最近日本人を「飼い始めた」プラハ・ヴィノフラディの雌犬の小話。

妾は犬である。白の雌犬である。生年月日は知らぬ。 妾を「飼っている」とおめでたくも錯覚している痴れ者、ともかくも妾の書類上の「飼い主」である、チェコ人ダヴィド・Jがいうには2013年の一月ということである。 なので、妾はまだ一歳になっていないということである。 しかし、妾も間もなく一歳になる。かくして犬も年を重ねる。あなおかしである。

プラハにて犬に連れられて棒にあたる日々。

ベルリンにおりしころ、犬をつれて歩く人々を「犬に飼われる人々」と皮肉っていたことがある。 「パンク犬」という黒いシェパード犬に引っ張られるように道をゆくようなパンク達が長い間、ベルリンでは「犬に飼われる人々」の代表格であったが、最近はヒップスターやらモンスターペアレンツやそのご主人様であらせられるモンスターチルドレンを前に実に肩身が狭そうである。従って、ベルリンでもそんなパンク犬や彼ら彼女らが引きつらるパンク達を見かけることも段々と稀になりつつある。 とはいえ、プラハにおいて、当地のパンクがつれて歩くような犬は、実は小型の可愛らしい御犬様であることが多い。

ベオグラード発プラハ行き国際急行列車にて。パルドゥビチェープラハ。2013年12月9月。

半ズボン親父が出現したパルドゥビチェの場末のチェコ居酒屋を後にしたのは、月曜日も9時になろうかとするころだった。 小生たちはプラハ行きの終電に間に合うよう、足早にバスに乗り込みパルドゥビチェの中央駅へと向かう。 ホームにたつと、まもなく、プラハ行きのEuroCity国際急行列車がホームになだれ込んでくる。 そこで、小生をこの日のゼミに招待してくれた友人が食堂車に乗ろうと提案する。 プラハまで一時間。酔い覚ましの茶でもシバこうということになり、小生たちは列車の後方に位置する食堂車へ乗り込む。 すると、その食堂車の車体にはキリル文字でРесторан(レストラン)とあるではないか。

プラハの飲み屋の一人で佇む親父列伝Ⅱ。プラハ・ホレショヴィッツェ。2013年11月8日。

プラハの北の下町はホレショヴィッツェにある小生が昨今最も愛するチェコ飲み屋でのことだ。 前回紹介した半ズボン親父の隣には必ずといっていいほどいる親父の一人である。 タバコを燻らせ数独をひとりで繰り広げる親父のそばには手書きの伝票が。 そこにはすでに6つほどの縦線がひいてあるのみ。 これは大ジョッキ6杯飲んだという意味である。ジョッキが親父のそばに置かれるごとに、バーの親父がサクッと一本縦線をひいてゆく。 そして、勘定のときに、バーの親父がこれをみて清算する仕組みなのだ。   と思っていたらば、親父のそばに誰かが座ったのである。友人なのか、飲み屋仲間か。ただの相席か。 それにしても、一人で待つ間に6杯は飲むのだろうか。 なんで今度こそは親父と対決、そしてまた自戒。

半ズボン親父の伝説。パルドゥビチェ、チェコ共和国。2013年12月9日。

先週末は弾丸で、またしても、つかの間のベルリン帰還。 週が明けた月曜日は6時起床でプラハに正午ごろ帰還。息着く間もなく、一路東ボヘミアはパルドゥビチェへ。 当地の大学にてチェコ人の知り合いが受け持っている社会学のゼミにゲストで登場。 そこで、小生の博士論文のリサーチ内容について一時間程プレゼンをした後、ゼミの学生との交流を兼ねて、近くの飲み屋へ。 それは実に香ばしき飲み屋であった。

ジリナ、スロバキア、29時間。2013年11月16日。

先週末は、小生の同居人チェックと弾丸でジリナへ。久々のスロバキア上陸。 Größere Kartenansicht 車を走らせること、5時間。プラハーブルノの高速道路は穴ぼこだらけで現在工事中。 時速160キロでなおも飛ばすその車は、あたかもウクライナかルーマニアかどこかのハイウェイをどんぶらこどんぶらこと走るよりも正直おっかなく、肝を冷やすばかり。 3時間半ほど走らすと、チェコとスロバキアの国境を越える。およそ国境とは名ばかりのチェックポイントを通過。 国境と分かるようななにかもない。ここより、スロバキア共和国、と告げる看板のみ。 もしくは、反対側からくれば、ここより、チェコ共和国、と。

プラハの飲み屋の一人で佇む親父列伝。プラハ・ホレショヴィッツェ。2013年11月1日。

プラハの飲み屋にいけば必ずいる親父。 彼らは例外なく一人で佇む。一杯のビールを一時間かけて飲む。そして、何時間もそこにいる。 けれど、誰もなにもいわない。バーマンにとっても彼の存在があまりにも日常すぎるのだろう。 そんな親父はそこに座る間、身じろぎもしない。

この角の向こうはどこでもないどこかへ。ジリナ、スロバキア、2013年11月15日

なんてことはない郊外の風景だけれど、なんとなしにシャッターをきったこの光景。 というのは、多分、この角の向こう側にどこか昔みたような景色が広がっているような気がしたからかもしれない。 ひょっとして、京都の北区のどこか、東京の都下のどこか。 なにか、中途できれたものが、ここで繋がった。そんな感覚。

展示のお知らせ・その1 – „Kunstproduktions-stätte“ @ WerkStadt e.V., オープニング-10月6日午後7時

プラハに引っ越しておきながら、来月の頭には小生が参加するグループ展が二件執り行われることに相成りました。なので、今日はそのアナウンスであります。 そのうちの一件は小生所属のベルリン・ノイケルンはWerkStadt.e.V.おこなれます所属アーティストたちによりますグループ展であります。そこに一枚出品することに相成りました。

偉そうな犬に親父と。プラハ、2013年9月末。

プラハにきて一週間がたって、今住んでいるヴィノフラディでも、ようやく住んでいるという感覚が伴ってきた。ここは実に生活感溢れる場所で、プラハの中心部とも隔絶されているがゆえ、ここまでは旧市街やプラハ城周辺を賑わす観光客はさすがにここまではやってこず、日も傾く夕方となると、人通りも絶え、物音すら聞こえなくなる。 ここ三年程居を構えていたベルリンはノイケルンという場所が、いかにカオスで、けれど、様々な音に満ちていたかが分かる。あれは多分世界の縮図のようなところで、あれはベルリンをベルリン足らしめているというばかりというほかない。 そんなノイケルンの喧噪もやはり、ノイケルンを離れてわずか一週間で恋しくてたまらない。とはいえ、プラハでの生活はまだ一週間がたったばかりである。 あと3日程でノイケルンの喧噪とカオスの中へのつかの間の帰還となるのだが。それもまたよし。プラハでの生活はまた始まったばかりで、まだなにも見てやしない、聞いてもいないのだ。その事実がこの街へと小生をまだまだ引き止めることになるのだろう。

アイゼンヒュッテンシュタット、3時間。2013年9月13日。

昨日よりプラハはヴィノフラディ区に居を構えるようになりました。当面はこれから9ヶ月滞在することになるプラハから日々の冒険をおとどけるすることに致します。 さて、先週末ついにいってきましたアイゼンヒュッテンシュタット。 労働者の労働者による労働者のための街。社会主義がまだ多少息吹きを残している街だった。とはいえ、旧ソ連圏で、これよりもさらに派手な社会主義謹製メガロタウンを見慣れてきたこの小生の目には、多少田舎にある計画都市という印象以上のものではなかったが。ともあれ、3時間程度の滞在ではなにも見ていないということだろう。なので、またいかねばなるまいが、これはチェコ帰還以後、来年の夏以降のお楽しみとしておこう。 今回の訪問のハイライトはドイツ民主共和国における日常文化の資料館Dokumentationszentrum Alltagskultur der DDRだっただろうか。