京都大学・西部講堂、2012年1月。

ここへは本当によく来た。この京都大学の西部講堂の隣にあるサークル棟へと先輩を尋ねて。ここは京都という街における日々の探検のアジトのようなものだった。

もちろん、講堂で行われるイベントにも時折足を運んだ。むしろ、京都を出てから、そして、ベルリンにいってからも、時々都に戻る折にも度々。ベルリンから戻ってきても、京都、特に京都大学の周辺は、ゼロ年代の初頭からベルリンに居を構える小生にとっても、違和感なく帰ってゆける場所でもあった。

多分、京都出身の高校生にとってはこの京都大学のサークル棟の先輩訪問は、ある種の儀式のようなものではなかったか。今から思うと、小生は大学進学前にして、京都大学という、自分の故郷の最高学府にして、京都最高の解放区なるものの神髄に触れられるという僥倖にあずれたものである。懐かしいと思う方もおおかろう。

高校卒業後、小生は東京の大学へと進学したのだったが、その東京の北の端にある某国立大学にも、京大の西部講堂ならびに吉田寮食堂などとも優劣つけがたいアジトのようなサークル棟を有していた。そこは3000人ほどの学生しか在籍しない小さな大学の、文字通り、解放区のようなもので、もともと自由な雰囲気の大学であったといえ、そのサークル棟はさらにアナーキーな雰囲気で彩られていた。極めて小汚いタバコ臭い場所であったが。いわゆる大学のサークル棟と呼ばれるものの例にもれず。

とはいえ、20世紀末の大学の郊外移転とともに閉鎖、大学の敷地はもとの持ち主の東京都へと返還される運びとなった。そして、もとの所有者へと返還され、空き地となったあとに残った敷地もかつての大学校舎も、小生の母校である某国立外国語大学を忌み嫌っておられたという、かの元東京都知事老害閣下の意向によるものかどうかはわからないが、すべてゼロ年代の初頭にはすでに更地になってしまい、それも永遠に失われることになってしまった。

京都大学の西部講堂はこの世の中にあって、いまだ存在し続けていること自体が奇跡であるような類いのものだ。京都のような街においても。

2012年の初頭に都の地に短期滞在したおり、小生の友人たちと西部講堂をぐるっと一周してみて、まあ、ずっとこんな物だったか、と記憶に尋ねてもかつての面影とくらべようとしても、記憶が曖昧のもので判然しなかった。1月とはいえ、平日の夕方というのにあまり人気がないのはやむを獲ない話であったけれど。最近、イベントとかコンサートなども行われているのだろうか。

そういえば、このサークル棟も近頃影も形もなく取り壊されていた。さて。どんな下司な鑑賞にすら値しないものがたっているものやら。それとも、元の木阿弥とばかりに、また廃車寸前の車と古タイヤの山ができているのだろうか。小生的には歴史は繰り返されるものと期待したい。

以下は小生が世紀転換期を過ごした京都という街の、その時代における記憶の残像の一つとでもいうべきものである。

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ではまた自戒っす。