半ズボン親父の伝説。パルドゥビチェ、チェコ共和国。2013年12月9日。

半ズボン親父の伝説。パルドゥビチェ、チェコ共和国。2013年12月9日。

先週末は弾丸で、またしても、つかの間のベルリン帰還。 週が明けた月曜日は6時起床でプラハに正午ごろ帰還。息着く間もなく、一路東ボヘミアはパルドゥビチェへ。 当地の大学にてチェコ人の知り合いが受け持っている社会学のゼミにゲストで登場。 そこで、小生の博士論文のリサーチ内容について一時間程プレゼンをした後、ゼミの学生との交流を兼ねて、近くの飲み屋へ。 それは実に香ばしき飲み屋であった。

突如写真展のお知らせ。

突如写真展のお知らせ。

突然ですが、展覧会のお知らせ。 小生所属のベルリン・ノイケルンはWerkStadt e.V.にてこれから二週間、同僚のAnette Blumと展示をさせてもらえることになりました。今日の19時からオープニングをとり行いますゆえ、ビールでも飲みながら始まったばかりの春の夕べを過ごしませう。 場所:Emserstr.124, 12051 Berlin-Neukölln 最寄り駅:U-Hermannstr. あるいはU&S-Neukölln

リヴェンジか。

リヴェンジか。

小生的にはサッカーのヨーロッパ選手権の行方にはあまり興味がなくなってきたのだけれど、それでも今日のチェコ対葡萄牙戦には俄然力がはいる。それは小生がDigitalní bohemsitaを自称しているからではない。 96年のユーロではネドヴェド、ポボルスキーを擁するチェコがフィーゴとルイ・コスタ率いる黄金世代の葡萄牙を撃破、決勝で独逸にやぶれたものの、チェコサッカーの質を世界に知らしめた大会となった。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後4時。オーデル川越え。

ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後4時。オーデル川越え。

オーデル川越えは小生にとってはいつも特別な瞬間である。 ドイツ側のフランクフルト・アン・デア・オーデルからポーランド側のスウヴィッチェへ、またその逆へ。これまで何度となくこの川を越えてきた。それはポーランドという国の旅の始まりであり、同時にそこでの旅の終わりでもあった。 初めてこの川を越えたのは、もう10年以上も前になるから、20世紀末のことだ。

ポーランドへはまた。

ポーランドへはまた。

13年前にはじめてプラハからポーランドへ向かった列車の中はとてつもなく暑かった、と記憶している。 プラハからヴロツワフへ向かう列車の中。ハンガリーからスロヴァキアを経て、プラハにやってきた小生は当時、夜のプラハを夢遊病者のようにさすらう。あの夏の夜のプラハは日本の夏の夜を思い起こさせるぐらい湿っていたと記憶している。すでに90年代の末だったか。 ここ二年程、ベルリンとプラハの間を行き来するような生活になり、プラハもかつて10年以上前に訪れた時のような目眩がしたような小道の連続する旧市街やマラーストラナーに滅多に足が向かなくなってからもう久しい。それでも、あの時のプラハの小道にまとわりつくような湿気と夜の温みはまだ小生の体が記憶している。

おいどんもドリフの一員になりたい。(再)

おいどんもドリフの一員になりたい。(再)

最近自分がノマドになりたいと強く思う時が多くなった。ここ一ヶ月実際に二度もベルリンとプラハの間を行き来しているので。いっそのことプラハに移ればいいのに、と友人たち及び両親にもいわれることがあるし、自分でもそう思わなくもない。

ドネルケバブに関する小咄。@ ブラチスラヴァ (2010年12月)

ああ、御許しください。罪深き小生はまたしても誓いを破ってしまったのです。 それは昨年の暮れ、クリスマスイブの明日に控えました12月23日のことでありました。小生は12月中旬から一週間の滞在及んだブダペストを一路後に、ドナウ川の上にかかる橋を徒歩で越えてスロヴァキアへと一年ぶりに帰還を果たしたのでありましたが、この国境の街で道に迷い、目の前で予定の列車に置いてけぼりにされるはめに。 こうして、次のブラチスラヴァ方面の列車を2時間待つことになった小生は、同様に列車を待つロマの一家と彼らの大勢の子供達に囲まれながら、駅の待ち合い場兼居酒屋で一人ビールを、これもまたお導きなのでしょう、痛飲するはめとなったのでございます。