ベオグラード発プラハ行き国際急行列車にて。パルドゥビチェープラハ。2013年12月9月。

半ズボン親父が出現したパルドゥビチェの場末のチェコ居酒屋を後にしたのは、月曜日も9時になろうかとするころだった。 小生たちはプラハ行きの終電に間に合うよう、足早にバスに乗り込みパルドゥビチェの中央駅へと向かう。 ホームにたつと、まもなく、プラハ行きのEuroCity国際急行列車がホームになだれ込んでくる。 そこで、小生をこの日のゼミに招待してくれた友人が食堂車に乗ろうと提案する。 プラハまで一時間。酔い覚ましの茶でもシバこうということになり、小生たちは列車の後方に位置する食堂車へ乗り込む。 すると、その食堂車の車体にはキリル文字でРесторан(レストラン)とあるではないか。

また別のBへの20年を越えての帰還へ(再録)

(2009年10月アップの記事) 昨年4月ブカレストで撮り散らした写真のとある一枚を眺めながら、こういう通りは日本にもあるな、という思いが去来してきた。昔の京都、特に。80年代ごろの。 当時80年代の半ばごろ、まだ当時横浜の郊外のとある団地(とはよばれずにマンションとよばれていたが)街の一棟にすんでいた小生は、母親の帰省につれられ、京都へよくきていた。いつも新幹線で京都駅の八条口につくと、そこで祖父に迎えられ、母親の実家のある京都の北区へと車で向かっていた。その時に、京都の狭い道をとりぬけながらよく見た光景が、そのブカレストの写真をみていると、突如としてフラッシュバックしてきた。

(再録)Urban Exploring in Kjóto (2010年元旦)

明日ベルリンからイスタンブール経由へ日本へ帰国する。もう一年がたつというもの。思えば昨年の今頃はフンボルト大学での大学プロテストおよびAudimax占拠に参加し、心身ともに疲弊していた中での帰国だった。 昨年2009年は波瀾万丈ともいえる一年だった。今年は一年があっという間にすぎた、それほど成果をあげたと年ともいえなくもないけれど、次にステップに進む布石はしっかりと打てた年であったといえよう。 来年はきっと飛躍の年にしたいと思っている。 以上2010年元旦の記事再録。