シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(下)

先日した中央ヨーロッパの国境地帯の話の続きをいたそう。 ポーランドの南西の最果てにあるシェニャフカという小さな村。ここは小生が訪れたポーランドもとい中央ヨーロッパの場所の中でいまだかつてなく強烈な印象を残してくれた場所である。 前回も紹介したが、このポーランドの最果て、独逸とチェコ共和国の国境三角地帯に存在する、この香しき地を訪れたのは同名のSieniawkaなるドキュメンタリー映画を見たがゆえであった。

シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(上)

ヴァーンスドルフを訪れてから2日後のことだ。天気もよくようやく夏のはじまりか、と思えるような週末の日曜日の午後のことだ。 映画館へいくような、天気にあらず、と小生たちはナイセ川沿いへと散歩に出かけることになったのだが、ふと思いついたように足を運ぶことになったが、チッタウのナイセ川を挟んだ向かい川にあるポーランド側にある集落だ。 チッタウからナイセ川を挟んだポーランド側にも小さな集落があって、かつてはチッタウの街の一部であったのだが、現在はポーランドの四角形上の国土の左下隅に位置する自治体であるボガティニアBogatyniaの一部となっている。 その村の名前をシェニャフカSieniawkaという。

La la la Berlinale。2月8日。

今年もベルリナーレことベルリン映画祭が始まった。 昨日の8日金曜日が小生にとっての今年の初日。 忘備録的にみた映画について書くことにします。 今年の一本目はマウゴスカ・シュモウスカMałgośka Szumowska(ポーランド)のW Imie…(In the name of…)。

ポーランド領ノイケルン。

ベルリンにはポーランド人がたくさんいる。 小生が住むノイケルンは恐らくベルリンでも屈指のポーランド人街だ。 もともと隣国ということもあり、しかもベルリンから100キロも行けばポーランドということでかつてからポーランド人が多かったけれど、昨年4月からポーランド人に対しての独逸での労働制限がなくなったこともあり、この一年特に増えたような気がするのは気のせいでもなんでもない。

ロナウドか、それとも。

年から年中サッカーばかりみてるわけにもいかぬのだが、やはりサッカーのヨーロッパ選手権のような大きな大会になると、根っからのサッカー馬鹿でもない小生ですら、こういった祭りに参加せぬことには話ははじまらぬ。 すでに前回のユーロから4年がたった。あっという間だった。この4年間になにがあったかも次々に思い出されてくるが、年月の流れは容赦ないもので、現在に喘ぐ小生にそんな暇もない。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後10時(東ヨーロッパ時間)。リビウ到着。

ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。 といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。 なによりもウクライナ側の手荷物検査がなくなった。 バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうはただの暗闇。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後6時。「最終ゲート」。Hrebenneにて。

小生たちを乗せたバスは、ワルシャワ市街を半周して、ウクライナはリヴィウへ向けてと走る。ワルシャワの郊外から市街へでるあたりはモダンな自動車専用道路だったが、とたんに整備のされていないアスファルトの波打つ道へとさしかかる。 小生たち乗客は、ホップ、ホップ、車とともに飛びはねる、またはねる。窓はその度にびびびと震える。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午前10時半。ワルシャワ西駅前バスターミナル。

今回の旅の伴侶であるM君は非常に早起きだ。小生が目覚めたころにはもうすでに彼は朝のワルシャワ市中へと繰り出していた。これからの二週間、彼の早起きぶりには感嘆させられることしきりなのだが、やはり旅先での時間は貴重だ。彼の時間の使い方には歴然とした分がある。早寝早起きこそ今回の小生たちのような旅での時間の使い方の黄金律だ。 朝9時。天気はそれほどよくはみえない。曇りがちの空で、窓の下の地面は少しぬれているのがわかった。ポーランドの二日目は雨。リビウもウクライナもまた雨なのか。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後8時半ごろ。ワルシャワ・セントラルナ帰還。

小生たちのベルリン・ワルシャワ・エクスプレスはほぼ定刻通り午後8時半ごろワルシャワ中央駅ことWarszawa Centralnaに到着した。この中央駅は地下に位置しており、訪れるたびに駅構内が明るくなっていく印象があった。かつてはとにかく暗い印象だけが残る駅だっただけに。 聞いてはいたけれど、2010年夏以来ぶりのワルシャワ中央駅は前回よりも、そしていうまでもなく、小生がはじめてこの駅に到着した90年代末とくらべても信じられないぐらい駅構内が明るくなっていた。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後4時。オーデル川越え。

オーデル川越えは小生にとってはいつも特別な瞬間である。 ドイツ側のフランクフルト・アン・デア・オーデルからポーランド側のスウヴィッチェへ、またその逆へ。これまで何度となくこの川を越えてきた。それはポーランドという国の旅の始まりであり、同時にそこでの旅の終わりでもあった。 初めてこの川を越えたのは、もう10年以上も前になるから、20世紀末のことだ。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後2時50分。ベルリン東駅。

これから長旅に出る直前だというのに、しかも、最初の数日はかなり強行軍であるが分かっていたというのに、とにかく体調がすぐれないままベルリンは東駅Ostbahnhofのホームに小生はいた。 これからいくのはヨーロッパのメキシコあるいは中国ともいわれるポーランドのさらにその向こうのウクライナなのである。となるとウクライナはヨーロッパの・・・、何なのだろう。

首都のフットボール馬鹿ども。

昨日ブンデスリーガの一部と二部の昇格と降格をかけたプレーオフでフォルトゥナ・デュッセルドルフとヘルタ・ベルリンが対決したのだけれど、結末はなんともはやということになってしまった。 フォルトゥナは15年ぶりの昇格がかかっていただけに、ファンの熱狂ぶりは凄まじかった。なんせ、プレーオフ第一戦、ベルリンでのアウェイ戦を2−1で勝ってしまったうえ、後半90分をすぎて2−2で同点と言う展開。けれど、もし、ヘルタがもう一点取って2-3のスコアにされてしまったら、アウェイゴールルールでトータルで逆転、また来季も2部でという状況だっただけに、ファンの焦燥ぶりは言語に絶するものがあったのだろう。