チャリ通たちの蜂起

月に一度に「発生」する自転車の大軍 クリティカル・マスという言葉を初めて耳にしたのは昨年ぐらいのことだった。カリフォルニア出身の女友達が、ベルリンでもここ数年クリティカル・マスという名の自転車デモが「起こる」とようになってきて、数千人サイクリストがベルリンの街中を行く様は壮観だった、と興奮気味に語っていたのが、初めてだったと記憶している。

ダニエル・ドゥフェールによるミシェル・フーコー。

ミシェル・フーコーという思想家が鬼籍にはいって、今年で31年になる。 最近、フーコーの生前の公私におけるパートナーであったダニエル・ドゥフェールが、ドイツはdie Tageszeitung誌のインタビューに応えた。ドゥフェールのインタビュー形式の自伝が、ベルリンはメルヴェMerve Verlagからドイツ語で翻訳出版されたのに際しての行なわれたものであった。 ダニエル・ドフェールは1937年生まれの今年78歳。1926年生まれのフーコーの11歳年下である。ドゥフェール自身も社会学者であり哲学者であるが、なによりも、フーコーの死後、エイズ及びその患者の為に立ち上げたAIDESという組織の発起人としても知られている。 ドゥフェール自身によって語られる自身の政治的経歴、そしてフーコーとの公私における関係についての下りは、それだけでも興味深い。特に、フーコーがどれだけ国家権力と日頃から敵対的にあったか、という闘う思想家の一面をかいま見るに充分なエピソードも語られている。

最後のパサージュ。スペイン、ポルボウ、2012年10月23日。

忙しいことにかこつけて、なんでも言い訳が許されるように思うと、そのうち自分の日々の作業自体が滞りはじめるようになる。 今年は、第二次大戦集結70年の年でもあったが、大戦勃発からも今年で4分の3世紀が過ぎ去ったことについてはなかなか人々やメディアの言葉の端にのることはなかなかない。 そうする中、先月末の9月26日、20世紀前半を代表する思想家であるヴァルター・ベンヤミン没後75年という節目を迎えた。 今日の御題はこの節目の日の為に用意していたのであったが、うっかり、亡失、そのうち二週間も過ぎてしまった。遅きに越したことはないが、今日小生が語る内容は、ある程度、昨今の難民の問題とリンクする、アクチュアルなテーマと考えているので、今日改めてこのLügenlernenに更新することにした。

カオスコンピュータークラブ(CCC)は連邦政府を刑事告発する。

カオスコンピュータークラブをご存知だろうか? 通称CCC(Chaos computer club)とよばれているこの団体はいわゆるハッカーの集団で、すでにコンピューターという概念が一般化する以前、1980年代からその活動と続けており(設立は1981年)、現在において、世界でももっとも活発なハッカー集団のみならず、ヴァーチャルな空間、つまりインターネットにおける検閲なき自由とその権利に対してもっともラディカルに戦っている集団の一つである。 本部はベルリンにあり、毎年12月にはその総会、「カオス・コミュニケーション・コングレス」が開催され、数々のウォークショップなどがその中で行なわれる。

ユーリ・アンドゥルホヴィチによる昨今のウクライナ情勢についての公開書簡。

皆様もご存知かと思うが、年末からキエフの独立広場を占拠したヤヌコビッチ政権へのプロテスト行動が今現在も続いている。 キエフでの状況はここ数日である意味臨界点に達したともいえる。抗議行動への弾圧は現地でも相当にエスカレートしている模様で、政権は抗議行動をあの手この手を使って取り締まろうとしている。 ここ数日メディアを飛び交う写真や映像はとても現実のものとは思えないほどだ。 http://www.boston.com/bigpicture/2014/01/riots_in_ukraine.html http://www.rferl.org/media/photogallery/25240076.html 昨日、ウクライナ人作家のユーリ・アンドゥルホヴィチによるウクライナ情勢についての公開書簡が、彼の著作を発表しているドイツのズールカンプ社を通じて、発表された。時同じくして、同様に彼の著作を出版しているポーランドのチャルネ社からも同じ内容の書簡が公開された。皆様もご存知かと思うが、年末からキエフの独立広場を占拠したヤヌコビッチ政権へのプロテスト行動が今現在も続いている。

吉田寮食堂、京都市左京区、2012年1月。

つい先日京都大学の西部講堂の話をしたので、今度は京都大学構内でも学内をかつては三分するほどの拠点を誇った吉田寮とその食堂の話をしよう。 京都の大学生にもなれない浪人退屈男の一人であった小生にとって、京都大学とは背伸びをしても入れない雲の上のような場所であったというよりも、退屈な日々を紛らわすのにふさわしい時間と場所を提供してくれるところに他ならなかった。 その中の一つが吉田寮食堂だ。名前の通りここは、吉田寮という京都大学に属する学生寮の食堂なのであるが、実態はその名前と非常にかけ離れている。

この呪われたる「自由」の国に。

誰もが考えたくない結末だろうが、今やあらゆる可能性を思いめぐらせる必要がある状況に至ったのかもしれない。しかし、そのような危惧は実は別の意味で的外れということに気がついた。 「戦争は絶対にさけなければならない、あるいはおこしてはならない」ということを絶対的前提。なのに、「戦争がおこったときの備え」についてイの次に口するやつが背後にいるのは必ず、「戦争」という資本主義にとっての最高にスリリングなゲームが、そしてもっとも手っ取り早く甘い汁を据える方法であるがゆえだ。

久々のデモ。

先週の土曜日久々にデモにいってきた。3年前の大学占拠が失敗に終り、失意のどん底にあった小生は捲土重来を期して野に下ったのであるが、今回が久々のデモ復帰でもあった。多分2010年6月の学生デモ以来じゃないか。 といってもまあ天気がよかったのにポーランドから帰ってきてからというものの、色々と作業におわれて全く外にでれなかったので、たまには外にいくべ、まずはドネルでも食いにいくだ、と例のごとくベルリンに帰還して初めてのドネルケバブを食しにノイケルンの雑踏に身を乗り出した小生の前にこのデモのポスターがどーんと飛び込んできたのである。

山が転がる。Rollberg, Berlin-Neukölln

小生の自宅の近く、ベルリンはノイケルンにRollbergという界隈がある。 ここにはかつてのベルリナーキンデルの醸造所があって、長い間、といっても、その跡の再利用をめぐっていろいろ試験的に文化的な催しが開かれたり、またはクラブとして使われていた時期があったりした。自前の醸造タンクをもったビアハウスもキンデルが北ベルリンのヴァイセンゼーに引っ越してからかつての醸造所の中にできたが、もう5、6年前になるだろうか。