さよなら、ヒップスター。

ベルリンはオルタナティヴスト、究極のインディヴィジュアリスト、もといパンク、アナーキスト、シュヴァーベ(ベルリンでは田舎者という意味で使われる)たちの都といわれて久しいが、まあどれもあたってるんだろうと思う。有造無造の連中がいるこの街は誰がどうなんといおうと貧乏は貧乏でそれは不幸であるけれど、小生の中では、いまだ世界一セクシーな街であり続けている。

そんな世界一セクシーな街に引かれてやってくる連中も様々だが、ここ数年この街の様々なシーンを、特に小生の住む西ベルリンはノイケルンやクロイツベルクにて、にぎわせている連中がいる。

そいつらはかつてヒップスターHipsterといわれていた。

昨年2012年の上半期その連中を指す言葉が至る所でベルリナーの口元を賑わせた。それも皮肉に侮蔑に敵対心、様々な意味もこめて。

まずはこのヴィデオ(英語字幕付き)を御覧頂きたいと思う。

小生の独逸人の同居人曰く、ここのところベルリンの嫌われものナンバーワン、ということだが、小生の目には従来のベルリンにいる連中とその実際のハビトゥスは変わらないように映る。

だがそのジャーマン同居人曰く、しかし、彼らは見かけが非常にいやらしい、ということ、つまり、連中はオルタナティヴな格好、あるいはふりをしているだけで、実際は通称「サブカルチャー」あるいは「アンチ・メインストリーム」のファッションのメインストリームをただ追っかけているだけと。

まあ、その連中もベルリンにいる有造無造の若い貧乏人、けれどセクシーでありたいという格好つけの若者たちの2010年代初頭ヴァージョンともいえるだろう。かつてはプレンツラウアーベルクやフリードリヒスハインにいた連中がまた姿をかえて西ベルリンに回帰してきたというだけともいえなくはないが。

こういった連中が最近ベルリンでは疎まれているという話ではあったが、諸手をあげてではないにしろ、同意したくなるのは次の傾向である。

つまり、彼らの大半はここのところベルリンで非常によく目につくようになった、アングロサクソン系の連中、つまり英語圏(おそらくアメリカは東海岸だろう、というのは彼の地がヒップスターの原産地なのだから)からやってきた連中のことだ。こういった連中に共通してる傾向。こういった連中のすべてとは口が避けてもいわないが、かなりの数の連中が英語以外の言語習得の意志がない、したがって、一年、二年ベルリンにいるのにもかかわらず、独逸語のレベルは非常に嘆かわしいものがあるということ、骨の随まで消費文化オプティミズムに浸っているということ(これは小生にとっても大迷惑、そんなものこの街にこれ以上持ち込んできてもらいたくない)。

また、「ベルリン、やっすーい!」というのが彼ら口癖なのだが、そんな感じでクロイツベルクやノイケルンの物価もとい家賃を高騰させて、ますます貧乏人が住みづらくなるようなジェントリフィケーションの手先となっていることには異論の余地はあるまい。そんなわけで土着のクロイツベルガーやノイケルナーをはじめとしたベルリナー、もとい長年ベルリンに住まう小生のような人間の憎悪の対象になっている、ということなのだ。

もちろんこのことは、個人的には、ベルリナーに従来から見られるアングロサクソンアレルギーによるものが多いような気がするが・・・。こういうヴィデオが昨年の春ごろベルリンにでまわっていた。

このヴィデオがフェイスブックかなにかを通してまわってきたとき、こういう、あいらゔのいころーん(アメリカ英語のアクセント付きで)、とかいう連中最近うじゃうじゃおるなあって感じで始めはみていた。もっとも、こんな感じのハビトゥスはアングロサクソン系の連中だけじゃなくて、ノイケルン在住の独逸人やそれ以外にもみられる傾向だとは思うけれど。

独逸の第二放送ZDFでも、最近ベルリンにはやるもの、アップルロゴ野郎ども(これはデジタル・ボヘミアンだかウルバーナー・ペーナーという名称で相当かなり前、すでにベルリンでもゼロ年代の半ばぐらいから知られているし、小生もその一人を自任していた上、その通りの生活を送っていたりもした)、ちょんまげギャル、デカメガネ野郎、そしてそれをすべて兼ね備えたヒップスター、などという感じで取り上げられていた。

この中にでてくる社会学者みたいな眼鏡かけたオッサンがいっていたのは、彼らはサブカルチャーのコンシューマで、資本主義的パラノイアの典型、つまり其れ自体がサブカルチャーの終焉形を体現している、というのだ。まあ、そのオッサンにいわせてみれば(もうとっくの昔から僕らはそういう時代に生きているけれど)消費社会時代の「特性のない人間」だということで、サブカルチャー自体を死滅させていくのはこういう連中なのだ、と断言した。まあ、そんなこといったら日本なんてサブカルチャーなんてもうほとんど絶滅したも同然だから・・・。そんな感じでもベルリンもメインストリームだけになっていくのか。

今年の5月1日のメーデーのクロイツベルク、昨年の同時期の小生ならば、今年のメーデーはヒップスター大集結祭か、この野郎、なんて大声でコッティことKottbusser Tor周辺を大声でアジってマワリそうなぐらい、かつて「ヒップスター」と呼ばれていた連中でぎっしりだったぐらいである。

しかし、昨年の今頃ならば、その小生のアジに大絶賛協賛を惜しまないような、アナキストたちやイボイボを全身に身につけたパンクたちが、“Nie, nie, nie wieda, Hipsters!“「匹夫素田どもめ、御免被る!」(これの元ネタはこのメーデーの日に毎年起る革命的5月1日デモでアンチファ(シスト)やアナキストの連中が叫ぶ、“Nie, nie, nie wieda Deutschland!“である)なんて大勢で叫びだしそうな、雰囲気がまだあったのだが。

それも今から思えば、サブカルチャーのシーン内でのある種のアンタゴニズムといえなくもなかった。

けれど、彼らが、今のベルリンにもたらしたのは、退屈な、大体大西洋の向こう側からやってきたような、アングロサクソン的な消費文化は、なんといっても、文化に寄生して、自らそれを食いつぶすという点にある。それがもちろん資本主義の特質でもある。

結果として起っているのは、町並みの「ラテ・マキアート」化だ。つまり、どこにいっても「ラテ・マキアート」と「ニューヨーク・チーズケーキ」を売るカフェばかりというジェントリフィケーションの最悪のパターンのことである。一歩ゆずって、最悪とはいうまい、ただ退屈なだけだ。小生とて、甘い物には目がない。こういった現象は、もうすでにベルリンならば、ミッテやプレンツラウアーベルクで、すでに21世紀のゼロ年代にプロセスとしては完了している。そして、昨今では、もうクロイツベルクだけでなく、ノイケルンの北半分でももはやそれは日常のもととなりつつある。

そして、もはやドイツもとい(とりあえず)西ヨーロッパにおけるサブカルチャーの最後の牙城であったはずのクロイツベルクや北ノイケルンで今起っていることとは、ベルリンが長らく自らの文化的アイデンティティとしてきたはずのサブカルチャーが消費材とされて、それもいつのまにか消滅の危機にさらされている、ということだ。

だからこそ、真の意味でのサブカルチャーもといカウンターカルチャーを体現してきたはずのクロイツベルクのパンク、アナーキストたち、並びにジェンダー的マイノリティーの人々が、彼らが長年が守ってきた当地の文化形態を根こそぎ破壊しようとみえるヒップスターを敵視するのも宜ならざるというところで、その点では小生も同意する。

もうすでに一昨年の夏ぐらいから、南ノイケルンの奥深く小生在住のKörnerkiezやRixdorf近辺でもこうした連中はかなり目立つようになってきたし、その上、昨年の上半期ごろからすでに、小生所属のWerkStadtにもこの手の客が現れない夜はないぐらいだ。金曜日や土曜日の夜、地下鉄U8沿線、Kottbusser Tor周辺はともかくとして、かつては酔っぱらいやドラッグのバイヤー、プッシャー、ギャングスターだらけ、そして時にはスキンヘッドのネオナチどもと、ちょっとベルリンでもつい先頃まで時々危ういなと思わなくもなかったHermannplatzとHermannstr.の間あたりでも、週末の夜遅い時間帯の車内でもでもちょんまげギャルやらヒップスターであふれかえる様はまさに隔世の感がある。

小生も長くベルリンにい過ぎたのでは、と思うのはそんな時である。

数年前に、地下鉄のU8で、ネオナチ集団と同じ車両に乗り合わせ、あわや袋だたきという、ベルリンに流れついて以来最大のピンチを迎えたことがあったが、それも南ノイケルンはHermannstr.とLeinestr.の間でのことであった。小生をガン睨みしながら、ローマ式敬礼をしてくる数人程のスキンヘッドたちを必死に無視する振りをして、はよ、次の駅こい!と念じ、列車がホームに停止するや否や、脱兎のごとく列車を飛び出し、三十六計逃げるに如かずと呟きながら、おら、またんかい、と後ろでベロベロに酔っぱらって舌もまわらなくなったスキンヘッドの遠吠えを背後に聞きながらの大逃走劇も、もはや遥か昔のことに思われる昨今である。

もはや、昨年ベルリンの街角を賑わせた流行語もといそんな連中に対する蔑称も、二〇一三年年五月現在、一時期のはやり言葉であったのが、もはや、嘘かと思えるぐらい、ベルリンでは死語化しつつある。それぐらい、最近のベルリンのおめでたいチャラ男にチャラ子たちを「ヒップスター」とあざける声も聞こえなくなってきたということでもあり、当地の若者たちの大半が急激にサブカルチャーコンシューマー化してしまった、ということなのだろう。

その意味ではベルリンのサブカルチャーのシーンは、かの「ヒップスター」と呼ばれた連中の出現によって間もなくとどめをさされつつある。そして、その結果が、カウンターカルチャーの最後の牙城であるスクワットやハウスプロジェクトが、「ラテ・マキアート」化された街並みの中で浮きに浮きまくり、それ自体が観光名所とされてしまうという、もはや笑えない事態がゼロ年代の半ばころにはすでにおこっている。昨今解散の憂き目にあったミッテのタヘレスなどが極めて良い例であるし、フリードリヒスハインやプレンツラウアーベルクにときどきまだあるハウスプロジェクトが「ラテ・マキアート」の四面楚歌状態で浮きに浮きまくっている姿は、痛々しいを通り越して、カウンターカルチャーの敗北とでもいえるべき現実だ。

今年の3月ライプチヒの本の見本市は独逸の人文科学系出版の大御所ズールカンプ社のブースで、冒頭の写真の、かの出版社らしからぬサブカルチャーとしてのヒップスター研究本を見かけたのだが、もはやその時には、こんなもん路上のネタとしてはとうの昔に賞味期限切れやわ、と思ったほどであった。

恐らく誰かがもういっているかもしれないが、ヒップスターという現象とは、サブカルチャーやカウンターカルチャーという現象にとどめをうつべく、グローバリズムが差向けた刺客なのかもしれない。という私説でもって、そろそろ今日はお開きしようかと思ふ。

まあ小生もよい年頃なんで、若い人たちには好きやらしてあげたい、と変な老婆心でももっているゆえ、ノイケルンからさらに南進して団地や郊外をうろちょろして小生なりのベルリンでの冒険の続きをしようと思っている。と同時にそんな「文化」終焉の地となりそうなベルリンからの脱出計画も随意進行中で御座います。

とはいえ、そんなファッション/スタイルコンシューマーであるちょんまげギャルやヒップスターであふれかえった地下鉄の中に運悪くも乗るはめになるような時、小生の頭の中を町田町蔵センセー(現在は作家町田康センセー)のシャウトが駆け巡る。若かりしころのマチゾー先生が歌うこの「おっさんとおばはん」(なんと1980年のライブ!)を「ギャルとヒップスター」に置き換えてどうぞお楽しみください。

御後が良いようで。ではまた自戒。