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	<title>Lügenlernen &#187; ウクライナ</title>
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	<description>人間万事塞翁が馬</description>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後10時（東ヨーロッパ時間）。リビウ到着。</title>
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		<pubDate>Mon, 21 May 2012 16:34:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[国境越え]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="125" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0395-188x125.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0395" title="IMG_0395" />ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。 といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。 なによりもウクライナ側が手荷物検査がなくなった。 バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうのただの暗闇。 ポーランド側のパスポートに出国のスタンプを押すだけの形式的な検問の後、バスは黄色と青色につつまれたウクライナ側の検問ブースにはいていく。妙にすべてが新しく映える。急ごしらえの印象は拭えなかったが、表面的には建物や設備はEU側となんらかわらない。 これから久々に、毎日ロシア語をしゃべらなくてはないらいのか、と少々身を固くする。 だが、小生の予想に反してウクライナ側のコントロールも妙にあっさりしたものだった。若い警察官が英語を話したのも驚きだった。片言ではあったが。それで、いままで面倒さを極めたウクライナの入国審査は完了であるならばなんの文句もない。 前回の2010年夏の入国の時には、何度もパスポートの写真（しかしこのパスの写真も10年以上前のものなのだ）と実際の小生を比べて、これは本当におまえか、などといわれ、満員のバスから一人だけ、一度ならずも二度も検問所の建物に呼び出されたりした。 今回の若い女性警官もその時と同じ警察官のようにみえた。 小生を検問所に招き入れた彼女は小生の顔をじっとみる。パスポートにかかれた小生の下の名前を読み上げる。小生は苦笑しながらも、じっと彼女の顔と目を覗き込んだ。お互いがじっと互いの目を見つめ合う奇妙な状態が３秒ぐらいは続いた。すると、向こうの顔の表情がふいに崩れて、ふふふ、といいながら、となりにいたまた別の同僚の女性警官に、これ本当に彼よね、と尋ねる。すると、パス持ってるのは彼だからね、とパスの写真と小生を見比べて、小生の顔を一瞬じっとみたのち、表情を崩して、小生に笑いかけながら、彼でしょう、もういいじゃない、といってパスポートを閉じて、小生の方に押し戻した。そして、バスに戻っていいわよ、どうもありがとう、といいながら停まっているバスの方を指差した。小声で、スパシーバ、とだけ答えて、建物を出ようと扉を閉めようとする時にもう一度彼女と目があった。それはとても国境の警察官のしているような目ではなかった。 その時の彼女かどうか確信はなかったが。その彼女は英語をしゃべろうともしなかった。ロシア語はしゃべれる？Po russky?とだけ短く小生にいいはなち、どこまでいく？、いつまでウクライナに？、という最大最小限のセンテンスのみの質問をなげかけた。 もちろんこれにいらだっては旧ソ連圏の旅は始まらない。 こちらもそのときは聞かれたことだけ答えればよい。余計なことはいわなくてもよい。それでおしまいなのなら。 だが、あのときの彼女は妙に小生のパスポートの写真とその当時の小生にこだわろうとした。 単に彼女が職務に忠実であった、ということだけならば、それはそれでよいことだったのだが。 10人ほどのバスの乗客にパスポートが帰ってくる間もなく、バスは目の前の暗闇へ向けて走り出した。 小生の腕時計はすでに午後８時をまわっていた。つまり、ウクライナの位置する東ヨーロッパ時間では標準時＋3時間、そして夏時間−1時間であるから、現地の時刻ではもう午後９時だった。 M君は少々焦りだしてた。というのは、リビウではとある現地在住の日本語教師のある人と会う約束をしていて、時間通りならば、もうすでにリビウについていても良い時間だったからだ。約束の時間は午後９時ということになっていたのだが、すでにポーランド側の国境にいるうちに、もはやその時間につくのは無理だというのはあきらかだった。それでも、先方の家と小生たちが泊まることになっている場所はそうは遠くない場所にあることがわかったので、向こうは多少遅くとも待ってくださる、ということだった。 バスはようやくウクライナに入国したばかり。リビウまで100キロとないのは分かっていたが、まだ交通状況によりまだ二時間はみておかなければならないのは分かりきっていた。 しばらくするとまたバスはとある明かりのほとんどない薄暗がりの空き地に停まった。 ドライバーが、両替とか買い物休憩、みんな用事がすんだら出発、はやくおわらせて、という。 時間が時間だったので、到着後の時間のリビウでは確実にできないはずの両替をすませておく。両替所の前にできた列にたちながら、前回の休憩のときに話をした青年と話す。 やれやれ、いつまでかかるんだろう・・・、今日でこのバスに乗るのも２回目だが、前回より確実に長くかかっている。 そういう小生に対して、彼も、今回は工事が多いのさ、ポーランドもウクライナも同じ穴の狢よ、と。 で、ウクライナもユーロの準備はどうなんだ、と聞く小生に対して、酷いもんさ、もっともサッカーはあまり興味がないがね、という。 そう言い残して、両替を済ませた彼はバスと駐車場の薄暗がりのほうへ戻って行った。 20ユーロ札がまだ財布の中にあったので、今日の宿代とタクシー代、夜飯代、朝ご飯代ぐらいにはなるだろう、とふと考えたが、今晩のうちにキエフ行きの列車のチケットも駅で買っておいたほうがよいな、と考える。レートをみると、1€あたりのレートは10.5フリヴナだった。あとから考えると、これはかなり良いレートだったいうことになるのだが。正当なレートかあまり確信がなかったものの、とりあえず多少の誤差は損でもなかろうと考えて、50ユーロを両替しておく。 その両替所は小さなベットとテレビだけがおいてあるだけの手狭な場所だった。おじさんともおじいさんともいえない年齢の男性がこんな時間までこんなところに籠って両替の仕事をしている。ベットがあるということはそこで夜をあかすということもあるということなのか、それとも交代の人のベットなのか、判断はつかない。けれど、その男性の疲れようがつたわってくるような、ベットのシーツの薄汚れぶりと乱れ具合、そしてその小屋自体の薄暗さ。ぶら下がっている電球はもちろん裸。 これがウクライナだ。 バスに戻り座席にもどると、バスはまた動きだした。だがおかしい。小生の左前にすわっていたはずのあの青年の姿がない。 バスをみまわしても彼の姿がどこにもない。斜め前方すぐにすわっていたまた別の青年に、おい、あの前の席にすわってたやつおらんぞ、と話しかけるが、英語が通じないで、手短かにチェコ語でいうと、彼もすぐ前に乗り出して、うわ、おいておかれおったんか、と一緒にドライバーに、ひとり乗せ忘れとんぞ、とすぐさま引き返させる。 すると、件の「Litr」の横のガソリンスタンドの横に所在なさげそうにたつ、その青年が見える。バスはすぐさま、またUターンして彼の横にとまり、そして、また動きだす。 再び姿をあらわしたバスの乗客のささやかな「出迎え」をうけた彼は、少々恥ずかしげに小生の席の前に座って，ローストしたひまわりの種を満載にしたビニール袋を差し出す。おいおい、どうしちゃたんだい、と聞く小生に、まあ、こういうこともあるさ、という彼もなかなか、ひょうひょうとしていて憎めない。 そういう小生も一度こんな形でバスに置いて行かれたことが一度ある。 2008年9月にトルコからグルジアの首都トビリシにむかっている最中だ。あの時は南オセチア戦争の停戦直後で、グルジアに向う人間なんぞよっぽどの物好きにほかならなかった。 バスも今回のリヴィウ行きのバス以上に空席がめだっていた。もちろん小生とトルコ人のドライバーのおっさん二人組以外は全員グルジア人だった。にもかかわらずおいてけぼりをくってしまった。いまでも、トイレからでてきて、バスが目の前にもうなかった時の光景に心臓がとまりそうなぐらいの驚いたことを今でも忘れない。小生はそのときどんな背中をしていたのか、よっぽど間抜けなだったのだろう、背後でそこにいた人たちが本当に腹を抱えて笑っていたのを覚えている。 それでも、なんとかバスに追いつくことははできたのだけれど。それはまた別の機会に。 バスはあとはリビウまで暗闇の中を往くのみ。どんぶらこ、どんぶらこと闇の中を漕いでゆく。 ウクライナに入って不思議なことに道路の状態はよくなった。バスはスピードをかなりあげているようだった。 時折、小さな村を通り過ぎる。そして、また暗闇の中をバスは漕いでゆく。静かに前へと。 夜汽車のような光景。急激に眠気が小生をおそってくる。ほんのわずかだが浅い眠りに落ちてしまう。 小一時間もしてめざめれば、左前方遠くから段々と街の光がみえてくる。それは数を増すこともなく、まばらな光のまま近づいて来る。 高いところにみえる光はおそらく団地の光。まばらな光の間を、街の中に入ったバスは漕ぐ。 リビウは時間のせいもあるのか、すでに街自体が眠りに入ってるかのようだった。石畳の通りを駆け抜け、旧市街近くの道をバスが角から角へ曲がっていっても、それがこれまできたことがある街、という確信もない。  &#8230;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="125" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0395-188x125.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0395" title="IMG_0395" /><p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。</p>
<p>といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。</p>
<p>なによりもウクライナ側が手荷物検査がなくなった。</p>
<p>バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうのただの暗闇。<span id="more-802"></span></p>
<p>ポーランド側のパスポートに出国のスタンプを押すだけの形式的な検問の後、バスは黄色と青色につつまれたウクライナ側の検問ブースにはいていく。妙にすべてが新しく映える。急ごしらえの印象は拭えなかったが、表面的には建物や設備はEU側となんらかわらない。</p>
<p>これから久々に、毎日ロシア語をしゃべらなくてはないらいのか、と少々身を固くする。</p>
<p>だが、小生の予想に反してウクライナ側のコントロールも妙にあっさりしたものだった。若い警察官が英語を話したのも驚きだった。片言ではあったが。それで、いままで面倒さを極めたウクライナの入国審査は完了であるならばなんの文句もない。</p>
<p>前回の2010年夏の入国の時には、何度もパスポートの写真（しかしこのパスの写真も10年以上前のものなのだ）と実際の小生を比べて、これは本当におまえか、などといわれ、満員のバスから一人だけ、一度ならずも二度も検問所の建物に呼び出されたりした。</p>
<p>今回の若い女性警官もその時と同じ警察官のようにみえた。</p>
<p>小生を検問所に招き入れた彼女は小生の顔をじっとみる。パスポートにかかれた小生の下の名前を読み上げる。小生は苦笑しながらも、じっと彼女の顔と目を覗き込んだ。お互いがじっと互いの目を見つめ合う奇妙な状態が３秒ぐらいは続いた。すると、向こうの顔の表情がふいに崩れて、ふふふ、といいながら、となりにいたまた別の同僚の女性警官に、これ本当に彼よね、と尋ねる。すると、パス持ってるのは彼だからね、とパスの写真と小生を見比べて、小生の顔を一瞬じっとみたのち、表情を崩して、小生に笑いかけながら、彼でしょう、もういいじゃない、といってパスポートを閉じて、小生の方に押し戻した。そして、バスに戻っていいわよ、どうもありがとう、といいながら停まっているバスの方を指差した。小声で、スパシーバ、とだけ答えて、建物を出ようと扉を閉めようとする時にもう一度彼女と目があった。それはとても国境の警察官のしているような目ではなかった。</p>
<p>その時の彼女かどうか確信はなかったが。その彼女は英語をしゃべろうともしなかった。ロシア語はしゃべれる？Po russky?とだけ短く小生にいいはなち、どこまでいく？、いつまでウクライナに？、という最大最小限のセンテンスのみの質問をなげかけた。</p>
<p>もちろんこれにいらだっては旧ソ連圏の旅は始まらない。</p>
<p>こちらもそのときは聞かれたことだけ答えればよい。余計なことはいわなくてもよい。それでおしまいなのなら。</p>
<p>だが、あのときの彼女は妙に小生のパスポートの写真とその当時の小生にこだわろうとした。</p>
<p>単に彼女が職務に忠実であった、ということだけならば、それはそれでよいことだったのだが。</p>
<p>10人ほどのバスの乗客にパスポートが帰ってくる間もなく、バスは目の前の暗闇へ向けて走り出した。</p>
<p>小生の腕時計はすでに午後８時をまわっていた。つまり、ウクライナの位置する東ヨーロッパ時間では標準時＋3時間、そして夏時間−1時間であるから、現地の時刻ではもう午後９時だった。</p>
<p>M君は少々焦りだしてた。というのは、リビウではとある現地在住の日本語教師のある人と会う約束をしていて、時間通りならば、もうすでにリビウについていても良い時間だったからだ。約束の時間は午後９時ということになっていたのだが、すでにポーランド側の国境にいるうちに、もはやその時間につくのは無理だというのはあきらかだった。それでも、先方の家と小生たちが泊まることになっている場所はそうは遠くない場所にあることがわかったので、向こうは多少遅くとも待ってくださる、ということだった。</p>
<p>バスはようやくウクライナに入国したばかり。リビウまで100キロとないのは分かっていたが、まだ交通状況によりまだ二時間はみておかなければならないのは分かりきっていた。</p>
<p>しばらくするとまたバスはとある明かりのほとんどない薄暗がりの空き地に停まった。</p>
<p>ドライバーが、両替とか買い物休憩、みんな用事がすんだら出発、はやくおわらせて、という。</p>
<p>時間が時間だったので、到着後の時間のリビウでは確実にできないはずの両替をすませておく。両替所の前にできた列にたちながら、前回の休憩のときに話をした青年と話す。</p>
<p>やれやれ、いつまでかかるんだろう・・・、今日でこのバスに乗るのも２回目だが、前回より確実に長くかかっている。</p>
<p>そういう小生に対して、彼も、今回は工事が多いのさ、ポーランドもウクライナも同じ穴の狢よ、と。</p>
<p>で、ウクライナもユーロの準備はどうなんだ、と聞く小生に対して、酷いもんさ、もっともサッカーはあまり興味がないがね、という。</p>
<p>そう言い残して、両替を済ませた彼はバスと駐車場の薄暗がりのほうへ戻って行った。</p>
<p>20ユーロ札がまだ財布の中にあったので、今日の宿代とタクシー代、夜飯代、朝ご飯代ぐらいにはなるだろう、とふと考えたが、今晩のうちにキエフ行きの列車のチケットも駅で買っておいたほうがよいな、と考える。レートをみると、1€あたりのレートは10.5フリヴナだった。あとから考えると、これはかなり良いレートだったいうことになるのだが。正当なレートかあまり確信がなかったものの、とりあえず多少の誤差は損でもなかろうと考えて、50ユーロを両替しておく。</p>
<p>その両替所は小さなベットとテレビだけがおいてあるだけの手狭な場所だった。おじさんともおじいさんともいえない年齢の男性がこんな時間までこんなところに籠って両替の仕事をしている。ベットがあるということはそこで夜をあかすということもあるということなのか、それとも交代の人のベットなのか、判断はつかない。けれど、その男性の疲れようがつたわってくるような、ベットのシーツの薄汚れぶりと乱れ具合、そしてその小屋自体の薄暗さ。ぶら下がっている電球はもちろん裸。</p>
<p>これがウクライナだ。</p>
<p>バスに戻り座席にもどると、バスはまた動きだした。だがおかしい。小生の左前にすわっていたはずのあの青年の姿がない。</p>
<p>バスをみまわしても彼の姿がどこにもない。斜め前方すぐにすわっていたまた別の青年に、おい、あの前の席にすわってたやつおらんぞ、と話しかけるが、英語が通じないで、手短かにチェコ語でいうと、彼もすぐ前に乗り出して、うわ、おいておかれおったんか、と一緒にドライバーに、ひとり乗せ忘れとんぞ、とすぐさま引き返させる。</p>
<p>すると、件の「Litr」の横のガソリンスタンドの横に所在なさげそうにたつ、その青年が見える。バスはすぐさま、またUターンして彼の横にとまり、そして、また動きだす。</p>
<p>再び姿をあらわしたバスの乗客のささやかな「出迎え」をうけた彼は、少々恥ずかしげに小生の席の前に座って，ローストしたひまわりの種を満載にしたビニール袋を差し出す。おいおい、どうしちゃたんだい、と聞く小生に、まあ、こういうこともあるさ、という彼もなかなか、ひょうひょうとしていて憎めない。</p>
<p>そういう小生も一度こんな形でバスに置いて行かれたことが一度ある。</p>
<p>2008年9月にトルコからグルジアの首都トビリシにむかっている最中だ。あの時は南オセチア戦争の停戦直後で、グルジアに向う人間なんぞよっぽどの物好きにほかならなかった。</p>
<p>バスも今回のリヴィウ行きのバス以上に空席がめだっていた。もちろん小生とトルコ人のドライバーのおっさん二人組以外は全員グルジア人だった。にもかかわらずおいてけぼりをくってしまった。いまでも、トイレからでてきて、バスが目の前にもうなかった時の光景に心臓がとまりそうなぐらいの驚いたことを今でも忘れない。小生はそのときどんな背中をしていたのか、よっぽど間抜けなだったのだろう、背後でそこにいた人たちが本当に腹を抱えて笑っていたのを覚えている。</p>
<p>それでも、なんとかバスに追いつくことははできたのだけれど。それはまた別の機会に。</p>
<p>バスはあとはリビウまで暗闇の中を往くのみ。どんぶらこ、どんぶらこと闇の中を漕いでゆく。</p>
<p>ウクライナに入って不思議なことに道路の状態はよくなった。バスはスピードをかなりあげているようだった。</p>
<p>時折、小さな村を通り過ぎる。そして、また暗闇の中をバスは漕いでゆく。静かに前へと。</p>
<p>夜汽車のような光景。急激に眠気が小生をおそってくる。ほんのわずかだが浅い眠りに落ちてしまう。</p>
<p>小一時間もしてめざめれば、左前方遠くから段々と街の光がみえてくる。それは数を増すこともなく、まばらな光のまま近づいて来る。</p>
<p>高いところにみえる光はおそらく団地の光。まばらな光の間を、街の中に入ったバスは漕ぐ。</p>
<p>リビウは時間のせいもあるのか、すでに街自体が眠りに入ってるかのようだった。石畳の通りを駆け抜け、旧市街近くの道をバスが角から角へ曲がっていっても、それがこれまできたことがある街、という確信もない。</p>
<p>バスは知っている道、中央駅に入る道ではなく、また横へそれていく。なぜ？</p>
<p>もうままよ、と流れる暗い窓の外をながめながら、わずかな光の街灯の中に見える通りの角を追いかける。そのうちバスはしった市場の横を通り過ぎているのかと思えば、中央駅へと続く石畳を滑走している。</p>
<p>そして突如、さんざんみなれたリビウ中央駅が突如目の前に飛び込んできた。しかし、今回は豪壮にライトアップされている。</p>
<p>やっとついたリビウ。時間は午後10時をとうにまわっていた。ワルシャワをでてすでに10時間が経過。</p>
<p>でもウクライナに戻ってきたか。ドネツクまでの旅はまだ半ばも来ていない。明日も長い一日になる。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後６時。「最終ゲート」。Hrebenneにて。</title>
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		<pubDate>Sun, 20 May 2012 13:30:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ワルシャワ]]></category>
		<category><![CDATA[国境越え]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0391-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0391" title="IMG_0391" />小生たちを乗せたバスは、ワルシャワ市街を半周して、ウクライナはリヴィウへ向けてと走る。ワルシャワの郊外から市街へでるあたりはモダンな自動車専用道路だったが、とたんに整備のされていないアスファルトの波打つ道へとさしかかる。 小生たち乗客は、ホップ、ホップ、車とともに飛びはねる、またはねる。窓はその度にびびびと震える。 そして、なんと道半ばでの工事の多いこと。ウクライナの旅の後、ポーランドの開催４都市をまわった時にもさんざん目の当たりにすることになるのだが、ポーランドの幹線道路は工事ラッシュ。それにともなう渋滞で車での移動は、高速道路が整備されているような区間以外は、非常にストレスがたまる。 ここのところポーランドはようやく、自国民にとっても非常に悪名高いPKPことポーランド鉄道もふくめた、交通インフラの更新時期にあるようだ。こうした工事は、ユーロ開催に関係があるのかどうか断言はできないが、もし関係があるのあらば、こうした工事は、急ピッチですすめたとしても、おそらくユーロ開催中に間に合うどころの話ではない（もちろん2012年４月現在）。 もっともポーランド側の幹線道路の工事の遅れ程度のことは、ウクライナにいけば、まったく取るにたらない話だということを認識させられるのだが、それはまた後の話。 バスはこうして遅々として進まぬ。どんぶらこ、どんぶらこ、どんぶらこ、と進む。 そして工事の区間をぬけて状態のよい道をスムーズに走り出したかと思えば休憩。2時間程も走っても、まだ道半ばも来ていず、そこはまだルブリンの手前。停まった場所はワルシャワーリヴィウを行き来する時に何度も休憩したドライブイン。なんのヘンテツもない。ただ店内におかれたスロットマシーンと宝くじの看板だけがわびしいだけの場所。こんなものは世界中どこにいってもあると思うが、ポーランドらしいと思わせるものはやはりある。 例えば、外にでたM君が漫☆画太郎かくやの銅像を発見。 こんなものがあるポーランドなかなか奥ゆかしと騒ぐ日本人二人組。周囲の注目を集めていたのはいうまでもない。 するとバスの乗客の一人で、小生達の前のほうの座席に座っていた青年が、君たちどこにいくんだい、と話かけてくる。そういう彼もウクライナはキエフの実家にイースター休暇も兼ねて帰るのだという。もうワルシャワに長いことすんでいるらしく、パートナーはポーランド人だということ。彼はリヴィウに着いて、すぐ夜行列車でキエフに向うということで、小生達はリヴィウで人と会うがあいがてら一泊するため、旅程を同じくすることはできないが、小生達の旅の目的を話すと、キエフについたら是非連絡してくれ、といってくれる。そこで携帯番号でも交換しようという話になったところで、バスはようやく出発。 ところが、その彼は国境越え後、とんでもない目に会ってしまうのだが。それはまた次回の話。 そんな感じで動きだしたバスはルブリンにようやくさしかかり、この街は交通インフラの更新をすでに終えていたためか、あっという間に通過。それでも、ルブリンを通過し、国境との中間点ぐらいに位置する街全体がルネッサンス建築で著名なザモシチまでの区間も相変わらず工事が多く、遅々としてバスは進まない。 あまりにも時間の流れかたが違いすぎる。 ポーランドやウクライナでの旅では、そこで流れる時間の流れにまずは身をまかせねばならない。さもなくばその鈍重さに押しつぶされてしまうことだろう。 こうして、国境の通過ポイントHrebenneにたどり着いたのは日もかなり西に傾いたころ、午後６時きっかりであった。 ではまた国境越えの後でお会いしましょう。また自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0391-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0391" title="IMG_0391" /><p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>小生たちを乗せたバスは、ワルシャワ市街を半周して、ウクライナはリヴィウへ向けてと走る。ワルシャワの郊外から市街へでるあたりはモダンな自動車専用道路だったが、とたんに整備のされていないアスファルトの波打つ道へとさしかかる。</p>
<p>小生たち乗客は、ホップ、ホップ、車とともに飛びはねる、またはねる。窓はその度にびびびと震える。<span id="more-798"></span></p>
<p>そして、なんと道半ばでの工事の多いこと。ウクライナの旅の後、ポーランドの開催４都市をまわった時にもさんざん目の当たりにすることになるのだが、ポーランドの幹線道路は工事ラッシュ。それにともなう渋滞で車での移動は、高速道路が整備されているような区間以外は、非常にストレスがたまる。</p>
<p>ここのところポーランドはようやく、自国民にとっても非常に悪名高いPKPことポーランド鉄道もふくめた、交通インフラの更新時期にあるようだ。こうした工事は、ユーロ開催に関係があるのかどうか断言はできないが、もし関係があるのあらば、こうした工事は、急ピッチですすめたとしても、おそらくユーロ開催中に間に合うどころの話ではない（もちろん2012年４月現在）。</p>
<p>もっともポーランド側の幹線道路の工事の遅れ程度のことは、ウクライナにいけば、まったく取るにたらない話だということを認識させられるのだが、それはまた後の話。</p>
<p>バスはこうして遅々として進まぬ。どんぶらこ、どんぶらこ、どんぶらこ、と進む。</p>
<p>そして工事の区間をぬけて状態のよい道をスムーズに走り出したかと思えば休憩。2時間程も走っても、まだ道半ばも来ていず、そこはまだルブリンの手前。停まった場所はワルシャワーリヴィウを行き来する時に何度も休憩したドライブイン。なんのヘンテツもない。ただ店内におかれたスロットマシーンと宝くじの看板だけがわびしいだけの場所。こんなものは世界中どこにいってもあると思うが、ポーランドらしいと思わせるものはやはりある。</p>
<p>例えば、外にでたM君が漫☆画太郎かくやの銅像を発見。</p>
<div id="attachment_890" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_2527.jpg"><img class="size-large wp-image-890" title="IMG_2527" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_2527-494x370.jpg" alt="" width="494" height="370" /></a><p class="wp-caption-text">これは復路に撮影。4月17日。ワルシャワへ戻る途上にて。</p></div>
<div id="attachment_891" class="wp-caption alignnone" style="width: 380px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0364.jpg"><img class="size-large wp-image-891" title="IMG_0364" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0364-370x494.jpg" alt="" width="370" height="494" /></a><p class="wp-caption-text">「ばばあ」もどき？食われる小生。</p></div>
<p>こんなものがあるポーランドなかなか奥ゆかしと騒ぐ日本人二人組。周囲の注目を集めていたのはいうまでもない。</p>
<p>するとバスの乗客の一人で、小生達の前のほうの座席に座っていた青年が、君たちどこにいくんだい、と話かけてくる。そういう彼もウクライナはキエフの実家にイースター休暇も兼ねて帰るのだという。もうワルシャワに長いことすんでいるらしく、パートナーはポーランド人だということ。彼はリヴィウに着いて、すぐ夜行列車でキエフに向うということで、小生達はリヴィウで人と会うがあいがてら一泊するため、旅程を同じくすることはできないが、小生達の旅の目的を話すと、キエフについたら是非連絡してくれ、といってくれる。そこで携帯番号でも交換しようという話になったところで、バスはようやく出発。</p>
<p>ところが、その彼は国境越え後、とんでもない目に会ってしまうのだが。それはまた次回の話。</p>
<p>そんな感じで動きだしたバスはルブリンにようやくさしかかり、この街は交通インフラの更新をすでに終えていたためか、あっという間に通過。それでも、ルブリンを通過し、国境との中間点ぐらいに位置する街全体がルネッサンス建築で著名なザモシチまでの区間も相変わらず工事が多く、遅々としてバスは進まない。</p>
<p>あまりにも時間の流れかたが違いすぎる。</p>
<p>ポーランドやウクライナでの旅では、そこで流れる時間の流れにまずは身をまかせねばならない。さもなくばその鈍重さに押しつぶされてしまうことだろう。</p>
<p>こうして、<a href="http://g.co/maps/ex587" target="_blank">国境の通過ポイントHrebenne</a>にたどり着いたのは日もかなり西に傾いたころ、午後６時きっかりであった。</p>
<p>ではまた国境越えの後でお会いしましょう。また自戒。</p>
<div class="shr-publisher-798"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後2時50分。ベルリン東駅。</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 12:44:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[フットボール]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[サッカー]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="140" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0246a-188x140.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0246a" title="IMG_0246a" />これから長旅に出る直前だというのに、しかも、最初の数日はかなり強行軍であるが分かっていたというのに、とにかく体調がすぐれないままベルリンは東駅Ostbahnhofのホームに小生はいた。 これからいくのはヨーロッパのメキシコあるいは中国ともいわれるポーランドのさらにその向こうのウクライナなのである。となるとウクライナはヨーロッパの・・・、何なのだろう。 ウクライナといえばコサック、コサックといえば大草原、大草原といえば遊牧民、遊牧民は酒を飲む、酒と言えばウォッカ、ウォッカといえばロシア、だめだ。もう一度。 大草原だ、大草原といえば、小さな家だ、そして馬だ、馬といえば、遊牧民、遊牧民といえばやはりモンゴルだ。 かつてウクライナにはモンゴル人がやってきて、例えば、ウクライナの南の先っぽにはモンゴル人の末裔でもあるクリミア・タタールというマイノリティも住んでいる。一度クリミアにいってときに、ベルリンでよくしっている日本人のなんとかさんとものすごく似ている人がのった乗り合いタクシー（通称マルシュルートゥカ）を運転していて、おもわず、どうもこんにちわ、御日柄もよく、なんて本当に日本語で挨拶してしまいそうになったこともある。ウクライナはじゃあヨーロッパのモンゴルか。 という冗談はほどほどにしておいて、これからいくのはウクライナなのだ。何をしに？サッカーを見に。サッカーである。 実はウクライナには一度サッカーを見にいってきたことがある。日本代表対ウクライナ代表の試合である。2005年の10月のことだ（もちろん中田ヒデもいた、生で彼の出ているのを見る最初で最後に機会だったが・・・）。 その当時の代表戦の試合会場だったのが、今回のユーロの決勝が行われたキエフのオリンピアスタジアムなのだ。当時ウクライナまで同行させていただいたベルリン在住のジャーナリストの中村真人さんのブログ／ベルリン中央駅にその旅の詳細を記されたエントリーがあるので、詳細はそちらを御覧いただきたい。中村さんのブログにある写真にもあるキエフのオリンピアスタジアムは今回のユーロの決勝の会場になるのだが、そのために当時とは大分趣きを新たにすることになった。 もっともそれも７年前の話になる。今から思えば感慨深い話なのだ。一度日本でロシアへの情熱を失い、一方でベルリンという街にひきつけられた小生を、再びヨーロッパの東へと再度向わせるきっかけになったのだから。人生とは分からないものである。 それが必然であったのか、いまでもよくわからないところがある。けれど、それが小生にとって、その2005年10月のウクライナ行きが一大転機になったことは間違いのないところだ。小生にとってはその７年間分の変化も加味したウクライナでのヨーロッパ選手権の直前の様を目の当たりにできれば、というのが当座の趣旨でもあった。 ところで、今回のウクライナ行き、事の発端は、小生はTwitter上で１月の終わりごろの呟きにさかのぼる。 どういう文脈でそのような発言するのに至ったのかは全く記憶にないのだが、ともあれ「この手のお祭り」が小生のような貧乏人には用がないのは当然であるとしても、東ヨーロッパとか中央ヨーロッパを研究とかほざいている小生のような輩にとっては、たとえユーロが金持ちのお祭りであったとしても、門外漢として見ていてもとおもしろくわけがないはずはないのである。とはいえ、大会前にどれほどこの国際的なお祭りのかの両国が変化をとげたか、それとも相も変わらずかをじっくりみるには絶好の機会であるのには間違いあるまい、ということで、大会前と大会後という祭りの前とその後を見にいくのことこそおもしろおかしき、と考えてのTweetだったのには違いあるまい。 ところがその小生の小言を読んでいた友人のフォトグラファーのM君が数日後やや興奮して、是非同行したいと連絡してきたころから、小生の冗談発言が冗談ではなくなるような様相を呈してきたのである。それ以降M君がしぶる小生のケツを盛んにたたくので、しょうがない、やっぱりいくしかねえか、という感じで（すっかり）その気になってしまったのが、3月の頭ごろだった。 ワルシャワ行きのユーロシティ、通称ベルリン・ワルシャワエクスプレスはほぼ定刻通りやってきた。乗車し予約してあったコンパートメントにいくと、中央駅から乗車していたM君がすでに車中の人であった。列車はゆっくりと動きだし、最近とんとご無沙汰しているワルシャワ通り駅を通りすぎるのを眺めながら、つかの間のベルリンに別れをつげた小生は、一年半以上ぶりのベルリン・ワルシャワエクスプレスの車上で、久々のオーデル川の向こう岸への旅に心をときめかすのであった。それでも、その高揚感に体がおいつかないという不具合も抱え、どうにもこうにもこの先のハードな行程に不安を覚えるのであった。 この旅行の計画の段階での小生たちの目的はおおざっぱにいって次の通りだった。 ユーロの会場となるスタジアム、もとい、そのスタジアムが位置するウクライナとポーランドの開催都市をすべての視察。 開催会場でおこなわれる地元リーグの試合も可能な限り観戦。 そして、開催都市でのスタジアムとリーグ戦以外のサッカーに関わる日常をつぶさに観察。 そこで地元リーグの開催日程をつぶさに検討しているうちに、四月七日にウクライナでの開催会場のひとつであるドネツクで、ナショナルダービーといわれるシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの試合がおこなわるということが判明した。 このウクライナ／ポーランドツアーの計画が浮上したころ、今年二月のベルリン映画祭で&#8221;The  other Chelsea&#8221;「もうひとつのチェルシー」というドキュメンタリー映画をみたのだが (この作品についてはまた別のポストにあるのでそちらを参照あれ）、この作品はドンバスという東ウクライナのかつてのソ連を代表する重工業地帯にあるドネツクと言う街に本拠地をおくシャフタール・ドネツクというサッカーチームとそのドネツクという街に住まう人々と地域をユーモアとサッカーにもつわる高揚感、そこで逆説的にうかぶウクライナ社会の矛盾と欺瞞を見事に描きだしていた。この作品をみたことが、一度はドネツクという街にいっておくべきだな、という小生の気持ちの背中を押したのである。 こうして小生たちの今回のウクライナ／ポーランドユーロ2012直前ツアーの最大の目標は4月7日のシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの一大カードの観戦ということに決まった。 ところが、小生は来客や野暮用などで4月3日にならないとベルリンを出発できなくなってしまった。遅くとも7日の朝にはドネツク到着していなくてはならないから、こうして小生たちはベルリンから４泊５日でドネツク到達を目指すこととなった。 そもそも小生のような貧乏人がドネツクまで飛行機でいくほどの余裕はないし、もともと飛行機での移動は小生は苦手としているので、その気は全くなかったのだけれど。なので、やはりポーランド経由で陸路でウクライナへ向うということになった。 が、四泊五日ならば余裕じゃないかということなかれ。ここでもう一度ルート確認をしておこう。 Going in Poland and Ukraine, shortly before EURO 2012 Poland &#38; Ukraine, April-May 2012 当初の計画では、3日午後にベルリンを出発し、ワルシャワ到着は夕方遅くの９時。そこからワルシャワからリビウまで夜行バスで向い、リビウ早朝到着後とりあえず四日一日を過ごした後、次の日五日の朝リビウをたち、五日夕方にキエフ着、そして、六日夕方の夜行列車でキエフをたち、ドネツクには七日日朝に到着の夜行列車で到着の予定であった。 ところが小生の体調不良により、若干の予定変更を強いられることに。 出発前夜の時点で、当初の予定を3日夜のワルシャワーリビウを夜行バス泊をワルシャワの友人宅に一晩の宿を乞うことにし、昼前のバスでリビウへ出発することにしたのだ。 そもそも、ワルシャワーリビウの夜行便では国境通過が深夜な上、数時間は待たされることもあり、その間、パスポートコントロールもとい荷物検査で国境では寝ることはほぼ不可能であるのはわかっていたので、もともと気が進まなかった。その上、体調不良もあり、おそらく寝るのは難しい夜行バス移動では、後々の日程に響きかねないという判断であった。その後もリビウーキエフはほぼ10時間列車移動、キエフードネツクも12時間以上の列車移動そして夜行泊と強行軍を控えていた。  &#8230;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="140" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0246a-188x140.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0246a" title="IMG_0246a" /><p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>これから長旅に出る直前だというのに、しかも、最初の数日はかなり強行軍であるが分かっていたというのに、とにかく体調がすぐれないままベルリンは東駅Ostbahnhofのホームに小生はいた。</p>
<p>これからいくのはヨーロッパのメキシコあるいは中国ともいわれるポーランドのさらにその向こうのウクライナなのである。となるとウクライナはヨーロッパの・・・、何なのだろう。<span id="more-406"></span></p>
<p>ウクライナといえばコサック、コサックといえば大草原、大草原といえば遊牧民、遊牧民は酒を飲む、酒と言えばウォッカ、ウォッカといえばロシア、だめだ。もう一度。</p>
<p>大草原だ、大草原といえば、小さな家だ、そして馬だ、馬といえば、遊牧民、遊牧民といえばやはりモンゴルだ。 かつてウクライナにはモンゴル人がやってきて、例えば、ウクライナの南の先っぽにはモンゴル人の末裔でもあるクリミア・タタールというマイノリティも住んでいる。一度クリミアにいってときに、ベルリンでよくしっている日本人のなんとかさんとものすごく似ている人がのった乗り合いタクシー（通称マルシュルートゥカ）を運転していて、おもわず、どうもこんにちわ、御日柄もよく、なんて本当に日本語で挨拶してしまいそうになったこともある。ウクライナはじゃあヨーロッパのモンゴルか。</p>
<p>という冗談はほどほどにしておいて、これからいくのはウクライナなのだ。何をしに？サッカーを見に。サッカーである。</p>
<p>実はウクライナには一度サッカーを見にいってきたことがある。日本代表対ウクライナ代表の試合である。2005年の10月のことだ（もちろん中田ヒデもいた、生で彼の出ているのを見る最初で最後に機会だったが・・・）。 その当時の代表戦の試合会場だったのが、今回のユーロの決勝が行われたキエフのオリンピアスタジアムなのだ。当時ウクライナまで同行させていただいたベルリン在住のジャーナリストの中村真人さんのブログ／<a href="http://berlinhbf.exblog.jp/1605755/" target="_blank">ベルリン中央駅</a>にその旅の詳細を記されたエントリーがあるので、詳細はそちらを御覧いただきたい。中村さんのブログにある写真にもあるキエフのオリンピアスタジアムは今回のユーロの決勝の会場になるのだが、そのために当時とは大分趣きを新たにすることになった。</p>
<p>もっともそれも７年前の話になる。今から思えば感慨深い話なのだ。一度日本でロシアへの情熱を失い、一方でベルリンという街にひきつけられた小生を、再びヨーロッパの東へと再度向わせるきっかけになったのだから。人生とは分からないものである。</p>
<p>それが必然であったのか、いまでもよくわからないところがある。けれど、それが小生にとって、その2005年10月のウクライナ行きが一大転機になったことは間違いのないところだ。小生にとってはその７年間分の変化も加味したウクライナでのヨーロッパ選手権の直前の様を目の当たりにできれば、というのが当座の趣旨でもあった。</p>
<p>ところで、今回のウクライナ行き、事の発端は、小生はTwitter上で１月の終わりごろの呟きにさかのぼる。<br />
<a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/スクリーンショット（2012-05-14-14.18.38）.png"><img class="alignnone size-full wp-image-416" title="スクリーンショット（2012-05-14 14.18.38）" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/スクリーンショット（2012-05-14-14.18.38）.png" alt="" width="442" height="195" /></a></p>
<p>どういう文脈でそのような発言するのに至ったのかは全く記憶にないのだが、ともあれ「この手のお祭り」が小生のような貧乏人には用がないのは当然であるとしても、東ヨーロッパとか中央ヨーロッパを研究とかほざいている小生のような輩にとっては、たとえユーロが金持ちのお祭りであったとしても、門外漢として見ていてもとおもしろくわけがないはずはないのである。とはいえ、大会前にどれほどこの国際的なお祭りのかの両国が変化をとげたか、それとも相も変わらずかをじっくりみるには絶好の機会であるのには間違いあるまい、ということで、大会前と大会後という祭りの前とその後を見にいくのことこそおもしろおかしき、と考えてのTweetだったのには違いあるまい。</p>
<p>ところがその小生の小言を読んでいた友人のフォトグラファーのM君が数日後やや興奮して、是非同行したいと連絡してきたころから、小生の冗談発言が冗談ではなくなるような様相を呈してきたのである。それ以降M君がしぶる小生のケツを盛んにたたくので、しょうがない、やっぱりいくしかねえか、という感じで（すっかり）その気になってしまったのが、3月の頭ごろだった。</p>
<p>ワルシャワ行きのユーロシティ、通称ベルリン・ワルシャワエクスプレスはほぼ定刻通りやってきた。乗車し予約してあったコンパートメントにいくと、中央駅から乗車していたM君がすでに車中の人であった。列車はゆっくりと動きだし、最近とんとご無沙汰しているワルシャワ通り駅を通りすぎるのを眺めながら、つかの間のベルリンに別れをつげた小生は、一年半以上ぶりのベルリン・ワルシャワエクスプレスの車上で、久々のオーデル川の向こう岸への旅に心をときめかすのであった。それでも、その高揚感に体がおいつかないという不具合も抱え、どうにもこうにもこの先のハードな行程に不安を覚えるのであった。</p>
<p>この旅行の計画の段階での小生たちの目的はおおざっぱにいって次の通りだった。</p>
<blockquote><p><strong>ユーロの会場となるスタジアム、もとい、そのスタジアムが位置するウクライナとポーランドの開催都市をすべての視察。</strong></p>
<p><strong>開催会場でおこなわれる地元リーグの試合も可能な限り観戦。</strong></p>
<p><strong>そして、開催都市でのスタジアムとリーグ戦以外のサッカーに関わる日常をつぶさに観察。</strong></p></blockquote>
<p>そこで地元リーグの開催日程をつぶさに検討しているうちに、四月七日にウクライナでの開催会場のひとつであるドネツクで、ナショナルダービーといわれるシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの試合がおこなわるということが判明した。</p>
<p>このウクライナ／ポーランドツアーの計画が浮上したころ、今年二月のベルリン映画祭で&#8221;The  other Chelsea&#8221;「もうひとつのチェルシー」というドキュメンタリー映画をみたのだが (この作品については<a href="http://luegenlernen.de/2012/05/17/drugoi-chelsea/" target="_blank">また別のポストにあるのでそちらを参照あれ</a>）、この作品はドンバスという東ウクライナのかつてのソ連を代表する重工業地帯にあるドネツクと言う街に本拠地をおくシャフタール・ドネツクというサッカーチームとそのドネツクという街に住まう人々と地域をユーモアとサッカーにもつわる高揚感、そこで逆説的にうかぶウクライナ社会の矛盾と欺瞞を見事に描きだしていた。この作品をみたことが、一度はドネツクという街にいっておくべきだな、という小生の気持ちの背中を押したのである。</p>
<p><iframe src="http://www.youtube.com/embed/VZx_NulsQVU" frameborder="0" width="450" height="259"></iframe></p>
<p>こうして小生たちの今回のウクライナ／ポーランドユーロ2012直前ツアーの最大の目標は4月7日のシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの一大カードの観戦ということに決まった。</p>
<p>ところが、小生は来客や野暮用などで4月3日にならないとベルリンを出発できなくなってしまった。遅くとも7日の朝にはドネツク到着していなくてはならないから、こうして小生たちはベルリンから４泊５日でドネツク到達を目指すこととなった。</p>
<p>そもそも小生のような貧乏人がドネツクまで飛行機でいくほどの余裕はないし、もともと飛行機での移動は小生は苦手としているので、その気は全くなかったのだけれど。なので、やはりポーランド経由で陸路でウクライナへ向うということになった。</p>
<p>が、四泊五日ならば余裕じゃないかということなかれ。ここでもう一度ルート確認をしておこう。</p>
<p><iframe src="http://maps.google.de/maps/ms?msa=0&amp;msid=200472668000339509701.0004bf973719abaed8feb&amp;hl=de&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;ll=52.375599,27.333984&amp;spn=18.834405,33.398438&amp;z=4&amp;output=embed" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="455" height="350"></iframe><small><a style="color: #0000ff; text-align: left;" href="http://maps.google.de/maps/ms?msa=0&amp;msid=200472668000339509701.0004bf973719abaed8feb&amp;hl=de&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;ll=52.375599,27.333984&amp;spn=18.834405,33.398438&amp;z=4&amp;source=embed">Going in Poland and Ukraine, shortly before EURO 2012 Poland &amp; Ukraine, April-May 2012 </a></small><small></small></p>
<p>当初の計画では、3日午後にベルリンを出発し、ワルシャワ到着は夕方遅くの９時。そこからワルシャワからリビウまで夜行バスで向い、リビウ早朝到着後とりあえず四日一日を過ごした後、次の日五日の朝リビウをたち、五日夕方にキエフ着、そして、六日夕方の夜行列車でキエフをたち、ドネツクには七日日朝に到着の夜行列車で到着の予定であった。</p>
<p>ところが小生の体調不良により、若干の予定変更を強いられることに。</p>
<p>出発前夜の時点で、当初の予定を3日夜のワルシャワーリビウを夜行バス泊をワルシャワの友人宅に一晩の宿を乞うことにし、昼前のバスでリビウへ出発することにしたのだ。</p>
<p>そもそも、ワルシャワーリビウの夜行便では国境通過が深夜な上、数時間は待たされることもあり、その間、パスポートコントロールもとい荷物検査で国境では寝ることはほぼ不可能であるのはわかっていたので、もともと気が進まなかった。その上、体調不良もあり、おそらく寝るのは難しい夜行バス移動では、後々の日程に響きかねないという判断であった。その後もリビウーキエフはほぼ10時間列車移動、キエフードネツクも12時間以上の列車移動そして夜行泊と強行軍を控えていた。</p>
<div id="attachment_737" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0107a.jpg"><img class="size-large wp-image-737" title="IMG_0107a" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0107a-494x322.jpg" alt="" width="494" height="322" /></a><p class="wp-caption-text">ポーランド／ウクライナ国境、ポーランド側のHrebenneにて。この時も朝９時前のバスでワルシャワをたつが、国境にたどりついたのは午後もかなりまわったごろで、ウクライナ側のコントロールをぬけてリヴィウに着くころには日はかなり西に傾いていた。とにかく暑かった。国境通過待ちの状態で、もともとクーラーの入っていないバスが、サウナ状態になったことが忘れられない・・・。2010年7月。</p></div>
<p>そもそもベルリンーワルシャワ、そしてポーランドの各都市の移動はともかく、今回のウクライナでのユーロ開催都市の移動はほぼ一日がかりと思っておかねばならない。これからヨーロ観戦に赴かれる諸賢におかれましてはその点を留意の上で、体調との相談もウクライナ／ポーランド移動には極めて重要な要素であることを申し上げておく。</p>
<p>さて。4月3日の午後に戻ろう。列車はベルリンをとうの昔に離れ、シュプレー川上流の森の中をガタゴト行く。今回ウクライナはおろかワルシャワ行きもはじめてというM君は、すでに車内をあちこち歩き回ってネタ収集にいとまがない。</p>
<p>小生もときおりヴィデオをまわしたりするもどうにもこうにも体調がすぐれない。それでもポーランド国境直前の街であるフランクフルト・アン・デア・オーデルの駅に着いたあたりからやはりそれでもテンションが上がって来る。</p>
<p>長旅の初日はいつも長い。ではまた自戒。</p>
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		<title>もうひとつのチェルシー。</title>
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		<pubDate>Thu, 17 May 2012 11:28:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[フットボール]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[映画]]></category>
		<category><![CDATA[The other Chelsea]]></category>
		<category><![CDATA[サッカー]]></category>
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		<category><![CDATA[ドネツク]]></category>
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		<description><![CDATA[少し前の映画になるのだけれど、今年のベルリン映画祭で、この４月に旅したウクライナのドネツクに関する「もうひとつのチェルシー」(&#8220;The other Chelsea&#8221;- 2010年)というドキュメンタリーをみた。この作品は東ウクライナはドンバス地域の主要都市であるドネツクに本拠地をおくシャフタール・ドネツクというウクライナを代表するサッカーチームとそれをめぐる地域の人々と日常をつぶさにユーモアも豊富に記録している。 なぜ「もうひとつのチェルシー」というタイトルがついているのか。 このシャフタール・ドネツクも2009年のUEFA杯を優勝するほどのウクライナを代表する強豪なのであるが、このチームも、このロンドンに本拠地をおくチェルシーがロシア人の大富豪ローマン・アブラモヴィッチによって買収されてから、彼のポケットマネーでビッククラブへと変身していったように、ドネツク地方を代表する大富豪リナト・アフメートフがこのクラブの代表になって以来、彼のポケットマネー（かどうかあやしいが）でウクライナでもディナモ・キエフと勢力を二分する強豪へと成長していった。その意味をこめてのタイトルなのだろうと推測できる。 この映画は2011年のドイツのドキュメンタリーの映画の賞であるFirst steps awardを受賞している。そんなこともあって、今年のベルリン映画祭の最終日にフォーラム部門で行われたスクリーニングを見る機会があったというわけだ。 監督のヤコブ・プロイスはベルリンの人で、もともとは法律家であるという異色の人だ。彼は選挙監視業務などでウクライナやロシア在住の経験もあって、それがこの映画の制作に生かされているようだ。 彼はそのベルリン映画祭でのスクリーニングの後のアフタートークではとにかく饒舌、でほぼ一時間映画製作とウクライナの現在に関してノンストップで喋り続けた程の人。彼のその饒舌さやユーモアぶりはこの作品にも如実に現れている。 彼のインタヴューも発見。映画の内容と絡めながら、最近の、現在収監中の元首相のティモシェンコに関わる出来事も含めたウクライナ情勢と政治についてもクリティカルに語っている。（英語） もちろん、この映画は今回サッカーのヨーロッパ選手権のウクライナでの開催都市でもあるドネツクとその街があるドンバスという地域の現在もといウクライナという国自体を、しかも、フットボールを通して、知るにはもってこいの映画だし、この手の作品では、小生が知る限り類をみないのではないかと思う。いまのところ日本で公開されている様子はないけれど、もっと知られてもよい良質のドキュメンタリー映画であることは間違いない（ちなみにYoutube上で全編をみれるようだ）。 実際のところ、ウクライナがフットボールを通じて薔薇色の未来が約束されているかのようにうつるような現実をこの作品は語っているようにはみえるけれど、実際ベルリナーレのスクリーニングの後で監督のプロイス自体も語っていたのだが、それがいかに見かけだけのものであるのか、そして、実際のウクライナの現実がどれだけもろい土台と欺瞞の上に成り立っていることもこの作品を通しても見えて来る。 このLügenlernen上でも、実際、その現実が小生の目にもどううつったのかつぶさに報告したいと思っている。 小生も来月のユーロ開催にあわせてノイケルンでこの映画のスクリーニングをもくろんでおりますので、追ってまたお知らせします。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>少し前の映画になるのだけれど、今年のベルリン映画祭で、この４月に旅したウクライナのドネツクに関する<a href="http://www.theotherchelsea.com/dirnote.php" target="_blank">「もうひとつのチェルシー」(&#8220;The other Chelsea&#8221;- 2010年)</a>というドキュメンタリーをみた。この作品は東ウクライナはドンバス地域の主要都市であるドネツクに本拠地をおくシャフタール・ドネツクというウクライナを代表するサッカーチームとそれをめぐる地域の人々と日常をつぶさにユーモアも豊富に記録している。<span id="more-690"></span></p>
<div id="attachment_709" class="wp-caption alignnone" style="width: 504px"><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0873.jpg"><img class="size-large wp-image-709" title="IMG_0873" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0873-494x395.jpg" alt="" width="494" height="395" /></a><p class="wp-caption-text">こんなオジさんがこのドキュメンタリーにも出てくる。シャフタールのファンも含めドネツクの人々は皆ほぼ例外なく人当たりのいい人ばかりだった。ドネツクにて。2012年4月7日。</p></div>
<p>なぜ「もうひとつのチェルシー」というタイトルがついているのか。</p>
<p>このシャフタール・ドネツクも2009年のUEFA杯を優勝するほどのウクライナを代表する強豪なのであるが、このチームも、このロンドンに本拠地をおくチェルシーがロシア人の大富豪ローマン・アブラモヴィッチによって買収されてから、彼のポケットマネーでビッククラブへと変身していったように、ドネツク地方を代表する大富豪リナト・アフメートフがこのクラブの代表になって以来、彼のポケットマネー（かどうかあやしいが）でウクライナでもディナモ・キエフと勢力を二分する強豪へと成長していった。その意味をこめてのタイトルなのだろうと推測できる。</p>
<p>この映画は2011年のドイツのドキュメンタリーの映画の賞であるFirst steps awardを受賞している。そんなこともあって、今年のベルリン映画祭の最終日にフォーラム部門で行われたスクリーニングを見る機会があったというわけだ。</p>
<p>監督の<a href="http://www.gagarinsgaze.com/en/aboutus.html" target="_blank">ヤコブ・プロイス</a>はベルリンの人で、もともとは法律家であるという異色の人だ。彼は選挙監視業務などでウクライナやロシア在住の経験もあって、それがこの映画の制作に生かされているようだ。</p>
<p>彼はそのベルリン映画祭でのスクリーニングの後のアフタートークではとにかく饒舌、でほぼ一時間映画製作とウクライナの現在に関してノンストップで喋り続けた程の人。彼のその饒舌さやユーモアぶりはこの作品にも如実に現れている。</p>
<p>彼の<a href="http://www.theworld.org/2012/05/the-other-chelsea-ukraine/" target="_blank">インタヴュー</a>も発見。映画の内容と絡めながら、最近の、現在収監中の元首相のティモシェンコに関わる出来事も含めたウクライナ情勢と政治についてもクリティカルに語っている。（英語）<br />
<iframe src="http://w.soundcloud.com/player/?url=http%3A%2F%2Fapi.soundcloud.com%2Ftracks%2F46086673&amp;auto_play=false&amp;show_artwork=false&amp;color=ff7700" frameborder="0" scrolling="no" width="100%" height="166"></iframe></p>
<p>もちろん、この映画は今回サッカーのヨーロッパ選手権のウクライナでの開催都市でもあるドネツクとその街があるドンバスという地域の現在もといウクライナという国自体を、しかも、フットボールを通して、知るにはもってこいの映画だし、この手の作品では、小生が知る限り類をみないのではないかと思う。いまのところ日本で公開されている様子はないけれど、もっと知られてもよい良質のドキュメンタリー映画であることは間違いない（ちなみにYoutube上で全編をみれるようだ）。</p>
<p>実際のところ、ウクライナがフットボールを通じて薔薇色の未来が約束されているかのようにうつるような現実をこの作品は語っているようにはみえるけれど、実際ベルリナーレのスクリーニングの後で監督のプロイス自体も語っていたのだが、それがいかに見かけだけのものであるのか、そして、実際のウクライナの現実がどれだけもろい土台と欺瞞の上に成り立っていることもこの作品を通しても見えて来る。</p>
<p>このLügenlernen上でも、実際、その現実が小生の目にもどううつったのかつぶさに報告したいと思っている。</p>
<p>小生も来月のユーロ開催にあわせてノイケルンでこの映画のスクリーニングをもくろんでおりますので、追ってまたお知らせします。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
<div class="shr-publisher-690"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>首都のフットボール馬鹿ども。</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 22:38:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[フットボール]]></category>
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		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>
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		<description><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_4282-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_4282" title="IMG_4282" />昨日ブンデスリーガの一部と二部の昇格と降格をかけたプレーオフでフォルトゥナ・デュッセルドルフとヘルタ・ベルリンが対決したのだけれど、結末はなんともはやということになってしまった。 フォルトゥナは１５年ぶりの昇格がかかっていただけに、ファンの熱狂ぶりは凄まじかった。なんせ、プレーオフ第一戦、ベルリンでのアウェイ戦を２−１で勝ってしまったうえ、後半９０分をすぎて２−２で同点と言う展開。けれど、もし、ヘルタがもう一点取って２-３のスコアにされてしまったら、アウェイゴールルールでトータルで逆転、また来季も2部でという状況だっただけに、ファンの焦燥ぶりは言語に絶するものがあったのだろう。 一方でヘルタ・ベルリンは独逸という国の首都、もとい旧東ドイツ圏で、現在のところ唯一のブンデスリーガ一部所属クラブだ。一昨年ブンデスリーガ二部降格をしたものの、一年で一部復帰を果たした。けれど、今年も低迷。監督が今シーズン二回も変わる始末で、二月からはオットー・レーハーゲルが指揮をとっているが、それでも二部降格か一部残留をかけてのプレーオフ圏でシーズンを終えることとなった。 試合は、２−１とホームのフォルトゥナがリードした段階でヘルタ側のゴール裏から大量の爆竹と発煙筒をピッチに投げ込まれる事態に。ヘルタのファンブロックには独逸でも悪名高いフーリガン集団、そしてスキンヘッド集団（もちろん極右との関連もあるだろう）をかかえていることでも知られていて、そういった連中が昨日デュッセルドルフでも派手にやらかしてしまったようなのだ。その時点でスタジアムのピッチの側のヘルタファンの目前に警察が投入される始末。 フォルトゥナファンがここでエスカレート仕切ってしまった伏線はそもそもここにある。というのも、警官隊やスタジアムの警備員がヘルタ側のフーリガンの警備に集中して配備されてしまったために、そこで誰も遮るものがいなくなってしまったようで、90分を過ぎたあたりから昇格を待ちかねたファンたちがスタンドからピッチ脇へと試合終了の瞬間を待ちわびたかのようになだれ込みはじめてしまったからだ。そして、試合が、まだロスタイム７分のうち残り2分、ヘルタ側のゴールキックという時点で、試合終了を勘違いしたファンがピッチ上大量に流れ込む事態に。 もし、小生もその場にいたらピッチに共になだれ込んでしったかもしれない。あのサッカースタジアムの熱気はそれぐらい人を阿呆にさせるものがあったろう、ということぐらいはみてとれる。 試合は結局しばらくの中断の後、すわヘルタは再試合要求か、とそういう空気が流れかけた瞬間、選手と監督のレーハーゲルがピッチにもどってきて試合再開。けれど残り2分間特になにも起らず終了。と同時にあらためてフォルトゥナファンがピッチ上になだれ込む事態になった。ヘルタは一シーズンでまた二部へと逆戻りという、これでまた非常にありがたくないエレヴェータークラブの蔑称を得ることになってしまった。 しかし、ヨーロッパの首都でこれだけ首都のクラブがメチャクチャに魅力的でない、という国もないだろう。どこの国もすくなくとも一つは国を代表するようなクラブがあるというのに。 何といわれようとヘルタがこの街を代表するサッカークラブだとは認めないし値するとも思ってない、というベルリナーにこれまで多く出会ってきた。そもそもベルリンにサッカーの強豪が育たないのは、この街にお金がない、いいスポンサーがつかない、というのに理由を求めるのが、理にかなっているといえばいえるけれど、それ以上に東西分割の時間も長かったわけで、例えば東ベルリンの人が西ベルリンのクラブであるヘルタに愛着がもてない、というのはごく自然のことだ。クラブ・サッカーはなんだかんだいってローカリズムとそれへのパトリオティズムと結びついているし、特にベルリンのこと、各地区ごとに独自の文化や気風があるだけにそのあたりは一筋縄でいくわけがない。 へルタというベルリンを代表するはずのクラブが、いや、そうおもわれていないところにこのクラブといい、サッカーをめぐるこのベルリンという街の悲しさがある。ベルリン程の規模の街ならば、もう一つから二つぐらいのクラブがブンデスリーガの一部あるいは二部にいてもいいはず。実際現在ブンデスリーガ二部に属するウニオン・ベルリンという旧東ベルリンを代表するクラブがあるが、このクラブが一部に昇格するなんて、金輪際ありえないと思ってる人もかなりの数にのぼるだろう。 それをいうならば、東京だって、日本の場合だからサッカーに対する人気において比較の仕様がないかもしれないが、J1に所属するチームはFC東京一つだけである。J2にまで広げても東京ヴェルディと最近J2に上がったばかりの町田ゼルビアぐらいなのだから。だいたいこの三つのクラブの本拠地は東京「都下」である。もっとも千葉（柏、千葉）や埼玉（浦和、大宮）、神奈川（川崎、横浜FM、横浜FC、湘南)まで広げれば、もっと多くはなるけれど。 それに比べ、ロンドンにはどれぐらいプレミアリーグ所属のクラブがあるのだろうか。正直小生はよくわからない。そういえば、フランスはパリはパリ・サンジェルマンぐらいか、しかも、このクラブも低迷していて久しい。EUをリードする二国の首都のクラブはここのところ酸っぱい体験ばかりしている。 ところで先日まわったポーランドでも首都のワルシャワには一部にあたるエクストラクラッセに所属するチームは二つあって、国を代表する名門クラブのレギア・ワルシャワとポロニア・ワルシャワとある。一方ウクライナの首都キエフには一部であるプレミアリーグに所属するクラブはディナモ・キエフは言うに及ばずヨーロッパでも名門にカテゴライズされるべきクラブだが、他にもアーセナル・キエフ、そしてオボロンというチームもある。 今日の冒頭の写真は5月6日の今シーズンのポーランド・エクストラクラッセ最終節のワルシャワはペプシスタジアムで行われたレギア・ワルシャワのホームゲームのキックオフ直後の写真なのだが、もの凄い数の発煙筒や爆竹が投げ込まれて白い煙を放っているのが見える。 試合開始直後にこんな行動に及ぶファンなどかなり極端だとは思うが、今年度のポーランド・エクストラクラッセは上位大混戦で、この試合の一節前の時点で、レギアは首位をキープしていたものの、3ポイント内にポズナン、ホジュフ、ブロツワフが続く状態で、この４つのチームに優勝の可能性が残されていた。そしてその前節レギアはアウェイのレヒア・グダンスク戦に０−１で破れ、同時に競合三チームがポイントを重ねたため、試合後、レギアは一気に４位にまで順位をさげて、同時に自力優勝の可能性までもが消滅する事態になってしまった。 レギアはポーランドを代表する名門で、6０年代から7０年代にかけてヨーロッパの舞台でも活躍したチームだった。それが2005/6年度を最後に優勝からも、そして、優勝したチームのみに参加の権利が与えられるチャンピオンズリーグからも遠ざかっている。レギアのファンにとっては、最終節のホームの試合を残してのその低落に憤懣やるかたなかったようで、この試合開始直後のこの事態に発展してしまったわけだ。 小生もこの試合はレギア側のゴール裏で試合を見ていたのだけれど、ファンの過激ぶりに少々肝を冷やしてしまった。おまけに小生のほぼ足下でも発煙筒が暴発する始末。 けれど、周りのファンは（小生はすこしウルトラズの連中からは離れたところにいたのだけれど）冷静になにごともなかったように見ているし、スタジアム全体もこんなことは折り込み済みという反応で、しばらくの中断の後試合は普通に再開されていった。 それをみて日本のJリーグのファンはなんてお行儀がいいのだろう、と思うのだった。当地でサッカーがポピュラーになっていくのは喜ばしいけれど、こんなスポーツとは、ファンたることとは、関係のない馬鹿な振る舞いだけは真似をしてもらいたくないと切に望む。 それにしても、ヘルタもレギアもどちらも今年は酸っぱい目にあった首都のクラブだった。ファンが憤懣やるかたないのもわからなくはない。彼らの熱狂的なクラブへの信仰が今年も報われなかったのだから。それだけは分かる。 サッカーはそれにしても人を阿呆にさせる。これはどうしたってロゴスでもっても説明不可能なところがある。だからこそやめられない。そういつも思っている。 というわけで今日はこれにてお開き。また自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="141" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_4282-188x141.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_4282" title="IMG_4282" /><p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>昨日ブンデスリーガの一部と二部の昇格と降格をかけたプレーオフでフォルトゥナ・デュッセルドルフとヘルタ・ベルリンが対決したのだけれど、結末はなんともはやということになってしまった。</p>
<p>フォルトゥナは１５年ぶりの昇格がかかっていただけに、ファンの熱狂ぶりは凄まじかった。なんせ、プレーオフ第一戦、ベルリンでのアウェイ戦を２−１で勝ってしまったうえ、後半９０分をすぎて２−２で同点と言う展開。けれど、もし、ヘルタがもう一点取って２-３のスコアにされてしまったら、アウェイゴールルールでトータルで逆転、また来季も2部でという状況だっただけに、ファンの焦燥ぶりは言語に絶するものがあったのだろう。<span id="more-569"></span></p>
<p>一方でヘルタ・ベルリンは独逸という国の首都、もとい旧東ドイツ圏で、現在のところ唯一のブンデスリーガ一部所属クラブだ。一昨年ブンデスリーガ二部降格をしたものの、一年で一部復帰を果たした。けれど、今年も低迷。監督が今シーズン二回も変わる始末で、二月からはオットー・レーハーゲルが指揮をとっているが、それでも二部降格か一部残留をかけてのプレーオフ圏でシーズンを終えることとなった。</p>
<p>試合は、２−１とホームのフォルトゥナがリードした段階で<a href="http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/startseite/569094/8/slideshow_spannung-chaos-jubel---fortuna-steht-kopf.html#omfeaturedslide" target="_blank">ヘルタ側のゴール裏から大量の爆竹と発煙筒をピッチに投げ込まれる事態に</a>。ヘルタのファンブロックには独逸でも悪名高いフーリガン集団、そしてスキンヘッド集団（もちろん極右との関連もあるだろう）をかかえていることでも知られていて、そういった連中が昨日デュッセルドルフでも派手にやらかしてしまったようなのだ。その時点でスタジアムのピッチの側のヘルタファンの目前に警察が投入される始末。</p>
<p>フォルトゥナファンがここでエスカレート仕切ってしまった伏線はそもそもここにある。というのも、警官隊やスタジアムの警備員がヘルタ側のフーリガンの警備に集中して配備されてしまったために、そこで誰も遮るものがいなくなってしまったようで、90分を過ぎたあたりから昇格を待ちかねたファンたちがスタンドからピッチ脇へと試合終了の瞬間を待ちわびたかのようになだれ込みはじめてしまったからだ。そして、試合が、まだロスタイム７分のうち残り2分、ヘルタ側のゴールキックという時点で、<a href="http://www.kicker.de/news/fussball/bundesliga/startseite/569094/8/slideshow_spannung-chaos-jubel---fortuna-steht-kopf.html#omfeaturedslide" target="_blank">試合終了を勘違いしたファンがピッチ上大量に流れ込む事態に。</a></p>
<p>もし、小生もその場にいたらピッチに共になだれ込んでしったかもしれない。あのサッカースタジアムの熱気はそれぐらい人を阿呆にさせるものがあったろう、ということぐらいはみてとれる。</p>
<p>試合は結局しばらくの中断の後、すわヘルタは再試合要求か、とそういう空気が流れかけた瞬間、選手と監督のレーハーゲルがピッチにもどってきて試合再開。けれど残り2分間特になにも起らず終了。と同時にあらためてフォルトゥナファンがピッチ上になだれ込む事態になった。ヘルタは一シーズンでまた二部へと逆戻りという、これでまた非常にありがたくないエレヴェータークラブの蔑称を得ることになってしまった。</p>
<p>しかし、ヨーロッパの首都でこれだけ首都のクラブがメチャクチャに魅力的でない、という国もないだろう。どこの国もすくなくとも一つは国を代表するようなクラブがあるというのに。</p>
<p>何といわれようとヘルタがこの街を代表するサッカークラブだとは認めないし値するとも思ってない、というベルリナーにこれまで多く出会ってきた。そもそもベルリンにサッカーの強豪が育たないのは、この街にお金がない、いいスポンサーがつかない、というのに理由を求めるのが、理にかなっているといえばいえるけれど、それ以上に東西分割の時間も長かったわけで、例えば東ベルリンの人が西ベルリンのクラブであるヘルタに愛着がもてない、というのはごく自然のことだ。クラブ・サッカーはなんだかんだいってローカリズムとそれへのパトリオティズムと結びついているし、特にベルリンのこと、各地区ごとに独自の文化や気風があるだけにそのあたりは一筋縄でいくわけがない。</p>
<p>へルタというベルリンを代表するはずのクラブが、いや、そうおもわれていないところにこのクラブといい、サッカーをめぐるこのベルリンという街の悲しさがある。ベルリン程の規模の街ならば、もう一つから二つぐらいのクラブがブンデスリーガの一部あるいは二部にいてもいいはず。実際現在ブンデスリーガ二部に属するウニオン・ベルリンという旧東ベルリンを代表するクラブがあるが、このクラブが一部に昇格するなんて、金輪際ありえないと思ってる人もかなりの数にのぼるだろう。</p>
<p>それをいうならば、東京だって、日本の場合だからサッカーに対する人気において比較の仕様がないかもしれないが、J1に所属するチームはFC東京一つだけである。J2にまで広げても東京ヴェルディと最近J2に上がったばかりの町田ゼルビアぐらいなのだから。だいたいこの三つのクラブの本拠地は東京「都下」である。もっとも千葉（柏、千葉）や埼玉（浦和、大宮）、神奈川（川崎、横浜FM、横浜FC、湘南)まで広げれば、もっと多くはなるけれど。</p>
<p>それに比べ、ロンドンにはどれぐらいプレミアリーグ所属のクラブがあるのだろうか。正直小生はよくわからない。そういえば、フランスはパリはパリ・サンジェルマンぐらいか、しかも、このクラブも低迷していて久しい。EUをリードする二国の首都のクラブはここのところ酸っぱい体験ばかりしている。</p>
<p>ところで先日まわったポーランドでも首都のワルシャワには一部にあたるエクストラクラッセに所属するチームは二つあって、国を代表する名門クラブのレギア・ワルシャワとポロニア・ワルシャワとある。一方ウクライナの首都キエフには一部であるプレミアリーグに所属するクラブはディナモ・キエフは言うに及ばずヨーロッパでも名門にカテゴライズされるべきクラブだが、他にもアーセナル・キエフ、そしてオボロンというチームもある。</p>
<p>今日の冒頭の写真は5月6日の今シーズンのポーランド・エクストラクラッセ最終節のワルシャワはペプシスタジアムで行われたレギア・ワルシャワのホームゲームのキックオフ直後の写真なのだが、もの凄い数の発煙筒や爆竹が投げ込まれて白い煙を放っているのが見える。</p>
<p>試合開始直後にこんな行動に及ぶファンなどかなり極端だとは思うが、今年度のポーランド・エクストラクラッセは上位大混戦で、この試合の一節前の時点で、レギアは首位をキープしていたものの、3ポイント内にポズナン、ホジュフ、ブロツワフが続く状態で、この４つのチームに優勝の可能性が残されていた。そしてその前節レギアはアウェイのレヒア・グダンスク戦に０−１で破れ、同時に競合三チームがポイントを重ねたため、試合後、レギアは一気に４位にまで順位をさげて、同時に自力優勝の可能性までもが消滅する事態になってしまった。</p>
<p>レギアはポーランドを代表する名門で、6０年代から7０年代にかけてヨーロッパの舞台でも活躍したチームだった。それが2005/6年度を最後に優勝からも、そして、優勝したチームのみに参加の権利が与えられるチャンピオンズリーグからも遠ざかっている。レギアのファンにとっては、最終節のホームの試合を残してのその低落に憤懣やるかたなかったようで、この試合開始直後のこの事態に発展してしまったわけだ。</p>
<p>小生もこの試合はレギア側のゴール裏で試合を見ていたのだけれど、ファンの過激ぶりに少々肝を冷やしてしまった。おまけに小生のほぼ足下でも発煙筒が暴発する始末。</p>
<p>けれど、周りのファンは（小生はすこしウルトラズの連中からは離れたところにいたのだけれど）冷静になにごともなかったように見ているし、スタジアム全体もこんなことは折り込み済みという反応で、しばらくの中断の後試合は普通に再開されていった。</p>
<p>それをみて日本のJリーグのファンはなんてお行儀がいいのだろう、と思うのだった。当地でサッカーがポピュラーになっていくのは喜ばしいけれど、こんなスポーツとは、ファンたることとは、関係のない馬鹿な振る舞いだけは真似をしてもらいたくないと切に望む。</p>
<p>それにしても、ヘルタもレギアもどちらも今年は酸っぱい目にあった首都のクラブだった。ファンが憤懣やるかたないのもわからなくはない。彼らの熱狂的なクラブへの信仰が今年も報われなかったのだから。それだけは分かる。</p>
<p>サッカーはそれにしても人を阿呆にさせる。これはどうしたってロゴスでもっても説明不可能なところがある。だからこそやめられない。そういつも思っている。</p>
<p>というわけで今日はこれにてお開き。また自戒。</p>
<div class="shr-publisher-569"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>ウクライナとポーランドへサッカーを見に行ってきたのだが。</title>
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		<pubDate>Mon, 14 May 2012 10:20:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[フットボール]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>
		<category><![CDATA[ユーロ2012／ウクライナーポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[<img width="188" height="140" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0197a-188x140.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0197a" title="IMG_0197a" />先週月曜ワルシャワより帰還。 Twitterなどでフォローしていただいている諸賢には御存知のことかもしれないが、4月の初頭からウクライナを約二週間、そして今回ポーランドを十日間旅していた。まもなく開催される「はず」のサッカーのヨーロッパ選手権、通称ユーロ2012、を控えた両国の直前を視察してきた。という聞こえ方はいいが、そもそも小生のような貧乏人にユーロなどという金持ちの為のお祭りを現地のスタジアムで堪能する余裕などはない。 チケットが高値の花なのは当然として(ウクライナでは聞いた所によると余りに余りまくっているらしいが、地元不在の大会運営のため、さもありなんというところ）、大会中高騰するのは確実とみられる当地の値段に見合わない宿泊施設に大金を投じる暇やひたすら同じ風景を眺めるだけの列車移動に費やす時間があったら、普段ならいくはずのないイタリアとかスペインでもいってうまい物を食べてビーチでゴロゴロしてもいいぐらいである。 それでも、中欧あるいは東ヨーロッパ研究に携わる身としては、ユーロを控えた、ここ十年ほどうんざりするほど訪ねてまわった両国が、どれぐらい変化をとげたか、それだけを目の当たりにするだけでも、両国に赴く価値ありというものでもある。それに、ユーロ本戦でなくとも、すでに完成している「はず」の大会が開催されるスタジアムで行われるリーグ戦ならば見ることもできる、その時期ならば、地元民であふれかえった（もしくはがらがらの）スタジアム、あるいはその周辺、サッカーにまつわる日常を粒さに観察することはできる、それもまた一興なれば、というのが当初の目論みであった。 けれどそれはいろんな意味で裏切られることにもなる。一方で様々なクリシェにも遭遇することにもなる。 これからしばらくその体験を思い起こす意味でも、それからこれからユーロを観戦に極東から遥々やってこられる諸賢への有益な情報を提供するという意味でも、しばらく小生の駄文におつきあいいただこうと思う。これをよんでいただいて、我も彼もとユーロ期間中に極東から異国への地へと諸賢が殺到されることになるのであれば、小生の目的は半ば達せられたともいえることになるだろう。 さて。今回の旅のルートをここでたどっておこう。 Going in Poland and Ukraine, shortly before EURO 2012 Poland &#38; Ukraine, April-May 2012 恐らくウクライナ二週間とポーランド十日間、合計での走破距離は6000㌔(グーグルマップのルートの単純な距離計算では約５５００㌔）を越えているのではなかろうか。地図をみていただければおわかりいただけると思うが、ひたすら移動に移動を強いられた旅だったともいえる（夜行バス一泊、夜行列車泊二泊）。だが、旅に移動はつきもの、それも醍醐味なのである。ウクライナでは、極東の我が祖国はいうまでもなく独逸とも比較のしようがないぐらいとは時の流れ方が違うのだ。 さて。時は4月3日、独逸はベルリン東駅、午後2時50分頃へと時計の針を戻すことにしよう。 そんなわけできりがいいところでまた自戒。ごーん。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<img width="188" height="140" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2012/05/IMG_0197a-188x140.jpg" class="attachment-medium wp-post-image" alt="IMG_0197a" title="IMG_0197a" /><p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>先週月曜ワルシャワより帰還。</p>
<p>Twitterなどでフォローしていただいている諸賢には御存知のことかもしれないが、4月の初頭からウクライナを約二週間、そして今回ポーランドを十日間旅していた。まもなく開催される「はず」のサッカーのヨーロッパ選手権、通称ユーロ2012、を控えた両国の直前を視察してきた。という聞こえ方はいいが、そもそも小生のような貧乏人にユーロなどという金持ちの為のお祭りを現地のスタジアムで堪能する余裕などはない。<span id="more-253"></span></p>
<p>チケットが高値の花なのは当然として(ウクライナでは聞いた所によると余りに余りまくっているらしいが、地元不在の大会運営のため、さもありなんというところ）、大会中高騰するのは確実とみられる当地の値段に見合わない宿泊施設に大金を投じる暇やひたすら同じ風景を眺めるだけの列車移動に費やす時間があったら、普段ならいくはずのないイタリアとかスペインでもいってうまい物を食べてビーチでゴロゴロしてもいいぐらいである。</p>
<p>それでも、中欧あるいは東ヨーロッパ研究に携わる身としては、ユーロを控えた、ここ十年ほどうんざりするほど訪ねてまわった両国が、どれぐらい変化をとげたか、それだけを目の当たりにするだけでも、両国に赴く価値ありというものでもある。それに、ユーロ本戦でなくとも、すでに完成している「はず」の大会が開催されるスタジアムで行われるリーグ戦ならば見ることもできる、その時期ならば、地元民であふれかえった（もしくはがらがらの）スタジアム、あるいはその周辺、サッカーにまつわる日常を粒さに観察することはできる、それもまた一興なれば、というのが当初の目論みであった。</p>
<p>けれどそれはいろんな意味で裏切られることにもなる。一方で様々なクリシェにも遭遇することにもなる。</p>
<p>これからしばらくその体験を思い起こす意味でも、それからこれからユーロを観戦に極東から遥々やってこられる諸賢への有益な情報を提供するという意味でも、しばらく小生の駄文におつきあいいただこうと思う。これをよんでいただいて、我も彼もとユーロ期間中に極東から異国への地へと諸賢が殺到されることになるのであれば、小生の目的は半ば達せられたともいえることになるだろう。</p>
<p>さて。今回の旅のルートをここでたどっておこう。</p>
<p><iframe src="http://maps.google.de/maps/ms?msa=0&amp;msid=200472668000339509701.0004bf973719abaed8feb&amp;hl=de&amp;ie=UTF8&amp;t=h&amp;ll=52.375599,27.333984&amp;spn=18.834405,33.398438&amp;z=4&amp;output=embed" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no" width="455" height="350"></iframe><br />
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<p>恐らくウクライナ二週間とポーランド十日間、合計での走破距離は6000㌔(グーグルマップのルートの単純な距離計算では約５５００㌔）を越えているのではなかろうか。地図をみていただければおわかりいただけると思うが、ひたすら移動に移動を強いられた旅だったともいえる（夜行バス一泊、夜行列車泊二泊）。だが、旅に移動はつきもの、それも醍醐味なのである。ウクライナでは、極東の我が祖国はいうまでもなく独逸とも比較のしようがないぐらいとは時の流れ方が違うのだ。</p>
<p>さて。時は4月3日、独逸はベルリン東駅、午後2時50分頃へと時計の針を戻すことにしよう。</p>
<p>そんなわけできりがいいところでまた自戒。ごーん。</p>
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		<title>ター、ター。</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 19:47:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
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		<description><![CDATA[さて。夏はいったいどこへいってしまったか、という天気だけれど、突如雨のガリチアから初夏のガリチアへ、記憶は飛ぶ飛ぶ。ベルリンは現在午後９時半で、小雨、17度か。肌寒い。今年の夏はめためたに暑いところにいってもいいのでは、と思ったりもしている。というとどこだ、アラビア半島か、それともアフリカか、中央アジアか。さて。（以下昨年８月アップのログ） ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ダー，ダー。 ベルリンでもこのダー、ダーを良く耳にはしないだろうか。ダー、ダー、と大きな声が聞こえてきた先にいるのは、たいてい、大声で携帯電話にむかって喋りかけるロシア人。 ターク、ターク。 ベルリンでは、このターク、ターク、もよく耳にする。その先にいるのは、ポーランド人。ロシア人に負けず劣らず、声も図体もでかいし、同国人と集団 行動することが大好きなゆえ、彼らもよく目立つ。その上通称ポラーケ（独逸人のポーランド人に対する蔑称、チェコ語やポーランド語ではポラークという）にカテゴライズされる人々は独特の威風をほこる。 彼らはトルコ人やヴェトナム人とならんでベルリンの4大マイノリティーを形成している。この彼らのダー、ダーとターク、タークを耳にしない日はないぐらいだ。 このダー、ダーとターク、タークの二カ国にはさまれてあるウクライナでは、特に西ウクライナ、ガリチアとよばれている地方では少し異なる。 ター、ター。 先日ショークヴァを訪ねた日のことを書いたけれど、今回はその次の週の話。 暗く雨にぬれた春が始まりかけたガリチアから初夏のクリミアへ。そして、そのクリミアからまたしてもガリチアへ帰還。ショークヴァでの曇り空から一転、一週間後のガリチアの空には雲一つなかった。照りつけるような日差し。ガリチアの夏はかくもきびしいのかと思わせるような初夏の雰囲気ただよう一日。古くはサッハー・マソッホ、そして20世紀にはいってはヨーゼフ・ロートやブルーノ・シュルツ。彼らの描くガリチアは、曇り空の下の湿った隙間だらけの穴ぼこだらけの石畳の路地よりも、ぎらぎらと照りつける太陽とその下でひからびた埃まみれた大地を真っ先に思い起こさせる。 そのロートの生まれ故郷であるブロディへ小生は向かっていた。リヴィウから北東に約80㌔程の道程。 リヴィウからブロディへ向かう中型のマルシュルートゥカは毎度のことながら満員で、車内はあっという間にうだるような暑さになった。4月でこれほど暑さならば、夏はどれほど暑くなるのだ、と思わせるほどだった。クーラーなど、もちろん、ある場所は限られている。 ブロディは、ロートが1920年代にフランクフルター・ツァイトゥングに寄稿した「ガリチアを旅して Reise durch Galizien」に記した通りの憂鬱な軒の低い建物が連なる街並み、ユダヤ人が人口の多数を占めるかつてシュテーテルとよばれていたような典型的な田舎街だった。町並みは正直いって美しくもないし、そして、ロートが何度も強調していたように、なんの特徴もない。これで雲が低くたれ込め雨が降りしきれば 憂鬱この上なかろう。ロートにまつわる痕跡をこの街に期待していた小生は良くも悪くも予期していた通りの軒の低い建物が並ぶ、やはり埃にまみれた通りをくぐり抜けながら、過去100年にこの街でどれほどの変化があったのだろう、と想像した。 よくも悪くも期待していていたようなガリチアのシュテーテルの憂鬱を充分に感じることができたが。 この旅ではガリチア出身の作家、特にロートやシュルツの生まれ故郷訪問がテーマの一つだったのだけれど、よくも悪くも観光という言葉とはまるで縁がない中欧の東の果て、あるいはヨーロッパが果ててアジアがはじまるともいえるような地域を旅しながら、これから先、十年先、どれほどの変化がもたらされるのだろうと思う。 変化はあったのかもしれない。 けれど。ベルリンからやってきた日本人にとってはそこは地の果てでもあった。もちろんガリチアから広大なユーラシア大陸がはじまるといってもよいのだけれど。インゲボルク・バッハマンだったか、ドナウ川の向こう側からサルマチアが、そしてアジアが始まるといったのは。その伝説の国サルマチアがあったのは、そもそも現在でいうガリチアのあたりといわれている。 ブローディではその街の規模と比して、かなり大きなシナゴーグの廃墟に出くわした。シュルツの故郷であり、彼がナチによって突如路上でその命を奪われるまでの50年にも満たない一生の殆どを過ごしたドロホヴィツィにも巨大なシナゴーグの廃墟があった。どちらも街の只中にあるにもかかわらず、誰にも顧みられることもなく、静かに自然に帰ろうとしていた。 ロートとシュルツの故郷を尋ねた日は折しも４月にしては夏を思わせる日差しが照りつけていた。雨が降りしきるより遥かにまし。もちろん、ガリチアとメランコリー、そういった小生のステレオタイプとはまるで違った日差し。 そんな初夏のブローディを後にして、小生は再びリヴィウへと向かうマルシュルートゥカの車上にあった。リヴィウから10分ほど車をはしらせて左手の丘に大きな城を思わせる建物が目にはいった。すでにブロディへの途上その城を目にしていた。 ピドヒルツィ、とバスの停留所にあった。その停留所に止まったバスから迷わず飛び降りた。停留場のある道の左右両側は満開になった菜の花に包まれていた。その城のある丘のある方にむかって畑の間の小道を歩き出した。 あいもかわらず初夏の日差しは厳しかった。それでも、雲一つなく晴れ渡ったガリチアの初夏の大地を歩む足は軽く、その美しい風景を楽しみながら、いつしか城がある丘の下の小さな村にたどり着いた。 ふと小生は直観から道を左にとったが、いつのまにかコルホーズらしき農場の中に入ってしまった。ふと横をみると、コルホーズの従業員と思しき兄貴が小生をみている。とっさに、城へは、と訪ねる。すると、兄貴は反対側の出口をでて左だ。まっすぐだ。簡単だ。まちがえんな。という。 しかし、コルホーズをでて東側へ向かう道は確かに丘の上に向かうようではあったけれど、実際は穴ぼこでだらけですぐ先からは薮の中でとても道とよべ るようなものではない。しばし、左右を見渡すと、側にある家の庭には大勢人が見える。庭でパーティーでもやっているようだった。道を尋ねるべくそちらのほうに足をむけようとすると、すると、背後から車が一台やってきて小生の背後でとまる。そのドライバーの若い兄貴に道を訪ねるが要領をえない。城はたしかにもう真上に見えるのだが。 ここで女の子達をまってるんだがね、城のほうからくるはずだから、この道で間違いないはずなんだけどさ、とかいう。その兄貴が喋っていたのはウクライナ語ではなくてロシア語だった。 そうこうするうちに庭にいた一人が小生たちに気がついてこちらへ向かってきて、あんちゃんたち、城へいきたいのか。だったら、もどって、コルホーズの向こうにある道が城の正面へ通じとるぎゃ、と。 しかし、そんな遠回りをするのか、といぶかしんだ小生は、いやいや、城に上がるのは僕だけで、この道歩いて城にいけますんかいな、と尋ねると、ほんだらこの道ずっとあがっていくだけだぎゃ、という。prjama（ロシア語でまっすぐ）でんなと、いう小生に対して、おっさんは、そうだぎゃ、 prosto(ウクライナ語とポーランド語でまっすぐ？）だぎゃ、という。 ロシア語とウクライナ語の短いやりとりを経て、小生は城に向かう坂道へととりかかる。穴ぼこだらけで道の勾配は険しい。 すると目の前から背の高いブロンドの女性が鶏のようにひょこひょこと小刻みに足を前に運びながら道をくだってくるのが見えた。ものすごい高いハイヒールをはいているのが遠目にもわかった。 ウクライナ美女とハイヒール。クリシェともいえる組み合わせ。 とはいえ、正面から歩いてくるのはものすごい美女だった。ウクライナでもこのガリチア近辺でしかみかけない。正直なところ西ヨーロッパではほぼお目にかかることはないスタイルと美貌が完璧な形でそろった女性が高い割合でこのガリチアにはいるような気がする。独逸人などとは比べ物にならぬ。 ガリチアはヨーロッパでも指折りの美男美女の地なのかもしれないと思う時がある。 マゾヒズムの語源となった独逸語作家のレオポルド・サッハー・マソッホもガリチアの首都リヴィウの生まれだ。その彼もカルパチアの山の麓のガリチアは絶世の美女を産する地とあちこちで書いている。そんな彼が「毛皮を着たヴィーナス」をはじめとした、ガリチアの美女をテーマにした哲学的（！）妄想小説 の数々を書いたのもさもあらん、と納得するぐらいの美女が時々やはりこの地にはいるのかもしれない。 すれ違い際、城へいくにはこの道で間違いないね、と小生は尋ねる。するとすれ違い際の美女は顔をあげて小生を見て微笑みながらこう言う。 ター、ター。 あの「ター、ター」を今頭の中で反芻しながら、あれは天使が小生の際を通り過ぎた一瞬のささやきではないか、と今でも思うことがある。  &#8230;]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>さて。夏はいったいどこへいってしまったか、という天気だけれど、突如雨のガリチアから初夏のガリチアへ、記憶は飛ぶ飛ぶ。ベルリンは現在午後９時半で、小雨、17度か。肌寒い。今年の夏はめためたに暑いところにいってもいいのでは、と思ったりもしている。というとどこだ、アラビア半島か、それともアフリカか、中央アジアか。さて。（以下昨年８月アップのログ）</p>
<p><span id="more-28"></span></p>
<p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p>
<p>ダー，ダー。</p>
<p>ベルリンでもこのダー、ダーを良く耳にはしないだろうか。ダー、ダー、と大きな声が聞こえてきた先にいるのは、たいてい、大声で携帯電話にむかって喋りかけるロシア人。</p>
<p>ターク、ターク。</p>
<p>ベルリンでは、このターク、ターク、もよく耳にする。その先にいるのは、ポーランド人。ロシア人に負けず劣らず、声も図体もでかいし、同国人と集団 行動することが大好きなゆえ、彼らもよく目立つ。その上通称ポラーケ（独逸人のポーランド人に対する蔑称、チェコ語やポーランド語ではポラークという）にカテゴライズされる人々は独特の威風をほこる。</p>
<p>彼らはトルコ人やヴェトナム人とならんでベルリンの4大マイノリティーを形成している。この彼らのダー、ダーとターク、タークを耳にしない日はないぐらいだ。</p>
<p>このダー、ダーとターク、タークの二カ国にはさまれてあるウクライナでは、特に西ウクライナ、ガリチアとよばれている地方では少し異なる。</p>
<p>ター、ター。</p>
<p>先日ショークヴァを訪ねた日のことを書いたけれど、今回はその次の週の話。</p>
<p>暗く雨にぬれた春が始まりかけたガリチアから初夏のクリミアへ。そして、そのクリミアからまたしてもガリチアへ帰還。ショークヴァでの曇り空から一転、一週間後のガリチアの空には雲一つなかった。照りつけるような日差し。ガリチアの夏はかくもきびしいのかと思わせるような初夏の雰囲気ただよう一日。古くはサッハー・マソッホ、そして20世紀にはいってはヨーゼフ・ロートやブルーノ・シュルツ。彼らの描くガリチアは、曇り空の下の湿った隙間だらけの穴ぼこだらけの石畳の路地よりも、ぎらぎらと照りつける太陽とその下でひからびた埃まみれた大地を真っ先に思い起こさせる。</p>
<p>そのロートの生まれ故郷であるブロディへ小生は向かっていた。リヴィウから北東に約80㌔程の道程。</p>
<p>リヴィウからブロディへ向かう中型のマルシュルートゥカは毎度のことながら満員で、車内はあっという間にうだるような暑さになった。4月でこれほど暑さならば、夏はどれほど暑くなるのだ、と思わせるほどだった。クーラーなど、もちろん、ある場所は限られている。</p>
<p>ブロディは、ロートが1920年代にフランクフルター・ツァイトゥングに寄稿した「ガリチアを旅して Reise durch Galizien」に記した通りの憂鬱な軒の低い建物が連なる街並み、ユダヤ人が人口の多数を占めるかつてシュテーテルとよばれていたような典型的な田舎街だった。町並みは正直いって美しくもないし、そして、ロートが何度も強調していたように、なんの特徴もない。これで雲が低くたれ込め雨が降りしきれば 憂鬱この上なかろう。ロートにまつわる痕跡をこの街に期待していた小生は良くも悪くも予期していた通りの軒の低い建物が並ぶ、やはり埃にまみれた通りをくぐり抜けながら、過去100年にこの街でどれほどの変化があったのだろう、と想像した。</p>
<p>よくも悪くも期待していていたようなガリチアのシュテーテルの憂鬱を充分に感じることができたが。</p>
<p>この旅ではガリチア出身の作家、特にロートやシュルツの生まれ故郷訪問がテーマの一つだったのだけれど、よくも悪くも観光という言葉とはまるで縁がない中欧の東の果て、あるいはヨーロッパが果ててアジアがはじまるともいえるような地域を旅しながら、これから先、十年先、どれほどの変化がもたらされるのだろうと思う。</p>
<p>変化はあったのかもしれない。</p>
<p>けれど。ベルリンからやってきた日本人にとってはそこは地の果てでもあった。もちろんガリチアから広大なユーラシア大陸がはじまるといってもよいのだけれど。インゲボルク・バッハマンだったか、ドナウ川の向こう側から<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4">サルマチア</a>が、そしてアジアが始まるといったのは。その伝説の国サルマチアがあったのは、そもそも現在でいうガリチアのあたりといわれている。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9829.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-165" title="Synagogue, Brody, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9829-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></p>
<p>ブローディではその街の規模と比して、かなり大きなシナゴーグの廃墟に出くわした。シュルツの故郷であり、彼がナチによって突如路上でその命を奪われるまでの50年にも満たない一生の殆どを過ごしたドロホヴィツィにも巨大なシナゴーグの廃墟があった。どちらも街の只中にあるにもかかわらず、誰にも顧みられることもなく、静かに自然に帰ろうとしていた。</p>
<p>ロートとシュルツの故郷を尋ねた日は折しも４月にしては夏を思わせる日差しが照りつけていた。雨が降りしきるより遥かにまし。もちろん、ガリチアとメランコリー、そういった小生のステレオタイプとはまるで違った日差し。</p>
<p>そんな初夏のブローディを後にして、小生は再びリヴィウへと向かうマルシュルートゥカの車上にあった。リヴィウから10分ほど車をはしらせて左手の丘に大きな城を思わせる建物が目にはいった。すでにブロディへの途上その城を目にしていた。</p>
<p>ピドヒルツィ、とバスの停留所にあった。その停留所に止まったバスから迷わず飛び降りた。停留場のある道の左右両側は満開になった菜の花に包まれていた。その城のある丘のある方にむかって畑の間の小道を歩き出した。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9858.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-166" title="Pidhirsti, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9858-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>あいもかわらず初夏の日差しは厳しかった。それでも、雲一つなく晴れ渡ったガリチアの初夏の大地を歩む足は軽く、その美しい風景を楽しみながら、いつしか城がある丘の下の小さな村にたどり着いた。</p>
<p>ふと小生は直観から道を左にとったが、いつのまにかコルホーズらしき農場の中に入ってしまった。ふと横をみると、コルホーズの従業員と思しき兄貴が小生をみている。とっさに、城へは、と訪ねる。すると、兄貴は反対側の出口をでて左だ。まっすぐだ。簡単だ。まちがえんな。という。</p>
<p>しかし、コルホーズをでて東側へ向かう道は確かに丘の上に向かうようではあったけれど、実際は穴ぼこでだらけですぐ先からは薮の中でとても道とよべ るようなものではない。しばし、左右を見渡すと、側にある家の庭には大勢人が見える。庭でパーティーでもやっているようだった。道を尋ねるべくそちらのほうに足をむけようとすると、すると、背後から車が一台やってきて小生の背後でとまる。そのドライバーの若い兄貴に道を訪ねるが要領をえない。城はたしかにもう真上に見えるのだが。</p>
<p>ここで女の子達をまってるんだがね、城のほうからくるはずだから、この道で間違いないはずなんだけどさ、とかいう。その兄貴が喋っていたのはウクライナ語ではなくてロシア語だった。</p>
<p>そうこうするうちに庭にいた一人が小生たちに気がついてこちらへ向かってきて、あんちゃんたち、城へいきたいのか。だったら、もどって、コルホーズの向こうにある道が城の正面へ通じとるぎゃ、と。</p>
<p>しかし、そんな遠回りをするのか、といぶかしんだ小生は、いやいや、城に上がるのは僕だけで、この道歩いて城にいけますんかいな、と尋ねると、ほんだらこの道ずっとあがっていくだけだぎゃ、という。prjama（ロシア語でまっすぐ）でんなと、いう小生に対して、おっさんは、そうだぎゃ、 prosto(ウクライナ語とポーランド語でまっすぐ？）だぎゃ、という。</p>
<p>ロシア語とウクライナ語の短いやりとりを経て、小生は城に向かう坂道へととりかかる。穴ぼこだらけで道の勾配は険しい。</p>
<p>すると目の前から背の高いブロンドの女性が鶏のようにひょこひょこと小刻みに足を前に運びながら道をくだってくるのが見えた。ものすごい高いハイヒールをはいているのが遠目にもわかった。</p>
<p>ウクライナ美女とハイヒール。クリシェともいえる組み合わせ。</p>
<p>とはいえ、正面から歩いてくるのはものすごい美女だった。ウクライナでもこのガリチア近辺でしかみかけない。正直なところ西ヨーロッパではほぼお目にかかることはないスタイルと美貌が完璧な形でそろった女性が高い割合でこのガリチアにはいるような気がする。独逸人などとは比べ物にならぬ。</p>
<p>ガリチアはヨーロッパでも指折りの美男美女の地なのかもしれないと思う時がある。</p>
<p>マゾヒズムの語源となった独逸語作家のレオポルド・サッハー・マソッホもガリチアの首都リヴィウの生まれだ。その彼もカルパチアの山の麓のガリチアは絶世の美女を産する地とあちこちで書いている。そんな彼が「毛皮を着たヴィーナス」をはじめとした、ガリチアの美女をテーマにした哲学的（！）妄想小説 の数々を書いたのもさもあらん、と納得するぐらいの美女が時々やはりこの地にはいるのかもしれない。</p>
<p>すれ違い際、城へいくにはこの道で間違いないね、と小生は尋ねる。するとすれ違い際の美女は顔をあげて小生を見て微笑みながらこう言う。</p>
<p>ター、ター。</p>
<p>あの「ター、ター」を今頭の中で反芻しながら、あれは天使が小生の際を通り過ぎた一瞬のささやきではないか、と今でも思うことがある。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>ショークヴァへ向かいながら。</title>
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		<pubDate>Thu, 30 Jun 2011 12:25:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Berlin-Neukölln]]></category>
		<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[突如曇り空のベルリン。現在正午過ぎ、気温15度。曇り時々小雨。明日あたりから北海上の曇り空でも見に行くかな。ではでは、又自戒。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ （昨年７月末にアップのログ） ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。 こんな天気の時はいつも北ヨーロッパあるいは中欧を旅している時を思い出す。オランダはアムステルダムにはじめて降り立った時。もう十年以上前。アメリカ周りで着いたオランダは雨にぬれていた。雨がふりしきったアムステルダムの中央駅に立って、はやいとここんな街から出て行かねば、とおもったほど分厚い雲に覆われたアムステルダム。憂鬱な気分をかきたてられるも、その後むかったバルト三国では雨に降られ続き、４月頭の大雪にも見舞われ、日中でもエストニアのタリンではマイナス20度にもなった。 そんな中でもポーランドは特に曇り空が特に似合う。というよりも、小生が当地を旅する時、いつもそこは曇り空。雨はふりやまず。寒さに震えた夜行列車の中。ポーランドに太陽の日差しは似合わない。小生の記憶の中でのポーランドは特にそうだ。 ウクライナにはこれまで2度いったことがある。2005年の10月と2009年4月。どちらも旅の前半は天気にめぐまれるも後半は雨に降り続ける。 キエフ、チェルニーフィッツィ、リビウ、すべて曇り空の下。鶏が道ばたを飛び跳ねる道端。 ガリチアの曇り空の下。それともそれはブコヴィナだったか。ウクライナ側の北ブコヴィナにいた三日間。ルーマニア側の南ブコヴィナにいたのは2008年の春。その時もひたすら雨に降られた。北ブコヴィナの2005年10月は信じられないぐらい肌寒かった。それでも宿をとったチェルニーフィッチの宿はバスタブがあった。水はひたすらくさかったが、それでもバスタブに身を沈めて暖まった体でその日は熟睡した。 2009年4月。長い曇り空に覆われたベルリンの3月が過ぎ、4月になって突如夏模様のベルリンを後にし、小生はクリミアへ一路向かっていた。シレジアを貫く高速道路の上は青空。ヴロツワフから眠れぬ夜行列車で一夜をあかして着いたプシェミスルの中央駅は曇り空の下だった。国境の駅到着の前の夜行列車はウクライナからの労働者たちの群で満員だった。夜行列車を降り、駅の裏側へと急ぐのは他の誰もが同じ。向かう先はウクライナへの国境通過点。欧州連合の最東端にある場所の一つ。 国境の検問所の上の空は案の定曇り空。これから向かう先。ウクライナ。多少のメランコリーは必要なのだ。さもなくば、これから出くわすことになるガリチアの憂鬱な大地には到底堪えられない。 国境を越えた小生を出迎えたのは、3年半前と特に変わらないウクライナの国境の街の風景だった。シェンヒーニ。ロシア人はシェンギーニというはず。ウクライナ語とチェコ語、むしろスロヴァキア語に見いだせる類似点。その点にウクライナは中欧の一部だと感じさせられる。 リヴィウ到着後も雨が降りしきった。宿に荷物をおろしても、小生は夕方雨が降り止むまで宿を出なかった。その次の日も朝から雨が降りしきった。その次の日はクリミアに向かうことになっていた。空路で。帰り道、再度リヴィウを経由することは明らかだった。帰るころに天気が好転していればまた街歩きに繰り出せるだろう。そう思って、リヴィウから少し出てみようとおもった。 こうして小生はショークヴァというリヴィウから北西に２０㌔ほど離れた町へ向かうバスの車上の人となった。Zhovkva、 ウクライナ語の綴りで、Жовква、ポーランド語、Żółkiew、イディッシュ語ではZholkvaと綴る。ガリチアはヨーロッパでも一番ユダヤ人の 人口の割合が多い界隈だった。もちろん1940年代までの話だ。ガリチアはその上、1945年までは民族図はポーランド人とウクライナ人とユダヤ人で三分 割できるぐらいだった。ニューヨークタイムズのホームページにこの街を紹介する興味深い記事があるので興味のある方は一読あれ。 ショークヴァへと向かう道筋は雨にぬれていた。30分ほどのバスの旅の後、ついた街というよりも村、村というよりは多少大きい。かつてオスマン・トルコとの戦いで名前をなしたヤン・ソビェスキの曾祖父であるスタニスワフ・ジュウキェフスキの居城のあった街でもあった。そんなトルコとの戦いのために作られた城や要塞はガリチアにはいまだ多数残っている。もちろん、多くは廃墟として自然にかえりつつあるが。 小生の乗ったバスはバスターミナルというにはあまりにもひなびた駐車場の片隅に止まった。雨はいつのまにかやんでいた、と記憶している。バスから降りた小生を迎えたのは数匹の野良犬だった。早速人工衛星のように小生のまわりをぐるぐる周りながら吠えかけていた野良犬も、小生からは何も期待できない、と見て取られるや、また停車場の片隅にまた座り込んでしまった。 野良犬から解放された小生は停車場を後にして、歩を進める。目の前には黒ずんだ外壁の、古い建物が街路樹の間から姿を現わした。一目でそれがシナゴーグだとわかった。それにしてもこの小さな町にはなかなか華やかなファサードをもったシナゴーグ、しかも歴史のある建物であることがわかった。ルネッサンス式の。このシナゴーグは17世紀末に建造されたという。ガリチアにあるシナゴーグはこんな様式のものがおおい。ポーランド側の国境をまたいで100㌔と離れていないザモシチにも似たようなスタイルで建造されたシナゴーグがある。ザモシチはもちろん中欧を代表するルネッサンス式の街。ショークヴァもほぼ同時期に建造されたルネッサンス式の立派な大きさの城があった。 それでもその城は廃墟も同然だった。多分、１０年もたてば変わるだろう、いやなにも変わらないのかもしれない。ここは地の果てなのだ。中欧の果てにはそんなメランコリーがいつもある。いつも違う場所で。でも同じメランコリーを味わうことになる。 そんなメランコリーはいつもそんな雨降りの空の下の湿った大地にいる自分を思い起こす時に突如呼び起こされる。雨にぬれたショークヴァのシナゴーグを思い出しながら、ベルリンの今現在の曇り空はあのガリチアの曇り空と朽ち果てるのを待つだけのシナゴーグのある街並みへとつながっているのだ。そして、その町並みの向こうにはなにがあるのだろう、と想像する。それが知りたくて、いつもベルリンからは東へと向かう。そんなものだ。 では又自戒。夏がまたくることを願いながら。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p></p><br /><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>突如曇り空のベルリン。現在正午過ぎ、気温15度。曇り時々小雨。明日あたりから北海上の曇り空でも見に行くかな。ではでは、又自戒。</p>
<p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br />
<strong>（昨年７月末にアップのログ）</strong><br />
ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。<span id="more-26"></span></p>
<p>こんな天気の時はいつも北ヨーロッパあるいは中欧を旅している時を思い出す。オランダはアムステルダムにはじめて降り立った時。もう十年以上前。アメリカ周りで着いたオランダは雨にぬれていた。雨がふりしきったアムステルダムの中央駅に立って、はやいとここんな街から出て行かねば、とおもったほど分厚い雲に覆われたアムステルダム。憂鬱な気分をかきたてられるも、その後むかったバルト三国では雨に降られ続き、４月頭の大雪にも見舞われ、日中でもエストニアのタリンではマイナス20度にもなった。</p>
<p>そんな中でもポーランドは特に曇り空が特に似合う。というよりも、小生が当地を旅する時、いつもそこは曇り空。雨はふりやまず。寒さに震えた夜行列車の中。ポーランドに太陽の日差しは似合わない。小生の記憶の中でのポーランドは特にそうだ。</p>
<p>ウクライナにはこれまで2度いったことがある。2005年の10月と2009年4月。どちらも旅の前半は天気にめぐまれるも後半は雨に降り続ける。 キエフ、チェルニーフィッツィ、リビウ、すべて曇り空の下。鶏が道ばたを飛び跳ねる道端。<br />
ガリチアの曇り空の下。それともそれはブコヴィナだったか。ウクライナ側の北ブコヴィナにいた三日間。ルーマニア側の南ブコヴィナにいたのは2008年の春。その時もひたすら雨に降られた。北ブコヴィナの2005年10月は信じられないぐらい肌寒かった。それでも宿をとったチェルニーフィッチの宿はバスタブがあった。水はひたすらくさかったが、それでもバスタブに身を沈めて暖まった体でその日は熟睡した。</p>
<p>2009年4月。長い曇り空に覆われたベルリンの3月が過ぎ、4月になって突如夏模様のベルリンを後にし、小生はクリミアへ一路向かっていた。シレジアを貫く高速道路の上は青空。ヴロツワフから眠れぬ夜行列車で一夜をあかして着いたプシェミスルの中央駅は曇り空の下だった。国境の駅到着の前の夜行列車はウクライナからの労働者たちの群で満員だった。夜行列車を降り、駅の裏側へと急ぐのは他の誰もが同じ。向かう先はウクライナへの国境通過点。欧州連合の最東端にある場所の一つ。</p>
<p>国境の検問所の上の空は案の定曇り空。これから向かう先。ウクライナ。多少のメランコリーは必要なのだ。さもなくば、これから出くわすことになるガリチアの憂鬱な大地には到底堪えられない。</p>
<p>国境を越えた小生を出迎えたのは、3年半前と特に変わらないウクライナの国境の街の風景だった。シェンヒーニ。ロシア人はシェンギーニというはず。ウクライナ語とチェコ語、むしろスロヴァキア語に見いだせる類似点。その点にウクライナは中欧の一部だと感じさせられる。</p>
<p>リヴィウ到着後も雨が降りしきった。宿に荷物をおろしても、小生は夕方雨が降り止むまで宿を出なかった。その次の日も朝から雨が降りしきった。その次の日はクリミアに向かうことになっていた。空路で。帰り道、再度リヴィウを経由することは明らかだった。帰るころに天気が好転していればまた街歩きに繰り出せるだろう。そう思って、リヴィウから少し出てみようとおもった。</p>
<p>こうして小生はショークヴァというリヴィウから北西に２０㌔ほど離れた町へ向かうバスの車上の人となった。Zhovkva、 ウクライナ語の綴りで、Жовква、ポーランド語、Żółkiew、イディッシュ語ではZholkvaと綴る。ガリチアはヨーロッパでも一番ユダヤ人の 人口の割合が多い界隈だった。もちろん1940年代までの話だ。ガリチアはその上、1945年までは民族図はポーランド人とウクライナ人とユダヤ人で三分 割できるぐらいだった。<a href="http://www.nytimes.com/2009/01/12/travel/12iht-gruber.1.19272643.html?_r=1">ニューヨークタイムズのホームページ</a>にこの街を紹介する興味深い記事があるので興味のある方は一読あれ。</p>
<div id="fc_id_795"><strong>ショークヴァ</strong>へと向かう道筋は雨にぬれていた。30分ほどのバスの旅の後、ついた街というよりも村、村というよりは多少大きい。かつてオスマン・トルコとの戦いで名前をなした<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B33%E4%B8%96_%28%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B%29">ヤン・ソビェスキ</a>の曾祖父である<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%82%AD%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD">スタニスワフ・ジュウキェフスキ</a>の居城のあった街でもあった。そんなトルコとの戦いのために作られた城や要塞はガリチアにはいまだ多数残っている。もちろん、多くは廃墟として自然にかえりつつあるが。</div>
<div><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/IMG_9389.jpg"><img class="size-medium wp-image-162" title="Zhokva, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/IMG_9389-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></div>
<p>小生の乗ったバスはバスターミナルというにはあまりにもひなびた駐車場の片隅に止まった。雨はいつのまにかやんでいた、と記憶している。バスから降りた小生を迎えたのは数匹の野良犬だった。早速人工衛星のように小生のまわりをぐるぐる周りながら吠えかけていた野良犬も、小生からは何も期待できない、と見て取られるや、また停車場の片隅にまた座り込んでしまった。</p>
<p>野良犬から解放された小生は停車場を後にして、歩を進める。目の前には黒ずんだ外壁の、古い建物が街路樹の間から姿を現わした。一目でそれがシナゴーグだとわかった。それにしてもこの小さな町にはなかなか華やかなファサードをもったシナゴーグ、しかも歴史のある建物であることがわかった。ルネッサンス式の。このシナゴーグは17世紀末に建造されたという。ガリチアにあるシナゴーグはこんな様式のものがおおい。ポーランド側の国境をまたいで100㌔と離れていないザモシチにも似たようなスタイルで建造されたシナゴーグがある。ザモシチはもちろん中欧を代表するルネッサンス式の街。ショークヴァもほぼ同時期に建造されたルネッサンス式の立派な大きさの城があった。</p>
<p>それでもその城は廃墟も同然だった。多分、１０年もたてば変わるだろう、いやなにも変わらないのかもしれない。ここは地の果てなのだ。中欧の果てにはそんなメランコリーがいつもある。いつも違う場所で。でも同じメランコリーを味わうことになる。</p>
<p>そんなメランコリーはいつもそんな雨降りの空の下の湿った大地にいる自分を思い起こす時に突如呼び起こされる。雨にぬれた<strong>ショークヴァ</strong>のシナゴーグを思い出しながら、ベルリンの今現在の曇り空はあのガリチアの曇り空と朽ち果てるのを待つだけのシナゴーグのある街並みへとつながっているのだ。そして、その町並みの向こうにはなにがあるのだろう、と想像する。それが知りたくて、いつもベルリンからは東へと向かう。そんなものだ。</p>
<p>では又自戒。夏がまたくることを願いながら。</p>
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