パルドゥビチェの火葬場。2014年10月15日

先週半ば、カメラバックの奥底からカラーのブローニーフィルム2ロール、一年ぶりぐらいに発掘された。特に何を撮ったのか思いを巡らせることもせず、そのまま、他のフィルムと一緒にそのブローニーフィルムを現像に出したのが、一昨日ぐらいに戻って来た。

ひょんなことからその存在をすっかり忘れていたそのネガティヴには、ちょうど去年の今頃、プラハを去る前ごろに撮った絵が写し込まれていた。

昨年の今頃はまだプラハに住んでいたのだ。

この春から夏にかけて博士論文の執筆とリサーチで図書館に住むような生活が続いていたその多忙さから、昨年の今頃の話など、遥か彼方の昔である。

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記憶という往生際の悪さについて・・・Teplice v Čechách, Czech Republic, December 2011

人間の記憶などたかが知れている。知れているがゆえに、それを往生際悪くその消え去りかたをあらゆる算段を用いて引き止めようとする。時間の経過とともにあせていく、自分の脳裏から消え失せていくその様こそが、記憶そのものの絶対条件なのだから。僕らは、そうしたいかにしても揺るぎ難い前提に抗しながら、なんとか上から下から左から右から、なんとか引き止めようとする。 „記憶という往生際の悪さについて・・・Teplice v Čechách, Czech Republic, December 2011“ weiterlesen

プラハはまもなく秋。プラハ・ジジュコフ、チェコ共和国、2014年9月22日。

月曜日のプラハは朝方の気温が10度割り込んで、昼過ぎまで肌寒い時間が続いた。小生が7月から住まうことになったプラハはジジュコフの家の北側のバルコニーから中庭を見下ろせば、栗の木が段々と葉を落とし始めていることに気付く。ここ数日、栗の実が落ちる音が家の中庭で響いていた。ここ数日の落葉で、中庭が赤い絨毯を敷き詰めた様に模様替え。 „プラハはまもなく秋。プラハ・ジジュコフ、チェコ共和国、2014年9月22日。“ weiterlesen

肉屋の二階。プラハ・ヌスレ、チェコ共和国、2014年3月。

1年住まうこととなったプラハもといチェコという地での生活を振り返るにあたり、貴様はなぜそれほどまでにチェコという国に惹かれるのかという問いが、執拗に、小生の単細胞な脳内で繰り返されるのだが、そもそも、2009年から定期的にこの国を訪れるように至って、その答えは結局のところ、まだ見つけ出すにはいたっていない。

恐らく以前とプラハを見る小生の眼差しはそれほど変わっているとも思えないのだが、それでも、この街における小生の行動レイヤーが新たに形成されたということは、疑いがない。 „肉屋の二階。プラハ・ヌスレ、チェコ共和国、2014年3月。“ weiterlesen