郊外へ。ベルリン・ブリッツ。2010年6月。

小生がいつも逍遥するような、郊外の風景というのは、一見、人工的で無味乾燥としているかもしれない。

その郊外という言葉が生まれたのはいつのころなのだろうか。都市が飽和状態になり、街が外へ外へ拡大していった時代だろう。日本では、20世紀になってからだろうか。文学者でいえば、佐藤春夫であったり、国木田独歩といったり、太宰治などが、いわゆる最初の東京の郊外の文学者たちであったといえるし、彼らの作品からは東京の西の郊外は、武蔵野の乾燥した砂埃の舞う光景が容易に思い起こされる。太宰治の小説は時々、宅地化が進み始めた東京の西の郊外などが舞台である。といっても、いまとは比較の仕様がないほど、森や田畑に満ちた風景だったのだろうけれど。

21世紀初頭の我々にとっては、もはや、郊外、そして、その郊外にあるような団地とは、20世紀を代表する文化的トポスとして、様々な文学や芸術作品のインスピレーションの源となっている。郊外をテーマにした漫画も多い。とはいえ、そんな漫画と小生にとっての対象aである郊外の風景とはまた同じようで異なるのかもしれない。自分自身、いまだ、よくわからない。

小生は、京の都から下洛の過程、ベルリンに流れつきゆくまでに、東京で4年の間、一年半を赤羽で、2年半を府中で過ごした。前者は東京都内で、後者は東京都下。もうこのLügenlernenでも話題に上ったが。

赤羽は、東京の北の端、荒川の向こう側はすでに埼玉にして、駅前には埼玉の雰囲気が濃厚となり、かとおもえば、駅の背後には都内有数の団地である赤羽台団地がそびえている。この赤羽台団地を通って、よく帰宅したことを覚えている。とっても、いつも大学一年生の新入生にとっての恒例の飲み会の後、終電後のおぼつかない足取りで家路を急ぐのみであったけれど。そのころの小生にとっては、今のように何かを感じるような場所ではなかったということなのだろう。とはいえ、今の小生にとっては、また再訪してみたい場所の一つでもある。

多分、今日紹介する写真は、そんな赤羽の、武蔵野の丘が崖となって、荒川の手前で潰えていくようなところ場所にあるような郊外の光景とはまた少し違う。ベルリンでも50年代以降に宅地開発がすすんだ界隈であるそのブリーツBritzを初めて逍遥した時のものである。

それはむしろ小生が2年半を過ごした府中、あるいは、小生が関西に移る以前に数年を過ごした東京都下、同じく武蔵野にあった団地のある光景と幾分似通っている。住宅の間に生い茂る豊な緑、そして、その木々の合間にある子供の遊び場。遊具にジャングルジムにブランコに砂場。

そんな、ベルリンの南の郊外、ノイケルンのさらに南にあるブリーツBritz地域を逍遥しているうちに、小生の過去への記憶の中で密接にリンクしていったのが、今日の写真にあるような、ベルリンの南の郊外にあるような風景であった。そこは、時間が、80年代あたりでとまっているかのようだった、小生の記憶の中の東京の西の郊外のように。

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なぜ小生が当時そんなベルリンの郊外を逍遥にするようになったか。また別の機会にお話したいと思う。

ではまた自戒。