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	<title>Lügenlernen &#187; ベルリン</title>
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	<description>人間万事塞翁が馬</description>
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		<title>ベルリンを聴く。Weinerei, Fehrbelliner Straße, Berlin-Mitte, 2010年3月1日。</title>
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		<pubDate>Mon, 11 Jul 2011 10:26:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Listen to Berlin]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[最近聞いてみたらおもしろかったのでアップ。これも一年以上前のホームページがクラッシュする以前の記事。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 昔日本にいるころ良く集音マイクとMDをもってよく東京都内津々浦々をサンプリングと証しながら色々音を集めてまわっていたのだけれど、そんなこと もベルリンに来て以来、いつしかしなくなって久しい。最近、いつももって歩いていたフィルムカメラが二台とも壊れて、すでに2ヶ月くらいになるのだけれど、そんなわけで写真もとらなくなった。デジカメは相変わらず持ち歩いているのだが、当然のことながら満足のいく像はえられないし、最近はやたら動画をとることにしか使っていない。 とった動画の映像をみていると、（いうまでもなくデジカメの動画機能でとったものだから像の質は当然のことながらよくはない）、意外や意外、録音された音 の方にこそむしろ関心がゆく。人間の目とカメラとの関係同様、人間の耳とはまた別の音をカメラは録ったりもする。そしてその録った音からその音が録れれた 場所の像をイメージする、そして、ロゴスから出力する、という作業を今、バルカンでとったビデオを見ながら行っている最中なのだけれど、それを突然ベルリンでもやってみたくなった。 音から実際その音が録られた場所をイメージするには、実際に聞こえたこと、そして、録られた場所などの限られた情報から推理するしかない。それこそ、自分の想像力の随を総動員しなくてはならない。あたられたイメージからではあたられたイメージ以上のことを膨らませることはできない。聴くということからイメージを形象するには相当の想像力が必要なはずだ。しかし、音も、ある一つの場を織りなすひとつのイメージの構成要素となる。そんな人間の知覚のうちのひとつから一つの街の像なるものを作りだす、そんな試みをいつかはやってみようとおもってなかなか実現しなかった、あるいは、そういう機会にめぐまれなかったいうべきか、技術的な問題もあって、そんなわけで録った素材もで忘却の淵。そういう素材もそのうち復活させることも考えながら、ここのところ肌身欠かさず持ち歩いているipodtouchについているヴォイスレコーダーで試しにそのカフェの音を録ってみれば、おもった以上にかなり音がひろえることがわかり、今日のベルリンの日常初サンプリング。場所はMitte最後のDigital Bohemienの拠点のひとつ、もといこの界隈の古典ともなりつつあるWeinerei Cafe。なにが聞こえるだろう？どんなカフェを想像する？ 1. March 2010, Weinerei, Fehrbelliner Straße, Berlin-Mitte by Luegenlernen ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>最近聞いてみたらおもしろかったのでアップ。これも一年以上前のホームページがクラッシュする以前の記事。<br />
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p>
<p>昔日本にいるころ良く集音マイクとMDをもってよく東京都内津々浦々をサンプリングと証しながら色々音を集めてまわっていたのだけれど、そんなこと もベルリンに来て以来、いつしかしなくなって久しい。最近、いつももって歩いていたフィルムカメラが二台とも壊れて、すでに2ヶ月くらいになるのだけれど、そんなわけで写真もとらなくなった。デジカメは相変わらず持ち歩いているのだが、当然のことながら満足のいく像はえられないし、最近はやたら動画をとることにしか使っていない。<span id="more-55"></span><br />
とった動画の映像をみていると、（いうまでもなくデジカメの動画機能でとったものだから像の質は当然のことながらよくはない）、意外や意外、録音された音 の方にこそむしろ関心がゆく。人間の目とカメラとの関係同様、人間の耳とはまた別の音をカメラは録ったりもする。そしてその録った音からその音が録れれた 場所の像をイメージする、そして、ロゴスから出力する、という作業を今、バルカンでとったビデオを見ながら行っている最中なのだけれど、それを突然ベルリンでもやってみたくなった。</p>
<p>音から実際その音が録られた場所をイメージするには、実際に聞こえたこと、そして、録られた場所などの限られた情報から推理するしかない。それこそ、自分の想像力の随を総動員しなくてはならない。あたられたイメージからではあたられたイメージ以上のことを膨らませることはできない。聴くということからイメージを形象するには相当の想像力が必要なはずだ。しかし、音も、ある一つの場を織りなすひとつのイメージの構成要素となる。そんな人間の知覚のうちのひとつから一つの街の像なるものを作りだす、そんな試みをいつかはやってみようとおもってなかなか実現しなかった、あるいは、そういう機会にめぐまれなかったいうべきか、技術的な問題もあって、そんなわけで録った素材もで忘却の淵。そういう素材もそのうち復活させることも考えながら、ここのところ肌身欠かさず持ち歩いているipodtouchについているヴォイスレコーダーで試しにそのカフェの音を録ってみれば、おもった以上にかなり音がひろえることがわかり、今日のベルリンの日常初サンプリング。場所はMitte最後のDigital Bohemienの拠点のひとつ、もといこの界隈の古典ともなりつつあるWeinerei Cafe。なにが聞こえるだろう？どんなカフェを想像する？</p>
<p><object height="81" width="100%"><param name="movie" value="http://player.soundcloud.com/player.swf?url=http%3A%2F%2Fapi.soundcloud.com%2Ftracks%2F1835644&amp;show_comments=true&amp;auto_play=false&amp;color=c86ce0"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param> <embed allowscriptaccess="always" height="81" src="http://player.soundcloud.com/player.swf?url=http%3A%2F%2Fapi.soundcloud.com%2Ftracks%2F1835644&amp;show_comments=true&amp;auto_play=false&amp;color=c86ce0" type="application/x-shockwave-flash" width="100%"></embed></object>   <span><a href="http://soundcloud.com/luegenlernen/1-march-2010-weinerei-invalidenstr-berlin-mitte">1. March 2010, Weinerei, Fehrbelliner Straße, Berlin-Mitte</a> by <a href="http://soundcloud.com/luegenlernen">Luegenlernen</a></span></p>
<p>ではまた自戒。</p>
<div class="shr-publisher-55"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F07%2F11%2F%25e3%2583%2599%25e3%2583%25ab%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25b3%25e3%2582%2592%25e8%2581%25b4%25e3%2581%258f%25e3%2580%2582weinerei-fehrbelliner-strase-berlin-mitte-2010%25e5%25b9%25b43%25e6%259c%25881%25e6%2597%25a5%25e3%2580%2582%2F' data-shr_title='%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%92%E8%81%B4%E3%81%8F%E3%80%82Weinerei%2C+Fehrbelliner+Stra%C3%9Fe%2C+Berlin-Mitte%2C+2010%E5%B9%B43%E6%9C%881%E6%97%A5%E3%80%82'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F07%2F11%2F%25e3%2583%2599%25e3%2583%25ab%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25b3%25e3%2582%2592%25e8%2581%25b4%25e3%2581%258f%25e3%2580%2582weinerei-fehrbelliner-strase-berlin-mitte-2010%25e5%25b9%25b43%25e6%259c%25881%25e6%2597%25a5%25e3%2580%2582%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F07%2F11%2F%25e3%2583%2599%25e3%2583%25ab%25e3%2583%25aa%25e3%2583%25b3%25e3%2582%2592%25e8%2581%25b4%25e3%2581%258f%25e3%2580%2582weinerei-fehrbelliner-strase-berlin-mitte-2010%25e5%25b9%25b43%25e6%259c%25881%25e6%2597%25a5%25e3%2580%2582%2F' data-shr_title='%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%92%E8%81%B4%E3%81%8F%E3%80%82Weinerei%2C+Fehrbelliner+Stra%C3%9Fe%2C+Berlin-Mitte%2C+2010%E5%B9%B43%E6%9C%881%E6%97%A5%E3%80%82'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>ター、ター。</title>
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		<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 19:47:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[ウクライナ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[さて。夏はいったいどこへいってしまったか、という天気だけれど、突如雨のガリチアから初夏のガリチアへ、記憶は飛ぶ飛ぶ。ベルリンは現在午後９時半で、小雨、17度か。肌寒い。今年の夏はめためたに暑いところにいってもいいのでは、と思ったりもしている。というとどこだ、アラビア半島か、それともアフリカか、中央アジアか。さて。（以下昨年８月アップのログ） ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ダー，ダー。 ベルリンでもこのダー、ダーを良く耳にはしないだろうか。ダー、ダー、と大きな声が聞こえてきた先にいるのは、たいてい、大声で携帯電話にむかって喋りかけるロシア人。 ターク、ターク。 ベルリンでは、このターク、ターク、もよく耳にする。その先にいるのは、ポーランド人。ロシア人に負けず劣らず、声も図体もでかいし、同国人と集団 行動することが大好きなゆえ、彼らもよく目立つ。その上通称ポラーケ（独逸人のポーランド人に対する蔑称、チェコ語やポーランド語ではポラークという）にカテゴライズされる人々は独特の威風をほこる。 彼らはトルコ人やヴェトナム人とならんでベルリンの4大マイノリティーを形成している。この彼らのダー、ダーとターク、タークを耳にしない日はないぐらいだ。 このダー、ダーとターク、タークの二カ国にはさまれてあるウクライナでは、特に西ウクライナ、ガリチアとよばれている地方では少し異なる。 ター、ター。 先日ショークヴァを訪ねた日のことを書いたけれど、今回はその次の週の話。 暗く雨にぬれた春が始まりかけたガリチアから初夏のクリミアへ。そして、そのクリミアからまたしてもガリチアへ帰還。ショークヴァでの曇り空から一転、一週間後のガリチアの空には雲一つなかった。照りつけるような日差し。ガリチアの夏はかくもきびしいのかと思わせるような初夏の雰囲気ただよう一日。古くはサッハー・マソッホ、そして20世紀にはいってはヨーゼフ・ロートやブルーノ・シュルツ。彼らの描くガリチアは、曇り空の下の湿った隙間だらけの穴ぼこだらけの石畳の路地よりも、ぎらぎらと照りつける太陽とその下でひからびた埃まみれた大地を真っ先に思い起こさせる。 そのロートの生まれ故郷であるブロディへ小生は向かっていた。リヴィウから北東に約80㌔程の道程。 リヴィウからブロディへ向かう中型のマルシュルートゥカは毎度のことながら満員で、車内はあっという間にうだるような暑さになった。4月でこれほど暑さならば、夏はどれほど暑くなるのだ、と思わせるほどだった。クーラーなど、もちろん、ある場所は限られている。 ブロディは、ロートが1920年代にフランクフルター・ツァイトゥングに寄稿した「ガリチアを旅して Reise durch Galizien」に記した通りの憂鬱な軒の低い建物が連なる街並み、ユダヤ人が人口の多数を占めるかつてシュテーテルとよばれていたような典型的な田舎街だった。町並みは正直いって美しくもないし、そして、ロートが何度も強調していたように、なんの特徴もない。これで雲が低くたれ込め雨が降りしきれば 憂鬱この上なかろう。ロートにまつわる痕跡をこの街に期待していた小生は良くも悪くも予期していた通りの軒の低い建物が並ぶ、やはり埃にまみれた通りをくぐり抜けながら、過去100年にこの街でどれほどの変化があったのだろう、と想像した。 よくも悪くも期待していていたようなガリチアのシュテーテルの憂鬱を充分に感じることができたが。 この旅ではガリチア出身の作家、特にロートやシュルツの生まれ故郷訪問がテーマの一つだったのだけれど、よくも悪くも観光という言葉とはまるで縁がない中欧の東の果て、あるいはヨーロッパが果ててアジアがはじまるともいえるような地域を旅しながら、これから先、十年先、どれほどの変化がもたらされるのだろうと思う。 変化はあったのかもしれない。 けれど。ベルリンからやってきた日本人にとってはそこは地の果てでもあった。もちろんガリチアから広大なユーラシア大陸がはじまるといってもよいのだけれど。インゲボルク・バッハマンだったか、ドナウ川の向こう側からサルマチアが、そしてアジアが始まるといったのは。その伝説の国サルマチアがあったのは、そもそも現在でいうガリチアのあたりといわれている。 ブローディではその街の規模と比して、かなり大きなシナゴーグの廃墟に出くわした。シュルツの故郷であり、彼がナチによって突如路上でその命を奪われるまでの50年にも満たない一生の殆どを過ごしたドロホヴィツィにも巨大なシナゴーグの廃墟があった。どちらも街の只中にあるにもかかわらず、誰にも顧みられることもなく、静かに自然に帰ろうとしていた。 ロートとシュルツの故郷を尋ねた日は折しも４月にしては夏を思わせる日差しが照りつけていた。雨が降りしきるより遥かにまし。もちろん、ガリチアとメランコリー、そういった小生のステレオタイプとはまるで違った日差し。 そんな初夏のブローディを後にして、小生は再びリヴィウへと向かうマルシュルートゥカの車上にあった。リヴィウから10分ほど車をはしらせて左手の丘に大きな城を思わせる建物が目にはいった。すでにブロディへの途上その城を目にしていた。 ピドヒルツィ、とバスの停留所にあった。その停留所に止まったバスから迷わず飛び降りた。停留場のある道の左右両側は満開になった菜の花に包まれていた。その城のある丘のある方にむかって畑の間の小道を歩き出した。 あいもかわらず初夏の日差しは厳しかった。それでも、雲一つなく晴れ渡ったガリチアの初夏の大地を歩む足は軽く、その美しい風景を楽しみながら、いつしか城がある丘の下の小さな村にたどり着いた。 ふと小生は直観から道を左にとったが、いつのまにかコルホーズらしき農場の中に入ってしまった。ふと横をみると、コルホーズの従業員と思しき兄貴が小生をみている。とっさに、城へは、と訪ねる。すると、兄貴は反対側の出口をでて左だ。まっすぐだ。簡単だ。まちがえんな。という。 しかし、コルホーズをでて東側へ向かう道は確かに丘の上に向かうようではあったけれど、実際は穴ぼこでだらけですぐ先からは薮の中でとても道とよべ るようなものではない。しばし、左右を見渡すと、側にある家の庭には大勢人が見える。庭でパーティーでもやっているようだった。道を尋ねるべくそちらのほうに足をむけようとすると、すると、背後から車が一台やってきて小生の背後でとまる。そのドライバーの若い兄貴に道を訪ねるが要領をえない。城はたしかにもう真上に見えるのだが。 ここで女の子達をまってるんだがね、城のほうからくるはずだから、この道で間違いないはずなんだけどさ、とかいう。その兄貴が喋っていたのはウクライナ語ではなくてロシア語だった。 そうこうするうちに庭にいた一人が小生たちに気がついてこちらへ向かってきて、あんちゃんたち、城へいきたいのか。だったら、もどって、コルホーズの向こうにある道が城の正面へ通じとるぎゃ、と。 しかし、そんな遠回りをするのか、といぶかしんだ小生は、いやいや、城に上がるのは僕だけで、この道歩いて城にいけますんかいな、と尋ねると、ほんだらこの道ずっとあがっていくだけだぎゃ、という。prjama（ロシア語でまっすぐ）でんなと、いう小生に対して、おっさんは、そうだぎゃ、 prosto(ウクライナ語とポーランド語でまっすぐ？）だぎゃ、という。 ロシア語とウクライナ語の短いやりとりを経て、小生は城に向かう坂道へととりかかる。穴ぼこだらけで道の勾配は険しい。 すると目の前から背の高いブロンドの女性が鶏のようにひょこひょこと小刻みに足を前に運びながら道をくだってくるのが見えた。ものすごい高いハイヒールをはいているのが遠目にもわかった。 ウクライナ美女とハイヒール。クリシェともいえる組み合わせ。 とはいえ、正面から歩いてくるのはものすごい美女だった。ウクライナでもこのガリチア近辺でしかみかけない。正直なところ西ヨーロッパではほぼお目にかかることはないスタイルと美貌が完璧な形でそろった女性が高い割合でこのガリチアにはいるような気がする。独逸人などとは比べ物にならぬ。 ガリチアはヨーロッパでも指折りの美男美女の地なのかもしれないと思う時がある。 マゾヒズムの語源となった独逸語作家のレオポルド・サッハー・マソッホもガリチアの首都リヴィウの生まれだ。その彼もカルパチアの山の麓のガリチアは絶世の美女を産する地とあちこちで書いている。そんな彼が「毛皮を着たヴィーナス」をはじめとした、ガリチアの美女をテーマにした哲学的（！）妄想小説 の数々を書いたのもさもあらん、と納得するぐらいの美女が時々やはりこの地にはいるのかもしれない。 すれ違い際、城へいくにはこの道で間違いないね、と小生は尋ねる。するとすれ違い際の美女は顔をあげて小生を見て微笑みながらこう言う。 ター、ター。 あの「ター、ター」を今頭の中で反芻しながら、あれは天使が小生の際を通り過ぎた一瞬のささやきではないか、と今でも思うことがある。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_0016.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-167" title="Pidhirtskij Zamek, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_0016-300x193.jpg" alt="" width="300" height="193" /></a></p>
<p>さて。夏はいったいどこへいってしまったか、という天気だけれど、突如雨のガリチアから初夏のガリチアへ、記憶は飛ぶ飛ぶ。ベルリンは現在午後９時半で、小雨、17度か。肌寒い。今年の夏はめためたに暑いところにいってもいいのでは、と思ったりもしている。というとどこだ、アラビア半島か、それともアフリカか、中央アジアか。さて。（以下昨年８月アップのログ）<span id="more-28"></span></p>
<p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p>
<p>ダー，ダー。</p>
<p>ベルリンでもこのダー、ダーを良く耳にはしないだろうか。ダー、ダー、と大きな声が聞こえてきた先にいるのは、たいてい、大声で携帯電話にむかって喋りかけるロシア人。</p>
<p>ターク、ターク。</p>
<p>ベルリンでは、このターク、ターク、もよく耳にする。その先にいるのは、ポーランド人。ロシア人に負けず劣らず、声も図体もでかいし、同国人と集団 行動することが大好きなゆえ、彼らもよく目立つ。その上通称ポラーケ（独逸人のポーランド人に対する蔑称、チェコ語やポーランド語ではポラークという）にカテゴライズされる人々は独特の威風をほこる。</p>
<p>彼らはトルコ人やヴェトナム人とならんでベルリンの4大マイノリティーを形成している。この彼らのダー、ダーとターク、タークを耳にしない日はないぐらいだ。</p>
<p>このダー、ダーとターク、タークの二カ国にはさまれてあるウクライナでは、特に西ウクライナ、ガリチアとよばれている地方では少し異なる。</p>
<p>ター、ター。</p>
<p>先日ショークヴァを訪ねた日のことを書いたけれど、今回はその次の週の話。</p>
<p>暗く雨にぬれた春が始まりかけたガリチアから初夏のクリミアへ。そして、そのクリミアからまたしてもガリチアへ帰還。ショークヴァでの曇り空から一転、一週間後のガリチアの空には雲一つなかった。照りつけるような日差し。ガリチアの夏はかくもきびしいのかと思わせるような初夏の雰囲気ただよう一日。古くはサッハー・マソッホ、そして20世紀にはいってはヨーゼフ・ロートやブルーノ・シュルツ。彼らの描くガリチアは、曇り空の下の湿った隙間だらけの穴ぼこだらけの石畳の路地よりも、ぎらぎらと照りつける太陽とその下でひからびた埃まみれた大地を真っ先に思い起こさせる。</p>
<p>そのロートの生まれ故郷であるブロディへ小生は向かっていた。リヴィウから北東に約80㌔程の道程。</p>
<p>リヴィウからブロディへ向かう中型のマルシュルートゥカは毎度のことながら満員で、車内はあっという間にうだるような暑さになった。4月でこれほど暑さならば、夏はどれほど暑くなるのだ、と思わせるほどだった。クーラーなど、もちろん、ある場所は限られている。</p>
<p>ブロディは、ロートが1920年代にフランクフルター・ツァイトゥングに寄稿した「ガリチアを旅して Reise durch Galizien」に記した通りの憂鬱な軒の低い建物が連なる街並み、ユダヤ人が人口の多数を占めるかつてシュテーテルとよばれていたような典型的な田舎街だった。町並みは正直いって美しくもないし、そして、ロートが何度も強調していたように、なんの特徴もない。これで雲が低くたれ込め雨が降りしきれば 憂鬱この上なかろう。ロートにまつわる痕跡をこの街に期待していた小生は良くも悪くも予期していた通りの軒の低い建物が並ぶ、やはり埃にまみれた通りをくぐり抜けながら、過去100年にこの街でどれほどの変化があったのだろう、と想像した。</p>
<p>よくも悪くも期待していていたようなガリチアのシュテーテルの憂鬱を充分に感じることができたが。</p>
<p>この旅ではガリチア出身の作家、特にロートやシュルツの生まれ故郷訪問がテーマの一つだったのだけれど、よくも悪くも観光という言葉とはまるで縁がない中欧の東の果て、あるいはヨーロッパが果ててアジアがはじまるともいえるような地域を旅しながら、これから先、十年先、どれほどの変化がもたらされるのだろうと思う。</p>
<p>変化はあったのかもしれない。</p>
<p>けれど。ベルリンからやってきた日本人にとってはそこは地の果てでもあった。もちろんガリチアから広大なユーラシア大陸がはじまるといってもよいのだけれど。インゲボルク・バッハマンだったか、ドナウ川の向こう側から<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4">サルマチア</a>が、そしてアジアが始まるといったのは。その伝説の国サルマチアがあったのは、そもそも現在でいうガリチアのあたりといわれている。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9829.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-165" title="Synagogue, Brody, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9829-300x224.jpg" alt="" width="300" height="224" /></a></p>
<p>ブローディではその街の規模と比して、かなり大きなシナゴーグの廃墟に出くわした。シュルツの故郷であり、彼がナチによって突如路上でその命を奪われるまでの50年にも満たない一生の殆どを過ごしたドロホヴィツィにも巨大なシナゴーグの廃墟があった。どちらも街の只中にあるにもかかわらず、誰にも顧みられることもなく、静かに自然に帰ろうとしていた。</p>
<p>ロートとシュルツの故郷を尋ねた日は折しも４月にしては夏を思わせる日差しが照りつけていた。雨が降りしきるより遥かにまし。もちろん、ガリチアとメランコリー、そういった小生のステレオタイプとはまるで違った日差し。</p>
<p>そんな初夏のブローディを後にして、小生は再びリヴィウへと向かうマルシュルートゥカの車上にあった。リヴィウから10分ほど車をはしらせて左手の丘に大きな城を思わせる建物が目にはいった。すでにブロディへの途上その城を目にしていた。</p>
<p>ピドヒルツィ、とバスの停留所にあった。その停留所に止まったバスから迷わず飛び降りた。停留場のある道の左右両側は満開になった菜の花に包まれていた。その城のある丘のある方にむかって畑の間の小道を歩き出した。</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9858.jpg"><img class="alignnone size-medium wp-image-166" title="Pidhirsti, Ukraine" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/07/IMG_9858-300x225.jpg" alt="" width="300" height="225" /></a></p>
<p>あいもかわらず初夏の日差しは厳しかった。それでも、雲一つなく晴れ渡ったガリチアの初夏の大地を歩む足は軽く、その美しい風景を楽しみながら、いつしか城がある丘の下の小さな村にたどり着いた。</p>
<p>ふと小生は直観から道を左にとったが、いつのまにかコルホーズらしき農場の中に入ってしまった。ふと横をみると、コルホーズの従業員と思しき兄貴が小生をみている。とっさに、城へは、と訪ねる。すると、兄貴は反対側の出口をでて左だ。まっすぐだ。簡単だ。まちがえんな。という。</p>
<p>しかし、コルホーズをでて東側へ向かう道は確かに丘の上に向かうようではあったけれど、実際は穴ぼこでだらけですぐ先からは薮の中でとても道とよべ るようなものではない。しばし、左右を見渡すと、側にある家の庭には大勢人が見える。庭でパーティーでもやっているようだった。道を尋ねるべくそちらのほうに足をむけようとすると、すると、背後から車が一台やってきて小生の背後でとまる。そのドライバーの若い兄貴に道を訪ねるが要領をえない。城はたしかにもう真上に見えるのだが。</p>
<p>ここで女の子達をまってるんだがね、城のほうからくるはずだから、この道で間違いないはずなんだけどさ、とかいう。その兄貴が喋っていたのはウクライナ語ではなくてロシア語だった。</p>
<p>そうこうするうちに庭にいた一人が小生たちに気がついてこちらへ向かってきて、あんちゃんたち、城へいきたいのか。だったら、もどって、コルホーズの向こうにある道が城の正面へ通じとるぎゃ、と。</p>
<p>しかし、そんな遠回りをするのか、といぶかしんだ小生は、いやいや、城に上がるのは僕だけで、この道歩いて城にいけますんかいな、と尋ねると、ほんだらこの道ずっとあがっていくだけだぎゃ、という。prjama（ロシア語でまっすぐ）でんなと、いう小生に対して、おっさんは、そうだぎゃ、 prosto(ウクライナ語とポーランド語でまっすぐ？）だぎゃ、という。</p>
<p>ロシア語とウクライナ語の短いやりとりを経て、小生は城に向かう坂道へととりかかる。穴ぼこだらけで道の勾配は険しい。</p>
<p>すると目の前から背の高いブロンドの女性が鶏のようにひょこひょこと小刻みに足を前に運びながら道をくだってくるのが見えた。ものすごい高いハイヒールをはいているのが遠目にもわかった。</p>
<p>ウクライナ美女とハイヒール。クリシェともいえる組み合わせ。</p>
<p>とはいえ、正面から歩いてくるのはものすごい美女だった。ウクライナでもこのガリチア近辺でしかみかけない。正直なところ西ヨーロッパではほぼお目にかかることはないスタイルと美貌が完璧な形でそろった女性が高い割合でこのガリチアにはいるような気がする。独逸人などとは比べ物にならぬ。</p>
<p>ガリチアはヨーロッパでも指折りの美男美女の地なのかもしれないと思う時がある。</p>
<p>マゾヒズムの語源となった独逸語作家のレオポルド・サッハー・マソッホもガリチアの首都リヴィウの生まれだ。その彼もカルパチアの山の麓のガリチアは絶世の美女を産する地とあちこちで書いている。そんな彼が「毛皮を着たヴィーナス」をはじめとした、ガリチアの美女をテーマにした哲学的（！）妄想小説 の数々を書いたのもさもあらん、と納得するぐらいの美女が時々やはりこの地にはいるのかもしれない。</p>
<p>すれ違い際、城へいくにはこの道で間違いないね、と小生は尋ねる。するとすれ違い際の美女は顔をあげて小生を見て微笑みながらこう言う。</p>
<p>ター、ター。</p>
<p>あの「ター、ター」を今頭の中で反芻しながら、あれは天使が小生の際を通り過ぎた一瞬のささやきではないか、と今でも思うことがある。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
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		<title>To where my whole images are going back&#8230;</title>
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		<pubDate>Thu, 16 Jun 2011 22:14:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[It was for 12 years ago, when I&#8217;ve been to Warsaw for the first time. Strangely I don&#8217;t remember at all, from where exactly I&#8217;ve arrived in the polish capital. From Krakow or Wroclaw? Anyway it was my first visit in Poland ever. I got off from the train to the platform. It was dark [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>It was for 12 years ago, when I&#8217;ve been to Warsaw for the first time. Strangely I don&#8217;t remember at all, from where exactly I&#8217;ve arrived in the polish capital. From Krakow or Wroclaw? Anyway it was my first visit in Poland ever. I got off from the train to the platform. It was dark and smelly dumped. It was my first impression of Warszawa Centralna. There are such kind of dark stations like that of Warszawa Centralna all over the world.</p>
<p><a href="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/Warszawa-Centralna-Warsaw-Oct.2009.jpg"><img class="alignnone size-large wp-image-143" title="Warszawa Centralna, Warsaw, Oct.2009" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/Warszawa-Centralna-Warsaw-Oct.2009-1024x768.jpg" alt="Warszawa Centralna, Warsaw, Oct.2009" width="385" height="288" /></a></p>
<p>Some of S-Bahnhof or U-Bahnhof in Berlin too. Especially in the stations of U8. Their darkness at the berliner metro stations especially in the winter season and their smells were always coming back to my sense and caused a kind of hallucination remind me back to Berlin, wherever I was outside of Berlin. Then I missed always Berlin. First the smell of the metro stations and the dark U-Bahnhof. And Berlin. This memory caused by this sense is never attached to any other place on the earth than to Berlin. Of course it is one of the reasons why I&#8217;ve decided to be back to little later after my short stays in Berlin in 2001 and in 2002. That smell always followed me whenever I was outside of Berlin. That&#8217;s a part of reasons why I wanted to go back to Berlin.<span id="more-142"></span></p>
<p>I had always a kind of hallucination bringing me to somewhere else in my mind when I was in a dark and dirty subway station like in Brooklyn, in Dobutsuen-mae in Osaka or in Universitate in Bucharest. Especially I remember very well that I felt quite strong hallucination when I was in a metro station, Vagzlis Moedani in Tbilisi, Georgia, shortly after the end of the south ossetian war in the summer 2008. I&#8217;ve never been to the so dark metro station before. Of course I am still very sure that I had a strong hallucination caused by the dusk of that metro station. But I did&#8217;t know at all what the whole hallucinations caused. I&#8217;m not sure at this moment.</p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-144" title="Mardzhanishvili, Tbilisi, Georgia, Sep.2008, JPG" src="http://luegenlernen.de/wp-content/uploads/2011/06/Mardzhanishvili-Tbilisi-Georgia-Sep.2008-JPG.jpg" alt="Mardzhanishvili, Tbilisi, Georgia, Sep.2008" width="357" height="268" /></p>
<p>So Warszawa Centralna again. It&#8217;s still dazzlingto imagine the atmosphere I felt at the moment when I got off from the train. After long running in the underground tunnel under the polish capital we have arrived there. I don&#8217;t know any another train station anywhere else so dark lighted station like this Warszawa Centralna at that time, when I was there for the first time for twelve years ago. It was even hard to see and to find out the sign of exits. And chaotic corridors filled with people going somewhere or coming back to the polish capital and amount of small shops “sklep” on the both side of corridors. It was really dumped and it always reminds me of my first trip in Poland. It is still something typical of Poland for me. Maybe for any other travellers who&#8217;ve ever been to Poland too?</p>
<p>For two years ago in October 2009 I stood on the platform of Warszawa Centralna again. The Station was so crowded as well as it had been for 12 years ago that I went hardly forward between the crowd of the people waiting for the train taking me back to Berlin, “Berlin-Warszawa-Express.”</p>
<p>Well, the train has arrived as soon as I reached to the sector 2 of the platform number 4. At that moment I saw almost all same view which I&#8217;d ever seen before. One moment later I suddenly recognized that I&#8217;ve ever met this scene. I was already on the board of the train bringing back me to Berlin, my second home town since 2003. This flashback of the memory brought me back exactly to the moment for 12 years ago when I&#8217;d waited the train going to Berlin and bringing me to the outside of the land with so depressing landscapes, dark clouded sky, heavy traffic jam, chaotic markets and train stations. I wanted to escape from a sort of depression caused by landscape and streets in the polish late autumn as soon as possible. Everything of the country was for me a real depression, which I&#8217;d never experienced before in my life. I was still nineteen years old there.</p>
<p>Probably I followed my shadow casted on the dusk of that platform of Warszawa Centralna one late autumn day shortly after 6 o&#8217;clock in the morning. I&#8217;ve already forgot the exact date when I was standing there and the moment my shadow was casting on the dark lighted platform, which now seems to be a little bit lighter than at that time, but I don&#8217;t know anymore.</p>
<p>So almost all nothing has changed there in the last decade. Only I know now is that I was standing on the platform of Warszawa Centralna again to go back to Berlin. Thus my next 10 years with Warszawa Centralna has begun once again.</p>
<p>It&#8217;s just a part of reasons, why I always go back to the direktion, so to the east, from where I came from.</p>
<div class="shr-publisher-142"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F16%2Fto-where-my-whole-images-are-going-back%2F' data-shr_title='To+where+my+whole+images+are+going+back...'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F16%2Fto-where-my-whole-images-are-going-back%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F06%2F16%2Fto-where-my-whole-images-are-going-back%2F' data-shr_title='To+where+my+whole+images+are+going+back...'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>おいどんもドリフの一員になりたい。(再）</title>
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		<pubDate>Sun, 15 May 2011 09:13:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
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		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[最近自分がノマドになりたいと強く思う時が多くなった。ここ一ヶ月実際に二度もベルリンとプラハの間を行き来しているので。いっそのことプラハに移ればいいのに、と友人たち及び両親にもいわれることがあるし、自分でもそう思わなくもない。 でも、そうはいかないのは自分でもよくわかっている。ベルリンが小生にとっての本拠地だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。ベルリンは小生にとり、いつも旅立つ場所であり、そして旅の終わりに、次の旅立ちへのつかの合間をすごすために舞い戻ってくるための場所なのだ。 結局ノマド向きではないということなのだろうか、小生は。 それでも自分がすごく根無し草だと感じる時がものすごくある。 だから、自分の田舎が京都だとうそぶいたりしたくなったりするのだろうか。まあ、これまでの人生の大半、20年程をあの街ですごしているということはまぎれもない事実なのだけれど。 以下の記事は、一昨年（2009年）の９月、ベルリンでの滞在がこれまで一カ所にすんだ場所の期間としては最長記録を更新したことへの記念の意味をこめてかいたもの。ベルリンにたどりついたのが、2003年の5月3日だったので、すでにベルリン在住は8年を過ぎたということか・・・。ちなみに小生のこれまで住んだ居住した場所のリストと期間は母親曰く正しくない、しかも、もっと他の場所にも住んでいるという。ということは赤ん坊のころもっと他の場所にもすんだことがあるということらしいが。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 生まれながらのノマドなどとあちこちで吹聴しておきながら、すでにベルリン在住まもなく６年半。ベルリンに来てから数年旅行にもいかなくなってしま うぐらい、全く動きがなくなってしまった現状にイライラし始めたのが、ここ２年程で、それ以来、年の２ヶ月ぐらいは長期の旅行にでていたりしている。 実は今日とある事実に気付いて自分でも唖然としてしまった。小生の人生の一つの街の連続在住記録を半年ほど前にとっくに更新してしまっていたのだ が、不覚にもそのことにこの半年全く気がついていなかった。あちこちで自分は京都人といっておいて普段からだれかれかまわず少々奇妙な京都弁でしゃべりたおしているつもりでいるが、実は生まれは東京築地。８歳まで、２年半弱神戸に住んでいた以外は、東京都下と横浜に住んでいた小生は、実は関西弁ネイティヴ ではないし、それどころか生まれながらの関西人もとい京都人などでも全くない。今、日頃からあたかもネイティヴのように喋り倒している関西弁京都方言もど きも実は後天的にまなんだものでしかない。 それはともかくそれまでの最長記録は実は京都の５年８ヶ月。もちろん、京都には小生がはじめて京都に移ってからも両親が住み続けている上、母親の実家が京都にあるせいで、それこそ物心ついたころから京都には定期的にいるわけだし、東京で大学進学してからもベルリンへくるまでの間、ずっと京都に定期的に、それこそ２ヶ月に一回ぐらいは帰っていたせいで、なぜか京都から出て行ってしまってからも、他の街にすんでいる意識はそれほどなかった。そんなわけで、ベルリンにすでにまもなく６年半住んでいる事実と、また一つの街に連続して住んでいる期間としてはもうすでに最長に達してしまったという事実に、多か れすくなかれ今自分でも唖然としているし、それがいつまでのびていくのだろうと思ってしまう。 簡単にこれまで小生が住んでいた土地になにがしらの住民登録をしていた街と期間をおさらい。 ＞１歳未満（８ヶ月？）；東京都練馬区江古田 １歳未満ー２歳前後（一年弱？）；東京都保谷市 3歳前後ー4歳途中（２年程？）；神戸市東灘区 ４歳途中ー幼稚園入園まで（８ヶ月）：東京都保谷市 幼稚園入園ー小学校3年途中（４年強）；横浜市戸塚区 小学校3年途中ー小学校卒業ー中学二年途中（５年3ヶ月）：兵庫県西宮市 中学校二年途中ー高校卒業ー浪人期間を経て大学入学まで（５年８ヶ月）；京都市北区 大学入学ー大学二年夏（１年半）：東京都北区赤羽 大学二年秋ー大学卒業（２年半）：東京都府中市 大学卒業から二ヶ月：京都市北区 その後：ずっとベルリン、６年５ヶ月。ベルリンにて最初在住一年で５回引っ越し。小生のノマド宣言（2004年春）。ちなみに実家はその間、京都市内で引っ越し。 実は今チェコ共和国の首都はプラハにいるのだが、ここにきて後一週間でもうすぐ一ヶ月になる。ここ１週間でチェコ語に対するコンプレックスも消えて、かのボフミル・フラバル先生を敬愛する小生は、人間観察のフィールドワークと称しつつ、プラハの美女もといイケメンたちとお近づきになろうと、いまだめちゃくちゃな文法の、時々露西亜語の単語がまざるチェコ語を駆使して、一人毎晩異なる飲み屋に出没して、プラハの隣人たちと毎晩ビールを飲みまくる日々なのである。 しかし、ビールがうまい。ベルリンでもそんなビールを飲んだこともないというのに、プラハにきてこれほど毎日のめるというのは、やはりビールがうま い、という以外に考えられない。小生の体内のアルコール分解酵素がプラハにきたとたん突然変異をおこしたわけでもないというのに。宇宙に出たとたんニュー タイプとして覚醒するのとはわけが違うのである（なんのマンガだ）。ここ数週間、毎晩ビールジョッキ２杯はのんでいると言う事実にも小生は実は驚愕してい るが、それでもベルリン帰還後もそれぐらい飲めるとは思えないので，どうかベルリン在住の皆様方においてはこれまで通りのご容赦を乞う。 しかし、いまさらながらだけれど、一つの言語が段々と分かるようになってくるというのは、不思議な感覚だ。一年半ほどベルリンでチェコ語をならって、時々耳をならそうと、まだ半分もいってることがわからないラジオの放送をインターネットで介して聞いていたりもしていたのだけれど、実際チェコにきて周りがすべてがチェコ語 が喋っているのをきいて（プラハに限っていうとそんなこともなく、やったらめったら英語やドイツ語が聞こえてくるが）、やっとこれから自分の話すべき言葉 のテンポになれていかなくては、という実感がうまれてくる。まだ片手間しかならっていない言語ならばなおさらだ。スラブ系の言語は非常に音楽的で小生に とっては非常に耳に心地のよい言葉なのだが、攻撃的で威嚇するようにしか聞こえないドイツ語になれた耳にはそれだけでもリラックスできる。ドイツ語がすきではじめたわけではない小生にとって、それだけでもモチヴェーションの一つになりうる。チェコ語は知れば知る程、他のスラブ系の言語、例えば露西亜語とはかなり違う言語なんだなと感じるし、プラハにもよく聞こえる露西亜語がきこえてくるとかなり瞬間的にそれが飛び込んでくるようになった。かつてチェコ語と正直なところあまり聞き分けられなかったポーランド語とも、確実に聞き分けられるようになった。ぶっちゃけ小生の言語感覚はいい意味でとぎすまされているように思える。 この周りが全く自分のわからない言語を喋っている場所に突如として放り込まれるときの感覚はとても言語にいいつくせるものではない。聞いている言葉 がわからないのだからなおさらだ。旅先で、国境を越えて違う国へと入った瞬間、そこで全く違う言葉がきこえてくるよきのあの感覚。小生はあれの瞬間がとて も心地よい。その分からない未知の言語の海の表面を漂うような感覚。体の力を抜いて水面に浮かんでいるような浮遊感。 あれを体験したのは多分、初めて自分にとっての「外国語」体験をしたときにさかのぼるような気がする。自分にとっての「外国語」体験とは多分８歳の 時に、父親の仕事の都合で関西に移り住んで来たときだろう。はじめて洪水のように自分のまわりを「関西弁」が取り囲んだ時だろうと思う。「関西弁」を「外国語」扱いするのは少々大げさなような気もするし、少々「外国語」と書くのは面妖なのだけれど、標準的な日本語からすれば「関西弁」は間違いなく、ドイツ語のFremdspracheや英語のforeign language（どちらも外国語という意味だが、念のため）にあたるとは思う。実際、色々な言語をならったからいえるのだけれど、「関西弁」や「日本 語」の違いというのは、実際ヨーロッパの言語地図などをみてみれば、実にざらなケースで互いに違う言語扱いされてもおかしくないのではとおもったりもす る。なにも「関西弁」でけでなく、日本語の方言に分類されている言葉には小生にとって、外国語と同じぐらい難解なものも多い。津軽弁や九州の方言など。標準語とはその意思疎通、ひいては教育のためにあるのであって、それほど古い概念ではない。むしろ19世紀後半以来ネーション国家としての概念が日本に浸透してからのことであって、日本各地津々浦々にある方言といわれることばにくらべたら新しくかつ人工的なものであるのはいうまでもない。 父親がばちばちの関東人で母親はばちばちの京都人な上、実は冷静に自分で分析してみると、もしくは、言語学専攻の日本語方言狂いの友人や様々な友人の話を総合してみると、自分は自分はとんでもない関西弁をしゃべっているのかもしれないと思う。実は小学校は阪神地区で卒業している。しかも、小学校に通ってい たのは、阪神地区はもとい関西でも屈指の派手な関西弁をしゃべる西宮は甲子園球場の界隈、だから自分の関西弁は少々阪神方言まじりで、祖父母と母親の影響 で京都弁もすこしまじってるんだろうと思うのだけれど、８歳までも東京近郊や横浜ですごしていたおかげで、どこに自分のマザー・タングなるものがあるのだ ろうとおもう。いまさらながらに、８歳までの自分がどんな言葉をしゃべっていたのか、８歳までの記憶なんて最近だんだんとおぼろげになっており、実際のところよくわからない。京都で思春期を過ごした６年弱がとりあえず今の所自分の中では一番自分の言語形成、すくなくとも今の自分の喋っている日本語という言 語に大きな影響を与えているのだろうが。 9歳になる間際の小生がにあの感覚に放り込まれたあの日、忘れもしない1988年5月30日。転校したての小生が、阪神地区は西宮のとある小学校、 それまで横浜の新興住宅地の全校生徒250人にも満たない、各学年二組、しかも各クラス30人にもみたい学級から成っていた、実に今からしてみれば家庭的な小学校から全校生徒1200人のメガ小学校、しかも阪神地区では中規模といわれて母親が驚愕したというその小学校のは3年4組に放り込まれたあの日、小 生の左脳は間違いなくオーヴァーヒートを起こしていたに違いない。いまでもはっきり覚えているけれど、あの日あの3年４組の教室の中で聞いた言葉は日本語 でありながら、全く日本語であるように聞こえなかったはずなのだ。少なくとも小生の左脳はそう判断したはずだ。いまでも一番覚えているのは、小生が自己紹 介のため口を開いた瞬間、教室にいた全員が大笑い大爆笑。そのうちの誰が、うわー、ほんまもんのとーきょーじんやあー、でさらに爆笑の渦。違う惑星から やってきたばかりのエイリアンに対するがごときの扱い。その後、教室の中で体験したことは、今でもよく覚えている。新しいクラスメートに大爆笑されて、 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>最近自分がノマドになりたいと強く思う時が多くなった。ここ一ヶ月実際に二度もベルリンとプラハの間を行き来しているので。いっそのことプラハに移ればいいのに、と友人たち及び両親にもいわれることがあるし、自分でもそう思わなくもない。<span id="more-34"></span></p>
<p>でも、そうはいかないのは自分でもよくわかっている。ベルリンが小生にとっての本拠地だからだ。それ以上でもそれ以下でもない。ベルリンは小生にとり、いつも旅立つ場所であり、そして旅の終わりに、次の旅立ちへのつかの合間をすごすために舞い戻ってくるための場所なのだ。</p>
<p>結局ノマド向きではないということなのだろうか、小生は。</p>
<p>それでも自分がすごく根無し草だと感じる時がものすごくある。</p>
<p>だから、自分の田舎が京都だとうそぶいたりしたくなったりするのだろうか。まあ、これまでの人生の大半、20年程をあの街ですごしているということはまぎれもない事実なのだけれど。</p>
<p>以下の記事は、一昨年（2009年）の９月、ベルリンでの滞在がこれまで一カ所にすんだ場所の期間としては最長記録を更新したことへの記念の意味をこめてかいたもの。ベルリンにたどりついたのが、2003年の5月3日だったので、すでにベルリン在住は8年を過ぎたということか・・・。ちなみに小生のこれまで住んだ居住した場所のリストと期間は母親曰く正しくない、しかも、もっと他の場所にも住んでいるという。ということは赤ん坊のころもっと他の場所にもすんだことがあるということらしいが。</p>
<p>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊</p>
<p>生まれながらのノマドなどとあちこちで吹聴しておきながら、すでにベルリン在住まもなく６年半。ベルリンに来てから数年旅行にもいかなくなってしま うぐらい、全く動きがなくなってしまった現状にイライラし始めたのが、ここ２年程で、それ以来、年の２ヶ月ぐらいは長期の旅行にでていたりしている。</p>
<p>実は今日とある事実に気付いて自分でも唖然としてしまった。小生の人生の一つの街の連続在住記録を半年ほど前にとっくに更新してしまっていたのだ が、不覚にもそのことにこの半年全く気がついていなかった。あちこちで自分は京都人といっておいて普段からだれかれかまわず少々奇妙な京都弁でしゃべりたおしているつもりでいるが、実は生まれは東京築地。８歳まで、２年半弱神戸に住んでいた以外は、東京都下と横浜に住んでいた小生は、実は関西弁ネイティヴ ではないし、それどころか生まれながらの関西人もとい京都人などでも全くない。今、日頃からあたかもネイティヴのように喋り倒している関西弁京都方言もど きも実は後天的にまなんだものでしかない。</p>
<p>それはともかくそれまでの最長記録は実は京都の５年８ヶ月。もちろん、京都には小生がはじめて京都に移ってからも両親が住み続けている上、母親の実家が京都にあるせいで、それこそ物心ついたころから京都には定期的にいるわけだし、東京で大学進学してからもベルリンへくるまでの間、ずっと京都に定期的に、それこそ２ヶ月に一回ぐらいは帰っていたせいで、なぜか京都から出て行ってしまってからも、他の街にすんでいる意識はそれほどなかった。そんなわけで、ベルリンにすでにまもなく６年半住んでいる事実と、また一つの街に連続して住んでいる期間としてはもうすでに最長に達してしまったという事実に、多か れすくなかれ今自分でも唖然としているし、それがいつまでのびていくのだろうと思ってしまう。</p>
<p>簡単にこれまで小生が住んでいた土地になにがしらの住民登録をしていた街と期間をおさらい。</p>
<p>＞１歳未満（８ヶ月？）；東京都練馬区江古田</p>
<p>１歳未満ー２歳前後（一年弱？）；東京都保谷市</p>
<p>3歳前後ー4歳途中（２年程？）；神戸市東灘区</p>
<p>４歳途中ー幼稚園入園まで（８ヶ月）：東京都保谷市</p>
<p>幼稚園入園ー小学校3年途中（４年強）；横浜市戸塚区</p>
<p>小学校3年途中ー小学校卒業ー中学二年途中（５年3ヶ月）：兵庫県西宮市</p>
<p>中学校二年途中ー高校卒業ー浪人期間を経て大学入学まで（５年８ヶ月）；京都市北区</p>
<p>大学入学ー大学二年夏（１年半）：東京都北区赤羽</p>
<p>大学二年秋ー大学卒業（２年半）：東京都府中市</p>
<p>大学卒業から二ヶ月：京都市北区</p>
<p>その後：ずっとベルリン、６年５ヶ月。ベルリンにて最初在住一年で５回引っ越し。小生のノマド宣言（2004年春）。ちなみに実家はその間、京都市内で引っ越し。</p>
<p>実は今<strong>チェコ</strong>共和国の首都はプラハにいるのだが、ここにきて後一週間でもうすぐ一ヶ月になる。ここ１週間で<strong>チェコ</strong>語に対するコンプレックスも消えて、かのボフミル・フラバル先生を敬愛する小生は、人間観察のフィールドワークと称しつつ、プラハの美女もといイケメンたちとお近づきになろうと、いまだめちゃくちゃな文法の、時々露西亜語の単語がまざるチェコ語を駆使して、一人毎晩異なる飲み屋に出没して、プラハの隣人たちと毎晩ビールを飲みまくる日々なのである。</p>
<p>しかし、ビールがうまい。ベルリンでもそんなビールを飲んだこともないというのに、プラハにきてこれほど毎日のめるというのは、やはりビールがうま い、という以外に考えられない。小生の体内のアルコール分解酵素がプラハにきたとたん突然変異をおこしたわけでもないというのに。宇宙に出たとたんニュー タイプとして覚醒するのとはわけが違うのである（なんのマンガだ）。ここ数週間、毎晩ビールジョッキ２杯はのんでいると言う事実にも小生は実は驚愕してい るが、それでもベルリン帰還後もそれぐらい飲めるとは思えないので，どうかベルリン在住の皆様方においてはこれまで通りのご容赦を乞う。</p>
<p>しかし、いまさらながらだけれど、一つの言語が段々と分かるようになってくるというのは、不思議な感覚だ。一年半ほどベルリンでチェコ語をならって、時々耳をならそうと、まだ半分もいってることがわからないラジオの放送をインターネットで介して聞いていたりもしていたのだけれど、実際<strong>チェコ</strong>にきて周りがすべてが<strong>チェコ</strong>語 が喋っているのをきいて（プラハに限っていうとそんなこともなく、やったらめったら英語やドイツ語が聞こえてくるが）、やっとこれから自分の話すべき言葉 のテンポになれていかなくては、という実感がうまれてくる。まだ片手間しかならっていない言語ならばなおさらだ。スラブ系の言語は非常に音楽的で小生に とっては非常に耳に心地のよい言葉なのだが、攻撃的で威嚇するようにしか聞こえないドイツ語になれた耳にはそれだけでもリラックスできる。ドイツ語がすきではじめたわけではない小生にとって、それだけでもモチヴェーションの一つになりうる。チェコ語は知れば知る程、他のスラブ系の言語、例えば露西亜語とはかなり違う言語なんだなと感じるし、プラハにもよく聞こえる露西亜語がきこえてくるとかなり瞬間的にそれが飛び込んでくるようになった。かつてチェコ語と正直なところあまり聞き分けられなかったポーランド語とも、確実に聞き分けられるようになった。ぶっちゃけ小生の言語感覚はいい意味でとぎすまされているように思える。</p>
<p>この周りが全く自分のわからない言語を喋っている場所に突如として放り込まれるときの感覚はとても言語にいいつくせるものではない。聞いている言葉 がわからないのだからなおさらだ。旅先で、国境を越えて違う国へと入った瞬間、そこで全く違う言葉がきこえてくるよきのあの感覚。小生はあれの瞬間がとて も心地よい。その分からない未知の言語の海の表面を漂うような感覚。体の力を抜いて水面に浮かんでいるような浮遊感。</p>
<p>あれを体験したのは多分、初めて自分にとっての「外国語」体験をしたときにさかのぼるような気がする。自分にとっての「外国語」体験とは多分８歳の 時に、父親の仕事の都合で関西に移り住んで来たときだろう。はじめて洪水のように自分のまわりを「関西弁」が取り囲んだ時だろうと思う。「関西弁」を「外国語」扱いするのは少々大げさなような気もするし、少々「外国語」と書くのは面妖なのだけれど、標準的な日本語からすれば「関西弁」は間違いなく、ドイツ語のFremdspracheや英語のforeign  language（どちらも外国語という意味だが、念のため）にあたるとは思う。実際、色々な言語をならったからいえるのだけれど、「関西弁」や「日本 語」の違いというのは、実際ヨーロッパの言語地図などをみてみれば、実にざらなケースで互いに違う言語扱いされてもおかしくないのではとおもったりもす る。なにも「関西弁」でけでなく、日本語の方言に分類されている言葉には小生にとって、外国語と同じぐらい難解なものも多い。津軽弁や九州の方言など。標準語とはその意思疎通、ひいては教育のためにあるのであって、それほど古い概念ではない。むしろ19世紀後半以来ネーション国家としての概念が日本に浸透してからのことであって、日本各地津々浦々にある方言といわれることばにくらべたら新しくかつ人工的なものであるのはいうまでもない。</p>
<p>父親がばちばちの関東人で母親はばちばちの京都人な上、実は冷静に自分で分析してみると、もしくは、言語学専攻の日本語方言狂いの友人や様々な友人の話を総合してみると、自分は自分はとんでもない関西弁をしゃべっているのかもしれないと思う。実は小学校は阪神地区で卒業している。しかも、小学校に通ってい たのは、阪神地区はもとい関西でも屈指の派手な関西弁をしゃべる西宮は甲子園球場の界隈、だから自分の関西弁は少々阪神方言まじりで、祖父母と母親の影響 で京都弁もすこしまじってるんだろうと思うのだけれど、８歳までも東京近郊や横浜ですごしていたおかげで、どこに自分のマザー・タングなるものがあるのだ   ろうとおもう。いまさらながらに、８歳までの自分がどんな言葉をしゃべっていたのか、８歳までの記憶なんて最近だんだんとおぼろげになっており、実際のところよくわからない。京都で思春期を過ごした６年弱がとりあえず今の所自分の中では一番自分の言語形成、すくなくとも今の自分の喋っている日本語という言 語に大きな影響を与えているのだろうが。</p>
<p>9歳になる間際の小生がにあの感覚に放り込まれたあの日、忘れもしない1988年5月30日。転校したての小生が、阪神地区は西宮のとある小学校、 それまで横浜の新興住宅地の全校生徒250人にも満たない、各学年二組、しかも各クラス30人にもみたい学級から成っていた、実に今からしてみれば家庭的な小学校から全校生徒1200人のメガ小学校、しかも阪神地区では中規模といわれて母親が驚愕したというその小学校のは3年4組に放り込まれたあの日、小 生の左脳は間違いなくオーヴァーヒートを起こしていたに違いない。いまでもはっきり覚えているけれど、あの日あの3年４組の教室の中で聞いた言葉は日本語 でありながら、全く日本語であるように聞こえなかったはずなのだ。少なくとも小生の左脳はそう判断したはずだ。いまでも一番覚えているのは、小生が自己紹 介のため口を開いた瞬間、教室にいた全員が大笑い大爆笑。そのうちの誰が、うわー、ほんまもんのとーきょーじんやあー、でさらに爆笑の渦。違う惑星から やってきたばかりのエイリアンに対するがごときの扱い。その後、教室の中で体験したことは、今でもよく覚えている。新しいクラスメートに大爆笑されて、 「とーきょーじん」なるエイリアンとなってしまった小生は新しいクラスメートに色々と話しかけれても、小生はそれほどうまく答えられなかったり口をうまく 開けなかったことも。現実的に自分が置かれている言葉の海の中で、小生はただ右から左にあびせられる質問の間をただただよっているだけだった。</p>
<p>あれも、小生が今に至るまで何度となく経験することになるあの浮遊感なのだろう、と思う。その後、いい感じでクラスにとけ込むことのできた小生は、 一週間後にはすでにクラスメイトとほぼ同じ言葉を、つまり、「関西弁」をしゃべっていた、ということだけはよく覚えている。どうしてかは全く覚えていな い。けれど、それがまだ８歳だった小生にまだ可能だったことの一つだろう。</p>
<p>にもかかわらず。その後、進学した京都のR星中学・高校では似非関西人扱いされる日々だったのである。マクドナルドをマクド、ではなく、マックと いってしまったばかりに。そんなわけであだ名もマックにされてしまった。関西ではマクドナルドはマクドでマックはマッキントッシュ以外ありえへん、と日頃から東京だろうがベルリンだろうが口を酸っぱくして主張している小生ではあるが、実はそんな過去もあるのである。</p>
<p>昔からそうだったけれど、やっぱり小生にとってあの浮遊する感覚がつぼなのである。言語であろうと、音楽体験だろうと、あらゆる人間の五感にかかわる体験のなかでも特に。ベルリンは人種のるつぼだからそれほど気にも留めないが、やっぱりプラハだとアジア人は浮く。時々、ベルリンのように、70年代にヴェト ナムからきた移民の二世が、ベルリンで生まれ育ったベトナム人と同様に、流暢にその土地の言葉であるチェコ語を操っているのを聞くけれど、やっぱりそれもチェコに限るならばプラハだけだろう。僕がつたなくもチェコ語 をしゃべれば、向こうはあれ、っという顔をするし、こちらはそれでますます自分が相手になって正体不明になれるというので、ますますなにがしらぶらぶら浮 いている感覚が加速する。小生にとってはやめられないたまらない瞬間なのだ。というわけで小生は今日もまたなにがしらの浮遊感をもとめてぶらぶらしてやまないのである。（なんという日本語）。</p>
<p>そんなわけで、大学院を卒業したらますますベルリンを出る可能性が高くなって参りました。</p>
<p>今日はこれにて。そういえばグルジアいってからもう一年たったんだねえ、ちょうど一年前の今日はイスタンブールから戻って来た日だったんですが。歳月の過ぎ去り仕方矢のごとし、と後悔先にたたず。というわけで今日もひさびさの自戒。ではでは。</p>
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		<title>My web-presence &amp; WerkStadt Festival</title>
		<link>http://luegenlernen.de/2011/05/09/my-web-presence-werkstadt-festival/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=my-web-presence-werkstadt-festival</link>
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		<pubDate>Mon, 09 May 2011 09:22:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Berlin-Neukölln]]></category>
		<category><![CDATA[Kodography]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[Hej, I&#8217;m going to join the grupe exhibition on this coming weekend at WerkStadt, Berlin-Neukölln. The Programm of WerkStadt Festival you will find here. And on facebook too. My photo portfolios under these adresses: www.kodography.com (under construction, but i&#8217;m going to fix the page until the mid of this week) or www.berlin-bornholmerstr.tumblr.com The vernisage is going [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>Hej,</p>
<p>I&#8217;m going to join the grupe exhibition on this coming weekend at WerkStadt, Berlin-Neukölln.</p>
<p>The Programm of WerkStadt Festival you will find <a href="http://werkstadt-berlin.com/news/?p=1194">here</a>. And on <a href="http://www.facebook.com/event.php?eid=199461296764647">facebook</a> too.</p>
<p>My photo portfolios under these adresses:</p>
<p><a href="http://www.kodography.com">www.kodography.com</a> (under construction, but i&#8217;m going to fix the page until the mid of this week)</p>
<p>or</p>
<p><a href="http://www.berlin-bornholmerstr.tumblr.com">www.berlin-bornholmerstr.tumblr.com</a></p>
<p><a href="http://www.facebook.com/event.php?eid=185564134828075">The vernisage</a> is going to take place on this friday from 19:00 at WerkStadt, Emserstr.124, Berlin-Neukölln.</p>
<p>Hope see you on friday or on weekend at Werkstadt.</p>
<p>Kodo Miura</p>
<div class="shr-publisher-131"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F09%2Fmy-web-presence-werkstadt-festival%2F' data-shr_title='My+web-presence+%26+WerkStadt+Festival'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F09%2Fmy-web-presence-werkstadt-festival%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F05%2F09%2Fmy-web-presence-werkstadt-festival%2F' data-shr_title='My+web-presence+%26+WerkStadt+Festival'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>小咄 @ Bratislava</title>
		<link>http://luegenlernen.de/2011/04/02/%e5%b0%8f%e5%92%84-bratislava/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=%25e5%25b0%258f%25e5%2592%2584-bratislava</link>
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		<pubDate>Sat, 02 Apr 2011 23:17:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kebab VS Döner]]></category>
		<category><![CDATA[スロヴァキア]]></category>
		<category><![CDATA[チェコ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>

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		<description><![CDATA[ああ、御許しください。罪深き小生はまたしても誓いを破ってしまったのです。 それは昨年の暮れ、クリスマスイブの明日に控えました12月23日のことでありました。小生は12月中旬から一週間の滞在及んだブダペストを一路後に、ドナウ川の上にかかる橋を徒歩で越えてスロヴァキアへと一年ぶりに帰還を果たしたのでありましたが、この国境の街で道に迷い、目の前で予定の列車に置いてけぼりにされるはめに。 こうして、次のブラチスラヴァ方面の列車を2時間待つことになった小生は、同様に列車を待つロマの一家と彼らの大勢の子供達に囲まれながら、駅の待ち合い場兼居酒屋で一人ビールを、これもまたお導きなのでしょう、痛飲するはめとなったのでございます。 一人でカウンターに座りながら、ビールグラスを傾けていますと、案の定ロマ一家の一人が小生の横に座って、よー、ジャパニーズふれんど、と言うではありませんか。それでこちらも、よー、スロヴァキアンふれんど、といった具合に世知辛い世の中について語り合うというチェコやスロヴァキアのみならず、世界中どこにでもごく普通にある居酒屋談義をしながら、2時間はあっという間にすぎさったわけでした。小生はその間にビールを3杯も飲んでしまいましたが、別れ際に兄貴が飲んだビールも、確か４杯は軽くいっていたかと思いますが、気前よく招待いたしました。これもお導きのなすことと思いながら。というのもビール一杯当地では50円もしませんゆえ。 そんなこともありまして、彼らと同じ列車に乗るはずなのに、じゃあさいなら、と一方的に別れの挨拶を切り出して、今度は列車におくれてはならぬと、急ぎ足で懸けたホームで、小生の頭は既に重く、頭痛で天と地が逆さまになるぐらいに視界は定まらず、本で満載のリュックザックが重荷になり、列車のデッキに上がるのも難渋する始末。こうして這い上がるようにして乗ったブラチスラヴァ行きの列車。これも小生に課せられました試練なのでありましょうか。案の定列車の中で小生は右も左も分からぬほど大爆睡。目覚めれば、列車はブラチスラヴァの中央駅に到着する際でありました。 こうした経緯を経て、たどり着いたブラチスラヴァはすでに夜9時を回っておりまして、11年ぶりに訪れることになりましたブラチスラヴァ中央駅は案の定11年前と全く変わっておらず、変わったのは多少チェコ語とスロヴァキア語を解するようになった小生だけでありまして、11年前と全く変わらない時間が止まったかのようなブラチスラヴァ中央駅にめでたく帰還を果たしたのでありました。 ところで真っ昼間からビールを空っぽの胃袋の中に3杯も流し込んでしまったにもかかわらず、小生の胃袋はすでに日が落ちるころから悲鳴をあげ続けていました。そんなわけで、中央駅近辺のホテルにチェックインをすませた小生は、ホテルのレセプショニストおすすめのスロヴァキア料理の店がある中心部と向かうことになりました。すでに時計の針は夜の10時を回ったところ。クリスマスイヴを翌日に控えたせいか、街には人気はほとんどなく、道行く車も数えるほどでした。 この時点で小生はなんとなくいやな予感がしたものです。とりあえず、市内中心部に向かう道をいそぎながら、恐らく11年の間にこの街で起った変化を見やっていました。ブラチスラヴァという街も他の西欧の街とあまりかわらくなったものなのだなと、特にお隣のオーストリアのウィーンとの親近性を感じ取ったりもしました。 そうこう思いながら歩をすすめているうちに、レセプショニスト推薦のレストランの前にたどり着いたのです。店構えは場所がら、観光客相手ともおぼしき、しかし、年の瀬迫ったこの日、クリスマスイブを前日に控えましたスロヴァキアという国の首都でも、10時を過ぎた中心部で空いている店などさすがにほぼ皆無。とりあえず中に入ることにした小生でありました。 扉をあけて入ると中は、小生のいやな予感通り、すでに閉店モード。これもお導きなのでありましょうか。半信半疑で側にいた店員にまだ店を開けているのか、と尋ねるも、あえなく、もう看板、また明日、というつれない返事。こうして、再び人通りの極めて少ないブラチスラヴァの路地へと放りだされた小生は、いつの間にか、おそらく昼間は買い物客でにぎわっているであろうと思われるトラム通りを歩いていたのでした。 すると、通りの両脇にはちらほらと見えるではありませんか。「Kebab」のネオンが。 これはいけません。これも小生にあたえられた試練なのでありましょう。小生はベルリンのドネルことDöner Kebabを世界一とあがめているのです。ベルリンはクロイツベルク、ノイケルン、そしてヴェディングにある私たちの兄弟たちのもと以外では食さない、と固く誓っているのです。 しかし、小生の胃袋はすでに悲鳴をあげるどころではないほどの騒音をたてているではありませんか。この音は天まできっと聞こえていたであろうと小生は固く信じています。それでも、誓いを破ってはならぬ、ならぬ、ならぬ、と心の中で反芻しながら、一方で、もう一人の小生がささやくではありませんか。食わねば、腹が減る、そして腹が減って眠れぬ夜はつらく、眠れぬ夜の果ての朝はさらにつらい、明日を生きるためにはさあ食うべし、そして、生きるべしと。ああ、これは小生の中に巣食う悪魔の囁きなのでありましょうか。 こうして小生は一軒をやりすごし、二軒目をやりすごしたのですが、三軒目の前に至ったところで小生はついに「Kebab」のネオン踊る店の扉をついに押したのでした。 ふとにかえると店員の「Which sauce? Salad, everything?」の言葉に小生は、ああ、コッティの兄貴たちの（Kotti、ベルリンはクロイツベルクの中心地、ドネルケバブの聖地であるKottbusser Torのベルリンでの通称）とのやり取りを思い出しながら、ベルリンに帰還次第、懺悔のための巡礼にコッティKottiにでかけなければならない、と悔い改めていたのでした。 ああ、罪深き小生を御許しください、今日小生はまた誓いを破ってしまいました。 ではまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>ああ、御許しください。罪深き小生はまたしても誓いを破ってしまったのです。</p>
<p>それは昨年の暮れ、クリスマスイブの明日に控えました12月23日のことでありました。小生は12月中旬から一週間の滞在及んだブダペストを一路後に、ドナウ川の上にかかる橋を徒歩で越えてスロヴァキアへと一年ぶりに帰還を果たしたのでありましたが、この国境の街で道に迷い、目の前で予定の列車に置いてけぼりにされるはめに。<br />
こうして、次のブラチスラヴァ方面の列車を2時間待つことになった小生は、同様に列車を待つロマの一家と彼らの大勢の子供達に囲まれながら、駅の待ち合い場兼居酒屋で一人ビールを、これもまたお導きなのでしょう、痛飲するはめとなったのでございます。<span id="more-119"></span></p>
<p>一人でカウンターに座りながら、ビールグラスを傾けていますと、案の定ロマ一家の一人が小生の横に座って、よー、ジャパニーズふれんど、と言うではありませんか。それでこちらも、よー、スロヴァキアンふれんど、といった具合に世知辛い世の中について語り合うというチェコやスロヴァキアのみならず、世界中どこにでもごく普通にある居酒屋談義をしながら、2時間はあっという間にすぎさったわけでした。小生はその間にビールを3杯も飲んでしまいましたが、別れ際に兄貴が飲んだビールも、確か４杯は軽くいっていたかと思いますが、気前よく招待いたしました。これもお導きのなすことと思いながら。というのもビール一杯当地では50円もしませんゆえ。</p>
<p>そんなこともありまして、彼らと同じ列車に乗るはずなのに、じゃあさいなら、と一方的に別れの挨拶を切り出して、今度は列車におくれてはならぬと、急ぎ足で懸けたホームで、小生の頭は既に重く、頭痛で天と地が逆さまになるぐらいに視界は定まらず、本で満載のリュックザックが重荷になり、列車のデッキに上がるのも難渋する始末。こうして這い上がるようにして乗ったブラチスラヴァ行きの列車。これも小生に課せられました試練なのでありましょうか。案の定列車の中で小生は右も左も分からぬほど大爆睡。目覚めれば、列車はブラチスラヴァの中央駅に到着する際でありました。</p>
<p>こうした経緯を経て、たどり着いたブラチスラヴァはすでに夜9時を回っておりまして、11年ぶりに訪れることになりましたブラチスラヴァ中央駅は案の定11年前と全く変わっておらず、変わったのは多少チェコ語とスロヴァキア語を解するようになった小生だけでありまして、11年前と全く変わらない時間が止まったかのようなブラチスラヴァ中央駅にめでたく帰還を果たしたのでありました。</p>
<p>ところで真っ昼間からビールを空っぽの胃袋の中に3杯も流し込んでしまったにもかかわらず、小生の胃袋はすでに日が落ちるころから悲鳴をあげ続けていました。そんなわけで、中央駅近辺のホテルにチェックインをすませた小生は、ホテルのレセプショニストおすすめのスロヴァキア料理の店がある中心部と向かうことになりました。すでに時計の針は夜の10時を回ったところ。クリスマスイヴを翌日に控えたせいか、街には人気はほとんどなく、道行く車も数えるほどでした。</p>
<p>この時点で小生はなんとなくいやな予感がしたものです。とりあえず、市内中心部に向かう道をいそぎながら、恐らく11年の間にこの街で起った変化を見やっていました。ブラチスラヴァという街も他の西欧の街とあまりかわらくなったものなのだなと、特にお隣のオーストリアのウィーンとの親近性を感じ取ったりもしました。</p>
<p>そうこう思いながら歩をすすめているうちに、レセプショニスト推薦のレストランの前にたどり着いたのです。店構えは場所がら、観光客相手ともおぼしき、しかし、年の瀬迫ったこの日、クリスマスイブを前日に控えましたスロヴァキアという国の首都でも、10時を過ぎた中心部で空いている店などさすがにほぼ皆無。とりあえず中に入ることにした小生でありました。</p>
<p>扉をあけて入ると中は、小生のいやな予感通り、すでに閉店モード。これもお導きなのでありましょうか。半信半疑で側にいた店員にまだ店を開けているのか、と尋ねるも、あえなく、もう看板、また明日、というつれない返事。こうして、再び人通りの極めて少ないブラチスラヴァの路地へと放りだされた小生は、いつの間にか、おそらく昼間は買い物客でにぎわっているであろうと思われるトラム通りを歩いていたのでした。</p>
<p>すると、通りの両脇にはちらほらと見えるではありませんか。<strong>「Kebab」</strong>のネオンが。</p>
<p>これはいけません。これも小生にあたえられた試練なのでありましょう。小生はベルリンのドネルことDöner Kebabを世界一とあがめているのです。ベルリンはクロイツベルク、ノイケルン、そしてヴェディングにある私たちの兄弟たちのもと以外では食さない、と固く誓っているのです。</p>
<p>しかし、小生の胃袋はすでに悲鳴をあげるどころではないほどの騒音をたてているではありませんか。この音は天まできっと聞こえていたであろうと小生は固く信じています。それでも、誓いを破ってはならぬ、ならぬ、ならぬ、と心の中で反芻しながら、一方で、もう一人の小生がささやくではありませんか。食わねば、腹が減る、そして腹が減って眠れぬ夜はつらく、眠れぬ夜の果ての朝はさらにつらい、明日を生きるためにはさあ食うべし、そして、生きるべしと。ああ、これは小生の中に巣食う悪魔の囁きなのでありましょうか。</p>
<p>こうして小生は一軒をやりすごし、二軒目をやりすごしたのですが、三軒目の前に至ったところで小生はついに<strong>「Kebab」</strong>のネオン踊る店の扉をついに押したのでした。</p>
<p>ふとにかえると店員の「Which sauce? Salad, everything?」の言葉に小生は、ああ、コッティの兄貴たちの（Kotti、ベルリンはクロイツベルクの中心地、ドネルケバブの聖地であるKottbusser Torのベルリンでの通称）とのやり取りを思い出しながら、ベルリンに帰還次第、懺悔のための巡礼にコッティKottiにでかけなければならない、と悔い改めていたのでした。</p>
<p>ああ、罪深き小生を御許しください、今日小生はまた誓いを破ってしまいました。</p>
<p>ではまた自戒。</p>
<div class="shr-publisher-119"></div><!-- Start Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic --><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><div class='shareaholic-like-buttonset' style='float:none;height:30px;'><a class='shareaholic-fblike' data-shr_layout='button_count' data-shr_showfaces='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F04%2F02%2F%25e5%25b0%258f%25e5%2592%2584-bratislava%2F' data-shr_title='%E5%B0%8F%E5%92%84+%40+Bratislava'></a><a class='shareaholic-fbsend' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F04%2F02%2F%25e5%25b0%258f%25e5%2592%2584-bratislava%2F'></a><a class='shareaholic-googleplusone' data-shr_size='medium' data-shr_count='false' data-shr_href='http%3A%2F%2Fluegenlernen.de%2F2011%2F04%2F02%2F%25e5%25b0%258f%25e5%2592%2584-bratislava%2F' data-shr_title='%E5%B0%8F%E5%92%84+%40+Bratislava'></a></div><div style="clear: both; min-height: 1px; height: 3px; width: 100%;"></div><!-- End Shareaholic LikeButtonSetBottom Automatic -->]]></content:encoded>
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		<title>（再）Going in Silesia (1): “Kebab” VS “Döner”</title>
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		<pubDate>Sat, 02 Apr 2011 23:17:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Kodo</dc:creator>
				<category><![CDATA[Kebab VS Döner]]></category>
		<category><![CDATA[Urban exploring]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリン]]></category>
		<category><![CDATA[ポーランド]]></category>

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		<description><![CDATA[ほぼ一ヶ月を過ごしたプラハから一路東スロヴァキアはコシィチェに向かった小生は、スロヴァキアから一路タトラ山脈を越えて、今年なぜかすでに3回 目になるクラクフにいる。泊まっているホテルのレセプションののお姉ちゃんに、そんなにクラクフが好きなのと聞かれても、全く、そうなんだわ、ともいえな い。にもかかわらず今年3度目。４月、７月そして今回。クラクフは中央ヨーロッパの交通の要所にある。ベルリンとウクライナ、もしくはスロヴァキアの間をそれぞれ移動するとやはりこの街を通ることになる。だからなのだろう。 昨日一日シロンスク地方をさすらってきた。クラクフを昼前にでて、クラクフへと戻って来たのは真夜中近く。帰り夕方も８時前に乗ろうとした列車はなぜか遅れに遅れ、予定の時刻を20分過ぎても現れる気配もなし。構内放送に耳を傾けても、チェコとスロヴァキアで一ヶ月を過ごして後に聞く、あいかわらず早口でイントネーションの高低がほとんどないポーランド語は半分もわからない。数字と乗ろうとする列車が遅れていることぐらいがかろうじて分かる程度。その上、言葉尻のスウンとかチョンとかイェゴが耳にまとわりつくポーランド語が、チェコ語とスロヴァキア語に慣れた耳には、なぜか中国語のように聞こえる。 スロヴァキア人の友人が、ポーランドはヨーロッパの中国／ヴェトナムといったのを思い出して、おもわず北風のぴゅーぴゅーふくプラットホームの上で一人笑い。 予定の時間を３０分ほど過ぎて、なんの予告もなく、なぜか定刻通りにやってきたクラクフ行きの他の急行列車がひとつ離れた別のプラットホームになだ れこんでくる。それをみて、小生もとい小生同様クラクフ行きの地域間快速（IR)をまっていた人たちが、一様にその列車が入って来たホームに走るも、スパルタな女車掌に、全員違う切符をもっているというので、乗車拒否。 というわけで、吹きさらしのカトヴィッツェ中央駅のプラットフォームの上で、10月の中旬にして突如やって来た真冬並みの寒波に震えながら、がらがらの急行列車を人気の全くないホームの上で、乗車拒否された一同列車を見送るのだが、日も暮れに暮れた暗いプラットフォームでさらに小一時間を過ごしながら、なんとまあ、毎度いつもこんな目に遭いながら、なぜいつも同じようなことをしたがるんだろうと思うことしきり。 予定よりも一時間２０ 分程後、なんの予告もなく、やっと現れた列車をみても、ホームにいた一同、お互いにこれが俺らの列車だよな、と疲れと寒さからか全く確信なくお互いを見るのみ。暖房が暑いぐらいきいている車内では、吹きさらしのプラットホームの上で待ちくたびれた人々、各々の座席で速攻ダウン。気がつけば、目の前の斜め前の座席からストッキングをはいただけの女の人の足があらわに通路につきでていて、となりに座っていたポーランド兄貴とともに目を丸くさせる。 よく見ると、こんな天気にもかかわらずかなり短いスカートをはいた銀行勤めぽいお姉さんが、完全にダウンしていた。しかし、小生にそれも眺める気力もな く、小生もいつしか眠りにおちる。そして、気がつくと、今年何度乗り降りしたか分からないクラクフ中央駅のホームに列車が到着するところだった。 というわけで、毎回のことであったが、その日はまだ続きがあった。その後、宿へむかうべく旧市街を通り過ぎる最中のことである。 そんな一日をすごしたこともあって、宿への帰り道小生は腹がへっては仕方が無い。カトヴィツェのホームで待っている間に、なにか軽く食べてもよかっ てのであるが、なにせここはポーランドゆえ、いつ目的の列車がホームになだれ込んでくるかわからなかったゆえ、一時間半も北風の吹きすさむカトヴィッツェ中央駅のプラットホーム三番線上で、無為に過ごすはめになったのである。 ところで、腹をすかせた小生の目にやたらめたらとびこんでくるのは、ポーランドでもまたポピュラーになりつつある「ケバブKebab」の文字である。小生にとって世界最高のケバブとはいうまでもなく、ベルリンのケバブである。それゆえ、それもクロイツベルク、ノイケルン、ヴェディンクの特定のドネル屋以外では絶対に食さないというのが小生が一生をかけて守らねばならぬ原則の一つなのであるが、一歩ゆずって、あるはずなのであるが。しかし。 そんな小生はベルリンの外で、常に正統なベルリンのドネル・ケバブではなく「ケバブ」なるパチものをつかまされてきた経験から、そんな「ケバブ」なるものをみても冷ややかに「ふん」とやりすごすだけなのである。が、しかし、人間腹が減るとそんな原則などクソクラエとばかりに、よう兄貴、「ケバブ」一丁、と注文するのは、空腹ゆえ。期待とは裏腹の全くもっと異なる「ケバブ」なるパチ物をつかまされながらも、食わねば腹がなる、食わねば明日がつらいのであると思いながら、とある意味空腹時以外の時の冷ややかな自分にもどるのである。その「ケバブ」なる食い物に食らいつきながら、ああ、くそまじい、ベルリンのドネルが恋しいぞおとばかりに思い出すのは、もちろん、ベルリンのドネル屋兄貴との典型的なやりとり、「ゔぇるひぇぞーせー、さらだあこんぷれえと？」、大阪ミナミ方言まじりに訳すると、「ソースどないしまんねん、野菜全部いれるか、よっしゃ、ほんで段取りつけとくさかいにな」と大阪のお好み焼き屋のおばはんのしばきもかくやの触れ合いなのだ。 てなわけで、クラクフ旧市街を腹ぺこでゆく小生の目にとびこんでくるのは、今現在クラクフにて急増中の「ケバブ」の文字ばかり。まだピエロギ でもくわしてくれる店はないのか、と目をこらすが、時間も時間、すでに23時を回っている。最初は、「ケバブ」だめじゃ、ベルリンのドネルを裏切っ てはならぬ、と自制心をはたらかせるが、この日は通る道筋に、やたらめたら「ケバブ」の文字が飛びこんでくる。二軒三軒をすぎたまではむきに自制心をはたらかせていたが、「ケバブ」以外に空いている店がなかなかみつからず、次々に視界に飛び込んでくる「ケバブ」を四五軒はやり過ごしたあたりになると、今日は「ケバブ」にするしかないか、とこれまでの大言壮語もどこへやら、ついに、旧市街の端にある「ケバブ」のネオンのおどる店へと足をむけてしまった。 店の兄貴をみると、間違いなくトルコ人。小生によって勝手にトルコ人と断定された兄貴に、サラム、と声をかけると、兄貴も、おおお、とうなり声をあげ、さあらむう、と返事。小生はだてにベルリンはクロイツベルク、ノイケルン、ヴェディンクで日々兄貴相手にもまれているわけではないのである。よお、兄貴、ドネルだ、 「ケバブ」じゃない、ドネルを頼む、というと、おうけーい、じゃぱにーずふれんど、と言う前から日本人認定される。最近、ヴェトナム人とかウズベク人とかカザフ人認定されることが多いので、おお、これぞおお、ほんまもんのトルコ兄貴、しかも＠クラクフじゃ、と感動してしまう。そして、兄貴のたまうに、英語で、どのソースじゃ、サラダは全部かあである。こちらは、英語のこの会話に面食らいながらも、もちろん、すぱいしー／まよ、みっくすでたのんます、と答える。おおう、 あめえさん、ドイツ人みてえだな、と返す。あたぼうよ、おいどんはドネルの本場ベルリンから来たのよ、と答える。すると、兄貴は喜々として、すぷりすどぅどいちゅ？（ドイツ語しゃべるんかい？）である。こちらは、おお、それじゃあ、話ははええな、兄貴、くろいたーしゃーふ、さらだあれす、みっとつゔぃーべ るん、びって（パセリマヨネーズソース、スパイシーソース、もちろんタマネギ入で段取りつけたってくれい）、である。喜々とした兄貴はさっそうと「ケバ ブ」ではない「ドネル」をあいよ、いっちょあがり、と喜々としてよこす。１０ずおってぃ（ZL;ポーランドの通貨)、びって、である。こちらは、てしぇけれ（あんがとよ）と返して、ぼんあぺてぃと、やー？（めしあがれえ、どおうぞ）である。 これこそ、小生がこの一月の間懐かしんだベルリンの一部なのだ。こうして手にした「ケバブ」は即効小生にとって「ドネル」と認定されたのであった。 味はやっぱりベルリンのドネルにはおよばへんな、とベルリンのドネルを懐かしむのだけれど、こうして「ドネル」文化がベルリン以外に広がるのはいいことなのである、と思う小生でありました。同時に、そろそろベルリンにかえるときなのかな、と底冷えのするクラクフの夜を宿へといそいだのでありました。 以上が昨日の帰り道の小ばなしなのであるが、ところで、そうまでしていったシロンスク地方に何があるかといわれると、正直なところ、やはりくたびれ た炭坑とすすけたコンビナート、それからぼた山ぐらいしか思いつかない。これは、昨日丸一日を現地で過ごした今でも、尋ねられればそう答えるであろう。そ れが事実であることにはかわりわない。とはいえ、そういったステレオタイプを一掃するには、やはり現地に行くしか無い。そんなわけで、昨日午前、クラクフ から約８０キロ離れたカトヴィッツェへ向かう列車の人となったのである。 今日はこれでおひらきといたしますが、また予告編で終わらないよう、小生また一層の精進に勤める所存であります。一日おいて明日もカトヴィッツェ周辺をさすらう予定であります。その話はまたその二以降にゆずることにいたしましょう。そんなわけで今日はまた自戒。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<!-- Start Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><!-- End Shareaholic LikeButtonSetTop Automatic --><p>ほぼ一ヶ月を過ごしたプラハから一路東スロヴァキアはコシィチェに向かった小生は、スロヴァキアから一路タトラ山脈を越えて、今年なぜかすでに3回 目になるクラクフにいる。泊まっているホテルのレセプションののお姉ちゃんに、そんなにクラクフが好きなのと聞かれても、全く、そうなんだわ、ともいえな い。にもかかわらず今年3度目。４月、７月そして今回。クラクフは中央ヨーロッパの交通の要所にある。ベルリンとウクライナ、もしくはスロヴァキアの間をそれぞれ移動するとやはりこの街を通ることになる。だからなのだろう。</p>
<p>昨日一日シロンスク地方をさすらってきた。クラクフを昼前にでて、クラクフへと戻って来たのは真夜中近く。帰り夕方も８時前に乗ろうとした列車はなぜか遅れに遅れ、予定の時刻を20分過ぎても現れる気配もなし。構内放送に耳を傾けても、チェコとスロヴァキアで一ヶ月を過ごして後に聞く、あいかわらず早口でイントネーションの高低がほとんどないポーランド語は半分もわからない。数字と乗ろうとする列車が遅れていることぐらいがかろうじて分かる程度。その上、言葉尻のスウンとかチョンとかイェゴが耳にまとわりつくポーランド語が、チェコ語とスロヴァキア語に慣れた耳には、なぜか中国語のように聞こえる。 スロヴァキア人の友人が、ポーランドはヨーロッパの中国／ヴェトナムといったのを思い出して、おもわず北風のぴゅーぴゅーふくプラットホームの上で一人笑い。<span id="more-37"></span></p>
<p>予定の時間を３０分ほど過ぎて、なんの予告もなく、なぜか定刻通りにやってきたクラクフ行きの他の急行列車がひとつ離れた別のプラットホームになだ れこんでくる。それをみて、小生もとい小生同様クラクフ行きの地域間快速（IR)をまっていた人たちが、一様にその列車が入って来たホームに走るも、スパルタな女車掌に、全員違う切符をもっているというので、乗車拒否。</p>
<p>というわけで、吹きさらしのカトヴィッツェ中央駅のプラットフォームの上で、10月の中旬にして突如やって来た真冬並みの寒波に震えながら、がらがらの急行列車を人気の全くないホームの上で、乗車拒否された一同列車を見送るのだが、日も暮れに暮れた暗いプラットフォームでさらに小一時間を過ごしながら、なんとまあ、毎度いつもこんな目に遭いながら、なぜいつも同じようなことをしたがるんだろうと思うことしきり。</p>
<p>予定よりも一時間２０ 分程後、なんの予告もなく、やっと現れた列車をみても、ホームにいた一同、お互いにこれが俺らの列車だよな、と疲れと寒さからか全く確信なくお互いを見るのみ。暖房が暑いぐらいきいている車内では、吹きさらしのプラットホームの上で待ちくたびれた人々、各々の座席で速攻ダウン。気がつけば、目の前の斜め前の座席からストッキングをはいただけの女の人の足があらわに通路につきでていて、となりに座っていたポーランド兄貴とともに目を丸くさせる。 よく見ると、こんな天気にもかかわらずかなり短いスカートをはいた銀行勤めぽいお姉さんが、完全にダウンしていた。しかし、小生にそれも眺める気力もな く、小生もいつしか眠りにおちる。そして、気がつくと、今年何度乗り降りしたか分からないクラクフ中央駅のホームに列車が到着するところだった。</p>
<p>というわけで、毎回のことであったが、その日はまだ続きがあった。その後、宿へむかうべく旧市街を通り過ぎる最中のことである。</p>
<p>そんな一日をすごしたこともあって、宿への帰り道小生は腹がへっては仕方が無い。カトヴィツェのホームで待っている間に、なにか軽く食べてもよかっ てのであるが、なにせここはポーランドゆえ、いつ目的の列車がホームになだれ込んでくるかわからなかったゆえ、一時間半も北風の吹きすさむカトヴィッツェ中央駅のプラットホーム三番線上で、無為に過ごすはめになったのである。</p>
<p>ところで、腹をすかせた小生の目にやたらめたらとびこんでくるのは、ポーランドでもまたポピュラーになりつつある「ケバブKebab」の文字である。小生にとって世界最高のケバブとはいうまでもなく、ベルリンのケバブである。それゆえ、それもクロイツベルク、ノイケルン、ヴェディンクの特定のドネル屋以外では絶対に食さないというのが小生が一生をかけて守らねばならぬ原則の一つなのであるが、一歩ゆずって、あるはずなのであるが。しかし。</p>
<p>そんな小生はベルリンの外で、常に正統なベルリンのドネル・ケバブではなく「ケバブ」なるパチものをつかまされてきた経験から、そんな「ケバブ」なるものをみても冷ややかに「ふん」とやりすごすだけなのである。が、しかし、人間腹が減るとそんな原則などクソクラエとばかりに、よう兄貴、「ケバブ」一丁、と注文するのは、空腹ゆえ。期待とは裏腹の全くもっと異なる「ケバブ」なるパチ物をつかまされながらも、食わねば腹がなる、食わねば明日がつらいのであると思いながら、とある意味空腹時以外の時の冷ややかな自分にもどるのである。その「ケバブ」なる食い物に食らいつきながら、ああ、くそまじい、ベルリンのドネルが恋しいぞおとばかりに思い出すのは、もちろん、ベルリンのドネル屋兄貴との典型的なやりとり、「ゔぇるひぇぞーせー、さらだあこんぷれえと？」、大阪ミナミ方言まじりに訳すると、「ソースどないしまんねん、野菜全部いれるか、よっしゃ、ほんで段取りつけとくさかいにな」と大阪のお好み焼き屋のおばはんのしばきもかくやの触れ合いなのだ。</p>
<p>てなわけで、クラクフ旧市街を腹ぺこでゆく小生の目にとびこんでくるのは、今現在クラクフにて急増中の「ケバブ」の文字ばかり。まだピエロギ でもくわしてくれる店はないのか、と目をこらすが、時間も時間、すでに23時を回っている。最初は、「ケバブ」だめじゃ、ベルリンのドネルを裏切っ てはならぬ、と自制心をはたらかせるが、この日は通る道筋に、やたらめたら「ケバブ」の文字が飛びこんでくる。二軒三軒をすぎたまではむきに自制心をはたらかせていたが、「ケバブ」以外に空いている店がなかなかみつからず、次々に視界に飛び込んでくる「ケバブ」を四五軒はやり過ごしたあたりになると、今日は「ケバブ」にするしかないか、とこれまでの大言壮語もどこへやら、ついに、旧市街の端にある「ケバブ」のネオンのおどる店へと足をむけてしまった。</p>
<p>店の兄貴をみると、間違いなくトルコ人。小生によって勝手にトルコ人と断定された兄貴に、サラム、と声をかけると、兄貴も、おおお、とうなり声をあげ、さあらむう、と返事。小生はだてにベルリンはクロイツベルク、ノイケルン、ヴェディンクで日々兄貴相手にもまれているわけではないのである。よお、兄貴、ドネルだ、 「ケバブ」じゃない、ドネルを頼む、というと、おうけーい、じゃぱにーずふれんど、と言う前から日本人認定される。最近、ヴェトナム人とかウズベク人とかカザフ人認定されることが多いので、おお、これぞおお、ほんまもんのトルコ兄貴、しかも＠クラクフじゃ、と感動してしまう。そして、兄貴のたまうに、英語で、どのソースじゃ、サラダは全部かあである。こちらは、英語のこの会話に面食らいながらも、もちろん、すぱいしー／まよ、みっくすでたのんます、と答える。おおう、 あめえさん、ドイツ人みてえだな、と返す。あたぼうよ、おいどんはドネルの本場ベルリンから来たのよ、と答える。すると、兄貴は喜々として、すぷりすどぅどいちゅ？（ドイツ語しゃべるんかい？）である。こちらは、おお、それじゃあ、話ははええな、兄貴、くろいたーしゃーふ、さらだあれす、みっとつゔぃーべ るん、びって（パセリマヨネーズソース、スパイシーソース、もちろんタマネギ入で段取りつけたってくれい）、である。喜々とした兄貴はさっそうと「ケバ ブ」ではない「ドネル」をあいよ、いっちょあがり、と喜々としてよこす。１０ずおってぃ（ZL;ポーランドの通貨)、びって、である。こちらは、てしぇけれ（あんがとよ）と返して、ぼんあぺてぃと、やー？（めしあがれえ、どおうぞ）である。</p>
<p>これこそ、小生がこの一月の間懐かしんだベルリンの一部なのだ。こうして手にした「ケバブ」は即効小生にとって「ドネル」と認定されたのであった。 味はやっぱりベルリンのドネルにはおよばへんな、とベルリンのドネルを懐かしむのだけれど、こうして「ドネル」文化がベルリン以外に広がるのはいいことなのである、と思う小生でありました。同時に、そろそろベルリンにかえるときなのかな、と底冷えのするクラクフの夜を宿へといそいだのでありました。</p>
<p>以上が昨日の帰り道の小ばなしなのであるが、ところで、そうまでしていったシロンスク地方に何があるかといわれると、正直なところ、やはりくたびれ た炭坑とすすけたコンビナート、それからぼた山ぐらいしか思いつかない。これは、昨日丸一日を現地で過ごした今でも、尋ねられればそう答えるであろう。そ れが事実であることにはかわりわない。とはいえ、そういったステレオタイプを一掃するには、やはり現地に行くしか無い。そんなわけで、昨日午前、クラクフ から約８０キロ離れたカトヴィッツェへ向かう列車の人となったのである。</p>
<p>今日はこれでおひらきといたしますが、また予告編で終わらないよう、小生また一層の精進に勤める所存であります。一日おいて明日もカトヴィッツェ周辺をさすらう予定であります。その話はまたその二以降にゆずることにいたしましょう。そんなわけで今日はまた自戒。</p>
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