この地にはらまれしもの、
この地に生をうけるもの、
この地で地の祝福をうけ、
この地の灰となりし塵となれる、
汝と我のこと。
この地にありしものが、
そこに在る過程へと、
やがては地に朽ち果て、
再び塵と化し灰となり、
滅び行く姿を捉える、
容赦ない観察者。
その姿を捉えるはその一瞬一瞬である齣にすぎない。
我が身に覚えあること、
眼差されることの苦痛、
または、
その眼差しに射抜かれることの快楽。
あまりにも容易い。
歴史は言葉のみで語る、
その生の祝福なるものを冷徹なまでに踏みにじりの様。
たかだか150年程の存在であるにもかかわらず、
ホモサピエンスという生物がこの地球という太陽系第三惑星の上で繰り返して来た血塗られた歴史を、
そのわずか一世紀半と20年程前の誕生の端緒から間近で証言するという責務を追わされてきた。
過酷ともいえなくはない、
その役目と運命は。

顔もなく、
どこにいるかも知らされず、
自らを育んだ地を踏みしめる事も許されず、
すべてのこの地へと生を受けたものがゆるされるべき関わりをゆるされるどころか、
奪われてしまわれていることをただ示すのみは、
時として痕跡の数々。
証言してきた事実の大半である、
その歴史の一旦は、
僕ら自身の生の祝福の側にあることよりも、
それが蹂躙される様をなすすべもなく見守るばかりか、
その様を進んで記録する側にあった、
といえなくはない。
その物体に写されたものはそれゆえ死の兆候をたたえている、
と関わるものならば誰もが思い当たる事実。

けれど、
同時に、
この地に生をうけしものが、
その地上に生を受けたという、
生を享受しているという、
その地の祝福を、
誰もがすべからく受くるべき権利を、
わすれるべきではなかろう。
祈りの言葉を口にしないその沈黙の詩人たるその眼差しは、
同時に地に孕まれ生まれるということの幸を見守りつづけてもいる。
いつかは地に朽ち果て灰となりうる、
その今このひとときを、
生けし我らが血であり肉にとっての、
ささやかなる慰めでありうるか、
生を受けたという祝福の場に、
居合わせることは。
小生はこの1月、いつか訪れた京都の東山の一角にある今熊野のとある空き地にたっていた。
そこで、当時から遡って1年3ヶ月程前に訪ねた廃屋を訪ねようとおもったのだ。
しかし、なにも見ることなく、その廃屋があったはずの場所を去った。
2012年11月そこで奇妙なものをみた。
廃屋を一人守護するかのようにたつ猫は身じろぎもせず、
その傍らに狂うは、秋にそのつぼみを開く花、
今を誇る生き物たちの側でその廃屋は静かにその役目をおえ自然に帰ろうとする。
なにが脳裏をよぎったのか、ただ時の移ろいのあざとさを思い、
時間の流れに身をまかせて、やがて自らの姿を失いゆく消え行く運命に任せるものを、
記録する媒体であることを、そんなときに思い知らされるからこそシャッターを押したのか。
過去となり、けれど現在へ連なる一齣であればこそ。
そのわずか35ミリ幅の物質に痕跡と記される、
その一片は生き続ける、それ自体が灰と化さない限り。
記号の数列たるデジタルには適わぬ話。
儚さとともに、
花はいつの日か枯れ、
塵と化す、
地に帰る。
さらば花よ、
されど、
枯れた花の後にはいつかまた咲く花がある。
それは一瞬ではあるが、一つの時間の推移を捉える。
そこにこそ、それが「生」を捉え得る可能性がある。
一人のシンティの瞳を捉えたコマの中には「生」の一文字はなく、
それがよるべきと同時に凍り付かせることのできるは、
時の一瞬の停止
あるいは滅亡、
そして賜われた「死」。
その兆しの中に写真は在る。過酷なその仕草。
それでもそこに在ったという事実こそを讃えよう、
地に生まれでたという幸をこそ。
自らも自ずからは何時かは朽ち果て行くべきが祝福すべきは、
生けしものが避けがたくいつかは死に赴く様ではなく、
捉えるべきは、在る、という名の奇跡、か。
なので感傷を過分に通り越した今日をまた自戒。