先月のエンガーというドイツ随一のド田舎に関する記事の中で、パンクとそいつらを引き連れる御犬様について言及したので、思い出したが、そういった連中は最近のベルリンでも段々とお目にかかることが少なくなってきた。それも昨今のベルリンの文化的政治的傾向と無縁ではない。
一般的なイメージとして彼らにつきまとうもの。革ジャン。それについているイボイボやトゲトゲ。モヒカン頭。あるいはヤギ頭もしくはヤギのようなひげ。Sternburg、通称Sterniというライプチヒ産の究極のションベンビールを愛飲(もしくは痛飲)。北斗の拳に出てくる雑魚キャラのような風貌、といえば、ご理解いただけるかもしれない。
とはいえ。路上で生活することを強制されている連中もいるので、嘲笑や笑いの種にすることは断じてしたくはない。
ベルリンにはそうした連中が、普通に暮らせる場所がこれまでのことかかない、ということで、ヨーロッパ中もとい世界中から若いパンクやアナーキストたちがベルリンへと自然と集結するようになったのも、今に始まった話ではない。
彼らはベルリンの中心部ではめっきり目にすることはなくなった。ファッションもとい世代の変遷ともいえるけれど、そういった思想にとって昨今のベルリンがめっきり居心地が悪くなったという理由からでもあるだろう。
この写真はすでに2008年ごろのものだが、ベルリンはミッテ、それもクロイツベルクとのほぼ境に位置するスクワットされている家屋を門前からみた写真である。
この家は数年前にすでに違法占拠状態ではなくなっているのだが、いまでにコアな拠点としてベルリンもといヨーロッパのアナーキストやパンクのシーンでは知られている。そういえば、東京は高円寺でご活躍中の素人の乱の松本哉氏もどこかで大絶賛していた。
とはいえ、ここは観光しにいくような場所ではない。そんな下心を出して他人の家を覗きにいくようなことをすれば、速攻家の主たちに追い払われることは確実だ。
そんなパンクやアナーキーを標榜する彼らの目下の最大の敵、真っ先におとといきやがれ、と追い返されること必死の連中とは、特に彼らの最後の牙城であるクロイツベルクやフリードリヒスハインでも大急増中の似非ヒップスターや頭の上が植木鉢ギャルあるいはちょんまげギャル(これについては先日このLügenlernenでも言及した)であることは間違いない。

しかし、パンクたちが、最近のベルリンで最も恐れるだろうものは、資本主義でも帝国主義でも、その手先であり彼らと常に路上でバトルを繰り広げる警察ではない。
ゼロ年代、特に東ベルリンはプレンツラウアーベルクやミッテで猛威をふるっていたような、そして、ついにここ一、二年ほどでクロイツベルク、そして昨今では北ノイケルンを席巻しつつある、「モンスターペアレンツ」とベビカーにのって彼らを引き連れる「モンスターチルドレン」かもしれない。
この「モンスター」たちは、ベビーカー(決して安くはない)を大集結させ、そしてこの季節、ジェントリケーションの権化ともいえる「ジェラート屋」あるいは「ラテ・マキアート」ならびに「ニューヨークチーズケーキ」を売るカフェの門前を占拠しているので、非常に目に付く。
先月だったかラジオのトーク番組を聞いていたならば、ベルリンに此処のところはやるもの(てかもう此処のところではありまへんがな)と列挙された中で、この手を店を開店するような連中もといその前に集う連中について言及していたのだが、それは「ベルリン在住十年、ベルリン自由大学で独逸文学と美術史を専攻し、スペインあるいはイタリア交換留学二ゼメスターをえて、在学中に出会ったバイエルン出身のフンボルト大学法学部在学のパートナーと、プレンツラウアーベルクはマウアーパークの近くに五歳と三歳になる子供二人と居住のシュトゥットガルト出身のソニア(はためたにありふれているので、例として、その番組のパーソナリティもその名前をあげたのだろう)」たちであるという。
ベルリンの「シュヴァーベ」(シュトゥットガルトのある地方名、もといベルリンでは田舎者という意味で使われる)アレルギーが生んだステレオタイプともいえるが、実際にあまりにもそれに近い例をよく目にしてきたので、さもありならん、と思うのが小生の気持ちの偽らんところである。
とはいえ、彼らのメンタリティーは、キリスト教的家族観に対する嫌悪感を表明しジェンダーフリーなどを標榜される方々並びにパンク城に立て篭るようなパンクたちやアナーキストたち(小生もどちらかというと思想的には後者に近いが)、と極端に異なるわけではない。
彼らの中には、ネオナチがデモするとなれば勇んで、通過ルートを軀を張って、しかも子供達と一緒に、ブロックしにいくものもあるし、悪徳国際銀行資本家の意をくんだディペローパーの連中が、東駅前やワルシャワ通り近くのシュプレー川沿いにしょーもないタウンハウスを建てようとしてベルリンの壁の残りを破壊しようとすれば、その前に立ちはだかって阻止しようとし、そしてテンペルホフ空港跡の公園を売却私有化するなんてプランが持ち上がれば、それに対して反対の署名運動を始めたりする連中も少なくない。そして、反原発原子力デモがあれば大集結してベルリンは独逸連邦議事堂の前を埋め尽くすような人々の大半は、実は彼らが大半といってもよいのである。
とはいえ、溝は大きい。
小生も至る所で、かつてはマウアーパーク界隈で、そして昨今ではクロイツベルク、フリードリヒスハイン、そして北ノイケルンの街角での、そういったベビーカーを集結させる「ソニアたち」とパンクたちによる路上ファイトをしばしば目の当たりにしてきた。そして多くの場合、「ソニアたち」が、パンクたち及び彼らのご主人様である御犬様に対して、圧倒的勝利をおさめるのであるが(笑)。以下の映像はそのイメージであります。
最も、かつてヨーロッパのパンクのメッカであったプレンツラウアーベルクはマウアーパークの周辺では、彼らはてっきりお隠れになってしまった上、クロイツベルクやフリードリヒスハインでも彼らたちは実に肩身が狭そうだ。
とここで、日本でのパンクのイメージは、あのアニメに出てくる雑魚キャラの邪悪さが大きな影響を与えているのではないかと、ふとおもう。
「ソニアたち」にとっては、パンクやアナキストたちは極左のChaoten(邪魔臭い連中、あるいは人騒がせな連中とでも訳すべきなのだろうか)であろう。実際のところ、彼らの中には気難しい連中が多いし、ヘタをすると教条的なやつもいるので時々辟易とさせられることもある。実際、この「パンク城」に住めるか、と言われても小生には絶対無理と断言できる。生活環境としてはあまりにも劣悪すぎるのは明らかだからだ。
そしてパンクやアナキストにとって「ソニアたち」がみせるステレオタイプとでもいえる、ベビーカーや公園の遊具の周辺で一家団欒的な情景などは、伝統的保守的家族観を忌み嫌う彼らにとっては受け入れがたいものの象徴であるには違いない。ゆえ、やっぱり本質はキリスト教的保守的価値観に根っこから染まっている南独逸人もとい「資本主義」の手先なのであろう。
まあ、それでも、どんな人でも保守的傾向を年齢を経るに連れて見せていく。他の独逸の他の地方もといヨーロッパの国々の同年代の連中に比べれば、ベルリンの「ソニアたち」は言うまでもなく、多様な価値観を持っているのは疑いのないところではある。
だからこそ、これは小生の見立てでは、オルタナティブと呼ばれる界隈のアンタゴニズムともいえるべき現象なのだ。互いを意識し、認識するがゆえの対立なのだ。互いを無視することからは生産的な議論も生まれない。そもそもデモクラシーというものがよってたつべきものはそうしたアンタゴニズムなのだ。
家庭を持つ持たない、異性のパートナーを持つ、子供を持つ、こんなことは個々人の選択だ、こんなことは言うまでもない。
とはいえ、彼女たちの存在自体が、「現実」との「妥協」の産物といえなくはないか。
そして、昨今のベルリンの、ある種の消費文化ルネッサンスの片棒を担いでいるのは、ジェントリケーションの権化ともいえる「ジェラート屋」や「ラテ・マキアート屋」の前に集う彼女たちである。もっとも、彼女の中にだって、「似非ヒップスター」の来襲にゆれるクロイツベルクやノイケルンの昨今の現状には眉を寄せる人たちもいる、ということぐらいは小生は知っている。最も、彼女たちなりの「保守化」なのであろうが。
無論、それを含めてもだが、いうまでもなく、これは昨今のベルリンで最も不愉快な現実でもある。そうしたこれまでのベルリンにはあまり見られなかったある種の消費オプティミズムは、疑いなくベルリンの最近の物価や家賃の上昇の一端を担っている。
また、このことが、ベルリンの地区ごとの階級分け、このことは将来もしくは今もベルリンのどこかで現在進行中の地区まるごとのゲットー化という事態にもつながりかねない現実だろう。実際にベルリンの一部の地区ではすでにそれが現実のものになりつつある。それは民主主義が前提とするプロダクティヴなアンタゴニズムではなく、社会内での負の敵対心を煽りかねない対立の原因となりかねない。
ベルリンの現実は間違いなく現在のところ「持つもの」による一方的な収奪の対象である。しかも、文化的な略奪も伴っているといってもよいだろう。だが、昨今の文化的略奪は目にみえない。むしろ、そうした文化的収奪の方がなにか目に見えるもの形にあるものを略奪するよりも容易だといえる。
かつて東西分割時のベルリンで最も貧しい界隈であったはずのクロイツベルクが、ベルリンでもっとも家賃が急激に値上がりした界隈になったという、それが時代の皮肉だ。たかだか、50、60ヘーベーの家に、下手をしたら月間賃料1000ユーロを要求されるのも、このクロイツベルクの昨今の現実だ。
中欧最強のパンク・アナーキズムの牙城は此処数年で一気にある種の「オルタナティブ」テーマパークと化したことは疑いがない。しかし、その背後で起こったことに関心を寄せる、そのテーマパークの訪問者は少ないだろう(小生が言っているのは似非ヒップスターと呼ばれるような連中のことである)。
それを知らずにベルリンで遊びほうける連中にこの現実を見ろ、と小生は吠えたい。そうした無関心がそれを加速させる。そして、無関心故に周縁へと追いやられる人がいる。
クロイツベルクに来る連中は、コトブス門の地下鉄の駅の南側の広場でなぜそのそばにある高層マンションの住民たちがテント張っているか、ということを知るといい。そして、オラニエン広場でなぜ難民の人たちがキャンプを張っているかを知るといい。これがクロイツベルクの過酷な現実だということを。
今日紹介したような通称「パンク城」がいつの日か「落城」するときがくるのかもしれないし、これが不思議と生きながらえるのかもしれない。小生の見解では、あんなものは、今のベルリンでは、もはや蛇の生殺しとして存在しているに過ぎない。なくなるときには、一夜でなにもなかったように、なくなることだろうし、それも周りの誰も気がつかないうちに。それは、これまでのベルリンがこれまで築き上げてきたものがガラガラと崩れていく前触れとなると同時に、ベルリンがヨーロッパのなんの変哲もないもないただの大都会になる日の始まりとなることだろう。
永遠の学園祭、といえるものについに終止符が打たれる時、とでもいえるのだろうか。
先日訪れた阿蘭陀はアムステルダムは、妙にベルリンと違って落ち着いているのだなと感じたのが、そういったベルリンならば絶対にかち合わない両者が隣り合って平和に暮らしている絵が普通にあったが故にであろうか。両国の文化的背景の違いも大いにあるのだろう。独逸という国が成し遂げられなかった文化的多元性という、阿蘭陀という国が、大航海時代や植民地経営という歴史的背景を得手、すでに600年以上かけて熟成させてきた土壌そのものとの違い、なのであろうか。もちろん、現在のヨーロッパの例にもれず、阿蘭陀でもそれが揺らいでいるとも人はいうが。それは、すでにそういった「祭り」の周縁を経たがゆえの静けさ、なのかもしれない。あるいは、舞台裏でまだ「祭り」は日々繰り返されているのかもしれないが。
もっとも、いちげんさんゆえの見解でありますが。
この件に関しての小生なりの回答もこのLügenlernenの中で探求していきたいとは思っていますが。難問ではありますが。
今日もまた口が過ぎましたのでまた自戒。それではまた。
[…] 3年ほど前、小生はベルリンとは永遠の学園祭が行われる街、と書いたこともあった。しかし、祭りの自ずから生れ出るようなカオスが基づくような熱気はとうの昔に冷めてしまった。 […]
[…] 3年ほど前、小生はベルリンとは永遠の学園祭が行われる街、と書いたこともあった。しかし、祭りの自ずから生れ出るようなカオスが基づくような熱気はとうの昔に冷めてしまっている。 […]