのは難しい夜行バス移動では、後々の日程に響きかねないという判断であった。その後もリビウーキエフはほぼ10時間列車移動、キエフードネツクも12時間以上の列車移動そして夜行泊と強行軍を控えていた。</p>
<div id="attachment_737" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0107a.jpg"><img class="size-large wp-image-737" title="IMG_0107a" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0107a-494x322.jpg" alt="" width="494" height="322" /></a><p class="wp-caption-text">ポーランド／ウクライナ国境、ポーランド側のHrebenneにて。この時も朝９時前のバスでワルシャワをたつが、国境にたどりついたのは午後もかなりまわったごろで、ウクライナ側のコントロールをぬけてリヴィウに着くころには日はかなり西に傾いていた。とにかく暑かった。国境通過待ちの状態で、もともとクーラーの入っていないバスが、サウナ状態になったことが忘れられない・・・。2010年7月。</p></div>
<p>そもそもベルリンーワルシャワ、そしてポーランドの各都市の移動はともかく、今回のウクライナでのユーロ開催都市の移動はほぼ一日がかりと思っておかねばならない。これからヨーロ観戦に赴かれる諸賢におかれましてはその点を留意の上で、体調との相談もウクライナ／ポーランド移動には極めて重要な要素であることを申し上げておく。</p>
<p>さて。4月3日の午後に戻ろう。列車はベルリンをとうの昔に離れ、シュプレー川上流の森の中をガタゴト行く。今回ウクライナはおろかワルシャワ行きもはじめてというM君は、すでに車内をあちこち歩き回ってネタ収集にいとまがない。</p>
<p>小生もときおりヴィデオをまわしたりするもどうにもこうにも体調がすぐれない。それでもポーランド国境直前の街であるフランクフルト・アン・デア・オーデルの駅に着いたあたりからやはりそれでもテンションが上がって来る。</p>
<p>長旅の初日はいつも長い。ではまた自戒。</p>
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		<title>もうひとつのチェルシー。</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 11:28:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[フットボール]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
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		<category><![CDATA[サッカー]]></category>
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		<description><![CDATA[少し前の映画になるのだけれど、今年のベルリン映画祭で、この４月に旅したウクライナのドネツクに関する「もうひとつのチェルシー」(&#8220;The other Chelsea&#8221;- 2010年)というドキュメンタリーをみた。この作品は東ウクライナはドンバス地域の主要都市であるドネツクに本拠地をおくシャフタール・ドネツクというウクライナを代表するサッカーチームとそれをめぐる地域の人々と日常をつぶさにユーモアも豊富に記録している。 なぜ「もうひとつのチェルシー」というタイトルがついているのか。 このシャフタール・ドネツクも2009年のUEFA杯を優勝するほどのウクライナを代表する強豪なのであるが、このチームも、このロンドンに本拠地をおくチェルシーがロシア人の大富豪ローマン・アブラモヴィッチによって買収されてから、彼のポケットマネーでビッククラブへと変身していったように、ドネツク地方を代表する大富豪リナト・アフメートフがこのクラブの代表になって以来、彼のポケットマネー（かどうかあやしいが）でウクライナでもディナモ・キエフと勢力を二分する強豪へと成長していった。その意味をこめてのタイトルなのだろうと推測できる。 この映画は2011年のドイツのドキュメンタリーの映画の賞であるFirst steps awardを受賞している。そんなこともあって、今年のベルリン映画祭の最終日にフォーラム部門で行われたスクリーニングを見る機会があったというわけだ。 監督のヤコブ・プロイスはベルリンの人で、もともとは法律家であるという異色の人だ。彼は選挙監視業務などでウクライナやロシア在住の経験もあって、それがこの映画の制作に生かされているようだ。 彼はそのベルリン映画祭でのスクリーニングの後のアフタートークではとにかく饒舌、でほぼ一時間映画製作とウクライナの現在に関してノンストップで喋り続けた程の人。彼のその饒舌さやユーモアぶりはこの作品にも如実に現れている。 彼のインタヴューも発見。映画の内容と絡めながら、最近の、現在収監中の元首相のティモシェンコに関わる出来事も含めたウクライナ情勢と政治についてもクリティカルに語っている。（英語） もちろん、この映画は今回サッカーのヨーロッパ選手権のウクライナでの開催都市でもあるドネツクとその街があるドンバスという地域の現在もといウクライナという国自体を、しかも、フットボールを通して、知るにはもってこいの映画だし、この手の作品では、小生が知る限り類をみないのではないかと思う。いまのところ日本で公開されている様子はないけれど、もっと知られてもよい良質のドキュメンタリー映画であることは間違いない（ちなみにYoutube上で全編をみれるようだ）。 実際のところ、ウクライナがフットボールを通じて薔薇色の未来が約束されているかのようにうつるような現実をこの作品は語っているようにはみえるけれど、実際ベルリナーレのスクリーニングの後で監督のプロイス自体も語っていたのだが、それがいかに見かけだけのものであるのか、そして、実際のウクライナの現実がどれだけもろい土台と欺瞞の上に成り立っていることもこの作品を通しても見えて来る。 このLügenlernen上でも、実際、その現実が小生の目にもどううつったのかつぶさに報告したいと思っている。 小生も来月のユーロ開催にあわせてノイケルンでこの映画のスクリーニングをもくろんでおりますので、追ってまたお知らせします。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p></p><br /><p>少し前の映画になるのだけれど、今年のベルリン映画祭で、この４月に旅したウクライナのドネツクに関する<a href="http://www.theotherchelsea.com/dirnote.php" target="_blank">「もうひとつのチェルシー」(&#8220;The other Chelsea&#8221;- 2010年)</a>というドキュメンタリーをみた。この作品は東ウクライナはドンバス地域の主要都市であるドネツクに本拠地をおくシャフタール・ドネツクというウクライナを代表するサッカーチームとそれをめぐる地域の人々と日常をつぶさにユーモアも豊富に記録している。<span id="more-690"></span></p>
<div id="attachment_709" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0873.jpg"><img class="size-large wp-image-709" title="IMG_0873" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0873-494x395.jpg" alt="" width="494" height="395" /></a><p class="wp-caption-text">こんなオジさんがこのドキュメンタリーにも出てくる。シャフタールのファンも含めドネツクの人々は皆ほぼ例外なく人当たりのいい人ばかりだった。ドネツクにて。2012年4月7日。</p></div>
<p>なぜ「もうひとつのチェルシー」というタイトルがついているのか。</p>
<p>このシャフタール・ドネツクも2009年のUEFA杯を優勝するほどのウクライナを代表する強豪なのであるが、このチームも、このロンドンに本拠地をおくチェルシーがロシア人の大富豪ローマン・アブラモヴィッチによって買収されてから、彼のポケットマネーでビッククラブへと変身していったように、ドネツク地方を代表する大富豪リナト・アフメートフがこのクラブの代表になって以来、彼のポケットマネー（かどうかあやしいが）でウクライナでもディナモ・キエフと勢力を二分する強豪へと成長していった。その意味をこめてのタイトルなのだろうと推測できる。</p>
<p>この映画は2011年のドイツのドキュメンタリーの映画の賞であるFirst steps awardを受賞している。そんなこともあって、今年のベルリン映画祭の最終日にフォーラム部門で行われたスクリーニングを見る機会があったというわけだ。</p>
<p>監督の<a href="http://www.gagarinsgaze.com/en/aboutus.html" target="_blank">ヤコブ・プロイス</a>はベルリンの人で、もともとは法律家であるという異色の人だ。彼は選挙監視業務などでウクライナやロシア在住の経験もあって、それがこの映画の制作に生かされているようだ。</p>
<p>彼はそのベルリン映画祭でのスクリーニングの後のアフタートークではとにかく饒舌、でほぼ一時間映画製作とウクライナの現在に関してノンストップで喋り続けた程の人。彼のその饒舌さやユーモアぶりはこの作品にも如実に現れている。</p>
<p>彼の<a href="http://www.theworld.org/2012/05/the-other-chelsea-ukraine/" target="_blank">インタヴュー</a>も発見。映画の内容と絡めながら、最近の、現在収監中の元首相のティモシェンコに関わる出来事も含めたウクライナ情勢と政治についてもクリティカルに語っている。（英語）<br />
<iframe src="http://w.soundcloud.com/player/?url=http%3A%2F%2Fapi.soundcloud.com%2Ftracks%2F46086673&amp;auto_play=false&amp;show_artwork=false&amp;color=ff7700" frameborder="0" scrolling="no" width="100%" height="166"></iframe></p>
<p>もちろん、この映画は今回サッカーのヨーロッパ選手権のウクライナでの開催都市でもあるドネツクとその街があるドンバスという地域の現在もといウクライナという国自体を、しかも、フットボールを通して、知るにはもってこいの映画だし、この手の作品では、小生が知る限り類をみないのではないかと思う。いまのところ日本で公開されている様子はないけれど、もっと知られてもよい良質のドキュメンタリー映画であることは間違いない（ちなみにYoutube上で全編をみれるようだ）。</p>
<p>実際のところ、ウクライナがフットボールを通じて薔薇色の未来が約束されているかのようにうつるような現実をこの作品は語っているようにはみえるけれど、実際ベルリナーレのスクリーニングの後で監督のプロイス自体も語っていたのだが、それがいかに見かけだけのものであるのか、そして、実際のウクライナの現実がどれだけもろい土台と欺瞞の上に成り立っていることもこの作品を通しても見えて来る。</p>
<p>このLügenlernen上でも、実際、その現実が小生の目にもどううつったのかつぶさに報告したいと思っている。</p>
<p>小生も来月のユーロ開催にあわせてノイケルンでこの映画のスクリーニングをもくろんでおりますので、追ってまたお知らせします。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>ストラヴィンスキーのとある写真。</title>
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		<pubDate>Wed, 16 May 2012 15:34:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[オンガク]]></category>
		<category><![CDATA[シャシン]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="97" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/Igor_Stravinsky_New_York_NY_1946-188x97.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="Igor_Stravinsky,_New_York,_NY,_1946" title="Igor_Stravinsky,_New_York,_NY,_1946" />日曜日にベルリン・ミッテはC/O Berlinで行われているBruce DavidsonのSubwayという展覧会を見てきた。ダヴィッドソンの写真は、本当に月並みに過ぎる感想だけれど、それは素晴らしかった。1980年代のニューヨークのサブウェイの日常を切り取ったシリーズ。 ダヴィッドソンは1933年オークパークの生まれ、カレッジ時代にヨゼフ・アルパースに師事したということだが、本人にとって決定的だったであろう出来事は、彼のパリでの兵役中にマグナム・フォトの創始者の一人であるアンリ・カルティエ＝ブレッソンとの出会いだったことだろう。彼は1958年にマグナム入りを果たしているのでこのエイジェンシーの中でもかなりの古参の部類になる（ていうか小生の最近研究の対象、特に約10年後にマグナム入をしたヨーゼフ・コーデルカや彼を西側に送り出したチェコの美術史家のアンナ・ファーロヴァーとここでまたつながったりする）。 小生も2001年に一度だけニューヨークに二週間ほど滞在したことがあり、ニューヨークのメトロを夢中になって、東西南北へ朝から晩まで乗り倒した記憶がある。小生には筋金入のトレイン・スポッター（いわゆる鉄ちゃん、カテゴリー的には時刻表→降り鉄）だった過去もあるぐらいだから。 ところで小生の記憶に残っている限りでは、ダヴィッドソンの写真にあるような風景に出会ったような出会わなかったような。ダヴィッドソンの地下鉄の風景と小生の記憶の中に残っているニューヨークの地下鉄の風景はあまりにも違いすぎたというのもある。それはダヴィッドソンがニューヨークのメトロのネットワークの中をもぐらのように動き回っていた時代よりもかなり後に小生がニューヨークを訪れたということもあるけれど。なにより、その当時の小生は写真というメディアを憎悪していた。だから、そのニューヨーク滞在中にはカメラは持ち合わせていなかった。 でも小生にとってはこの冒頭に引用した写真のように、なにか別のイメージを脳裏に稲妻のように走らせることはなかった。もちろん、それは小生の展覧会での集中力のせいかもしれない。 でも、今回そうさせてくれたのは、ダヴィッドソンの展覧会と同時開催だったアーノルド・ニューマンの展示の中にあったこのロシア生まれの作曲家イーゴル・ストラヴィンスキーの一枚のポートレートだった。 ニューマンは戦後アメリカの様々な分野の人々のポートレートをとったことでしられている。もうそれだけでもこの写真家の説明になるだろう。展示会にいけば、きっと一度はみたことのある著名人のポートレートをきっと目にすることになるだろう。 このストラヴィンスキーのポートレートは、この作曲家に関わるところでは、レコードのジャケットの写真などによく使われている。でも、なぜこの写真がこの日みた写真の中で一番印象に残ったのか、と断言できるのか。 この作品を目の当たりにした瞬間、小生の頭の中を彼の1925年のピアノソロの作品である「セレナード」の冒頭が稲妻のごとく脳裏をよぎったのだ。 作曲家本人による演奏。 写真にはそうした、とある聴覚的な記憶への敷居となるようなこともある。この写真をみて、誰もが小生と同じように「セレナード」の冒頭のフレーズが頭を過るとは限らないし、もしかしたら人によっては「春の祭典」のフレーズかもしれない。もしくは「ペトルーシュカ」のピアノ版の冒頭だったりもする。小生にとっても、なぜこのポートレートを目の当たりにして、ストラヴィンスキーの数ある作品のうちのよりによってそれほど知られているわけではない「セレナード」が脳裏をよぎったのかは、説明不可能なのだ。 ストラヴィンスキーが頬杖をついているグランドピアノのせいだろうか。それもいまとなっては後づけの理由でしかないだろう。 写真をふくめて、イメージというものは、人の脳を経由して、また別の、色々な像を結ぶ。人間の五感とはつくづく不思議なものだと思う。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="97" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/Igor_Stravinsky_New_York_NY_1946-188x97.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="Igor_Stravinsky,_New_York,_NY,_1946" title="Igor_Stravinsky,_New_York,_NY,_1946" /><p></p><br /><p>日曜日にベルリン・ミッテはC/O Berlinで行われている<a href="http://www.co-berlin.info/program/exhibitions/2012/bruce-davidson.html?Itemid=2067">Bruce DavidsonのSubway</a>という展覧会を見てきた。ダヴィッドソンの写真は、本当に月並みに過ぎる感想だけれど、それは素晴らしかった。1980年代のニューヨークのサブウェイの日常を切り取ったシリーズ。<span id="more-605"></span></p>
<p>ダヴィッドソンは1933年オークパークの生まれ、カレッジ時代に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9" target="_blank">ヨゼフ・アルパース</a>に師事したということだが、本人にとって決定的だったであろう出来事は、彼のパリでの兵役中にマグナム・フォトの創始者の一人であるアンリ・カルティエ＝ブレッソンとの出会いだったことだろう。彼は1958年にマグナム入りを果たしているのでこのエイジェンシーの中でもかなりの古参の部類になる（ていうか小生の最近研究の対象、特に約10年後にマグナム入をしたヨーゼフ・コーデルカや彼を西側に送り出したチェコの美術史家のアンナ・ファーロヴァーとここでまたつながったりする）。</p>
<p>小生も2001年に一度だけニューヨークに二週間ほど滞在したことがあり、ニューヨークのメトロを夢中になって、東西南北へ朝から晩まで乗り倒した記憶がある。小生には筋金入のトレイン・スポッター（いわゆる鉄ちゃん、カテゴリー的には時刻表→降り鉄）だった過去もあるぐらいだから。</p>
<p>ところで小生の記憶に残っている限りでは、ダヴィッドソンの写真にあるような風景に出会ったような出会わなかったような。ダヴィッドソンの地下鉄の風景と小生の記憶の中に残っているニューヨークの地下鉄の風景はあまりにも違いすぎたというのもある。それはダヴィッドソンがニューヨークのメトロのネットワークの中をもぐらのように動き回っていた時代よりもかなり後に小生がニューヨークを訪れたということもあるけれど。なにより、その当時の小生は写真というメディアを憎悪していた。だから、そのニューヨーク滞在中にはカメラは持ち合わせていなかった。</p>
<p>でも小生にとってはこの冒頭に引用した写真のように、なにか別のイメージを脳裏に稲妻のように走らせることはなかった。もちろん、それは小生の展覧会での集中力のせいかもしれない。</p>
<p>でも、今回そうさせてくれたのは、ダヴィッドソンの展覧会と同時開催だった<a href="http://www.co-berlin.info/" target="_blank">アーノルド・ニューマンの展示</a>の中にあったこのロシア生まれの作曲家イーゴル・ストラヴィンスキーの一枚のポートレートだった。</p>
<p>ニューマンは戦後アメリカの様々な分野の人々のポートレートをとったことでしられている。もうそれだけでもこの写真家の説明になるだろう。展示会にいけば、きっと一度はみたことのある著名人のポートレートをきっと目にすることになるだろう。</p>
<p>このストラヴィンスキーのポートレートは、この作曲家に関わるところでは、レコードのジャケットの写真などによく使われている。でも、なぜこの写真がこの日みた写真の中で一番印象に残ったのか、と断言できるのか。</p>
<p>この作品を目の当たりにした瞬間、小生の頭の中を彼の1925年のピアノソロの作品である「セレナード」の冒頭が稲妻のごとく脳裏をよぎったのだ。</p>
<p>作曲家本人による演奏。</p>
<p><iframe width="450" height="335" src="http://www.youtube.com/embed/jYYXGSYAm04" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p>
<p>写真にはそうした、とある聴覚的な記憶への敷居となるようなこともある。この写真をみて、誰もが小生と同じように「セレナード」の冒頭のフレーズが頭を過るとは限らないし、もしかしたら人によっては「春の祭典」のフレーズかもしれない。もしくは「ペトルーシュカ」のピアノ版の冒頭だったりもする。小生にとっても、なぜこのポートレートを目の当たりにして、ストラヴィンスキーの数ある作品のうちのよりによってそれほど知られているわけではない「セレナード」が脳裏をよぎったのかは、説明不可能なのだ。</p>
<p>ストラヴィンスキーが頬杖をついているグランドピアノのせいだろうか。それもいまとなっては後づけの理由でしかないだろう。</p>
<p>写真をふくめて、イメージというものは、人の脳を経由して、また別の、色々な像を結ぶ。人間の五感とはつくづく不思議なものだと思う。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>首都のフットボール馬鹿ども。</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 22:38:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<category><![CDATA[ユーロ2012]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_4282-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_4282" title="IMG_4282" />昨日ブンデスリーガの一部と二部の昇格と降格をかけたプレーオフでフォルトゥナ・デュッセルドルフとヘルタ・ベルリンが対決したのだけれど、結末はなんともはやということになってしまった。 フォルトゥナは１５年ぶりの昇格がかかっていただけに、ファンの熱狂ぶりは凄まじかった。なんせ、プレーオフ第一戦、ベルリンでのアウェイ戦を２−１で勝ってしまったうえ、後半９０分をすぎて２−２で同点と言う展開。けれど、もし、ヘルタがもう一点取って２-３のスコアにされてしまったら、アウェイゴールルールでトータルで逆転、また来季も2部でという状況だっただけに、ファンの焦燥ぶりは言語に絶するものがあったのだろう。 一方でヘルタ・ベルリンは独逸という国の首都、もとい旧東ドイツ圏で、現在のところ唯一のブンデスリーガ一部所属クラブだ。一昨年ブンデスリーガ二部降格をしたものの、一年で一部復帰を果たした。けれど、今年も低迷。監督が今シーズン二回も変わる始末で、二月からはオットー・レーハーゲルが指揮をとっているが、それでも二部降格か一部残留をかけてのプレーオフ圏でシーズンを終えることとなった。 試合は、２−１とホームのフォルトゥナがリードした段階でヘルタ側のゴール裏から大量の爆竹と発煙筒をピッチに投げ込まれる事態に。ヘルタのファンブロックには独逸でも悪名高いフーリガン集団、そしてスキンヘッド集団（もちろん極右との関連もあるだろう）をかかえていることでも知られていて、そういった連中が昨日デュッセルドルフでも派手にやらかしてしまったようなのだ。その時点でスタジアムのピッチの側のヘルタファンの目前に警察が投入される始末。 フォルトゥナファンがここでエスカレート仕切ってしまった伏線はそもそもここにある。というのも、警官隊やスタジアムの警備員がヘルタ側のフーリガンの警備に集中して配備されてしまったために、そこで誰も遮るものがいなくなってしまったようで、90分を過ぎたあたりから昇格を待ちかねたファンたちがスタンドからピッチ脇へと試合終了の瞬間を待ちわびたかのようになだれ込みはじめてしまったからだ。そして、試合が、まだロスタイム７分のうち残り2分、ヘルタ側のゴールキックという時点で、試合終了を勘違いしたファンがピッチ上大量に流れ込む事態に。 もし、小生もその場にいたらピッチに共になだれ込んでしったかもしれない。あのサッカースタジアムの熱気はそれぐらい人を阿呆にさせるものがあったろう、ということぐらいはみてとれる。 試合は結局しばらくの中断の後、すわヘルタは再試合要求か、とそういう空気が流れかけた瞬間、選手と監督のレーハーゲルがピッチにもどってきて試合再開。けれど残り2分間特になにも起らず終了。と同時にあらためてフォルトゥナファンがピッチ上になだれ込む事態になった。ヘルタは一シーズンでまた二部へと逆戻りという、これでまた非常にありがたくないエレヴェータークラブの蔑称を得ることになってしまった。 しかし、ヨーロッパの首都でこれだけ首都のクラブがメチャクチャに魅力的でない、という国もないだろう。どこの国もすくなくとも一つは国を代表するようなクラブがあるというのに。 何といわれようとヘルタがこの街を代表するサッカークラブだとは認めないし値するとも思ってない、というベルリナーにこれまで多く出会ってきた。そもそもベルリンにサッカーの強豪が育たないのは、この街にお金がない、いいスポンサーがつかない、というのに理由を求めるのが、理にかなっているといえばいえるけれど、それ以上に東西分割の時間も長かったわけで、例えば東ベルリンの人が西ベルリンのクラブであるヘルタに愛着がもてない、というのはごく自然のことだ。クラブ・サッカーはなんだかんだいってローカリズムとそれへのパトリオティズムと結びついているし、特にベルリンのこと、各地区ごとに独自の文化や気風があるだけにそのあたりは一筋縄でいくわけがない。 へルタというベルリンを代表するはずのクラブが、いや、そうおもわれていないところにこのクラブといい、サッカーをめぐるこのベルリンという街の悲しさがある。ベルリン程の規模の街ならば、もう一つから二つぐらいのクラブがブンデスリーガの一部あるいは二部にいてもいいはず。実際現在ブンデスリーガ二部に属するウニオン・ベルリンという旧東ベルリンを代表するクラブがあるが、このクラブが一部に昇格するなんて、金輪際ありえないと思ってる人もかなりの数にのぼるだろう。 それをいうならば、東京だって、日本の場合だからサッカーに対する人気において比較の仕様がないかもしれないが、J1に所属するチームはFC東京一つだけである。J2にまで広げても東京ヴェルディと最近J2に上がったばかりの町田ゼルビアぐらいなのだから。だいたいこの三つのクラブの本拠地は東京「都下」である。もっとも千葉（柏、千葉）や埼玉（浦和、大宮）、神奈川（川崎、横浜FM、横浜FC、湘南)まで広げれば、もっと多くはなるけれど。 それに比べ、ロンドンにはどれぐらいプレミアリーグ所属のクラブがあるのだろうか。正直小生はよくわからない。そういえば、フランスはパリはパリ・サンジェルマンぐらいか、しかも、このクラブも低迷していて久しい。EUをリードする二国の首都のクラブはここのところ酸っぱい体験ばかりしている。 ところで先日まわったポーランドでも首都のワルシャワには一部にあたるエクストラクラッセに所属するチームは二つあって、国を代表する名門クラブのレギア・ワルシャワとポロニア・ワルシャワとある。一方ウクライナの首都キエフには一部であるプレミアリーグに所属するクラブはディナモ・キエフは言うに及ばずヨーロッパでも名門にカテゴライズされるべきクラブだが、他にもアーセナル・キエフ、そしてオボロンというチームもある。 今日の冒頭の写真は5月6日の今シーズンのポーランド・エクストラクラッセ最終節のワルシャワはペプシスタジアムで行われたレギア・ワルシャワのホームゲームのキックオフ直後の写真なのだが、もの凄い数の発煙筒や爆竹が投げ込まれて白い煙を放っているのが見える。 試合開始直後にこんな行動に及ぶファンなどかなり極端だとは思うが、今年度のポーランド・エクストラクラッセは上位大混戦で、この試合の一節前の時点で、レギアは首位をキープしていたものの、3ポイント内にポズナン、ホジュフ、ブロツワフが続く状態で、この４つのチームに優勝の可能性が残されていた。そしてその前節レギアはアウェイのレヒア・グダンスク戦に０−１で破れ、同時に競合三チームがポイントを重ねたため、試合後、レギアは一気に４位にまで順位をさげて、同時に自力優勝の可能性までもが消滅する事態になってしまった。 レギアはポーランドを代表する名門で、6０年代から7０年代にかけてヨーロッパの舞台でも活躍したチームだった。それが2005/6年度を最後に優勝からも、そして、優勝したチームのみに参加の権利が与えられるチャンピオンズリーグからも遠ざかっている。レギアのファンにとっては、最終節のホームの試合を残してのその低落に憤懣やるかたなかったようで、この試合開始直後のこの事態に発展してしまったわけだ。 小生もこの試合はレギア側のゴール裏で試合を見ていたのだけれど、ファンの過激ぶりに少々肝を冷やしてしまった。おまけに小生のほぼ足下でも発煙筒が暴発する始末。 けれど、周りのファンは（小生はすこしウルトラズの連中からは離れたところにいたのだけれど）冷静になにごともなかったように見ているし、スタジアム全体もこんなことは折り込み済みという反応で、しばらくの中断の後試合は普通に再開されていった。 それをみて日本のJリーグのファンはなんてお行儀がいいのだろう、と思うのだった。当地でサッカーがポピュラーになっていくのは喜ばしいけれど、こんなスポーツとは、ファンたることとは、関係のない馬鹿な振る舞いだけは真似をしてもらいたくないと切に望む。 それにしても、ヘルタもレギアもどちらも今年は酸っぱい目にあった首都のクラブだった。ファンが憤懣やるかたないのもわからなくはない。彼らの熱狂的なクラブへの信仰が今年も報われなかったのだから。それだけは分かる。 サッカーはそれにしても人を阿呆にさせる。これはどうしたってロゴスでもっても説明不可能なところがある。だからこそやめられない。そういつも思っている。 というわけで今日はこれにてお開き。また自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_4282-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_4282" title="IMG_4282" /><p></p><br /><p>昨日ブンデスリーガの一部と二部の昇格と降格をかけたプレーオフでフォルトゥナ・デュッセルドルフとヘルタ・ベルリンが対決したのだけれど、結末はなんともはやということになってしまった。</p>
<p>フォルトゥナは１５年ぶりの昇格がかかっていただけに、ファンの熱狂ぶりは凄まじかった。なんせ、プレーオフ第一戦、ベルリンでのアウェイ戦を２−１で勝ってしまったうえ、後半９０分をすぎて２−２で同点と言う展開。けれど、もし、ヘルタがもう一点取って２-３のスコアにされてしまったら、アウェイゴールルールでトータルで逆転、また来季も2部でという状況だっただけに、ファンの焦燥ぶりは言語に絶するものがあったのだろう。<span id="more-569"></span></p>
<p>一方でヘルタ・ベルリンは独逸という国の首都、もとい旧東ドイツ圏で、現在のところ唯一のブンデスリーガ一部所属クラブだ。一昨年ブンデスリーガ二部降格をしたものの、一年で一部復帰を果たした。けれど、今年も低迷。監督が今シーズン二回も変わる始末で、二月からはオットー・レーハーゲルが指揮をとっているが、それでも二部降格か一部残留をかけてのプレーオフ圏でシーズンを終えることとなった。</p>
<p>試合は、２−１とホームのフォルトゥナがリードした段階で<a href="http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/startseite/569094/8/slideshow_spannung-chaos-jubel---fortuna-steht-kopf.html#omfeaturedslide" target="_blank">ヘルタ側のゴール裏から大量の爆竹と発煙筒をピッチに投げ込まれる事態に</a>。ヘルタのファンブロックには独逸でも悪名高いフーリガン集団、そしてスキンヘッド集団（もちろん極右との関連もあるだろう）をかかえていることでも知られていて、そういった連中が昨日デュッセルドルフでも派手にやらかしてしまったようなのだ。その時点でスタジアムのピッチの側のヘルタファンの目前に警察が投入される始末。</p>
<p>フォルトゥナファンがここでエスカレート仕切ってしまった伏線はそもそもここにある。というのも、警官隊やスタジアムの警備員がヘルタ側のフーリガンの警備に集中して配備されてしまったために、そこで誰も遮るものがいなくなってしまったようで、90分を過ぎたあたりから昇格を待ちかねたファンたちがスタンドからピッチ脇へと試合終了の瞬間を待ちわびたかのようになだれ込みはじめてしまったからだ。そして、試合が、まだロスタイム７分のうち残り2分、ヘルタ側のゴールキックという時点で、<a href="http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/startseite/569094/8/slideshow_spannung-chaos-jubel---fortuna-steht-kopf.html#omfeaturedslide" target="_blank">試合終了を勘違いしたファンがピッチ上大量に流れ込む事態に。</a></p>
<p>もし、小生もその場にいたらピッチに共になだれ込んでしったかもしれない。あのサッカースタジアムの熱気はそれぐらい人を阿呆にさせるものがあったろう、ということぐらいはみてとれる。</p>
<p>試合は結局しばらくの中断の後、すわヘルタは再試合要求か、とそういう空気が流れかけた瞬間、選手と監督のレーハーゲルがピッチにもどってきて試合再開。けれど残り2分間特になにも起らず終了。と同時にあらためてフォルトゥナファンがピッチ上になだれ込む事態になった。ヘルタは一シーズンでまた二部へと逆戻りという、これでまた非常にありがたくないエレヴェータークラブの蔑称を得ることになってしまった。</p>
<p>しかし、ヨーロッパの首都でこれだけ首都のクラブがメチャクチャに魅力的でない、という国もないだろう。どこの国もすくなくとも一つは国を代表するようなクラブがあるというのに。</p>
<p>何といわれようとヘルタがこの街を代表するサッカークラブだとは認めないし値するとも思ってない、というベルリナーにこれまで多く出会ってきた。そもそもベルリンにサッカーの強豪が育たないのは、この街にお金がない、いいスポンサーがつかない、というのに理由を求めるのが、理にかなっているといえばいえるけれど、それ以上に東西分割の時間も長かったわけで、例えば東ベルリンの人が西ベルリンのクラブであるヘルタに愛着がもてない、というのはごく自然のことだ。クラブ・サッカーはなんだかんだいってローカリズムとそれへのパトリオティズムと結びついているし、特にベルリンのこと、各地区ごとに独自の文化や気風があるだけにそのあたりは一筋縄でいくわけがない。</p>
<p>へルタというベルリンを代表するはずのクラブが、いや、そうおもわれていないところにこのクラブといい、サッカーをめぐるこのベルリンという街の悲しさがある。ベルリン程の規模の街ならば、もう一つから二つぐらいのクラブがブンデスリーガの一部あるいは二部にいてもいいはず。実際現在ブンデスリーガ二部に属するウニオン・ベルリンという旧東ベルリンを代表するクラブがあるが、このクラブが一部に昇格するなんて、金輪際ありえないと思ってる人もかなりの数にのぼるだろう。</p>
<p>それをいうならば、東京だって、日本の場合だからサッカーに対する人気において比較の仕様がないかもしれないが、J1に所属するチームはFC東京一つだけである。J2にまで広げても東京ヴェルディと最近J2に上がったばかりの町田ゼルビアぐらいなのだから。だいたいこの三つのクラブの本拠地は東京「都下」である。もっとも千葉（柏、千葉）や埼玉（浦和、大宮）、神奈川（川崎、横浜FM、横浜FC、湘南)まで広げれば、もっと多くはなるけれど。</p>
<p>それに比べ、ロンドンにはどれぐらいプレミアリーグ所属のクラブがあるのだろうか。正直小生はよくわからない。そういえば、フランスはパリはパリ・サンジェルマンぐらいか、しかも、このクラブも低迷していて久しい。EUをリードする二国の首都のクラブはここのところ酸っぱい体験ばかりしている。</p>
<p>ところで先日まわったポーランドでも首都のワルシャワには一部にあたるエクストラクラッセに所属するチームは二つあって、国を代表する名門クラブのレギア・ワルシャワとポロニア・ワルシャワとある。一方ウクライナの首都キエフには一部であるプレミアリーグに所属するクラブはディナモ・キエフは言うに及ばずヨーロッパでも名門にカテゴライズされるべきクラブだが、他にもアーセナル・キエフ、そしてオボロンというチームもある。</p>
<p>今日の冒頭の写真は5月6日の今シーズンのポーランド・エクストラクラッセ最終節のワルシャワはペプシスタジアムで行われたレギア・ワルシャワのホームゲームのキックオフ直後の写真なのだが、もの凄い数の発煙筒や爆竹が投げ込まれて白い煙を放っているのが見える。</p>
<p>試合開始直後にこんな行動に及ぶファンなどかなり極端だとは思うが、今年度のポーランド・エクストラクラッセは上位大混戦で、この試合の一節前の時点で、レギアは首位をキープしていたものの、3ポイント内にポズナン、ホジュフ、ブロツワフが続く状態で、この４つのチームに優勝の可能性が残されていた。そしてその前節レギアはアウェイのレヒア・グダンスク戦に０−１で破れ、同時に競合三チームがポイントを重ねたため、試合後、レギアは一気に４位にまで順位をさげて、同時に自力優勝の可能性までもが消滅する事態になってしまった。</p>
<p>レギアはポーランドを代表する名門で、6０年代から7０年代にかけてヨーロッパの舞台でも活躍したチームだった。それが2005/6年度を最後に優勝からも、そして、優勝したチームのみに参加の権利が与えられるチャンピオンズリーグからも遠ざかっている。レギアのファンにとっては、最終節のホームの試合を残してのその低落に憤懣やるかたなかったようで、この試合開始直後のこの事態に発展してしまったわけだ。</p>
<p>小生もこの試合はレギア側のゴール裏で試合を見ていたのだけれど、ファンの過激ぶりに少々肝を冷やしてしまった。おまけに小生のほぼ足下でも発煙筒が暴発する始末。</p>
<p>けれど、周りのファンは（小生はすこしウルトラズの連中からは離れたところにいたのだけれど）冷静になにごともなかったように見ているし、スタジアム全体もこんなことは折り込み済みという反応で、しばらくの中断の後試合は普通に再開されていった。</p>
<p>それをみて日本のJリーグのファンはなんてお行儀がいいのだろう、と思うのだった。当地でサッカーがポピュラーになっていくのは喜ばしいけれど、こんなスポーツとは、ファンたることとは、関係のない馬鹿な振る舞いだけは真似をしてもらいたくないと切に望む。</p>
<p>それにしても、ヘルタもレギアもどちらも今年は酸っぱい目にあった首都のクラブだった。ファンが憤懣やるかたないのもわからなくはない。彼らの熱狂的なクラブへの信仰が今年も報われなかったのだから。それだけは分かる。</p>
<p>サッカーはそれにしても人を阿呆にさせる。これはどうしたってロゴスでもっても説明不可能なところがある。だからこそやめられない。そういつも思っている。</p>
<p>というわけで今日はこれにてお開き。また自戒。</p>
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