ヴァーンスドルフ、二時間。

電脳派チェコ文学者などという不遜な自称を奉じておきながら、あるまじきことに2011年の12月以降、一年半以上もチェコ共和国の地を踏まない日々が続いていたが、久々に彼の共和国の一部であるボヘミアの地へと再上陸を果たしてきたのは5月の初頭のことであった。

といっても、独逸から国境を跨いですぐの場所にある小さな街に、たった二時間程の間であったが。

独逸はザクセン自由州Freistaat SachsenはツィッタウZittauからザクセンとボヘミアをまたぐローカル線に揺られて15分程にあるヴァーンスドルフVarnsdorf。かつてはWarnsdorfと綴っていたのは、オーストリア・ハンガリー帝国の時代からチェコスロヴァキア第一共和国の時代を経て第二次世界大戦の終焉まで独逸人人口が街の多数派を占めていたが所以だ。

このヴァーンスドルフが位置するチェコ共和国のリベレツ州のほぼ北端の界隈は、独逸と国境を接している地域にも関わらず、チェコ共和国の中でも最も貧しい地域でもある。そんなボヘミアの片隅にある小さな街がヨーロッパ中の注目を浴びることになったは一昨年のことだ。

きっかけはこの街がある北ボヘミアの地にもよく見かけるロママイノリティへのデモだ。このデモで、このボヘミアの地でも昨今目にあまる暴挙を繰り広げるネオナチ、もとい反ロマ的傾向のある住民たちが大行進し(このデモは国境を越えてドイツのネオナチNPDの党首もデモに参加したということもあり、ドイツでも多少話題にはなった)、警備の警察もといそれを取材するジャーナリストとすったもんだの大格闘を繰り広げるという大醜態をヨーロッパ中にさらすことになったが、これは全くの笑い話ではない。しかも、このようなデモが警察との衝突になるケースは唯一のものではないからだ。この時期、この手のデモがチェコ各地でも相次いだ。

ドイツのメディアの間でもほとんど話題にすらなっていないが、ここ1ヶ月ほどの間にロマを標的にしたポグロムとでもいえる騒ぎがチェコの各地で相次いでいる。二週間程前には北ボヘミアのドゥフチョフDuchcovそしてビールでも知られている南ボヘミアのチェスケー・ブデヨヴィツェ(ドイツ名ブドヴァイス)でもネオナチが市内を大行進して、警察との衝突騒ぎも起こっている。これはチェコのメディアでは大々的に取り上げられたが、ドイツの主要メディアはほぼスルーだった。

ドイツと違って、チェコではプラハやブルノといった都会以外ではなかなか反ネオナチ(Anti-Fa)の運動が見られないのは、やはり、この国がもつ歴史的背景によるもの(つまりナチス・ドイツによる第一次および第二次チェコスロヴァキア共和国解体という背景に基づけば自分たちこそはナチスの被害者であるという意識、これはドイツ系およびハンガリー系住民に対する財産没収と強制移住を告知したベネシュ布告がいまだに有効であることとも関連があるだろう)と、ロマやヴェトナム人へのマイノリティに関していうなれば、ドイツとはまた別種の社会的背景(特に事実上人口の数%を占めるロマへの長年の差別とそれに起因する対立)によるものが大きいのではなかろううか。

さて。この話はまた別に機会にして(10月プラハにいって以降のネタにしておきましょう)そのヴァーンスドルフの話にうつるとする。

そのヴァースドルフなるチェコ共和国でも辺境とおぼしき国境の街を訪れることになったのは、小生のツボが国境周辺をウロウロさまようという妙な性癖によるものだけではない。

小生がこのヴァーンスドルフを訪れた5月の初頭にはドイツ側とポーランド側の三角地帯の主要自治体を会場にした映画祭が毎年開かれている。ナイセ国際映画祭といって、中東欧各国制作のフィルムだけがフィーチャーされていて、この手の映画祭はドイツだけに限っていえば、コトッブスとヴィースバーデンで行われているが、恐らくナイセ映画祭が一番規模でいうと一番小さい(メイン都市はチッタウ)。

ここのところ、小生のジャーマン同居人の実家がチッタウということもあり、小生も昨今のベルリンの観光地ぶりに窒息することも間々ということもあり、時折ドイツでも東のポーランド・チェコ国境の辺境ともいえる場所によく赴くようになった。

とはいえ、ベルリンから3時間ほども鈍行列車にガタゴトゆられれば、そのドイツ・ポーランド・チェコの国境の三角地帯へとたどり着く。行く道中車窓から目にすることになるのは、炭坑もあり、炭坑跡もあり、炭坑跡に水を張った湖もあり、その向こう側はポーランドと、国境地帯を放浪する癖がある小生にとっては、ツボを爆撃されるような体験なのである。その界隈は丘と山が波打つように連なる風光明媚な場所でノイケルンの喧噪から逃れるにはまたとない場所でもある。

そのヴァースドルフもチッタウから国境をまたいでチェコ側に向かう鈍行列車にガタゴト15分ほど揺れていればたどりつくことになる。国境をこえたかどうかもわからないうちに列車はいつのまにかVarnsdorfと書かれただけの駅にとまっている。

小生が扉のボタンに手をかけ、扉があいて小生が車内から降りようとするやいなや、対面からすでに立て幅と横幅が同じぐらいの非常に豪快な体躯の肝っ玉母ちゃんと形容されるのにふさわしい女性が両手にスーパーマーケットのチェーンの荷物で満載になったビニール袋をぶら下げ、その背後から数人の子供たちを引き連れて車内へと流れ込んでくる。

小生はその圧力に押し返されて、うわちゃあ、とかいいながら、その列車の昇降口で時計回りにくるっと一回転などして、気がつけばホームに見事に着地している。

北ボヘミアといえば、子沢山の「ジプシー」とプラハの人たちはいうが、それもかくやの光景である。もちろん彼らをそうやって「ジプシー」といってしまうことにはためらいはもちろんあるし、小生の最近の関心もなぜ彼らを「ジプシー」と呼ぶのか、というその社会的ステレオタイプの背景をしることにある。

こうしてボヘミア帰還を祝うにふさわしい第一歩を記した小生はチェコをはじめとして、かつてのオーストリア・ハンガリー帝国の時代に建てられたとおぼしきかつての華やかさをその大きさのみに残す駅舎の前にただずむ。

全く人気がない駅前で、小生たちの前を同じ鈍行列車でおりた乗客が数人思い思いの方向に散っていくのみ。駅は町外れにあるらしく、前の前に大きな工場らしき建物もあるが、もはや操業している気配はない。廃墟といわれてもむべなるかな、という状態である。かつてはボヘミアのマンチェスターとの別名を関するほど繊維産業で栄えた町だったというのだが。

こんな町というよりも村に映画館などあるのだろうか、と思うのであるが、あるところにはある。

超巨大映画館。というよりホール。こんな寂れた国境の町に似つかない超巨大ホール。社会主義万歳。

曰く、80年代に建てられたホールであるというが、小生たちが着席すれば、客は小生たち二人のみである。映画が上映される直前になり二人が入ってきたので、最終的には4人となった。

ホールの入り口に併設されていたレストランはかなりの客でごった返していたが。

映画を見終わった小生たちはチッタウ行きの列車の発車時刻がせまっていただけに足早に駅へともどった。

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駅へもどると数分もしないうちに列車がゴトゴトやってきて、小生たちだけがそれに乗り込むのみ。

およそ映画をみた時間を含めても二時間にも満たない間の滞在だった、ヴァーンスドルフ。また今度はいつ向かうことになるのだろうか。

ではまた自戒。