今熊野、京都・東山、2012年11月。

京都で「野」がつくような地名をあげてみよう。

北野、紫野、蓮台野、嵯峨野、鳥辺野、化野、高野、そして、今日の御題となる場所である、今熊野といったところであろうか。

その京都の「野」がつく地名であるが、現在の京都市内の中では仏教寺院が比較的多く集中する場所でもあり、その大半は観光地としても知られている場所でもある。それらの地名はだいたい京都の歴史的中心部からみるとやや周辺部に位置している。

その中でも、かつて京の七野としられていた場所がある。内野、北野、平野、上野、紫野、蓮台野、〆野がこれにあたるという。これらの地の大半は今の京都市内ではほぼ北区にあたる。

彼の地は、当ブログLügenlernenである不肖小生が、前世紀末の最後の十年、小生の10代すなわち思春期過ごした場所、言葉をかえてみれば、世紀末的妄想と日々の大冒険にふけりし場所にも他ならぬ。またこのLügenlernenでもこの京の七野について、また別の機会を選んで話すことができれば思う。

さて、その今熊野訪問を最近果たしたのは、2012年11月だった。秋真っ盛りの都に帰還したのは、恐らく2002年以来のことだったか。小生の実家がある京都・北野は背後にある山々が紅葉する様、これまさしく燃えるが如しであった。前世紀末の10年間小生が都におりしころは、それほど気にもかけなかった都の山々の紅葉、その十年後今や甚だお上り様ごとき小生の目には、非常に月並みな表現で恐縮だが、あなおかし、というにふさわしいほどの色景色であった。

京都でも東山というのは、小生自身が90年代を都で過ごしていたおりは、滅多にわざわざ足を運ぶことのない界隈だった。当時住んでいたのは都でも西北の北野だったということもある。そこから、東山はちょうど街の反対側に位置する。

正直なところ、東山界隈は京都の中でも最も観光地然しているということもあったから、実際地元民にはあまり縁がない。せいぜい義務教育の社会科見学でいくぐらいが関の山ではなかったか。実際のところ、祇園やその周辺に縁があるような中学生や高校生はよっぽどといってもよかった。小生にとっても、三条大橋あるいは四条大橋を越えることは当時の小生にとっては極めて稀なこと、であったと記憶している。

実際、小生が五条坂や清水寺といった京都を訪れることになるお上りさんがまず向かうことになるような、最も京都然とした観光地を人生で初めて訪れたのは、2006年のことで、ベルリンに住み始めて実に4年がたってからのことであった。

その今熊野であるが、そんな観光客で賑わう東山界隈からは少し南にはずれたJR東海道線の線路が東山トンネルへと突入するあたりにある。国立博物館と三十三間堂からは歩いてもすぐの場所である。

古来より風葬の地として、知られていた鳥辺野の辺り、特に現在六道さんで知られている、六道珍皇寺の近くの六波羅に、平安時代末期、平清盛の父である平忠盛が六波羅殿(現在の六波羅蜜寺周辺、建仁寺の南側の界隈)として彼らの根拠地をおくころ以前からこの界隈には寺院が多く開設されるていた。平安時代末期になり、平清盛の支援を得た後白河上皇が自らの御在所を、その法住寺近辺(法住寺殿)に定めてから寺院が多数存在する市街地として発展し、現在のような町並みに発展するようになった。

この今熊野という地名は、東山トンネルの入り口付近のJRの線路を越えていく東山通の橋のほぼたもとにある新熊野神社に由来する。この神社は、熊野への信仰厚かったという後白河上皇が、自らの御所である法住寺殿(その中心は現在の法住寺、現在の蓮華王院、すなわち三十三間堂のほぼ正面に位置し、その広さも十余町も誇ったという)の南側、熊野街道(今の東山通)沿いにまさしく熊野詣へのほぼ出発点として、そして京の熊野信仰の中心として、建立したことがはじまりという。そして、その名称にならい、その界隈を「新しい熊野」、すなわち、今熊野として呼ぶことになったということだ。(参考:新熊野神社ホームページ

いまでも清水寺から五条坂、そこから法住寺殿の敷地内にあったという新日吉神宮の山側から今熊野と泉涌寺あたりにかけて現在も墓地が多数存在する界隈でもある。

小生がこの界隈に足を踏み入れたのはそうは遠い昔のことではない。むしろ、ベルリンに赴いて、ゼロ年代も終わりにさしかかろうとした2009年の年末だったころだ。そのときの記録は2010年元旦のポストにある。京都でも相当の香しき、京都市中とはまた違ったおもむきの昭和への束の間の帰還を果たせる風景の広がる界隈である。

歩いていると、明治維新以後に次々と設置されたという歴代天皇あるいは歴史上にその名を残す皇族の火葬塚が散見される。この火葬塚は小生の実家がある京都は北野にも数多く存在する。

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今熊野にあるとある皇族の火葬塚(名前は失念)。2009年12月末撮影。
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京都・北野は小生の実家、金閣小学校裏側にあるとある皇族の火葬塚(これも名前は失念)。2012年1月撮影。

さて。その今熊野は智積院裏側と新日吉神宮と境を接するあたりに地蔵山墓地というのがある。

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地蔵山墓地、2009年12月末撮影。

その裏側に行き止まりの小道があり、その新日吉神宮側の崖のしたというべきところに、恐らく京都市か京都府所有の、待機宿舎という名の古びた共同住宅があった。

ここは小生がすでに2009年にこの界隈を徘徊したおりにもすでに建物自体がほぼ空き家の状態で、家の前の植え込みも相当に手が行き届いていないせいで、草が茫茫に茂っている状態であった。

昨年秋に再びこの界隈を通り過ぎたおりも、完全に空き家状態で、建物の前はススキが生い茂っていた。にもかかわらず、鍵のかかった自転車があり、ドラ猫が建物の前に佇んで小生を凝視している。持ち合わせていたカメラのシャッターを何度か切ったのだが、その猫は小生らを意に介すでもなく身動き一つしなかった。

ところが、ここのところで、フィルムの巻きの不具合で、カメラの中でフィルムが詰まってしまった。その場で、何度か巻き戻して空シャッターを何度か切ったものの、うまくいかずその日は、そのカメラを諦めて、デジタルカメラでの撮影に切り替えた。数ヶ月後、ベルリンでカメラを具合をたしかめるべき、うっかりシャッターを巻き戻した上から切ってしまった。そのまま、そのフィルム上に何枚か重ね取りがされたあと、フィルムは取り出されて、また一ヶ月ほどほっとかれたままの後、今年の3月にようやく現像してみたら、かのような像が出てきたというわけである。

この写真は4月の小生所属のベルリン・ノイケルンはWerkStadtでの展覧会で出品した作品の引き延ばしもととなったモノクロ・ネガティブフィルムをデジタルスキャンしたものだ。

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IMGその写真を京都在住の友人にみせたところ、小生以上に都のかのような地に通じている彼曰く、その建物がつい先日解体されたということであった。そう、このネガに写っている建物は2013年8月現在もう取り壊されてこの世にはない。グーグルマップで確認してみると敷地は今は更地になっている。この写真にうつっている猫、恐らく、この建物の最後の住人だったのであろうが、今はどこにいるのだろう。この界隈を日々徘徊していることだろうか。

今熊野は、中世に至るまで、京都が戦火に包まれるたびに、この都の覇をめぐってまず攻防戦が行われたところだったことは、都の入り口に存在するというその地理的条件から必然だった。そしてそこで、名もなき多数の武者達が命を落としたことは想像に難くない。小生は実際に見たこともないが、そんな落ち武者や図らずも落命した武者たちの霊がうようよしているという人だっている。そうなのかもしれない。

でも、すくなくとも人間の目にはそれは捉えられるものなのだろうか。人間の五感が捉えられないものはこの世には数多く存在する。人によっては、写真にそれが可能だという論を唱え、実際写真の歴史をひもとけばわかるが、そのようなオカルトに走る人たちは数多くいた。けれど、それはあくまでも眉唾もの、だと小生は思っている。実際なにか、写真に、人間の体験の総体から説明不可能なものが写っていたとしても、それがそのような霊のようなものと言える根拠などない。実際、それが霊である、といえる根拠は僕らホモサピエンスはどのみち提示しえないものだ。説明不可能なものは説明不可能なままにしておけばよい。どのみち、此の世はそのような物ばかりに充ち満ちている。だから、宗教とか信仰とか迷信とかいったりするものがある。そういうものだと思っている。

でも、あの写真はあの猫とあの共同住宅にいる霊がなんにがしら小生や小生のカメラに働きかけて生まれたものだとなんとなく思っている。

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猫が一匹佇んでいた背後の建物横にたつお堂二つ。この小さなお堂はまだあるのだろうか。しかも、なぜこんなところにたっていたのであろうか。なにを祭っていたのだろう。写真は2009年12月末撮影のもの。

ひょんなことから、何と無しに撮影したものが、撮影後数ヶ月後に解体されているという偶然。写真という媒体というもののは、実に、去り行き際の光景なるものをしかと受け止めることができるという意味では、やはり、唯一無二のものであるといえよう。と同時に、写真が原初から孕むべきは、死のイメージ、消え去り行くもののイメージなのか。それはやはり必然的なものなのだろうか。

ところで、京都という街はそういった死というものの影であり、その表象に満ち満ちている。その意味でも恐るべき街といえよう。

もっとそれを探求したいと思っている。でも、京の都はベルリンの遥か彼方の空の下にある。

ほんではまた自戒。