シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(上)

ヴァーンスドルフを訪れてから2日後のことだ。天気もよくようやく夏のはじまりか、と思えるような週末の日曜日の午後のことだ。

映画館へいくような、天気にあらず、と小生たちはナイセ川沿いへと散歩に出かけることになったのだが、ふと思いついたように足を運ぶことになったが、チッタウのナイセ川を挟んだ向かい川にあるポーランド側にある集落だ。

チッタウからナイセ川を挟んだポーランド側にも小さな集落があって、かつてはチッタウの街の一部であったのだが、現在はポーランドの四角形上の国土の左下隅に位置する自治体であるボガティニアBogatyniaの一部となっている。

その村の名前をシェニャフカSieniawkaという。 „シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(上)“ weiterlesen

ヴァーンスドルフ、二時間。

電脳派チェコ文学者などという不遜な自称を奉じておきながら、あるまじきことに2011年の12月以降、一年半以上もチェコ共和国の地を踏まない日々が続いていたが、久々に彼の共和国の一部であるボヘミアの地へと再上陸を果たしてきたのは5月の初頭のことであった。

といっても、独逸から国境を跨いですぐの場所にある小さな街に、たった二時間程の間であったが。

独逸はザクセン自由州Freistaat SachsenはツィッタウZittauからザクセンとボヘミアをまたぐローカル線に揺られて15分程にあるヴァーンスドルフVarnsdorf。かつてはWarnsdorfと綴っていたのは、オーストリア・ハンガリー帝国の時代からチェコスロヴァキア第一共和国の時代を経て第二次世界大戦の終焉まで独逸人人口が街の多数派を占めていたが所以だ。 „ヴァーンスドルフ、二時間。“ weiterlesen

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後10時(東ヨーロッパ時間)。リビウ到着。

ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。

といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。

なによりもウクライナ側の手荷物検査がなくなった。

バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうはただの暗闇。 „ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後10時(東ヨーロッパ時間)。リビウ到着。“ weiterlesen

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後6時。「最終ゲート」。Hrebenneにて。

小生たちを乗せたバスは、ワルシャワ市街を半周して、ウクライナはリヴィウへ向けてと走る。ワルシャワの郊外から市街へでるあたりはモダンな自動車専用道路だったが、とたんに整備のされていないアスファルトの波打つ道へとさしかかる。

小生たち乗客は、ホップ、ホップ、車とともに飛びはねる、またはねる。窓はその度にびびびと震える。 „ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後6時。「最終ゲート」。Hrebenneにて。“ weiterlesen

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後4時。オーデル川越え。

オーデル川越えは小生にとってはいつも特別な瞬間である。

ドイツ側のフランクフルト・アン・デア・オーデルからポーランド側のスウヴィッチェへ、またその逆へ。これまで何度となくこの川を越えてきた。それはポーランドという国の旅の始まりであり、同時にそこでの旅の終わりでもあった。

初めてこの川を越えたのは、もう10年以上も前になるから、20世紀末のことだ。 „ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後4時。オーデル川越え。“ weiterlesen