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	<title>Lügenlernen &#187; Kodography</title>
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	<description>人間万事塞翁が馬</description>
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		<title>ショークヴァへ向かいながら。</title>
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		<pubDate>Thu, 30 Jun 2011 12:25:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Berlin-Neukölln]]></category>
		<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[突如曇り空のベルリン。現在正午過ぎ、気温15度。曇り時々小雨。明日あたりから北海上の曇り空でも見に行くかな。ではでは、又自戒。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ （昨年７月末にアップのログ） ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。 こんな天気の時はいつも北ヨーロッパあるいは中欧を旅している時を思い出す。オランダはアムステルダムにはじめて降り立った時。もう十年以上前。アメリカ周りで着いたオランダは雨にぬれていた。雨がふりしきったアムステルダムの中央駅に立って、はやいとここんな街から出て行かねば、とおもったほど分厚い雲に覆われたアムステルダム。憂鬱な気分をかきたてられるも、その後むかったバルト三国では雨に降られ続き、４月頭の大雪にも見舞われ、日中でもエストニアのタリンではマイナス20度にもなった。 そんな中でもポーランドは特に曇り空が特に似合う。というよりも、小生が当地を旅する時、いつもそこは曇り空。雨はふりやまず。寒さに震えた夜行列車の中。ポーランドに太陽の日差しは似合わない。小生の記憶の中でのポーランドは特にそうだ。 ウクライナにはこれまで2度いったことがある。2005年の10月と2009年4月。どちらも旅の前半は天気にめぐまれるも後半は雨に降り続ける。 キエフ、チェルニーフィッツィ、リビウ、すべて曇り空の下。鶏が道ばたを飛び跳ねる道端。 ガリチアの曇り空の下。それともそれはブコヴィナだったか。ウクライナ側の北ブコヴィナにいた三日間。ルーマニア側の南ブコヴィナにいたのは2008年の春。その時もひたすら雨に降られた。北ブコヴィナの2005年10月は信じられないぐらい肌寒かった。それでも宿をとったチェルニーフィッチの宿はバスタブがあった。水はひたすらくさかったが、それでもバスタブに身を沈めて暖まった体でその日は熟睡した。 2009年4月。長い曇り空に覆われたベルリンの3月が過ぎ、4月になって突如夏模様のベルリンを後にし、小生はクリミアへ一路向かっていた。シレジアを貫く高速道路の上は青空。ヴロツワフから眠れぬ夜行列車で一夜をあかして着いたプシェミスルの中央駅は曇り空の下だった。国境の駅到着の前の夜行列車はウクライナからの労働者たちの群で満員だった。夜行列車を降り、駅の裏側へと急ぐのは他の誰もが同じ。向かう先はウクライナへの国境通過点。欧州連合の最東端にある場所の一つ。 国境の検問所の上の空は案の定曇り空。これから向かう先。ウクライナ。多少のメランコリーは必要なのだ。さもなくば、これから出くわすことになるガリチアの憂鬱な大地には到底堪えられない。 国境を越えた小生を出迎えたのは、3年半前と特に変わらないウクライナの国境の街の風景だった。シェンヒーニ。ロシア人はシェンギーニというはず。ウクライナ語とチェコ語、むしろスロヴァキア語に見いだせる類似点。その点にウクライナは中欧の一部だと感じさせられる。 リヴィウ到着後も雨が降りしきった。宿に荷物をおろしても、小生は夕方雨が降り止むまで宿を出なかった。その次の日も朝から雨が降りしきった。その次の日はクリミアに向かうことになっていた。空路で。帰り道、再度リヴィウを経由することは明らかだった。帰るころに天気が好転していればまた街歩きに繰り出せるだろう。そう思って、リヴィウから少し出てみようとおもった。 こうして小生はショークヴァというリヴィウから北西に２０㌔ほど離れた町へ向かうバスの車上の人となった。Zhovkva、 ウクライナ語の綴りで、Жовква、ポーランド語、Żółkiew、イディッシュ語ではZholkvaと綴る。ガリチアはヨーロッパでも一番ユダヤ人の 人口の割合が多い界隈だった。もちろん1940年代までの話だ。ガリチアはその上、1945年までは民族図はポーランド人とウクライナ人とユダヤ人で三分 割できるぐらいだった。ニューヨークタイムズのホームページにこの街を紹介する興味深い記事があるので興味のある方は一読あれ。 ショークヴァへと向かう道筋は雨にぬれていた。30分ほどのバスの旅の後、ついた街というよりも村、村というよりは多少大きい。かつてオスマン・トルコとの戦いで名前をなしたヤン・ソビェスキの曾祖父であるスタニスワフ・ジュウキェフスキの居城のあった街でもあった。そんなトルコとの戦いのために作られた城や要塞はガリチアにはいまだ多数残っている。もちろん、多くは廃墟として自然にかえりつつあるが。 小生の乗ったバスはバスターミナルというにはあまりにもひなびた駐車場の片隅に止まった。雨はいつのまにかやんでいた、と記憶している。バスから降りた小生を迎えたのは数匹の野良犬だった。早速人工衛星のように小生のまわりをぐるぐる周りながら吠えかけていた野良犬も、小生からは何も期待できない、と見て取られるや、また停車場の片隅にまた座り込んでしまった。 野良犬から解放された小生は停車場を後にして、歩を進める。目の前には黒ずんだ外壁の、古い建物が街路樹の間から姿を現わした。一目でそれがシナゴーグだとわかった。それにしてもこの小さな町にはなかなか華やかなファサードをもったシナゴーグ、しかも歴史のある建物であることがわかった。ルネッサンス式の。このシナゴーグは17世紀末に建造されたという。ガリチアにあるシナゴーグはこんな様式のものがおおい。ポーランド側の国境をまたいで100㌔と離れていないザモシチにも似たようなスタイルで建造されたシナゴーグがある。ザモシチはもちろん中欧を代表するルネッサンス式の街。ショークヴァもほぼ同時期に建造されたルネッサンス式の立派な大きさの城があった。 それでもその城は廃墟も同然だった。多分、１０年もたてば変わるだろう、いやなにも変わらないのかもしれない。ここは地の果てなのだ。中欧の果てにはそんなメランコリーがいつもある。いつも違う場所で。でも同じメランコリーを味わうことになる。 そんなメランコリーはいつもそんな雨降りの空の下の湿った大地にいる自分を思い起こす時に突如呼び起こされる。雨にぬれたショークヴァのシナゴーグを思い出しながら、ベルリンの今現在の曇り空はあのガリチアの曇り空と朽ち果てるのを待つだけのシナゴーグのある街並みへとつながっているのだ。そして、その町並みの向こうにはなにがあるのだろう、と想像する。それが知りたくて、いつもベルリンからは東へと向かう。そんなものだ。 では又自戒。夏がまたくることを願いながら。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>突如曇り空のベルリン。現在正午過ぎ、気温15度。曇り時々小雨。明日あたりから北海上の曇り空でも見に行くかな。ではでは、又自戒。</p>
<p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<strong>（昨年７月末にアップのログ）</strong><br />
ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。<span id="more-26"></span></p>
<p>こんな天気の時はいつも北ヨーロッパあるいは中欧を旅している時を思い出す。オランダはアムステルダムにはじめて降り立った時。もう十年以上前。アメリカ周りで着いたオランダは雨にぬれていた。雨がふりしきったアムステルダムの中央駅に立って、はやいとここんな街から出て行かねば、とおもったほど分厚い雲に覆われたアムステルダム。憂鬱な気分をかきたてられるも、その後むかったバルト三国では雨に降られ続き、４月頭の大雪にも見舞われ、日中でもエストニアのタリンではマイナス20度にもなった。</p>
<p>そんな中でもポーランドは特に曇り空が特に似合う。というよりも、小生が当地を旅する時、いつもそこは曇り空。雨はふりやまず。寒さに震えた夜行列車の中。ポーランドに太陽の日差しは似合わない。小生の記憶の中でのポーランドは特にそうだ。</p>
<p>ウクライナにはこれまで2度いったことがある。2005年の10月と2009年4月。どちらも旅の前半は天気にめぐまれるも後半は雨に降り続ける。 キエフ、チェルニーフィッツィ、リビウ、すべて曇り空の下。鶏が道ばたを飛び跳ねる道端。<br />
ガリチアの曇り空の下。それともそれはブコヴィナだったか。ウクライナ側の北ブコヴィナにいた三日間。ルーマニア側の南ブコヴィナにいたのは2008年の春。その時もひたすら雨に降られた。北ブコヴィナの2005年10月は信じられないぐらい肌寒かった。それでも宿をとったチェルニーフィッチの宿はバスタブがあった。水はひたすらくさかったが、それでもバスタブに身を沈めて暖まった体でその日は熟睡した。</p>
<p>2009年4月。長い曇り空に覆われたベルリンの3月が過ぎ、4月になって突如夏模様のベルリンを後にし、小生はクリミアへ一路向かっていた。シレジアを貫く高速道路の上は青空。ヴロツワフから眠れぬ夜行列車で一夜をあかして着いたプシェミスルの中央駅は曇り空の下だった。国境の駅到着の前の夜行列車はウクライナからの労働者たちの群で満員だった。夜行列車を降り、駅の裏側へと急ぐのは他の誰もが同じ。向かう先はウクライナへの国境通過点。欧州連合の最東端にある場所の一つ。</p>
<p>国境の検問所の上の空は案の定曇り空。これから向かう先。ウクライナ。多少のメランコリーは必要なのだ。さもなくば、これから出くわすことになるガリチアの憂鬱な大地には到底堪えられない。</p>
<p>国境を越えた小生を出迎えたのは、3年半前と特に変わらないウクライナの国境の街の風景だった。シェンヒーニ。ロシア人はシェンギーニというはず。ウクライナ語とチェコ語、むしろスロヴァキア語に見いだせる類似点。その点にウクライナは中欧の一部だと感じさせられる。</p>
<p>リヴィウ到着後も雨が降りしきった。宿に荷物をおろしても、小生は夕方雨が降り止むまで宿を出なかった。その次の日も朝から雨が降りしきった。その次の日はクリミアに向かうことになっていた。空路で。帰り道、再度リヴィウを経由することは明らかだった。帰るころに天気が好転していればまた街歩きに繰り出せるだろう。そう思って、リヴィウから少し出てみようとおもった。</p>
<p>こうして小生はショークヴァというリヴィウから北西に２０㌔ほど離れた町へ向かうバスの車上の人となった。Zhovkva、 ウクライナ語の綴りで、Жовква、ポーランド語、Żółkiew、イディッシュ語ではZholkvaと綴る。ガリチアはヨーロッパでも一番ユダヤ人の 人口の割合が多い界隈だった。もちろん1940年代までの話だ。ガリチアはその上、1945年までは民族図はポーランド人とウクライナ人とユダヤ人で三分 割できるぐらいだった。<a href="http://www.nytimes.com/2009/01/12/travel/12iht-gruber.1.19272643.html?_r=1">ニューヨークタイムズのホームページ</a>にこの街を紹介する興味深い記事があるので興味のある方は一読あれ。</p>
<div id="fc_id_795"><strong>ショークヴァ</strong>へと向かう道筋は雨にぬれていた。30分ほどのバスの旅の後、ついた街というよりも村、村というよりは多少大きい。かつてオスマン・トルコとの戦いで名前をなした<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B33%E4%B8%96_%28%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B%29">ヤン・ソビェスキ</a>の曾祖父である<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AD%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD">スタニスワフ・ジュウキェフスキ</a>の居城のあった街でもあった。そんなトルコとの戦いのために作られた城や要塞はガリチアにはいまだ多数残っている。もちろん、多くは廃墟として自然にかえりつつあるが。</div>
<div><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/IMG_9389.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-162" title="Zhokva, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/IMG_9389-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></div>
<p>小生の乗ったバスはバスターミナルというにはあまりにもひなびた駐車場の片隅に止まった。雨はいつのまにかやんでいた、と記憶している。バスから降りた小生を迎えたのは数匹の野良犬だった。早速人工衛星のように小生のまわりをぐるぐる周りながら吠えかけていた野良犬も、小生からは何も期待できない、と見て取られるや、また停車場の片隅にまた座り込んでしまった。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/IMG_9387.jpg"><img title="Synagogue, Zhokva, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/IMG_9387-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></p>
<p>野良犬から解放された小生は停車場を後にして、歩を進める。目の前には黒ずんだ外壁の、古い建物が街路樹の間から姿を現わした。一目でそれがシナゴーグだとわかった。それにしてもこの小さな町にはなかなか華やかなファサードをもったシナゴーグ、しかも歴史のある建物であることがわかった。ルネッサンス式の。このシナゴーグは17世紀末に建造されたという。ガリチアにあるシナゴーグはこんな様式のものがおおい。ポーランド側の国境をまたいで100㌔と離れていないザモシチにも似たようなスタイルで建造されたシナゴーグがある。ザモシチはもちろん中欧を代表するルネッサンス式の街。ショークヴァもほぼ同時期に建造されたルネッサンス式の立派な大きさの城があった。</p>
<p>それでもその城は廃墟も同然だった。多分、１０年もたてば変わるだろう、いやなにも変わらないのかもしれない。ここは地の果てなのだ。中欧の果てにはそんなメランコリーがいつもある。いつも違う場所で。でも同じメランコリーを味わうことになる。</p>
<p>そんなメランコリーはいつもそんな雨降りの空の下の湿った大地にいる自分を思い起こす時に突如呼び起こされる。雨にぬれた<strong>ショークヴァ</strong>のシナゴーグを思い出しながら、ベルリンの今現在の曇り空はあのガリチアの曇り空と朽ち果てるのを待つだけのシナゴーグのある街並みへとつながっているのだ。そして、その町並みの向こうにはなにがあるのだろう、と想像する。それが知りたくて、いつもベルリンからは東へと向かう。そんなものだ。</p>
<p>では又自戒。夏がまたくることを願いながら。</p>
<div class="shr-publisher-26"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F30%2F%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25a7%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25af%25e3%2583%25b4%25e3%2582%25a1%25e3%2581%25b8%25e5%2590%2591%25e3%2581%258b%25e3%2581%2584%25e3%2581%25aa%25e3%2581%258c%25e3%2582%2589%25e3%2580%2582%2F' data-shr_title='%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%81%B8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%80%82'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F30%2F%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25a7%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25af%25e3%2583%25b4%25e3%2582%25a1%25e3%2581%25b8%25e5%2590%2591%25e3%2581%258b%25e3%2581%2584%25e3%2581%25aa%25e3%2581%258c%25e3%2582%2589%25e3%2580%2582%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F30%2F%25e3%2582%25b7%25e3%2583%25a7%25e3%2583%25bc%25e3%2582%25af%25e3%2583%25b4%25e3%2582%25a1%25e3%2581%25b8%25e5%2590%2591%25e3%2581%258b%25e3%2581%2584%25e3%2581%25aa%25e3%2581%258c%25e3%2582%2589%25e3%2580%2582%2F' data-shr_title='%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%81%B8%E5%90%91%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%80%82'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>To where my whole images are going back&#8230;</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Jun 2011 22:14:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
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		<description><![CDATA[It was for 12 years ago, when I&#8217;ve been to Warsaw for the first time. Strangely I don&#8217;t remember at all, from where exactly I&#8217;ve arrived in the polish capital. From Krakow or Wroclaw? Anyway it was my first visit in Poland ever. I got off from the train to the platform. It was dark [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>It was for 12 years ago, when I&#8217;ve been to Warsaw for the first time. Strangely I don&#8217;t remember at all, from where exactly I&#8217;ve arrived in the polish capital. From Krakow or Wroclaw? Anyway it was my first visit in Poland ever. I got off from the train to the platform. It was dark and smelly dumped. It was my first impression of Warszawa Centralna. There are such kind of dark stations like that of Warszawa Centralna all over the world.</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/Warszawa-Centralna-Warsaw-Oct.2009.jpg"><img class="alignnone size-large wp-image-143" title="Warszawa Centralna, Warsaw, Oct.2009" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/Warszawa-Centralna-Warsaw-Oct.2009-1024x768.jpg" alt="Warszawa Centralna, Warsaw, Oct.2009" width="385" height="288" /></a></p>
<p>Some of S-Bahnhof or U-Bahnhof in Berlin too. Especially in the stations of U8. Their darkness at the berliner metro stations especially in the winter season and their smells were always coming back to my sense and caused a kind of hallucination remind me back to Berlin, wherever I was outside of Berlin. Then I missed always Berlin. First the smell of the metro stations and the dark U-Bahnhof. And Berlin. This memory caused by this sense is never attached to any other place on the earth than to Berlin. Of course it is one of the reasons why I&#8217;ve decided to be back to little later after my short stays in Berlin in 2001 and in 2002. That smell always followed me whenever I was outside of Berlin. That&#8217;s a part of reasons why I wanted to go back to Berlin.<span id="more-142"></span></p>
<p>I had always a kind of hallucination bringing me to somewhere else in my mind when I was in a dark and dirty subway station like in Brooklyn, in Dobutsuen-mae in Osaka or in Universitate in Bucharest. Especially I remember very well that I felt quite strong hallucination when I was in a metro station, Vagzlis Moedani in Tbilisi, Georgia, shortly after the end of the south ossetian war in the summer 2008. I&#8217;ve never been to the so dark metro station before. Of course I am still very sure that I had a strong hallucination caused by the dusk of that metro station. But I did&#8217;t know at all what the whole hallucinations caused. I&#8217;m not sure at this moment.</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-144" title="Mardzhanishvili, Tbilisi, Georgia, Sep.2008, JPG" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/Mardzhanishvili-Tbilisi-Georgia-Sep.2008-JPG.jpg" alt="Mardzhanishvili, Tbilisi, Georgia, Sep.2008" width="357" height="268" /></p>
<p>So Warszawa Centralna again. It&#8217;s still dazzlingto imagine the atmosphere I felt at the moment when I got off from the train. After long running in the underground tunnel under the polish capital we have arrived there. I don&#8217;t know any another train station anywhere else so dark lighted station like this Warszawa Centralna at that time, when I was there for the first time for twelve years ago. It was even hard to see and to find out the sign of exits. And chaotic corridors filled with people going somewhere or coming back to the polish capital and amount of small shops “sklep” on the both side of corridors. It was really dumped and it always reminds me of my first trip in Poland. It is still something typical of Poland for me. Maybe for any other travellers who&#8217;ve ever been to Poland too?</p>
<p>For two years ago in October 2009 I stood on the platform of Warszawa Centralna again. The Station was so crowded as well as it had been for 12 years ago that I went hardly forward between the crowd of the people waiting for the train taking me back to Berlin, “Berlin-Warszawa-Express.”</p>
<p>Well, the train has arrived as soon as I reached to the sector 2 of the platform number 4. At that moment I saw almost all same view which I&#8217;d ever seen before. One moment later I suddenly recognized that I&#8217;ve ever met this scene. I was already on the board of the train bringing back me to Berlin, my second home town since 2003. This flashback of the memory brought me back exactly to the moment for 12 years ago when I&#8217;d waited the train going to Berlin and bringing me to the outside of the land with so depressing landscapes, dark clouded sky, heavy traffic jam, chaotic markets and train stations. I wanted to escape from a sort of depression caused by landscape and streets in the polish late autumn as soon as possible. Everything of the country was for me a real depression, which I&#8217;d never experienced before in my life. I was still nineteen years old there.</p>
<p>Probably I followed my shadow casted on the dusk of that platform of Warszawa Centralna one late autumn day shortly after 6 o&#8217;clock in the morning. I&#8217;ve already forgot the exact date when I was standing there and the moment my shadow was casting on the dark lighted platform, which now seems to be a little bit lighter than at that time, but I don&#8217;t know anymore.</p>
<p>So almost all nothing has changed there in the last decade. Only I know now is that I was standing on the platform of Warszawa Centralna again to go back to Berlin. Thus my next 10 years with Warszawa Centralna has begun once again.</p>
<p>It&#8217;s just a part of reasons, why I always go back to the direktion, so to the east, from where I came from.</p>
<div class="shr-publisher-142"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F16%2Fto-where-my-whole-images-are-going-back%2F' data-shr_title='To+where+my+whole+images+are+going+back...'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F16%2Fto-where-my-whole-images-are-going-back%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F16%2Fto-where-my-whole-images-are-going-back%2F' data-shr_title='To+where+my+whole+images+are+going+back...'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>おいどんもドリフの一員になりたい。(再）</title>
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		<pubDate>Sun, 15 May 2011 09:13:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[チェコ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[最近自分がノマドになりたいと強く思う時が多くなった。ここ一ヶ月実際に二度もベルリンとプラハの間を行き来しているので。いっそのことプラハに移ればいいのに、と友人たち及び両親にもいわれることがあるし、自分でもそう思わなくもない。 でも、そうはいかないのは自分でもよくわかっている。ベルリンが小生にとっての本拠地だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。ベルリンは小生にとり、いつも旅立つ場所であり、そして旅の終わりに、次の旅立ちへのつかの合間をすごすために舞い戻ってくるための場所なのだ。 結局ノマド向きではないということなのだろうか、小生は。 それでも自分がすごく根無し草だと感じる時がものすごくある。 だから、自分の田舎が京都だとうそぶいたりしたくなったりするのだろうか。まあ、これまでの人生の大半、20年程をあの街ですごしているということはまぎれもない事実なのだけれど。 以下の記事は、一昨年（2009年）の９月、ベルリンでの滞在がこれまで一カ所にすんだ場所の期間としては最長記録を更新したことへの記念の意味をこめてかいたもの。ベルリンにたどりついたのが、2003年の5月3日だったので、すでにベルリン在住は8年を過ぎたということか・・・。ちなみに小生のこれまで住んだ居住した場所のリストと期間は母親曰く正しくない、しかも、もっと他の場所にも住んでいるという。ということは赤ん坊のころもっと他の場所にもすんだことがあるということらしいが。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 生まれながらのノマドなどとあちこちで吹聴しておきながら、すでにベルリン在住まもなく６年半。ベルリンに来てから数年旅行にもいかなくなってしま うぐらい、全く動きがなくなってしまった現状にイライラし始めたのが、ここ２年程で、それ以来、年の２ヶ月ぐらいは長期の旅行にでていたりしている。 実は今日とある事実に気付いて自分でも唖然としてしまった。小生の人生の一つの街の連続在住記録を半年ほど前にとっくに更新してしまっていたのだ が、不覚にもそのことにこの半年全く気がついていなかった。あちこちで自分は京都人といっておいて普段からだれかれかまわず少々奇妙な京都弁でしゃべりたおしているつもりでいるが、実は生まれは東京築地。８歳まで、２年半弱神戸に住んでいた以外は、東京都下と横浜に住んでいた小生は、実は関西弁ネイティヴ ではないし、それどころか生まれながらの関西人もとい京都人などでも全くない。今、日頃からあたかもネイティヴのように喋り倒している関西弁京都方言もど きも実は後天的にまなんだものでしかない。 それはともかくそれまでの最長記録は実は京都の５年８ヶ月。もちろん、京都には小生がはじめて京都に移ってからも両親が住み続けている上、母親の実家が京都にあるせいで、それこそ物心ついたころから京都には定期的にいるわけだし、東京で大学進学してからもベルリンへくるまでの間、ずっと京都に定期的に、それこそ２ヶ月に一回ぐらいは帰っていたせいで、なぜか京都から出て行ってしまってからも、他の街にすんでいる意識はそれほどなかった。そんなわけで、ベルリンにすでにまもなく６年半住んでいる事実と、また一つの街に連続して住んでいる期間としてはもうすでに最長に達してしまったという事実に、多か れすくなかれ今自分でも唖然としているし、それがいつまでのびていくのだろうと思ってしまう。 簡単にこれまで小生が住んでいた土地になにがしらの住民登録をしていた街と期間をおさらい。 ＞１歳未満（８ヶ月？）；東京都練馬区江古田 １歳未満ー２歳前後（一年弱？）；東京都保谷市 3歳前後ー4歳途中（２年程？）；神戸市東灘区 ４歳途中ー幼稚園入園まで（８ヶ月）：東京都保谷市 幼稚園入園ー小学校3年途中（４年強）；横浜市戸塚区 小学校3年途中ー小学校卒業ー中学二年途中（５年3ヶ月）：兵庫県西宮市 中学校二年途中ー高校卒業ー浪人期間を経て大学入学まで（５年８ヶ月）；京都市北区 大学入学ー大学二年夏（１年半）：東京都北区赤羽 大学二年秋ー大学卒業（２年半）：東京都府中市 大学卒業から二ヶ月：京都市北区 その後：ずっとベルリン、６年５ヶ月。ベルリンにて最初在住一年で５回引っ越し。小生のノマド宣言（2004年春）。ちなみに実家はその間、京都市内で引っ越し。 実は今チェコ共和国の首都はプラハにいるのだが、ここにきて後一週間でもうすぐ一ヶ月になる。ここ１週間でチェコ語に対するコンプレックスも消えて、かのボフミル・フラバル先生を敬愛する小生は、人間観察のフィールドワークと称しつつ、プラハの美女もといイケメンたちとお近づきになろうと、いまだめちゃくちゃな文法の、時々露西亜語の単語がまざるチェコ語を駆使して、一人毎晩異なる飲み屋に出没して、プラハの隣人たちと毎晩ビールを飲みまくる日々なのである。 しかし、ビールがうまい。ベルリンでもそんなビールを飲んだこともないというのに、プラハにきてこれほど毎日のめるというのは、やはりビールがうま い、という以外に考えられない。小生の体内のアルコール分解酵素がプラハにきたとたん突然変異をおこしたわけでもないというのに。宇宙に出たとたんニュー タイプとして覚醒するのとはわけが違うのである（なんのマンガだ）。ここ数週間、毎晩ビールジョッキ２杯はのんでいると言う事実にも小生は実は驚愕してい るが、それでもベルリン帰還後もそれぐらい飲めるとは思えないので，どうかベルリン在住の皆様方においてはこれまで通りのご容赦を乞う。 しかし、いまさらながらだけれど、一つの言語が段々と分かるようになってくるというのは、不思議な感覚だ。一年半ほどベルリンでチェコ語をならって、時々耳をならそうと、まだ半分もいってることがわからないラジオの放送をインターネットで介して聞いていたりもしていたのだけれど、実際チェコにきて周りがすべてがチェコ語 が喋っているのをきいて（プラハに限っていうとそんなこともなく、やったらめったら英語やドイツ語が聞こえてくるが）、やっとこれから自分の話すべき言葉 のテンポになれていかなくては、という実感がうまれてくる。まだ片手間しかならっていない言語ならばなおさらだ。スラブ系の言語は非常に音楽的で小生に とっては非常に耳に心地のよい言葉なのだが、攻撃的で威嚇するようにしか聞こえないドイツ語になれた耳にはそれだけでもリラックスできる。ドイツ語がすきではじめたわけではない小生にとって、それだけでもモチヴェーションの一つになりうる。チェコ語は知れば知る程、他のスラブ系の言語、例えば露西亜語とはかなり違う言語なんだなと感じるし、プラハにもよく聞こえる露西亜語がきこえてくるとかなり瞬間的にそれが飛び込んでくるようになった。かつてチェコ語と正直なところあまり聞き分けられなかったポーランド語とも、確実に聞き分けられるようになった。ぶっちゃけ小生の言語感覚はいい意味でとぎすまされているように思える。 この周りが全く自分のわからない言語を喋っている場所に突如として放り込まれるときの感覚はとても言語にいいつくせるものではない。聞いている言葉 がわからないのだからなおさらだ。旅先で、国境を越えて違う国へと入った瞬間、そこで全く違う言葉がきこえてくるよきのあの感覚。小生はあれの瞬間がとて も心地よい。その分からない未知の言語の海の表面を漂うような感覚。体の力を抜いて水面に浮かんでいるような浮遊感。 あれを体験したのは多分、初めて自分にとっての「外国語」体験をしたときにさかのぼるような気がする。自分にとっての「外国語」体験とは多分８歳の 時に、父親の仕事の都合で関西に移り住んで来たときだろう。はじめて洪水のように自分のまわりを「関西弁」が取り囲んだ時だろうと思う。「関西弁」を「外国語」扱いするのは少々大げさなような気もするし、少々「外国語」と書くのは面妖なのだけれど、標準的な日本語からすれば「関西弁」は間違いなく、ドイツ語のFremdspracheや英語のforeign language（どちらも外国語という意味だが、念のため）にあたるとは思う。実際、色々な言語をならったからいえるのだけれど、「関西弁」や「日本 語」の違いというのは、実際ヨーロッパの言語地図などをみてみれば、実にざらなケースで互いに違う言語扱いされてもおかしくないのではとおもったりもす る。なにも「関西弁」でけでなく、日本語の方言に分類されている言葉には小生にとって、外国語と同じぐらい難解なものも多い。津軽弁や九州の方言など。標準語とはその意思疎通、ひいては教育のためにあるのであって、それほど古い概念ではない。むしろ19世紀後半以来ネーション国家としての概念が日本に浸透してからのことであって、日本各地津々浦々にある方言といわれることばにくらべたら新しくかつ人工的なものであるのはいうまでもない。 父親がばちばちの関東人で母親はばちばちの京都人な上、実は冷静に自分で分析してみると、もしくは、言語学専攻の日本語方言狂いの友人や様々な友人の話を総合してみると、自分は自分はとんでもない関西弁をしゃべっているのかもしれないと思う。実は小学校は阪神地区で卒業している。しかも、小学校に通ってい たのは、阪神地区はもとい関西でも屈指の派手な関西弁をしゃべる西宮は甲子園球場の界隈、だから自分の関西弁は少々阪神方言まじりで、祖父母と母親の影響 で京都弁もすこしまじってるんだろうと思うのだけれど、８歳までも東京近郊や横浜ですごしていたおかげで、どこに自分のマザー・タングなるものがあるのだ ろうとおもう。いまさらながらに、８歳までの自分がどんな言葉をしゃべっていたのか、８歳までの記憶なんて最近だんだんとおぼろげになっており、実際のところよくわからない。京都で思春期を過ごした６年弱がとりあえず今の所自分の中では一番自分の言語形成、すくなくとも今の自分の喋っている日本語という言 語に大きな影響を与えているのだろうが。 9歳になる間際の小生がにあの感覚に放り込まれたあの日、忘れもしない1988年5月30日。転校したての小生が、阪神地区は西宮のとある小学校、 それまで横浜の新興住宅地の全校生徒250人にも満たない、各学年二組、しかも各クラス30人にもみたい学級から成っていた、実に今からしてみれば家庭的な小学校から全校生徒1200人のメガ小学校、しかも阪神地区では中規模といわれて母親が驚愕したというその小学校のは3年4組に放り込まれたあの日、小 生の左脳は間違いなくオーヴァーヒートを起こしていたに違いない。いまでもはっきり覚えているけれど、あの日あの3年４組の教室の中で聞いた言葉は日本語 でありながら、全く日本語であるように聞こえなかったはずなのだ。少なくとも小生の左脳はそう判断したはずだ。いまでも一番覚えているのは、小生が自己紹 介のため口を開いた瞬間、教室にいた全員が大笑い大爆笑。そのうちの誰が、うわー、ほんまもんのとーきょーじんやあー、でさらに爆笑の渦。違う惑星から やってきたばかりのエイリアンに対するがごときの扱い。その後、教室の中で体験したことは、今でもよく覚えている。新しいクラスメートに大爆笑されて、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>最近自分がノマドになりたいと強く思う時が多くなった。ここ一ヶ月実際に二度もベルリンとプラハの間を行き来しているので。いっそのことプラハに移ればいいのに、と友人たち及び両親にもいわれることがあるし、自分でもそう思わなくもない。<span id="more-34"></span></p>
<p>でも、そうはいかないのは自分でもよくわかっている。ベルリンが小生にとっての本拠地だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。ベルリンは小生にとり、いつも旅立つ場所であり、そして旅の終わりに、次の旅立ちへのつかの合間をすごすために舞い戻ってくるための場所なのだ。</p>
<p>結局ノマド向きではないということなのだろうか、小生は。</p>
<p>それでも自分がすごく根無し草だと感じる時がものすごくある。</p>
<p>だから、自分の田舎が京都だとうそぶいたりしたくなったりするのだろうか。まあ、これまでの人生の大半、20年程をあの街ですごしているということはまぎれもない事実なのだけれど。</p>
<p>以下の記事は、一昨年（2009年）の９月、ベルリンでの滞在がこれまで一カ所にすんだ場所の期間としては最長記録を更新したことへの記念の意味をこめてかいたもの。ベルリンにたどりついたのが、2003年の5月3日だったので、すでにベルリン在住は8年を過ぎたということか・・・。ちなみに小生のこれまで住んだ居住した場所のリストと期間は母親曰く正しくない、しかも、もっと他の場所にも住んでいるという。ということは赤ん坊のころもっと他の場所にもすんだことがあるということらしいが。</p>
<p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p>
<p>生まれながらのノマドなどとあちこちで吹聴しておきながら、すでにベルリン在住まもなく６年半。ベルリンに来てから数年旅行にもいかなくなってしま うぐらい、全く動きがなくなってしまった現状にイライラし始めたのが、ここ２年程で、それ以来、年の２ヶ月ぐらいは長期の旅行にでていたりしている。</p>
<p>実は今日とある事実に気付いて自分でも唖然としてしまった。小生の人生の一つの街の連続在住記録を半年ほど前にとっくに更新してしまっていたのだ が、不覚にもそのことにこの半年全く気がついていなかった。あちこちで自分は京都人といっておいて普段からだれかれかまわず少々奇妙な京都弁でしゃべりたおしているつもりでいるが、実は生まれは東京築地。８歳まで、２年半弱神戸に住んでいた以外は、東京都下と横浜に住んでいた小生は、実は関西弁ネイティヴ ではないし、それどころか生まれながらの関西人もとい京都人などでも全くない。今、日頃からあたかもネイティヴのように喋り倒している関西弁京都方言もど きも実は後天的にまなんだものでしかない。</p>
<p>それはともかくそれまでの最長記録は実は京都の５年８ヶ月。もちろん、京都には小生がはじめて京都に移ってからも両親が住み続けている上、母親の実家が京都にあるせいで、それこそ物心ついたころから京都には定期的にいるわけだし、東京で大学進学してからもベルリンへくるまでの間、ずっと京都に定期的に、それこそ２ヶ月に一回ぐらいは帰っていたせいで、なぜか京都から出て行ってしまってからも、他の街にすんでいる意識はそれほどなかった。そんなわけで、ベルリンにすでにまもなく６年半住んでいる事実と、また一つの街に連続して住んでいる期間としてはもうすでに最長に達してしまったという事実に、多か れすくなかれ今自分でも唖然としているし、それがいつまでのびていくのだろうと思ってしまう。</p>
<p>簡単にこれまで小生が住んでいた土地になにがしらの住民登録をしていた街と期間をおさらい。</p>
<p>＞１歳未満（８ヶ月？）；東京都練馬区江古田</p>
<p>１歳未満ー２歳前後（一年弱？）；東京都保谷市</p>
<p>3歳前後ー4歳途中（２年程？）；神戸市東灘区</p>
<p>４歳途中ー幼稚園入園まで（８ヶ月）：東京都保谷市</p>
<p>幼稚園入園ー小学校3年途中（４年強）；横浜市戸塚区</p>
<p>小学校3年途中ー小学校卒業ー中学二年途中（５年3ヶ月）：兵庫県西宮市</p>
<p>中学校二年途中ー高校卒業ー浪人期間を経て大学入学まで（５年８ヶ月）；京都市北区</p>
<p>大学入学ー大学二年夏（１年半）：東京都北区赤羽</p>
<p>大学二年秋ー大学卒業（２年半）：東京都府中市</p>
<p>大学卒業から二ヶ月：京都市北区</p>
<p>その後：ずっとベルリン、６年５ヶ月。ベルリンにて最初在住一年で５回引っ越し。小生のノマド宣言（2004年春）。ちなみに実家はその間、京都市内で引っ越し。</p>
<p>実は今<strong>チェコ</strong>共和国の首都はプラハにいるのだが、ここにきて後一週間でもうすぐ一ヶ月になる。ここ１週間で<strong>チェコ</strong>語に対するコンプレックスも消えて、かのボフミル・フラバル先生を敬愛する小生は、人間観察のフィールドワークと称しつつ、プラハの美女もといイケメンたちとお近づきになろうと、いまだめちゃくちゃな文法の、時々露西亜語の単語がまざるチェコ語を駆使して、一人毎晩異なる飲み屋に出没して、プラハの隣人たちと毎晩ビールを飲みまくる日々なのである。</p>
<p>しかし、ビールがうまい。ベルリンでもそんなビールを飲んだこともないというのに、プラハにきてこれほど毎日のめるというのは、やはりビールがうま い、という以外に考えられない。小生の体内のアルコール分解酵素がプラハにきたとたん突然変異をおこしたわけでもないというのに。宇宙に出たとたんニュー タイプとして覚醒するのとはわけが違うのである（なんのマンガだ）。ここ数週間、毎晩ビールジョッキ２杯はのんでいると言う事実にも小生は実は驚愕してい るが、それでもベルリン帰還後もそれぐらい飲めるとは思えないので，どうかベルリン在住の皆様方においてはこれまで通りのご容赦を乞う。</p>
<p>しかし、いまさらながらだけれど、一つの言語が段々と分かるようになってくるというのは、不思議な感覚だ。一年半ほどベルリンでチェコ語をならって、時々耳をならそうと、まだ半分もいってることがわからないラジオの放送をインターネットで介して聞いていたりもしていたのだけれど、実際<strong>チェコ</strong>にきて周りがすべてが<strong>チェコ</strong>語 が喋っているのをきいて（プラハに限っていうとそんなこともなく、やったらめったら英語やドイツ語が聞こえてくるが）、やっとこれから自分の話すべき言葉 のテンポになれていかなくては、という実感がうまれてくる。まだ片手間しかならっていない言語ならばなおさらだ。スラブ系の言語は非常に音楽的で小生に とっては非常に耳に心地のよい言葉なのだが、攻撃的で威嚇するようにしか聞こえないドイツ語になれた耳にはそれだけでもリラックスできる。ドイツ語がすきではじめたわけではない小生にとって、それだけでもモチヴェーションの一つになりうる。チェコ語は知れば知る程、他のスラブ系の言語、例えば露西亜語とはかなり違う言語なんだなと感じるし、プラハにもよく聞こえる露西亜語がきこえてくるとかなり瞬間的にそれが飛び込んでくるようになった。かつてチェコ語と正直なところあまり聞き分けられなかったポーランド語とも、確実に聞き分けられるようになった。ぶっちゃけ小生の言語感覚はいい意味でとぎすまされているように思える。</p>
<p>この周りが全く自分のわからない言語を喋っている場所に突如として放り込まれるときの感覚はとても言語にいいつくせるものではない。聞いている言葉 がわからないのだからなおさらだ。旅先で、国境を越えて違う国へと入った瞬間、そこで全く違う言葉がきこえてくるよきのあの感覚。小生はあれの瞬間がとて も心地よい。その分からない未知の言語の海の表面を漂うような感覚。体の力を抜いて水面に浮かんでいるような浮遊感。</p>
<p>あれを体験したのは多分、初めて自分にとっての「外国語」体験をしたときにさかのぼるような気がする。自分にとっての「外国語」体験とは多分８歳の 時に、父親の仕事の都合で関西に移り住んで来たときだろう。はじめて洪水のように自分のまわりを「関西弁」が取り囲んだ時だろうと思う。「関西弁」を「外国語」扱いするのは少々大げさなような気もするし、少々「外国語」と書くのは面妖なのだけれど、標準的な日本語からすれば「関西弁」は間違いなく、ドイツ語のFremdspracheや英語のforeign  language（どちらも外国語という意味だが、念のため）にあたるとは思う。実際、色々な言語をならったからいえるのだけれど、「関西弁」や「日本 語」の違いというのは、実際ヨーロッパの言語地図などをみてみれば、実にざらなケースで互いに違う言語扱いされてもおかしくないのではとおもったりもす る。なにも「関西弁」でけでなく、日本語の方言に分類されている言葉には小生にとって、外国語と同じぐらい難解なものも多い。津軽弁や九州の方言など。標準語とはその意思疎通、ひいては教育のためにあるのであって、それほど古い概念ではない。むしろ19世紀後半以来ネーション国家としての概念が日本に浸透してからのことであって、日本各地津々浦々にある方言といわれることばにくらべたら新しくかつ人工的なものであるのはいうまでもない。</p>
<p>父親がばちばちの関東人で母親はばちばちの京都人な上、実は冷静に自分で分析してみると、もしくは、言語学専攻の日本語方言狂いの友人や様々な友人の話を総合してみると、自分は自分はとんでもない関西弁をしゃべっているのかもしれないと思う。実は小学校は阪神地区で卒業している。しかも、小学校に通ってい たのは、阪神地区はもとい関西でも屈指の派手な関西弁をしゃべる西宮は甲子園球場の界隈、だから自分の関西弁は少々阪神方言まじりで、祖父母と母親の影響 で京都弁もすこしまじってるんだろうと思うのだけれど、８歳までも東京近郊や横浜ですごしていたおかげで、どこに自分のマザー・タングなるものがあるのだ   ろうとおもう。いまさらながらに、８歳までの自分がどんな言葉をしゃべっていたのか、８歳までの記憶なんて最近だんだんとおぼろげになっており、実際のところよくわからない。京都で思春期を過ごした６年弱がとりあえず今の所自分の中では一番自分の言語形成、すくなくとも今の自分の喋っている日本語という言 語に大きな影響を与えているのだろうが。</p>
<p>9歳になる間際の小生がにあの感覚に放り込まれたあの日、忘れもしない1988年5月30日。転校したての小生が、阪神地区は西宮のとある小学校、 それまで横浜の新興住宅地の全校生徒250人にも満たない、各学年二組、しかも各クラス30人にもみたい学級から成っていた、実に今からしてみれば家庭的な小学校から全校生徒1200人のメガ小学校、しかも阪神地区では中規模といわれて母親が驚愕したというその小学校のは3年4組に放り込まれたあの日、小 生の左脳は間違いなくオーヴァーヒートを起こしていたに違いない。いまでもはっきり覚えているけれど、あの日あの3年４組の教室の中で聞いた言葉は日本語 でありながら、全く日本語であるように聞こえなかったはずなのだ。少なくとも小生の左脳はそう判断したはずだ。いまでも一番覚えているのは、小生が自己紹 介のため口を開いた瞬間、教室にいた全員が大笑い大爆笑。そのうちの誰が、うわー、ほんまもんのとーきょーじんやあー、でさらに爆笑の渦。違う惑星から やってきたばかりのエイリアンに対するがごときの扱い。その後、教室の中で体験したことは、今でもよく覚えている。新しいクラスメートに大爆笑されて、 「とーきょーじん」なるエイリアンとなってしまった小生は新しいクラスメートに色々と話しかけれても、小生はそれほどうまく答えられなかったり口をうまく 開けなかったことも。現実的に自分が置かれている言葉の海の中で、小生はただ右から左にあびせられる質問の間をただただよっているだけだった。</p>
<p>あれも、小生が今に至るまで何度となく経験することになるあの浮遊感なのだろう、と思う。その後、いい感じでクラスにとけ込むことのできた小生は、 一週間後にはすでにクラスメイトとほぼ同じ言葉を、つまり、「関西弁」をしゃべっていた、ということだけはよく覚えている。どうしてかは全く覚えていな い。けれど、それがまだ８歳だった小生にまだ可能だったことの一つだろう。</p>
<p>にもかかわらず。その後、進学した京都のR星中学・高校では似非関西人扱いされる日々だったのである。マクドナルドをマクド、ではなく、マックと いってしまったばかりに。そんなわけであだ名もマックにされてしまった。関西ではマクドナルドはマクドでマックはマッキントッシュ以外ありえへん、と日頃から東京だろうがベルリンだろうが口を酸っぱくして主張している小生ではあるが、実はそんな過去もあるのである。</p>
<p>昔からそうだったけれど、やっぱり小生にとってあの浮遊する感覚がつぼなのである。言語であろうと、音楽体験だろうと、あらゆる人間の五感にかかわる体験のなかでも特に。ベルリンは人種のるつぼだからそれほど気にも留めないが、やっぱりプラハだとアジア人は浮く。時々、ベルリンのように、70年代にヴェト ナムからきた移民の二世が、ベルリンで生まれ育ったベトナム人と同様に、流暢にその土地の言葉であるチェコ語を操っているのを聞くけれど、やっぱりそれもチェコに限るならばプラハだけだろう。僕がつたなくもチェコ語 をしゃべれば、向こうはあれ、っという顔をするし、こちらはそれでますます自分が相手になって正体不明になれるというので、ますますなにがしらぶらぶら浮 いている感覚が加速する。小生にとってはやめられないたまらない瞬間なのだ。というわけで小生は今日もまたなにがしらの浮遊感をもとめてぶらぶらしてやまないのである。（なんという日本語）。</p>
<p>そんなわけで、大学院を卒業したらますますベルリンを出る可能性が高くなって参りました。</p>
<p>今日はこれにて。そういえばグルジアいってからもう一年たったんだねえ、ちょうど一年前の今日はイスタンブールから戻って来た日だったんですが。歳月の過ぎ去り仕方矢のごとし、と後悔先にたたず。というわけで今日もひさびさの自戒。ではでは。</p>
<div class="shr-publisher-34"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F15%2F%25e3%2581%258a%25e3%2581%2584%25e3%2581%25a9%25e3%2582%2593%25e3%2582%2582%25e3%2583%2589%25e3%2583%25aa%25e3%2583%2595%25e3%2581%25ae%25e4%25b8%2580%25e5%2593%25a1%25e3%2581%25ab%25e3%2581%25aa%25e3%2582%258a%25e3%2581%259f%25e3%2581%2584%25e3%2580%2582%25e5%2586%258d%25ef%25bc%2589%2F' data-shr_title='%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A9%E3%82%93%E3%82%82%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%95%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%82%28%E5%86%8D%EF%BC%89'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F15%2F%25e3%2581%258a%25e3%2581%2584%25e3%2581%25a9%25e3%2582%2593%25e3%2582%2582%25e3%2583%2589%25e3%2583%25aa%25e3%2583%2595%25e3%2581%25ae%25e4%25b8%2580%25e5%2593%25a1%25e3%2581%25ab%25e3%2581%25aa%25e3%2582%258a%25e3%2581%259f%25e3%2581%2584%25e3%2580%2582%25e5%2586%258d%25ef%25bc%2589%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F15%2F%25e3%2581%258a%25e3%2581%2584%25e3%2581%25a9%25e3%2582%2593%25e3%2582%2582%25e3%2583%2589%25e3%2583%25aa%25e3%2583%2595%25e3%2581%25ae%25e4%25b8%2580%25e5%2593%25a1%25e3%2581%25ab%25e3%2581%25aa%25e3%2582%258a%25e3%2581%259f%25e3%2581%2584%25e3%2580%2582%25e5%2586%258d%25ef%25bc%2589%2F' data-shr_title='%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A9%E3%82%93%E3%82%82%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%95%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E3%80%82%28%E5%86%8D%EF%BC%89'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>My web-presence &amp; WerkStadt Festival</title>
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		<pubDate>Mon, 09 May 2011 09:22:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Berlin-Neukölln]]></category>
		<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[Hej, I&#8217;m going to join the grupe exhibition on this coming weekend at WerkStadt, Berlin-Neukölln. The Programm of WerkStadt Festival you will find here. And on facebook too. My photo portfolios under these adresses: www.kodography.com (under construction, but i&#8217;m going to fix the page until the mid of this week) or www.berlin-bornholmerstr.tumblr.com The vernisage is going [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>Hej,</p>
<p>I&#8217;m going to join the grupe exhibition on this coming weekend at WerkStadt, Berlin-Neukölln.</p>
<p>The Programm of WerkStadt Festival you will find <a href="http://werkstadt-berlin.com/news/?p=1194">here</a>. And on <a href="http://www.facebook.com/event.php?eid=199461296764647">facebook</a> too.</p>
<p>My photo portfolios under these adresses:</p>
<p><a href="http://www.kodography.com">www.kodography.com</a> (under construction, but i&#8217;m going to fix the page until the mid of this week)</p>
<p>or</p>
<p><a href="http://www.berlin-bornholmerstr.tumblr.com">www.berlin-bornholmerstr.tumblr.com</a></p>
<p><a href="http://www.facebook.com/event.php?eid=185564134828075">The vernisage</a> is going to take place on this friday from 19:00 at WerkStadt, Emserstr.124, Berlin-Neukölln.</p>
<p>Hope see you on friday or on weekend at Werkstadt.</p>
<p>Kodo Miura</p>
<div class="shr-publisher-131"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F09%2Fmy-web-presence-werkstadt-festival%2F' data-shr_title='My+web-presence+%26+WerkStadt+Festival'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F09%2Fmy-web-presence-werkstadt-festival%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F09%2Fmy-web-presence-werkstadt-festival%2F' data-shr_title='My+web-presence+%26+WerkStadt+Festival'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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