日常生活の冒険は、自己責任で。

リモノフについて書こうとして・・・ 今日の御題はロシア人作家あるいは活動家のエドゥアルド・リモノフについて。というよりも、エドゥアルド・リモノフについて書いたログを再投稿しようとして介入してきた雑念が実はお題である。

中津、大阪市北区、2016年1月7日午後

梅田の一つ手前。 京都から電車に乗って淀川を渡って最初の駅。 京都から阪急電車に乗り十三を過ぎて淀川を渡る鉄橋を渡る。目を閉じて、電車からの窓ごしに川を実際に目の当たりにしなくとも、ヘッドホーンからどれだけ高揚するような大音量の音楽に聞こえてこようと、背後に聞こえてくる阪急京都線の特急電車が鉄橋を渡るガタンゴトンの音が、これから大阪のカオスに踊り込もうとする小生をある種の興奮状態へと導く。

ダニエル・ドゥフェールによるミシェル・フーコー。

ミシェル・フーコーという思想家が鬼籍にはいって、今年で31年になる。 最近、フーコーの生前の公私におけるパートナーであったダニエル・ドゥフェールが、ドイツはdie Tageszeitung誌のインタビューに応えた。ドゥフェールのインタビュー形式の自伝が、ベルリンはメルヴェMerve Verlagからドイツ語で翻訳出版されたのに際しての行なわれたものであった。 ダニエル・ドフェールは1937年生まれの今年78歳。1926年生まれのフーコーの11歳年下である。ドゥフェール自身も社会学者であり哲学者であるが、なによりも、フーコーの死後、エイズ及びその患者の為に立ち上げたAIDESという組織の発起人としても知られている。 ドゥフェール自身によって語られる自身の政治的経歴、そしてフーコーとの公私における関係についての下りは、それだけでも興味深い。特に、フーコーがどれだけ国家権力と日頃から敵対的にあったか、という闘う思想家の一面をかいま見るに充分なエピソードも語られている。

カオスコンピュータークラブ(CCC)は連邦政府を刑事告発する。

カオスコンピュータークラブをご存知だろうか? 通称CCC(Chaos computer club)とよばれているこの団体はいわゆるハッカーの集団で、すでにコンピューターという概念が一般化する以前、1980年代からその活動と続けており(設立は1981年)、現在において、世界でももっとも活発なハッカー集団のみならず、ヴァーチャルな空間、つまりインターネットにおける検閲なき自由とその権利に対してもっともラディカルに戦っている集団の一つである。 本部はベルリンにあり、毎年12月にはその総会、「カオス・コミュニケーション・コングレス」が開催され、数々のウォークショップなどがその中で行なわれる。

京都・東山今熊野、2012年11月、並びにベルリン、2013年2月。

この地にはらまれしもの、 この地に生をうけるもの、 この地で地の祝福をうけ、 この地の灰となりし塵となれる、 汝と我のこと。 この地にありしものが、 そこに在る過程へと、 やがては地に朽ち果て、 再び塵と化し灰となり、 滅び行く姿を捉える、 容赦ない観察者。 その姿を捉えるはその一瞬一瞬である齣にすぎない。

ユーリ・アンドゥルホヴィチによる昨今のウクライナ情勢についての公開書簡。

皆様もご存知かと思うが、年末からキエフの独立広場を占拠したヤヌコビッチ政権へのプロテスト行動が今現在も続いている。 キエフでの状況はここ数日である意味臨界点に達したともいえる。抗議行動への弾圧は現地でも相当にエスカレートしている模様で、政権は抗議行動をあの手この手を使って取り締まろうとしている。 ここ数日メディアを飛び交う写真や映像はとても現実のものとは思えないほどだ。 http://www.boston.com/bigpicture/2014/01/riots_in_ukraine.html http://www.rferl.org/media/photogallery/25240076.html 昨日、ウクライナ人作家のユーリ・アンドゥルホヴィチによるウクライナ情勢についての公開書簡が、彼の著作を発表しているドイツのズールカンプ社を通じて、発表された。時同じくして、同様に彼の著作を出版しているポーランドのチャルネ社からも同じ内容の書簡が公開された。皆様もご存知かと思うが、年末からキエフの独立広場を占拠したヤヌコビッチ政権へのプロテスト行動が今現在も続いている。

吉田寮食堂、京都市左京区、2012年1月。

つい先日京都大学の西部講堂の話をしたので、今度は京都大学構内でも学内をかつては三分するほどの拠点を誇った吉田寮とその食堂の話をしよう。 京都の大学生にもなれない浪人退屈男の一人であった小生にとって、京都大学とは背伸びをしても入れない雲の上のような場所であったというよりも、退屈な日々を紛らわすのにふさわしい時間と場所を提供してくれるところに他ならなかった。 その中の一つが吉田寮食堂だ。名前の通りここは、吉田寮という京都大学に属する学生寮の食堂なのであるが、実態はその名前と非常にかけ離れている。

京都大学・西部講堂、2012年1月。

ここへは本当によく来た。この京都大学の西部講堂の隣にあるサークル棟へと先輩を尋ねて。ここは京都という街における日々の探検のアジトのようなものだった。 もちろん、講堂で行われるイベントにも時折足を運んだ。むしろ、京都を出てから、そして、ベルリンにいってからも、時々都に戻る折にも度々。ベルリンから戻ってきても、京都、特に京都大学の周辺は、ゼロ年代の初頭からベルリンに居を構える小生にとっても、違和感なく帰ってゆける場所でもあった。 多分、京都出身の高校生にとってはこの京都大学のサークル棟の先輩訪問は、ある種の儀式のようなものではなかったか。今から思うと、小生は大学進学前にして、京都大学という、自分の故郷の最高学府にして、京都最高の解放区なるものの神髄に触れられるという僥倖にあずれたものである。

この呪われたる「自由」の国に。

誰もが考えたくない結末だろうが、今やあらゆる可能性を思いめぐらせる必要がある状況に至ったのかもしれない。しかし、そのような危惧は実は別の意味で的外れということに気がついた。 「戦争は絶対にさけなければならない、あるいはおこしてはならない」ということを絶対的前提。なのに、「戦争がおこったときの備え」についてイの次に口するやつが背後にいるのは必ず、「戦争」という資本主義にとっての最高にスリリングなゲームが、そしてもっとも手っ取り早く甘い汁を据える方法であるがゆえだ。