「祭りの後」というフィクションの中での日々と。

作られた祭りの日々

ちょうど1週間ほど前はカーニヴァルだった。

ベルリンは祭りの都市だった。

そう過去形で語らずとも、未だにそこらじゅうで祭りが行われているじゃないか、という向きもあるだろう。

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4年前のサッカードイツ杯決勝当日。アレクサンダー広場近く、ベルリン・ミッテ。

そして、先週土曜日にはサッカーのドイツ杯の決勝が行われた。気の早い連中はすでに木曜日あたりから応援するチームのユニフォームを着て街中を闊歩していた。来月からはサッカーのヨーロッパ選手権で、優勝候補のドイツを応援するサッカー狂ジャーマンたちだけでなく、この街に住まう多国籍の人々がそれぞれの母国を応援する人たちが街に繰り出し、それこそサッカー一色となる。無論、小生も2年に一度訪れるそのサッカー漬けの日々は楽しみではある。

Public Space: Fights and Fictions

ところで、このログを書いた土曜日は読書をするつもりでポツダム通りにある州立図書館に来ていたが、結局このログを起こすことに大半の時間を割いてしまった。というのも、その前に、芸術アカデミーによってきて、そこでこの木曜日から日曜日までTiergartenにある芸術アカデミーAkademie der Künsteにて開催されていたPublic Space: Fights and Fictionsなるコンフェレンスに幾分か何かを物すための刺激をもらったからであった。小生は木曜日のオープニングと金曜日と土曜日の何個かのセッションに耳を傾けに行った。このログを書く前には(土曜日)もLeopold Lambertというフランスの気鋭の建築家・地政学者(彼はThe Funamblistという注目すべき地政学をテーマにした雑誌も主催している)の講演を聞いてきた。彼の講演の内容については彼のブログを参照してほしい。特に、フランスのカレーの難民キャンプについてのレポは類を見ないし、貴重な写真が数々見られる。

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先週金曜日のオープニングプログラムの抜粋。

金曜日聞いた講演で印象に残ったのは、作家でベルリンの芸術アカデミーの副会長であるKathrin Rögglaによるマニフェストだった。その中で、彼女は昨今の都市とは出来合いの「祭り」が日々執り行われるFiction Cityであると述べた。つまり、都市空間とは、もはや物質的な二次元空間にのみその実体を存するのではなく、際限なく何かが物語れることになる網目の上に、上書きが繰り返されるヴァーチャルな空間と往還するような空間であるという。

言われてみれば、現代の小生たちの生活の大部分は、FacebookやTwitterといったSNSといったバーチャルな空間での情報や物語の交錯が編み出す情報の網の中に絡め取られているだけでなく、その網の中で「決定」されている、といっても過言ではない。そうした意味において、昨今のベルリンはそうしたFiction Cityであるというテーゼには、無論、反論の余地はいくらでもあるだろう。けれど、括弧付きの「ベルリン」という街の名にはそうしたフィクション性が含意されるだろうという意見には概ね同意できる。

ポスト・永遠の学園祭の日々

3年ほど前、小生はベルリンとは永遠の学園祭が行われる街、と書いたこともあった。しかし、祭りの自ずから生れ出るようなカオスが基づくような熱気はとうの昔に冷めてしまっている。

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今年のメーデーにて。「『メーデー』はもうおしまい」。オラニエン通り、ベルリン・クロイツベルク。

そこここに、「祭り」は密やかに続いているのかもしれない。けれど、小生たちがネットを通じて知ることになる大半のものは、そういった「オルタナティブ」文化なる商品であり、それに則った「フィクション」であるということだ。つまり、ベルリン前市長のヴォーヴェライトが曰ったことで広く知られている、「ベルリンは貧しい、だがセクシーだ(Berlin ist arm aber sexy)」、というこの紋切りは、この街の言語化不可能な「祭り」なる唯一無二性を安く売らんがためのマーケティングの標語であるにすぎない。ベルリンが貧しかったためしはない。いうまでもなく、資本主義経済的な意味での貧しさはこの街に厳として存在するだろう。だが、そうした貧しさはこの街にとっての貧しさとは無縁であったはずであった。百歩譲って、それがセクシーである、ことであるとしても。

だから、こんな受け売りは今時「ベルリン」というフィクションに引き寄せられてやってくるツーリストやニューカマーたちにしか受けない紋切りにすぎないということは、もはや、多くのベルリナーにとっては既知のことだ。

ベルリンに限らず、都市とはその意味ではもはやそうした無数の「フィクション」が紡ぎ出す網の目そのものだ。その中である種の「スペクタクル」が執り行われる、というのはシチュアショニストだったギー・ドゥボールの言質を引くまでもない。そんなところで、そうしたアカデミズムの一部やカウンターカルチャーの界隈で囁かれているジェントリフィケーションや新自由主義という言質でもって対抗の身振りを見せたとしても、昨今はクレバーではないと冷笑に付されるのが落ちだ。

「祭り」のスペクタクル化の次は要塞化・軍事化?

夏になるとこの街のいたるところで行われる祭りの日や、特にメーデーの日に見られる雑踏は、いわば作られたカオスにすぎない。それが証拠に年を追うごとに、労働者の祝祭としてのメーデーとして性格は薄れ、それを取り締まるために連邦各地から派遣されてくる警察と機動隊の存在ばかりが目立つようになったことがその証左だろう。今年はベルリンのクロイツベルクでのメーデーだけの為に六千人ものの警察官と機動隊が配備されたという。

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今年のメーデーにて。武装した機動隊が何隊も堂々と人々の中を堂々と闊歩。ベルリン・クロイツベルク。

強調しておかねばならないが、パリとブリュッセルでのテロの影響を受けてか、この二ヶ月ほどでのヨーロッパでの日常のキナ臭さもとい物々しさを、極東の我が祖国で皆様が思い煩われているようではあるが、ベルリンをはじめとしたドイツの街々では今の所、想像されるようなものではない。至って整然としているし、テロの疑いがあるという警察発表をマスコミが流しても、ベルリナーはそれはベルリンではありえない、と考えている節すらある。それはそれでベルリンの政治文化のポジティブな雰囲気から来ている、と信じたい。

それでも、先のPublic Space: Fights and Fictionsでも、私たちの日常の空間の警察化、あるいは軍事化はかなりのところで進行しているという意見が盛んに飛び交っていた。土曜日に登壇したLeopold Lambertも昨年11月のパリと今年に入ってからのブリュッセルでのテロ以降のヨーロッパ各都市の警察による都市のある種の「要塞化」は今に始まった話ではなく、特にフランスでは、2005年パリ郊外暴動事件以降の通称「バンリュー」に所在する警察署をはじめとした公共施設がある種の要塞化のプロセスに経ていることに見て取れる、それが故に、現在のような状況は既にある程度準備されてきたものなのだ、という言及は非常に印象深くのこった。

メーデーに毎年クロイツベルクやノイケルンで行われるデモ、通称「革命的メーデーデモ」(Die revolutionäre 1.-Mai-Demonstration)は今年も主催者発表で2万人ほど集めた。それでも。その意義を貶めることは断固として差し控えたいけれども、その日クロイツベルクで行われたデモに居合わせた大多数の人にとっては、特にデモ隊の先頭に立つアナーキーストたちやブラックブロックらと機動隊との間での殴り合いやペッパースプレーの応酬などは、多少物珍しい「お祭り」の余興の「スペクタクル」でしかなかったことは事実だ。

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今年のメーデーにて。機動隊とデモ隊との衝突を眺める人々。ベルリン・クロイツベルク。

無論、それはあまりにも冷めすぎた見識であるとは反論はしておきたい。自らの見方に対しても自戒を込めながら。

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今年のメーデーデモのスタート地点とパレスチナの旗。モーリツ広場、ベルリン・クロイツベルク。

お利口ではない、それはそうだ。小生を始めとするお利口さんでない連中はだからこそベルリンという、かつては密やかに祭りが繰り広げられるカオスな地の果てに流れてきた。この街のアナキーな人たちはそこらじゅうにボコボコの孔や深い襞が織りなすようなカオスな空間を信奉する。そんな彼らが唱えるのは、すべての人へ平等に与えられるべき「都市への権利」だ。

アンリ・ルフェーヴルの著作の一冊のタイトルにある言葉を、今こそベルリンのような都市の現在において再考すべきなのだ。世界中でその言葉を実践しようと個々に奮闘する人々がこれほどまで多数居住する場所は、小生はベルリンの他には知らない。メーデーのデモは、毎年そのことを今一度再考する機会をあたえてくれる機会と個人的には考えているし、ベルリンに帰還以降、2年続けてデモにも参加している。

「祭りの後」の冷笑的現在

だが、ベルリンでも、ここ十年程で瞬く間に起こったジェントリフィケーションとそれに伴う新自由主義化の転換期に、その変化に乗っかることのできたほんの一握りの、いわば1パーセント側の人々だけが繰り広げる自分だけパーティー万歳的なムードが実に支配的だ。現況の見かけばかりの盛況は結局のところ、不動産業者や不動産投機で大儲けを図ろうとする大家やそんな連中のおこぼれにあずかろうとするヤッチーなるベルリンに昨今出現しつつあるネオリベラリズムが生み出したある種のモンスターもどきのみが良い汁を吸えるだけのところに行きつくほかない。

そして、現況ではこうした傾向に歯止めがかかる気配はまるでない。政治家は無能で、それに対して、抗議やデモをやっても、自分たちより遥かに多くのオマワリと機動隊に取り囲まれる。政治に無関心となり、冷笑的になる人は多くなるだろう。無論、ベルリンだろうとどこだろうと少しの程度の違いではあって、多少ベルリンがマシな程度の話でしかない。

ベルリン在住の方々には周知のことであると思うが、ベルリンの行政サービスやインフラの質はガタガタでお話にもならない。

だいたい3年も前に開港するはずだった新しい空港(ベルリン・ブランデンブルク空港)も未だに具体的なオープンの期日すら聞こえてこないばかりか、一度完成したはずの空港ビルを解体し、また再建するという全く笑い話を超えた議論すら真面目に行われている始末だ。この不始末は経済的にうまくいっているとされる街で起こるような出来事とはとても思えない。一方で、今や、そんなものあったけ、と当のベルリナーたちはその郊外に未だ無人のままそびえるコンクリートの塊の存在や今後のことに関してはシラけるばかりなのだ。

もはや笑い話のネタにすらならない類のハナシ。例えば、Facebookでは今から10年後の2026年ごろの日付での「ベルリン・ブランデンブルク空港開港記念パーティー」なるイベントが存在していたが(数十万人が参加をクリックしたとかでメディアでも取り上げられたが、オンラインではなくなった模様)。また2017年末の大晦日にはBER Abriss Party mit großer Mitternachtssprengung !」(ベルリン・ブランデンブルク空港解体パーティ、そして元旦ナイト大発破スペシャル!)なるイヴェントページすら存在し、なんと24000人が「参加」をアナウンスしている。

旧共和国宮殿跡のフンボルトフォーラム並びにベルリン城建設現場。解体直後の芝生のままの状態の方がはるかに良かった。

かつてベルリンの博物館等にそびえていた旧共和国宮殿の跡にプロイセン時代のベルリン城を再建するという時代錯誤もハナダタシイ馬鹿げた事業は、一見資本主義による社会主義に対するイデオロギー的勝利の象徴的行為である批判されることも多い。その見方は無論間違っていない。とはいえ、この空港建設に関わる一連のスキャンダルに並ぶ、政界の一部の利権屋とそれに群がる業界やこのハリボテの城の中に入ることが決まっているフンボルト大学の一部のアカデミックなロビイストたち絡みのハコモノ政治の結実であることはともかく見過ごされがちである。

だいたい現行のティーゲルとシェーネフェルドの二つの空港でベルリンは間に合っている、という意見は巷に根強く存在する。ティーゲル空港の市内からのアクセスの良さとそのコンパクトさは他の大都市ではありえない手軽さがあるし、1970年代建造の昨今ではその建築的価値も見直されているターミナルビルは飛行場嫌いの小生でも息苦しく感じない。何よりも、チェックインカウンターの背後が搭乗ゲートという空港の構造上、くだらない店舗がターミナル内に非常に少ないのが良い。

シェーネフェルドはノイケルンの自宅から近い以外にあまり利点もないし、ここを拠点にするLCCなどには乗らない。一言付け加えておくのであれば、東ドイツ時代に建造のシェーネフェルド空港駅の建造当時から相も変わらない素っ気のなさは昨今のベルリンの中で重要文化財ものの価値があるだろう。この空港の存続には関心はないが、この最寄駅の存続もとい改装計画には大いなる関心を寄せている。

今も昔もかわらぬベルリン・シェーネフェルド空港駅外観。

以上の件は、「ベルリン」という街、つまりは、貧しくもセクシーという紋切り、と斯様なハコモノ政治は最も相性が悪いものであるということを、このような皮肉でもって証明したという事実に過ぎない。その皮肉とは、新空港はそんな紋切りをさらに売り込むために、観光客を呼び込むためのインフラとして、巨額のなけなしの財源を叩いて建造されようとしたにも関わらずということだが、結果は如何ばかりのものであったか。空港は未だ開港する気配もない。そして、新しい空港がなくとも、ベルリンへ来る観光客の数はうなぎ登りだ。

無論、ベルリンはそれでも全く潤わないが。

結局のところ、ベルリナーにとっては、多額の税金を投入して建設された空港も、もはやソーシャルメディアやネットワークの中でしか存在しない類の嘲笑すべき存在でしかなく、大半の気まぐれなベルリナーはすでにその存在すら忘れさっている。

開港に至ってとしても、ヘソ曲がりベルリナーにはティーゲル空港閉鎖反対運動など起こす向きもあることだろう。 もっとも、ベルリンの北の郊外はティーゲル空港へ着陸前離陸後の飛行機の騒音も凄まじい。南の、人も住まぬ原っぱだらけの南の郊外に空港を作るのも、やはり理由あってのこととは思う。

祭りは意外なところで続く、か。

しかし、そんな冷笑気質の忘却こそが今度の失態を犯した連中のもっとも望む帰結であることを忘れてはいけない。

それでも、ベルリナーはそうしたロビー政治の失態を冷笑するだけでなく、自らの理想と相容れないものに対しての抵抗してきた歴史がある。スプレー河畔再開発計画(通称メディアスプレー)、テンペルホーフ空港跡地再開発計画など、1パーセント側のためのハコモノ行政を自らの力で阻止し、あるいは計画変更を迫ることに成功してきた。

つまりはヴァーチャルな空間でのスペクタクル化への対抗手段としての現実の世界でスペクタクルを起こすことの効果は大いにありうるのだ。デモなどはそれの入り口にすぎない。Facebookなどでの冷笑気質の嘲笑行為も、実際に象徴的にでもイベント化するその企てだけでも、政治の機能不全に対しては爆発的な効果を持ちうるということは強調しても強調し足りない事実であるだろう。「祭り」は意外なところでかのような企てを通して続く可能性もあるのだ。

ベルリンがセクシーであるためにはそのような企てこそが引き続き必要だろう。そして、そうした企てを引き起こすようなポテンシャルは未だ今そこに潜在している、と小生は信じたい。

さよなら、ベルリン、といったものの・・・

どん詰り感満載のベルリンを後にする人たちは、小生が知る限り、後を絶たない。

前のログでも書いた通り、小生もその列に加わったものの、まさかその列から脱落してまたベルリンに帰還する皮肉。何が小生をまたしてもベルリンという街へと呼び戻したのか。やはりベルリンという街のフィクション性によるのだろうか。

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今年のメーデーにて。ベルリン・クロイツベルク。

ベルリンという都市への愛は消えていないことは間違いないのだ。そのなぜかは未だにわからない。たといまた近い未来にこの街を離れることになろうとも、またいつかの帰還、という未来図を除外しえない。

とはいえXデーは近いという予感だけはある。

ではまた持戒。