最後のパサージュ。スペイン、ポルボウ、2012年10月23日。

忙しいことにかこつけて、なんでも言い訳が許されるように思うと、そのうち自分の日々の作業自体が滞りはじめるようになる。 今年は、第二次大戦集結70年の年でもあったが、大戦勃発からも今年で4分の3世紀が過ぎ去ったことについてはなかなか人々やメディアの言葉の端にのることはなかなかない。 そうする中、先月末の9月26日、20世紀前半を代表する思想家であるヴァルター・ベンヤミン没後75年という節目を迎えた。 今日の御題はこの節目の日の為に用意していたのであったが、うっかり、亡失、そのうち二週間も過ぎてしまった。遅きに越したことはないが、今日小生が語る内容は、ある程度、昨今の難民の問題とリンクする、アクチュアルなテーマと考えているので、今日改めてこのLügenlernenに更新することにした。

記憶という往生際の悪さについて・・・Teplice v Čechách, Czech Republic, December 2011

人間の記憶などたかが知れている。知れているがゆえに、それを往生際悪くその消え去りかたをあらゆる算段を用いて引き止めようとする。時間の経過とともにあせていく、自分の脳裏から消え失せていくその様こそが、記憶そのものの絶対条件なのだから。僕らは、そうしたいかにしても揺るぎ難い前提に抗しながら、なんとか上から下から左から右から、なんとか引き止めようとする。

ビールを飲みに駅にいこう。プラハ・デイヴィツェ駅、2015年5月14日。

チェコの駅ナカ飲み屋は小生のチェコにおける最大のツボの一つである。 駅とは、内田百閒がかつてのたまったように、「なんにも用事はないけれど、列車に乗つてどつかへいつてこよおとおふ」というように、用事があるにしろないにしろ、列車に乗ってどこかへ旅立つ場所でもあり、かつて小生が幼きころそうであったように、列車を見にいくような場所であり、カメラとヘビーな三脚を抱え方々を飛び回る鉄男にとっては聖地も同然の場所である。 ところが、この国には、駅に「飲み」にいく、という、極東の我が祖国にはまず存在しない言い回しが存在する。そのような言い回しが存在するぐらい、この国の駅という駅には、飲み屋が、鉄道の駅のあるところ必ずといってほど存在する。

新年早々雪。2015年1月2日。京都・鷹峯。

新年あけましておめでとうさんです。 年明け早々京都は雪です。今もジャカジャカ降ってます。立命館大学北門周辺では積もった雪に手を突っ込んだら、ゆうに手首まではつかるぐらい降ってます。日本海側なら普通かもしれませんが、京都の北野あたりでこれぐらいつもるのはちょいと記憶にない。明日の朝迄断続的に降り続くらしく、このままだと明日の朝までに30センチぐらいはつもりそうな勢いかも。

スターリンかマイケルか − 歴史の大皮肉について。

最近話題の白井聡氏の「永続敗戦論」が今回の帰国後、まず手が伸びた本だった。昨年の春出版されて以降、今に至る迄版を重ね続けている話題の書。今年の秋いまさらながら小生もこの本を手にした。 白井氏は本書の末尾に、彼がベルリンを訪れた際にブランデンブルク門横で目の当たりにした奇妙な記念碑について書いている。それは「対独戦戦勝記念碑」という。それが、なぜブランデンブルク門と戦勝記念碑(ジーゲスソイレ)の間、しかも旧西ベルリン側に建造されたのかは、未だに謎だが、その記念碑のその存在自体が大いなる皮肉ではある。つまり、俺たち(ソ連をはじめとした連合国)がきさまら非道なファシストに勝利したことを、永遠に忘れることなかれ、と。

プラハはまもなく秋。プラハ・ジジュコフ、チェコ共和国、2014年9月22日。

月曜日のプラハは朝方の気温が10度割り込んで、昼過ぎまで肌寒い時間が続いた。小生が7月から住まうことになったプラハはジジュコフの家の北側のバルコニーから中庭を見下ろせば、栗の木が段々と葉を落とし始めていることに気付く。ここ数日、栗の実が落ちる音が家の中庭で響いていた。ここ数日の落葉で、中庭が赤い絨毯を敷き詰めた様に模様替え。

この角の向こうはどこでもないどこかへ。ジリナ、スロバキア、2013年11月15日

なんてことはない郊外の風景だけれど、なんとなしにシャッターをきったこの光景。 というのは、多分、この角の向こう側にどこか昔みたような景色が広がっているような気がしたからかもしれない。 ひょっとして、京都の北区のどこか、東京の都下のどこか。 なにか、中途できれたものが、ここで繋がった。そんな感覚。

大阪市此花区西九条近辺、2013年1月。

やれやれ。秋も深まって参り夜長となるこの頃。 プラハも、恐らくベルリンも、秋の色濃く、街路樹は段々とその葉の色をかえて、それはやがて自らを落ち葉に埋もれさせていく、そんな季節になってきた。 街の空気も段々肌を冷たくさするようなこんなとき思い出すのは、かつて日本にいた頃、どこかの河川敷あたりで見た光景。 小生も東京に4年間おりしおり、一年半を東京の北は赤羽、二年半を武蔵野は府中で過ごした。 その赤羽にいたころ、年中を通して、よく夕暮れ頃、散歩がてら赴いたのがすぐそばを流れる荒川だった。秋も深まる季節、日がとっぷりくれた時間、河川敷を歩いて目の当たりにするのは、鉄橋に、それを通り過ぎる京浜東北線。その横をまたぐ自動車橋の上を家路へと急ぐる自転車の影。そこへ橋の鉄筋が夕闇へと解けてゆく。

Fotografie-Ausstellung der WerkStadt-FotografInnen @ Neuköllner Leuchtturm, 2013年10月5日

二つ目の展示は小生所属のWerkStadt e.V.と同じ通り、ベルリン・ノイケルンはEmserstr.にあります、Neuköllner Leuchtturmでのグループ展であります。 この展示はこのWerkStadt e.V.で写真を撮っているアーティスト並びに暗室をシェアしている4人との合同展であります。 オープニングは先ほど告知しましたWerkStadtでのグループ展の次の日の午後7時です。 場所-Emserstr.117, 12051 Berlin-Neuköllln(最寄り駅-S-Hermannstr.もしくはS&U Neukölln) 期間-2013年10月5日から10月25日まで。 オープニング-10月5日午後7時から Facebook:https://www.facebook.com/events/553001238088424/

シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(下)

先日した中央ヨーロッパの国境地帯の話の続きをいたそう。 ポーランドの南西の最果てにあるシェニャフカという小さな村。ここは小生が訪れたポーランドもとい中央ヨーロッパの場所の中でいまだかつてなく強烈な印象を残してくれた場所である。 前回も紹介したが、このポーランドの最果て、独逸とチェコ共和国の国境三角地帯に存在する、この香しき地を訪れたのは同名のSieniawkaなるドキュメンタリー映画を見たがゆえであった。

西ドイツのとあるど田舎での一年でもっとも長い週末。エンガー、48時間。

このヴィデオが今日これから小生のいいたいことをすべて代弁してくれるかもしれない。 さて。遠路はるばるやってきた西ドイツはノルトライン・ヴェストファーレン州エンガー。 はっきりいおう。ドがつく程の田舎である。多分、ヨーロッパもとい世界中どこにでもあるに違いない、しかし、なにもなさすぎるそしてお土産特産品など探すまでもないほどの田舎である。