ダニエル・ドゥフェールによるミシェル・フーコー。

ミシェル・フーコーという思想家が鬼籍にはいって、今年で31年になる。 最近、フーコーの生前の公私におけるパートナーであったダニエル・ドゥフェールが、ドイツはdie Tageszeitung誌のインタビューに応えた。ドゥフェールのインタビュー形式の自伝が、ベルリンはメルヴェMerve Verlagからドイツ語で翻訳出版されたのに際しての行なわれたものであった。 ダニエル・ドフェールは1937年生まれの今年78歳。1926年生まれのフーコーの11歳年下である。ドゥフェール自身も社会学者であり哲学者であるが、なによりも、フーコーの死後、エイズ及びその患者の為に立ち上げたAIDESという組織の発起人としても知られている。 ドゥフェール自身によって語られる自身の政治的経歴、そしてフーコーとの公私における関係についての下りは、それだけでも興味深い。特に、フーコーがどれだけ国家権力と日頃から敵対的にあったか、という闘う思想家の一面をかいま見るに充分なエピソードも語られている。

スターリンかマイケルか − 歴史の大皮肉について。

最近話題の白井聡氏の「永続敗戦論」が今回の帰国後、まず手が伸びた本だった。昨年の春出版されて以降、今に至る迄版を重ね続けている話題の書。今年の秋いまさらながら小生もこの本を手にした。 白井氏は本書の末尾に、彼がベルリンを訪れた際にブランデンブルク門横で目の当たりにした奇妙な記念碑について書いている。それは「対独戦戦勝記念碑」という。それが、なぜブランデンブルク門と戦勝記念碑(ジーゲスソイレ)の間、しかも旧西ベルリン側に建造されたのかは、未だに謎だが、その記念碑のその存在自体が大いなる皮肉ではある。つまり、俺たち(ソ連をはじめとした連合国)がきさまら非道なファシストに勝利したことを、永遠に忘れることなかれ、と。

京都・東山今熊野、2012年11月、並びにベルリン、2013年2月。

この地にはらまれしもの、 この地に生をうけるもの、 この地で地の祝福をうけ、 この地の灰となりし塵となれる、 汝と我のこと。 この地にありしものが、 そこに在る過程へと、 やがては地に朽ち果て、 再び塵と化し灰となり、 滅び行く姿を捉える、 容赦ない観察者。 その姿を捉えるはその一瞬一瞬である齣にすぎない。

鳥居が団地の下。Britzer Damm, Berlin-Neukölln, 17.5.2012

ここのところあまりにも家にひきこもりすぎで、たいした遠出もしていないな、ということに気がついたとある夕方のことだった。 久々に団地逍遥でもしたかったのだけれど、小生宅から一番最寄りのベルリン四大団地の一つであるグロピウスシュタットまでは歩いていくのは面倒な距離なので、もう一度先日言及したRollbergの側を通って、テンペルホーファーフェルドの横を通り過ぎたあと、南に方角を転じ、ベルリンの環状線の線路を跨いで後、テルトウ運河まで歩いて、あとは、運河沿いをとことこ散歩していた。