あるヒップスターの帰還。

過去との遭遇

先週、自分が当ブログで3年程前に物した「ヒップスター」について書いたログを読んだという方と偶然知り合うという僥倖にあずかった。ブログに何かを書くということとは、インターネットという荒れ狂う大海にガラス瓶通信を擲つようなものだと考えているから、それはそれで名誉なことだ。

ところで、この「ヒップスター」私論なるものがアップされたのはもう既に3年前も前になる。そのログを読んでいただけれとわかるが、そのころの小生は、現在とはまた別の仕方でひねくれていたか、ということがよくわかる。

小生はベルリンにゴリゴリしていた。そして、そのことをあからさまに様々な場所でそのことを嘯いていた。それは今も大して変わらない。

当時、その年の9月からの最低一年間のプラハ滞在を控えていた。そしてそれを期に、このまま、当分はベルリンを離れようと思っていた。ほぼ十年を過ごしたベルリンを後に、プラハへと移ったのは2013年9月のことだった。

小生ヒップスター説?

ところで、究極のへそ曲がりである小生はその「ヒップスター」私論なるものを書き上げた頃、そういうお前こそ「ヒップスター」だろうと後ろ指をさされる日々であったことは告白しておかねばなるまい。

スクリーンショット 2016-05-21 14.04.06左が小生である。この写真はとある友人がFacebookにポストしたものだ。そして、その横に「ヒップスター?」なるコメントが付けられていた。2013年6月頃、ベルリンはノイケルンでのことであると記憶。この写真の中での小生は確かカーニバルへ向かう途上であったと記憶している。

ベルリンでもプラハでも・・・

このグローバル化された世界の中では、中央ヨーロッパの一角にあるチェコとは辺鄙な田舎国 に過ぎないが、そしてのその首都たるプラハは確かに文化と歴史豊かな都会だった。知る限りでは、ヨーロッパでも指折りのリベラルな街といってもよいだろう。非常に見識の深い人々が小生の周辺には多く存在した。

と同時に、プラハは中央ヨーロッパにおけるグローバリゼーションであり新自由主義の出店だ。ベルリンを逃れ、距離的には300キロも離れていないプラハへ「移住」したはずの小生は、当地にて思わぬ歓待を受けることになる。

当ブログでも何度となく登場した当時のプラハでの同居人である間抜けチェックとその「飼い犬」であられるビーバ嬢に連れられる日々の冒険は確かに刺激的ではあったが、彼らには、常に、こいつベルリンから来た日本人ヒップスターだよ、と毎度紹介されてしまうハメにあってしまったのである。

結局プラハという街との一年と暫しの蜜月の時を過ごした後、再びベルリンに戻ってきてしまった。結局の所、プラハもやはりヒップスターだらけであったからである。

以下は当時2014年の春ごろに、Facebookへ物したヒップスター四面楚歌状態の小生による苛立ち感満載の書き込みの一つである。

2016-05-22 8.02.14小生 2014年3月28日、チェコ共和国、プラハ、Divadlo Archaにて

ヒップスターがひとーつ、ヒップスターがふたーつ、ヒップスターがみーつ、ヒップスターがよーつ、ヒップスターがいつーつ、ヒップスターがむーっつ、あああ、ほんまもう耐えられんはここは!

Divadlo Archaとは、プラハでも名の知られた劇場の一つで、野心的な演劇やコンサートのプログラムでも知られているが、同時に、プラハでも屈指のヒップスターの牙城の一つでもある。そんな飛んで火にいるいる夏の虫が如くにそんな場所に出向いたのは、Bonoboのコンサートのタダ券を当時のマヌケチェック同居人を通して手に入ったからに他ならない。コンサートは無論素晴らしかったが、小生はコンサートが終わるやいなや早々にその場を後にすることになった。というのは、hipsterをhypsterなどと綴ってしまうほど、その四面楚歌状態に、その時の小生は心身両面において相当に疲弊していたからと推測できる。

それに対して、当時プラハにて小生と反ヒップスター連合を結成していた間抜けチェック同居人は小生に同様にヒップスターによる全面包囲状態という死地への放置プレーを食うことになる。その間抜けチェック同居人は、小生によるヒップスターの綴りの間違いを指摘しつつ、こうコメントを残している。

スクリーンショット 2016-05-22 8.08.20「ヒップスターがひとーつ、ヒップスターがふたーつ、ヒップスターがみーつ、ヒップスターがよーつ、ヒップスターがいつーつ、ってもう家帰るか!」

チェコ語を習うものが、必ず現地人に名詞の複数系の語尾変化の例として教えられるのが犬の数え方である。

jeden pes, dva psi, tří psi, ctyř psi, pět psů, šest psů….(犬が一匹、二匹、三匹、四匹、五匹、六匹・・・)

と、チェコ語を始めとするスラブ系の言語では、2−4つまでと5つ以上を境に単語が悪夢のような不規則変化する。さらにチェコ語特有の発音であるřとůの発音の難解さがそれに輪をかける。それがゆえにヨーロッパの言語の中でも最も難関とされるのだ。

このヒップスターの複数形変化はわかりやすい規則変化ゆえにチェコ語初級者にはきっと覚えやすい例として近々文法書あたりに取り入れられることを切に希望しておく。

偽ヒップスターと新自由主義

昨年2015年の頭ベルリンに帰還して暫く経った後、また別のログを起こしたことがあった。ちょうどほぼ1年前ぐらいのことなのだが。非常に不評だった記憶がある。まとまりのないログだったかもしれないが、プラハを離れる間際の頃の、2014年10月上旬のある日、その朝に起きた出来事に憤懣やるかたなく、午前中すでにビールを朝食代わりに飲むチェコ兄貴たちに混じりながら、とある中心部のカフェでコーヒーではなくビールを痛飲しながら書いたメモを元に起こしたログだった。

今から思えば、そんなベルリンに戻ることを決めた時期であったことから、不安や先行きの不透明さなどがないまぜになった当時の鬱屈した小生の心理状態が読み取れる手の文章であるのかもしれない。

そのログの中には、ヒップスターみたいな連中をネオリベの手先であるかのように糾弾する下りがあるのだが、まあ本音である。今も考えていることは大して変わっていない。

ヒップスター絶滅説?ヤッチー出現?

最大の変化は、当時、ヒップスターと呼ばれて嘲笑われた彼らももはやヒップスターなどと呼ばれることはほぼ皆無であることだろう。というのはその代わり誰もが例外なく皆ヒップスターの様になってしまったからだろう。しかし、言わせて貰えば、ヒップスターみたいな連中が皆「偽ヒップスター」なのではなかろうか。

最近はヒップスターという蔑称は、そんなわけで周知の通りで死語であるのは間違いない。さもあらん、最近、と言っても一年程前のMashable(The hipster is dead, and you might not like who comes next)のとある記事でヤッチーYuccieなる語が提案されている。小生不覚ながら、今日の今日まで聞いたこともなかった語ではあった。果てはbuzzfeedにはヤッチーのための九十九箇条までもが掲載されている。

かいつまんで言えば、そのヤッチーなるものたちとは、ヤッピーとヒップスターの間の子のような存在らしい。薄気味悪い存在だ。確かにポスト・ヒップスターの時局である2010年代も後半期に突入したベルリンで幅を利かせているのはこういう連中かもしれない。この未だベルリンではヤッチーとすら呼ばれるに至っていない連中たちのことについてはまた追々論じることになるだろう。

我こそはヒップスターなり

小生たちの住まう都市空間は、その身体を切り売りされ、そして、あろうことかヴァーチャルな空間で物語られるフィクションに基づいて、その小生たちの営む生とそれが営まれる場所がそうした捏造空間として、日々上書きを加えられ書き変えられていく。そうした場所で紡ぎ出されるフィクションに小生たちは日々追い回されている。昨今のベルリンはそんなフィクションそのものではないか、と思わんでもないのだ。思い起こせば、FacebookやらTwitterやらに垂れ流される情報が織りなす物語のようなものが小生たちの日常をがんじがらめに規定していると言えなくはないか。ヒップスターもヤッチーも同様に、そんな網の目に生息する動物であり、現代の最先端のホモサピエンスの一種なのだろう。

といえ、その中で、我こそはリアル・ヒップスターであると自称するのも満更悪くなかろう。そしてこの開き直りは、ヒップスターなんぞ、死語じゃ、そういうそちは、さてはヤッチーであるな、人民の敵である、と煙を巻くのに使えること間違いなし。

IMG_0020

なんで、おかーちゃん、あそこにヤッチーがいるよー、と未来を予見しているかのような小生2歳頃の初ハワイ写真を特別出血大サービスで載せておく。今年の年初、京都北野の小生の実家にてカラーネガティブが大満載されたタンボール箱から発掘された一枚である。

ではまた持戒。

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