最強のビール注ぎ職人はポニー。ブルノ、チェコ共和国、2014年4月12日。

この4週間で三回目の訪問となったモラヴィアの首都はブルノでのことであった。(その一回目のストーリーはここから、英語) そこにいたこれまで小生が見て来た中で最強のビール注ぎ職人の話である。 あほーい、今おいどんはブルノじゃけんど、ちょっくらモラビアくんだりまでこやしまへんか、とその前日の金曜日の深夜前に小生のダチより連絡が。 なんで、土曜日の午前中に、ブルノへいくだ、と手帳と読みかけの本を一冊とカメラだけをもって近所のパン屋に出かけるような格好で、プラハの中央駅に向かったのであった。

プラハの飲み屋の一人で佇む親父列伝Ⅲ。プラハ・マラー・ストラナー、2014年3月25日。

プラハの飲み屋で1人で佇む親父はいつでもミステリアスである。 かなり近寄り難いオーラを発しているが、なかなか愉快な親父であることも多い。 豪快親父の武勇伝を店がカンバンになるまで語ってくれることだろう。 ちなみに、この飲み屋は、プラハではまだ大量増殖する手前にあるヒップスター占有率80%程度の店なのだが、それでもこの親父が、店内衆目の中、ヒップスターとギャルの間を大行進する様、豪快に突撃してくる様が、素晴しく痛快であった。

Bio-Oko, プラハ・ホレショビチェ、2014年2月23日

ベルリン映画祭などで滞在が思いのほか長引いて3週間の長きにおよび, プラハ帰還はついこの日曜日の正午ごろにずれ込んででしまった。 家に帰れば、マヌケチェック同居人が3週間の間まるで家の掃除をした形跡もなく、 小生の部屋のベットではあの雌犬が昼寝をしていたらしく、ベットは犬の毛まみれという大惨事。 帰宅の午後中を家の掃除に費やすはめに。

最近日本人を「飼い始めた」プラハ・ヴィノフラディの雌犬の小話。

妾は犬である。白の雌犬である。生年月日は知らぬ。 妾を「飼っている」とおめでたくも錯覚している痴れ者、ともかくも妾の書類上の「飼い主」である、チェコ人ダヴィド・Jがいうには2013年の一月ということである。 なので、妾はまだ一歳になっていないということである。 しかし、妾も間もなく一歳になる。かくして犬も年を重ねる。あなおかしである。

プラハにて犬に連れられて棒にあたる日々。

ベルリンにおりしころ、犬をつれて歩く人々を「犬に飼われる人々」と皮肉っていたことがある。 「パンク犬」という黒いシェパード犬に引っ張られるように道をゆくようなパンク達が長い間、ベルリンでは「犬に飼われる人々」の代表格であったが、最近はヒップスターやらモンスターペアレンツやそのご主人様であらせられるモンスターチルドレンを前に実に肩身が狭そうである。従って、ベルリンでもそんなパンク犬や彼ら彼女らが引きつらるパンク達を見かけることも段々と稀になりつつある。 とはいえ、プラハにおいて、当地のパンクがつれて歩くような犬は、実は小型の可愛らしい御犬様であることが多い。

プラハの飲み屋の一人で佇む親父列伝Ⅱ。プラハ・ホレショヴィッツェ。2013年11月8日。

プラハの北の下町はホレショヴィッツェにある小生が昨今最も愛するチェコ飲み屋でのことだ。 前回紹介した半ズボン親父の隣には必ずといっていいほどいる親父の一人である。 タバコを燻らせ数独をひとりで繰り広げる親父のそばには手書きの伝票が。 そこにはすでに6つほどの縦線がひいてあるのみ。 これは大ジョッキ6杯飲んだという意味である。ジョッキが親父のそばに置かれるごとに、バーの親父がサクッと一本縦線をひいてゆく。 そして、勘定のときに、バーの親父がこれをみて清算する仕組みなのだ。   と思っていたらば、親父のそばに誰かが座ったのである。友人なのか、飲み屋仲間か。ただの相席か。 それにしても、一人で待つ間に6杯は飲むのだろうか。 なんで今度こそは親父と対決、そしてまた自戒。

半ズボン親父の伝説。パルドゥビチェ、チェコ共和国。2013年12月9日。

先週末は弾丸で、またしても、つかの間のベルリン帰還。 週が明けた月曜日は6時起床でプラハに正午ごろ帰還。息着く間もなく、一路東ボヘミアはパルドゥビチェへ。 当地の大学にてチェコ人の知り合いが受け持っている社会学のゼミにゲストで登場。 そこで、小生の博士論文のリサーチ内容について一時間程プレゼンをした後、ゼミの学生との交流を兼ねて、近くの飲み屋へ。 それは実に香ばしき飲み屋であった。

ジリナ、スロバキア、29時間。2013年11月16日。

先週末は、小生の同居人チェックと弾丸でジリナへ。久々のスロバキア上陸。 Größere Kartenansicht 車を走らせること、5時間。プラハーブルノの高速道路は穴ぼこだらけで現在工事中。 時速160キロでなおも飛ばすその車は、あたかもウクライナかルーマニアかどこかのハイウェイをどんぶらこどんぶらこと走るよりも正直おっかなく、肝を冷やすばかり。 3時間半ほど走らすと、チェコとスロバキアの国境を越える。およそ国境とは名ばかりのチェックポイントを通過。 国境と分かるようななにかもない。ここより、スロバキア共和国、と告げる看板のみ。 もしくは、反対側からくれば、ここより、チェコ共和国、と。

プラハの飲み屋の一人で佇む親父列伝。プラハ・ホレショヴィッツェ。2013年11月1日。

プラハの飲み屋にいけば必ずいる親父。 彼らは例外なく一人で佇む。一杯のビールを一時間かけて飲む。そして、何時間もそこにいる。 けれど、誰もなにもいわない。バーマンにとっても彼の存在があまりにも日常すぎるのだろう。 そんな親父はそこに座る間、身じろぎもしない。

郊外へ。ベルリン・ブリッツ。2010年6月。

小生がいつも逍遥するような、郊外の風景というのは、一見、人工的で無味乾燥としているかもしれない。 その郊外という言葉が生まれたのはいつのころなのだろうか。都市が飽和状態になり、街が外へ外へ拡大していった時代だろう。日本では、20世紀になってからだろうか。文学者でいえば、佐藤春夫であったり、国木田独歩といったり、太宰治などが、いわゆる最初の東京の郊外の文学者たちであったといえるし、彼らの作品からは東京の西の郊外は、武蔵野の乾燥した砂埃の舞う光景が容易に思い起こされる。太宰治の小説は時々、宅地化が進み始めた東京の西の郊外などが舞台である。といっても、いまとは比較の仕様がないほど、森や田畑に満ちた風景だったのだろうけれど。 21世紀初頭の我々にとっては、もはや、郊外、そして、その郊外にあるような団地とは、20世紀を代表する文化的トポスとして、様々な文学や芸術作品のインスピレーションの源となっている。郊外をテーマにした漫画も多い。とはいえ、そんな漫画と小生にとっての対象aである郊外の風景とはまた同じようで異なるのかもしれない。自分自身、いまだ、よくわからない。

大阪市此花区西九条近辺、2013年1月。

やれやれ。秋も深まって参り夜長となるこの頃。 プラハも、恐らくベルリンも、秋の色濃く、街路樹は段々とその葉の色をかえて、それはやがて自らを落ち葉に埋もれさせていく、そんな季節になってきた。 街の空気も段々肌を冷たくさするようなこんなとき思い出すのは、かつて日本にいた頃、どこかの河川敷あたりで見た光景。 小生も東京に4年間おりしおり、一年半を東京の北は赤羽、二年半を武蔵野は府中で過ごした。 その赤羽にいたころ、年中を通して、よく夕暮れ頃、散歩がてら赴いたのがすぐそばを流れる荒川だった。秋も深まる季節、日がとっぷりくれた時間、河川敷を歩いて目の当たりにするのは、鉄橋に、それを通り過ぎる京浜東北線。その横をまたぐ自動車橋の上を家路へと急ぐる自転車の影。そこへ橋の鉄筋が夕闇へと解けてゆく。

Fotografie-Ausstellung der WerkStadt-FotografInnen @ Neuköllner Leuchtturm, 2013年10月5日

二つ目の展示は小生所属のWerkStadt e.V.と同じ通り、ベルリン・ノイケルンはEmserstr.にあります、Neuköllner Leuchtturmでのグループ展であります。 この展示はこのWerkStadt e.V.で写真を撮っているアーティスト並びに暗室をシェアしている4人との合同展であります。 オープニングは先ほど告知しましたWerkStadtでのグループ展の次の日の午後7時です。 場所-Emserstr.117, 12051 Berlin-Neuköllln(最寄り駅-S-Hermannstr.もしくはS&U Neukölln) 期間-2013年10月5日から10月25日まで。 オープニング-10月5日午後7時から Facebook:https://www.facebook.com/events/553001238088424/