やれやれ。秋も深まって参り夜長となるこの頃。
プラハも、恐らくベルリンも、秋の色濃く、街路樹は段々とその葉の色をかえて、それはやがて自らを落ち葉に埋もれさせていく、そんな季節になってきた。
街の空気も段々肌を冷たくさするようなこんなとき思い出すのは、かつて日本にいた頃、どこかの河川敷あたりで見た光景。
小生も東京に4年間おりしおり、一年半を東京の北は赤羽、二年半を武蔵野は府中で過ごした。
その赤羽にいたころ、年中を通して、よく夕暮れ頃、散歩がてら赴いたのがすぐそばを流れる荒川だった。秋も深まる季節、日がとっぷりくれた時間、河川敷を歩いて目の当たりにするのは、鉄橋に、それを通り過ぎる京浜東北線。その横をまたぐ自動車橋の上を家路へと急ぐる自転車の影。そこへ橋の鉄筋が夕闇へと解けてゆく。
今年の頭、大阪の此花区を尋ねたおりにみた風景。おぼろげにその十年以上前にみたようななにかを去来させた。
ベルリンにもプラハにもない風景。遠くはなれて思い出させる、なにがしらふとした機会に去来しうるもの、その風景なるもの。
いつかみたもの、みたかもしれないもの、自分の脳裏に去来するものの鏡とでもいえるものか。
多分、プラハでもベルリンでも大阪でも、どこでもそんな思いが去来する場所を自然と探しているのだと思う。
それを追っているのか、それとも、それからそういう思いが至るような場所へと向かっているのか。
なんて感傷も秋の深まりがなすものとお許しあれ。ではまた自戒。