シェニャフカ、一時間弱。並びにSieniawka。(下)

先日した中央ヨーロッパの国境地帯の話の続きをいたそう。

ポーランドの南西の最果てにあるシェニャフカという小さな村。ここは小生が訪れたポーランドもとい中央ヨーロッパの場所の中でいまだかつてなく強烈な印象を残してくれた場所である。

前回も紹介したが、このポーランドの最果て、独逸とチェコ共和国の国境三角地帯に存在する、この香しき地を訪れたのは同名のSieniawkaなるドキュメンタリー映画を見たがゆえであった。

SIENIAWKA TRAILER from Mengamuk Films on Vimeo.

さて、今年の夏のはじめ5月上旬にかの地の訪問の話は遡る。

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小生たちは初夏の陽気の中、チッタウの市中からポーランドと独逸の国境となっているナイセ川の方角へ歩き出す。
ものの十五分ほどで、かつて国境のチェックポイントがあったであろう空き地を通過すると、とてもここが国境とは思えないほど、幅の狭い何の特徴もない川に、これまたなんの特徴のない橋のたもとにたどりつく。

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そして橋を越えると、そこはもはやポーランドなのであるが、例のごとくタバコを売るバラック・ポーランドマーケットが立ち並ぶ風景が道の両側に続く。しかし、大半の店は開店休業状態あるいは店自体がしまっている。小生たち以外の人通り、もとい独逸側からの越境者とおぼしき人はほぼいない。もちろん、日曜日の午後ということもあったが。

小生のジャーマン同居人曰く、かつて、特に90年代初頭は、カオスを極めていたというが、賑わいという点では当時は、今日とは比べ物にならない程だったということだ。まあ、しかし、こういった風景も独逸・ポーランドの国境地帯では珍しい光景ではない。安いタバコや酒を売る店、と両替屋などが軒を連ねるという点では、どこの国境地帯でもだいたいいつも似たような風景が広がっている。

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やっぱりこれかよ、とため息をついてしまうほど、この予定調和的な光景。と、半ばあきれつつも、たかだか10メートル程の橋を跨いだけで、目の当たりにする町並みの違いの顕著さ。だから、たかだか散歩程度でも、国境を越える体験というのは、退屈な日常に違いを生み出すあなおかしきことよ、と再度確認する。

シェニャフカという場所は、国境地帯といえど、ポーランドはポーランドなのである。そこら中に香しき様々な色や大きさに満ちた広告の看板が田舎道の両脇や民家を彩っている。

これをみるに至って、やはり、ポーランドは大陸の東の果てに連なる遥かなる旅路の始まりにふさわしい場所であると確信する。ポーランドの先は、露西亜であり、そしてその向こうは中国なのである。ポーランドはやはりカトリックで保守的な国で、ヨーロッパの国であることは間違いなのだが、こういった場末の風景は極めて露西亜以上に中国の場末の市場の風景を思い起こさせる。なんで、ポーランドはやはり、小生の中では、ヨーロッパの中国であるとまた確信を深める。

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そんなわけで、小生によって勝手に、ヨーロッパの中国と認定され続けているポーランドでは、独逸では味わえない香しき食などもある。ちょうど昼時だったものだから、久々のポーランド帰還を祝うために、ピエロギなるポーランド風のワンタンでもくってこう、という話になるのだが、いかんせん、道の両側に並ぶバラック商店街にはそんな気の利いたものなど見つからないし、日曜日の午後にそんな店があったとしても、開けている訳もなし。およそ、500メートルほど続くバラック商店の軒を眺めても、それらしき店など見つかる気配もない。期待するほうが、無理というものであったので、小生たちは、ピエロギを諦めてさらに歩みをすすめる。

すると、東の丘の上に見えてきたのが、かの映像作品のSieniawkaの舞台となったホスピスである。以下は、中央ヨーロッパの国境地帯に広がる香ばしき、しかし忘れられたかのように存在する風景の一例であろう。

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敷地内にはいる。道の左右両脇に住民とおぼしき人たちが日向ぼっこに興じている。もちろん、小生のことをジロジロみる。中には映画にでていただろうな、と思わせるような顔をチラホラ見かけるが、敷地の中には普通に子供の遊び場もあって、親子連れでにぎわっている。日曜日の昼下がりの世界中どこへいっても見る光景。

建物沿いに歩いていくと、映画の一シーンにもでてきた、かつての雑貨屋の跡の廃墟やら倉庫だった建物のそばを通る。そんな感じで、敷地内をぐるっと回ると、また小生たちはまた正面の入り口近くに立っていた。普通の集合住宅である。1930年代建造の。強いて言えば、ポーランドよりも独逸でよく見かけるような、その当時普及していた集合住宅の様式だったが、さもありなん、ここは1945年までは独逸だったわけだから。

敷地の門から出た小生たちは、このホスピスのゲートをくぐる前にあった雑貨屋がすでに店じまいしていることに気がつく。まだ明いていれば、この短いポーランド訪問の記念となりうる土産のスナック菓子などを買おうとおもっていた。のども乾いていた。5月の上旬にしては乾燥した一日であったがゆえ。

小生たちはならば足早にまた国境の橋の方角へと足をむける。そして、十分ほども畑の間の畦道を歩けば、国境にかかる橋の袂にたどり着く。わずか一時間にも満たない久々のポーランド帰還であった。

橋を渡り、独逸側からポーランド側を振り返ると、シェニャフカが立地する自治体であるボガティニアの看板がでかでかと背後にそびえる。かつては独逸名ライヒェナウReichenauといった。この自治体が位置するポーランドの下シュレジエン地方ではよくあるのだが、現在のボガティニアという街の名前もドイツ語地名の直訳だ。それはナイセ川の東岸も1945年の第二次大戦終戦までは独逸領のシュレジエンだっという歴史的背景に基因している。

ボガティニアはそれ自体はこの国境地帯に多数ある炭坑の露天掘りがある街で、まだ訪れたわけではないが、想像するにそれは香ばしきポスト社会主義の風景が広がっているに違いない。独逸の東、ザクセン州の国境地帯には、小生にとっても、まだ未知の心躍らせる香しき未知の風景が広がっているのだ。

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これからもこのLügenlernenではかのような香ばしき風景を尋ね歩いていきたいと思う。

ではまた自戒。