京都大学・西部講堂、2012年1月。

ここへは本当によく来た。この京都大学の西部講堂の隣にあるサークル棟へと先輩を尋ねて。ここは京都という街における日々の探検のアジトのようなものだった。 もちろん、講堂で行われるイベントにも時折足を運んだ。むしろ、京都を出てから、そして、ベルリンにいってからも、時々都に戻る折にも度々。ベルリンから戻ってきても、京都、特に京都大学の周辺は、ゼロ年代の初頭からベルリンに居を構える小生にとっても、違和感なく帰ってゆける場所でもあった。 多分、京都出身の高校生にとってはこの京都大学のサークル棟の先輩訪問は、ある種の儀式のようなものではなかったか。今から思うと、小生は大学進学前にして、京都大学という、自分の故郷の最高学府にして、京都最高の解放区なるものの神髄に触れられるという僥倖にあずれたものである。

風雲!パンク城。ベルリン最終攻防戦?

先月のエンガーというドイツ随一のド田舎に関する記事の中で、パンクとそいつらを引き連れる御犬様について言及したので、思い出したが、そういった連中は最近のベルリンでも段々とお目にかかることが少なくなってきた。それも昨今のベルリンの文化的政治的傾向と無縁ではない。 一般的なイメージとして彼らにつきまとうもの。革ジャン。それについているイボイボやトゲトゲ。モヒカン頭。あるいはヤギ頭もしくはヤギのようなひげ。Sternburg、通称Sterniというライプチヒ産の究極のションベンビールを愛飲(もしくは痛飲)。北斗の拳に出てくる雑魚キャラのような風貌、といえば、ご理解いただけるかもしれない。 とはいえ。路上で生活することを強制されている連中もいるので、嘲笑や笑いの種にすることは断じてしたくはない。 ベルリンにはそうした連中が、普通に暮らせる場所がこれまでのことかかない、ということで、ヨーロッパ中もとい世界中から若いパンクやアナーキストたちがベルリンへと自然と集結するようになったのも、今に始まった話ではない。

山が転がる。Rollberg, Berlin-Neukölln

小生の自宅の近く、ベルリンはノイケルンにRollbergという界隈がある。 ここにはかつてのベルリナーキンデルの醸造所があって、長い間、といっても、その跡の再利用をめぐっていろいろ試験的に文化的な催しが開かれたり、またはクラブとして使われていた時期があったりした。自前の醸造タンクをもったビアハウスもキンデルが北ベルリンのヴァイセンゼーに引っ越してからかつての醸造所の中にできたが、もう5、6年前になるだろうか。