世界で最も退屈な場所のひとつにて。西ドイツ、ノルトライン・ヴェストファーレン州、ヘアフォード、一時間十五分。

かねがねこのLügenlernenでもいっているが、小生はベルリンという独立都市にすんでいるのであって、独逸などという国住んでいる気などは更々ない。

もちろん、このベルリンでの十年におよぶ生活の中で、ベルリンが深く地理的にも文化的にも深く関連する東独逸の地方、ブランデンブルクや小生のジャーマン同胞の多くがルーツをもつザクセンなどに対する愛着や関心が最近芽生えてきていることは言明するにやぶさかではないが。

けれど、それ以外の独逸の地方は、もはや小生にとっては「外国」である。むしろ、ベルリンからわずか一時間程でたどり着けるポーランドやこれから一年間生活の拠点を移すことになるチェコなどの「東独逸」の隣国の方が、独逸という「国」からすると「外国」なのではあるけれど、小生の関心は、ベルリンにやってきたとどの始まりから、より深いものがあるし、親しみもさらに深いことはいうまでもない。

ベルリン、特にノイケルン在住の小生にとっては「西ドイツ」ほど「外国」である場所はない。

いうまでもなく、ヨーロッパで最も退屈な場所として。

この「西ドイツ」にはもちろんかつての西ベルリンの一部も含まれる。此処数年ベルリンの郊外、特に西ベルリンの郊外を徘徊するようになって、この「西ドイツ」はこのヨーロッパという大陸が抱える倦怠感なるものを一手に担っているのではないか、という思いが小生のカオスな脳内を占めるようになったきた。

そして、先月ノルトライン・ヴェストファーレン州はオストヴェストファーレンにあるエンガー(これは先日この記事でも語った)、ならびに本日の話題となるべきヘアフォードという街を訪れるにいたって、この小生の思いは確信へと変わった。

断言しよう。

西ドイツという場所はヨーロッパ、いや世界中を探しても、最も退屈きわまりない場所の一つである。

とはいえ、そこに広がる「退屈な日常」はただ唾棄すべきものではない。

そんな「退屈な日常」なるものが広がる西ドイツなる場所とは、かのパンクを引き連れる御犬様でさえ、退屈と感じ逃げ出してしまいたくなって、自らの従卒である田舎パンクに夜な夜な、俺をベルリンにつれていってくれえ、とオーンオーン吠えてしまうような場所なのであるが、そんな「退屈さ」が醸し出す、どこにもあるそんな風景から、小生はなぜか、ある種の詩情を感じ取らずにはいられない。

というのは、これが小生達のすまわる世界の絶対不動の現実であるからだ。そういったその世界の現実であり日常をしめる99%の「退屈な日常」があるからこそ、世界にはベルリンのような街が時として存在しえるのである。そんな「退屈な日常」から逃れるために、だからこそ、ヨーロッパ中、もとい世界中から、皆がベルリンへと殺到するのである。

例えば、ヴィム・ヴェンダースがアメリカへ赴く以前それから帰還の後に撮った作品に見られる「西ドイツ」の風景、それこそ、彼がベルリンへ向かって「ベルリン、天使の歌」を撮る以前の、映像作品の大半に現れるような風景にこそ小生は魅せられる。であるがゆえに、あのヴェンダースの映画の中の東西分割時のベルリンの町並みがあれほど魅力的にうつる、と小生は思っている。

別に特にヴェンダースが撮ったような「西ドイツ」だけに限らない。小生が育った東京の西の郊外や横浜の郊外もそんな場所だ。

小生が長年過ごした、京都という場所も、だからこそ、逆説的に小生にとってはいまだ特別な場所であり続けている。日本の中では、例外的に、街や通りのそこここに日常的に「日常」とかけ離れた特別な「祭り」の余韻で満ちている、そんな場所だからなのだろう。ベルリンとはまさしくその「祭りの日々」が永遠に繰り返される場所なのだ。

「退屈な日常」なるものを詩的風景にかえてしまうのは、それこそ映像作品や写真作品の力であり、その「日常」のアウラに源を見いだすような「風景」であり「作品」なるものである。風景なるものは、特にそこにあるのではない。むしろ、そういった作品の中でしか存在しえない。作家や芸術家によって見いだされるような風景とは、その内実は実際には唾棄すべき退屈な日々と日常のようなものからうまれる。

やはり芸術作品なるものを作り出す霊感なるものの最大の根源となるのは、そうした日々体験するような倦怠感に他ならない。

ところで、ヴェンダースは、そのロードムーヴィー三部作の最終作「さすらい」の冒頭で、主人公の一人を、エルベ川へと車ごと特攻させる。今から思えば、ベルリンにやってきた時の小生の気分はまさにあんな感じであったとも、いまからすればいえるかもしれない。(だいたい20秒ぐらいからそのシーンがはじまる)

なんで、エルベ川に突っ込んだ車のように、小生も、長年にわたり、プカプカと、ベルリンという名の濁流の中に身を任せてしまっていたのであるが、この映画ではまもなくトランクを抱えて川から上がってくるこの映画の主人公のように、現在のところ、それに終止符を打とうか打つまいか迷いに迷っているところである。それはこの映画が語る様な、さすらいに終止符を打つ為のさすらいとなるのか、もしくはまだまだ続くさすらいのはじまりとなるのか、まだ小生の中では判然としない部分がある。

なんで、今日はこのヨーロッパもとい世界でもっとも退屈な場所の一つである西ドイツはヘアフォードからの数枚である。

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なんで今日もまた小生は郊外へと行きます。誰も小生の真似なんかしなくてよいですよ。

また出過ぎた口をたたいてしまいました。また自戒。