ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェル、6時間、2014年9月15日

ベルリン帰還間近、と本日はプラハから打電。

まもなく1年にわたるプラハ滞在も残すところあと一月。時の過ぎ去り方の早さに愚痴をこぼしても、瑣末なだけゆえ、これからじっくりその濃密なプラハもといチェコでの1年間について、おいおい語っていきたいと思っている。

このところは実にベルリン帰還を果たしてはいる。それこそ二週間もとい三週間に一回のペースで。

先週末も実はベルリンにいたのであるが、天気も良かったことであるので、久々にベルリンより、ポツダムを超えてさらに西にあるブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルへ。

このよく保存された旧市街を今に残すハーフェル川沿いのブランデンブルク州の名の下となったこの街は、かつては、ポツダムへと、その後、ベルリンへと、プロイセンの中心部が移されるまでは、中世までドイツ語圏の辺境といえたこの地方の首都ともいえる場所であった。

湖に挟まれたこの街は、ポツダムへ博士課程の籍を移してからは、ベルリンの騒々しさに辟易とした天気の良い日はよくこの街の旧市街にポツダムから列車に20分程乗って通っていた。街の中心部を流れるハーフェル川周辺は緑も多く、新鮮な空気を一呼吸して、川辺に腰をおろして過ごす午後はもはやベルリンの中心部では望むべくもない時間であるだろう。

ところで今回はこの街の中心部を挟む西側の湖プラウアーゼーPlauer Seeのさらにその向かうにあるPlaueという集落とその向こう側に位置するキルヒメーザーKirchmöserという場所を訪れた。


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このKirchmöser(参考Wikipedia.de)にはかつてのドイツ帝国鉄道の巨大な工場があったことで知られている。現在はドイツ鉄道Deutsche Bahnがこの敷地を受け継いで、かつてと比べれば、工場は多少規模を縮小しているものの、いまだ広大な敷地を維持しつつ、稼働を続けている。

小生たちはベルリンからはるばるやってきたのはこの週末の午後過ぎ。

というのも、ここ数週間程、ベルリンはヴァンゼーとポツダムを結ぶ軌道地域間路線が工事中ということもあり、S-Bahnに揺られはるばるベルリンからポツダムへ向かい、そこからはじめて地域間急行REにのって、ブランデンブルク・アン・デア・ハーフェルにたどりつく。しめて1時間半以上はかかる。

ようやくたどりついたKirchmöserの駅をでれば、右側に湖が広がる。新鮮な空気に深呼吸をし、ボヘミアにはなかなかない湖を久々に拝む。ベルリンの郊外、ブランデンブルクにはこのような湖がゴマンと存在する。

湖沿いの道をすすめば、20世紀の初頭に建てられたと思しき集合住宅が散見された。工場の周辺はおもったより整備され、設備などは最新なものになっているようだったゆえ、多少、社会主義的な工業地帯の残骸などを期待していった小生にとっては、肩すかしをくらった形になった。とはいえ、街中のインフラが整備され、恐らく、このドイツ鉄道の設備と関連産業でこの街はそれなりに雇用も経済的にうまくいっているようにも写った。もちろん、ネガティブなことばかり報じられるブランデンブルクにしては良いことではあることだが。

なので、以下がその印象である。

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では又自戒。ベルリン帰還を、ブランデンブルク帰還を楽しみに。