カオスコンピュータークラブ(CCC)は連邦政府を刑事告発する。

カオスコンピュータークラブをご存知だろうか?

通称CCC(Chaos computer club)とよばれているこの団体はいわゆるハッカーの集団で、すでにコンピューターという概念が一般化する以前、1980年代からその活動と続けており(設立は1981年)、現在において、世界でももっとも活発なハッカー集団のみならず、ヴァーチャルな空間、つまりインターネットにおける検閲なき自由とその権利に対してもっともラディカルに戦っている集団の一つである。

本部はベルリンにあり、毎年12月にはその総会、「カオス・コミュニケーション・コングレス」が開催され、数々のウォークショップなどがその中で行なわれる。

小生も2009年末大学占拠の折に一日のみ参加した経験がある。当時ドイツ語圏の大学を中心に、Bildungsstreikとよばれている学生運動が盛んだったこともあり、大学占拠を行なっていた学生集団でも、特に、インターネットにおける検閲や、著作権の問題、そしてオープンデモクラシーというテーマに関心のあった連中や、当時まだ依然としてベルリン州議会での躍進を控えて、在野の小党派にすぎなかった海賊党に参加していた若い連中とコンタクトを持つことになった。

その団体が二ヶ月程前、2月の上旬、昨今のスノードンによるNSAの国家ぐるみの諜報行為の告発などもあいまって、ドイツの連邦政府や検事局などを刑事告発にうってでた。この行為はドイツでもハッカー集団による告発とあいまって、おおきな反響と共感を呼ぶこととなった。

そのプレスリリースを今回翻訳した。もうすでに二ヶ月前のことだが、この件は日本では未だに報じられていないようだ。

不慣れなものなので、法律用語など翻訳に不手際があるかもしれないが、その点はご指摘頂ければ幸いである。

カオス・コンピューター・クラブによるドイツ連邦政府などに対する刑事告発に関するプレスリリース

昨今の秘密保護法の制定にゆれる日本でも、このような対抗手段も有効でありうる、ということだ。そもそも、この法律は憲法で保障された通信の自由、言論の自由、政治にあるべき透明性を保障する民主主義を保障するような土台をはたから無視するものであるからして、違憲という判断がだされるべきであると、小生自身は考えている。

読者諸氏はいかにお考えか。ネットの言論の自由は無条件に保障されるものとはもはや思わない。特に日本のネットのカオスな様は実に嘆かわしいの度を越している。

それを口実にしてというわけではないだろうが、告発の自由や政府や行政機関の透明性を妨げる様な法律はいうまでもなく妥当とはいい難い。通信の秘密とは、個人に認められた基本的人権のひとつとこころえるがゆえ。

こうしたネットにとどまらず、日常生活におけるスパイ検閲行為はNSAのスキャンダルに始まった話でもない。そこには、個人への様々な介入の意図がある。

例えば、ネットにおける最たるものといえば、日本ならば、ウィニーに認められるようなファイル交換ソフトの使用者に対する、ここのところの魔女狩りに等しい摘発だ。これは日本でけでなく、ドイツを初めとした欧州連合内の各国でも目新しい出来事ではない。最近ではビットトレントあたりで集中的な摘発の真っ最中である。

もちろん、そうした介入や摘発の数々はいわゆるコンテンツ・インダストリーの意をくんでなされている。つまり、商業的な組織(たとえばハリウッドやディズニーをはじめとした著作権をひたすら自らの為に囲い込もうとする団体)あるいはそうした団体と結びついた著作権違反の摘発の名を借りたある種のコンテンツ・マフィアと呼ばれる弁護士集団がそれだ。

そこにはそもそも彼ら自身の存立を阻もうとする一つの決定的な要因がある。つまり、彼ら、かつてアドルノが文化産業Kulturindustrieと呼んだ資本主義の(あるいはデモクラシー一部をなす)支配的構造(ラクラウあたりにならってヘゲモニーといいかえてもいいか?)の一形態には、かつて程の巨大な影響力、要するにその文化とよばれる支配プログラムであるコンテンツを維持するほどの影響力も支配力を失いつつあるという事実である。つまり、彼らはそれを維持する文化的影響力をうしないつつあるがゆえにそれに固執する。そうしたマフィア的恫喝に及ぶのは、彼ら自身もの存在基盤そのものが、風前の灯火であるがゆえ、なのかもしれない。

とすれば、そうしたマフィア集団を根底から瓦解させるには、実にシンプルだが、一つの方法があるように思える。

それは彼らを相手にしない、つまりは彼らの商業的コンテンツをボイコットするということだ。

その為には、個々人がそのようなマフィアを相手にしているのでは限界がある。となれば我々のような個人がとるべき道は、そこここでそうしたマフィアに抵抗の旗をあげるというである。そして、その集団がこのイシューに対して一致団結してあたるということだ。それも脱中心に。

この点は、例えば、日本や世界中を初めとするにおける脱原発運動に対しても有効であると思う。ドイツではすでに有効な手段としてとられているが、たとえば、Vattenfallをはじめとした原発電力会社とは袂を分かって、そうではない自然エネルギーの電力会社を支援するということだ。

日本ではその点では困難な道のりになるだろう。個々の自治体や集団が脱中心的に自産自消型の電力消費の戻るを構築するという手段が理想かもしれない。そのためには、今の日本は湯水のように電気を使うライフスタイルを改める必要がある。消極的なボイコットといえるかもしれない。それがゆえ、日本の電力会社は、自らが電力消費者の間接的なボイコットにあって、苦しめまぎれの値上げにおよんで原発なしでの電力供給はままならないと恫喝する。

確かに、これは現存の社会システムに基因する悪循環なのである。ようするに社会全体がある種のプレカリアートに陥っている、つまり基盤の存続に見舞われているということなのかもしれない。文化産業だろうが、弁護士だろうが、そうでもしなければ、今日も明日の飯にも窮するという始末といってもいいのである。

とりあえず今日はこの辺りでこの論に落とし前をつけておこう。

そのようなコンテンツ・インダストリーやマフィアに対してできることとは、それ故、なにか。

最も有効な手段とは、彼らには枯渇した想像力と行動力で立ち向かう、ということだ。そこここで、風前のともしびとなった文化産業の影響下から個々人が、ひいては集団で離脱する、そして新たなネットワークを構築するという方法である。

その為には受動的なボイコットという対抗手段では限界がある。それゆえ、小生が訴えたいのは、CCCのような集団に連帯することではないか、とそう思う。だから日本にも海賊党やCCCのような、現今のシステムに対抗する上での、脱中心的な集団は是非必要と心得る。

なので、また自戒。このテーマはまた近いうちに論じたいと思う。