ベルリンにおりしころ、犬をつれて歩く人々を「犬に飼われる人々」と皮肉っていたことがある。
「パンク犬」という黒いシェパード犬に引っ張られるように道をゆくようなパンク達が長い間、ベルリンでは「犬に飼われる人々」の代表格であったが、最近はヒップスターやらモンスターペアレンツやそのご主人様であらせられるモンスターチルドレンを前に実に肩身が狭そうである。従って、ベルリンでもそんなパンク犬や彼ら彼女らが引きつらるパンク達を見かけることも段々と稀になりつつある。
とはいえ、プラハにおいて、当地のパンクがつれて歩くような犬は、実は小型の可愛らしい御犬様であることが多い。

おそらく、プラハは一般的にベルリンよりも家が狭いので、ベルリンでよく見かけるようなパンク犬を連れていては、パンク自身の庵がパンク犬小屋になってしまうからなのかもしれぬ。
むしろ、パンク犬を威圧してあるくような犬とは、プラハの居酒屋にて、冬なのに半ズボンのみはき、一人黙々とジョッキを傾けるような親父たちが連れる大型犬であることが多いかもしれない。
とはいえ、その種別は様々であるといってよい。
ところが現在小生が住まうプラハ二区はヴィノフラディの小生の庵には雌犬が一匹おる。
なかなかに賢い犬なのであるが、犬は犬なのである。
犬を「飼い」始めるや否や、それは犬に「飼われる」日々に変わる。
それを昨今思い知らされることになったのである、よもやこのプラハの地にて。
小生のチェコ同居人が、そのBibaと名付けられた犬の飼い主なのであるが、なかなかにマヌケな彼は、そのご主人さまであるこの雌犬によって事実上「飼われている。」
忙しい日々にも、日々の饗応をご主人様に一日三回捧げ無くてはならぬ上、一日に三回は散歩のお供に連れて行かれる日々なので、小生は「犬に飼われる」ものの運命よ、と鼻で笑いながら、同じ屋根の下に住みながらも、御犬様の従者のような生活をは無縁ではあった。
ところが、ここ数日小生が彼女の散歩のお供をするはめになっている。
したがって、小生のこれまでの言質に従うならば、小生はまぎれもなく「犬に飼われる人々」になりつつある。
なんたること。
とはいえ、犬も歩けば棒にあたる。その中には香しき風景と文物も数々あろう。
このごろのプラハは、非常に冷たく湿り気の多い天気で、太陽の日差しも此処数日程全くなく、一日中雲の中では、どうにもこうにもモチベーションの湧かない日々。とりあえず、大学、図書館、あるいは家にいるのみの日々で、そのせいもあって、体内時計が変調をきたし、睡眠時間も不規則。下手をしては冬なのに、半ズボンをはいてしまいかねないほど、軀の感覚がメチャクチャになりつつある気配もある。
しかし。御犬様にとっては、そんな天気はおかまいなし。彼ら彼女たちには一日最低三回のお散歩はもちろん欠かせない。
なので、今日の午前中も眠い頭を引っさげて彼女に引っ張られるように家の近くを文字通り引きずられ歩く。
すると、家から彼女に引き連れられること5分ほどのところに香ばしきユーゲントスティルの建造物を発見。
世紀転換期の1908年から10年ごろに建造されたシャロウン邸Šalounova vilaという。名の由来はその名の通りこの邸宅を設計しアトリエとしても使用していたラディスラフ・シャロウンLadislav Šalounという芸術家に由来する。彼の代表作で最も有名なのは、プラハは旧市街広場にあるヤン・フス像だろう。プラハにくれば、誰もが、必ず目の当たりにすることになる。

意外と彼女はこんな感じで小生をプラハの知られざる香ばしき場所へと導いてくれる、なんて期待してしまう。
なんで、これからは小生の新しき「ご主人様」とともにプラハを探索していくことになる。
なんでまた自戒。
[…] なので、この国では、犬もあるけば肉屋にあたるのである。そんな御犬様が、かつての東ベルリンほどとはいえずとも、我が物顔に、飼い主、もとい御犬様に飼われた通称犬の「飼い主」を引き連れて、往来を闊歩する様などは、強調するに取るに足らぬプラハはもといチェコの日常である。そんな日常、犬に飼われる「飼い主」をそばに、肉を買ってもうたれ、と駄々を捏ねる様など、そこここにある肉屋の前で繰り広げられる光景である。(その御犬様のストーリはここから。) […]