ベルリンなる無縁の地をあとに
僕が14年の時を過ごしたベルリンとは無縁の地ではないか、という思いが京都に帰還して一年経とうとする今になって首をもたげてきた。 „ベルリンからまた別の「ベルリン」へ“ weiterlesen
コロナ時代の辺境地帯の歩き方について
僕が14年の時を過ごしたベルリンとは無縁の地ではないか、という思いが京都に帰還して一年経とうとする今になって首をもたげてきた。 „ベルリンからまた別の「ベルリン」へ“ weiterlesen
今日の御題はロシア人作家あるいは活動家のエドゥアルド・リモノフについて。というよりも、エドゥアルド・リモノフについて書いたログを再投稿しようとして介入してきた雑念が実はお題である。 „日常生活の冒険は、自己責任で。“ weiterlesen
クリティカル・マスという言葉を初めて耳にしたのは昨年ぐらいのことだった。カリフォルニア出身の友達が、ベルリンでもここ数年クリティカル・マスという名の自転車デモが「起こる」ようになってきて、数千人サイクリストがベルリンの街中を行く様は壮観だった、と興奮気味に語っていた。 „チャリ通たちの蜂起“ weiterlesen
先週半ば、カメラバックの奥底からカラーのブローニーフィルム2ロール、一年ぶりぐらいに発掘された。特に何を撮ったのか思いを巡らせることもせず、そのまま、他のフィルムと一緒にそのブローニーフィルムを現像に出したのが、一昨日ぐらいに戻って来た。
ひょんなことからその存在をすっかり忘れていたそのネガティヴには、ちょうど去年の今頃、プラハを去る前ごろに撮った絵が写し込まれていた。
昨年の今頃はまだプラハに住んでいたのだ。
この春から夏にかけて博士論文の執筆とリサーチで図書館に住むような生活が続いていたその多忙さから、昨年の今頃の話など、遥か彼方の昔である。
ベルリン帰還間近、と本日はプラハから打電。
まもなく1年にわたるプラハ滞在も残すところあと一月。時の過ぎ去り方の早さに愚痴をこぼしても、瑣末なだけゆえ、これからじっくりその濃密なプラハもといチェコでの1年間について、おいおい語っていきたいと思っている。
このところは実にベルリン帰還を果たしてはいる。それこそ二週間もとい三週間に一回のペースで。
先週末も実はベルリンにいたのであるが、天気も良かったことであるので、久々にベルリンより、ポツダムを超えてさらに西にあるブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルへ。 „ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル、6時間、2014年9月15日“ weiterlesen