国宝の鐘

久々に更新しておいての御題がむやみやたら唐突すぎるかもしれぬが、ご容赦あれ。

この灯籠は古田織部がデザインしたってことだが、こんなものが普通に転がっているのに20年ぐらいは気がつきませんでした。京都・右京、仁和寺境内にて。今年11月8日。

小生こと、この11月を久々に京の都で過ごしておりましたが、かつてその小生も若かりしおりは世間がいう程都の紅葉をあなこれおかし、とおもわないようなちっとも風流でない下賤者でありて、されど10年ぶりに目の当たりにする都の秋はよいものであるなあ、都の山々が紅葉で燃えとる燃えとるなという具合に実家の背後の衣笠山が色づいているのをみて、あなこれおかし、と思うようになったのは、なにも小生がヒップスターどもがかけているようなデカメガネ(やつらがかけているのはだいたい伊達めがねである)をかけはじめてそれに色がついたからではなく、単に10年ぐらいかそれ以上ぶりに京の都の秋を目の当たりにすることになったからからである。

であるに都にこの時期になるとオノボリ様が殺到するのもさもありなん、と今更に納得させられのはいまさらの感があるが、今回なによりもおかし、と感じさせられたのは11月の日本の気候の過ごしやすさである。暑さはとうの昔に過ぎ、冬の底冷えの到来をまだ先に控えて、これほどよい季節はないものであるなあ、ともっともっと帰朝せねばなるまい、と思う小生もたった3週間の都滞在は短すぎる、よって次回はもっと長くいられるよう、小生はベルリンのみあらず、ポツダムと、来たる年よりはプラハにてさらなる精進に励むことを決心をあらたにしたのである。

ところで、秋の都の紅葉もそれは美しいのであるが、久々に実家の近所にある仁和寺あたりを久々にうろうろしたあと南に歩みを向けて、雙ヶ岡へ久々に登る。見た目にはただの丘なのだが、実は前方後円墳のような形をしている。そこからは都有数の展望を望める場所でもあり、古墳もあったりもするうえ、聞くところによれば都でもかなり強い磁場を発するパワースポットでもある、そういった隠れた景勝地でもある。

落ち武者や古墳からでてきた貴人の影も無く・・・。

夕暮れ時ということもあったが、人気もなく薄暗くなりかけた雙ヶ岡を、特に落ち武者の方々の亡霊やら古墳の中から起きてこられたばかりのかつての貴人達たちにばったりでくわしてしまうこともなく無事に通り抜けられた小生は、そこからそうは遠くはない妙心寺へと歩みを向ける。

妙心寺の境内はこんな細い道が迷路のように続く。都でも有数の美しい道筋。といって、東山近辺程観光客を見ることもない。この写真には全く人気がないが、普段は時間に関係なく自転車が盛んに往来する生活道路でもある。小生が都で最も愛する場所の一つ。

普通の生活道路が、突如妙心寺境内に入って行くあたりから続く寺々の土塀の間を迷路のようにくねる道筋を抜けるうちに、遠くからなにやらバチンバチンと木の板をたたくような音と鉦をカンカンたたく音が遠くから聞こえて来る。そしてそれに続くは涼しげなゴーンという鐘の音。そうは遠くないところから聞こえて来る。このゴーンを聞くに至ってはじめて、夕方5時のおつとめとその時間にならされる境内の鐘楼にある国宝の鐘のことを思い出したのであった。

その名も

国宝黄鐘調鐘(おうじきちょうしょう)

と書くと、北斗の拳かなんかの拳法漫画の奥義っぽくうつってしまうのだが。毎日朝と夕べに現地でつかれているのは国宝のレプリカだそう。そのレプリカの鐘でも、そのゴーンとそれに続くちーんどーんかーんかーん、という大太鼓と鉦の音、その合間に打ち鳴らされる木の板を打ち鳴らす音がこれまた素晴らしい。

というわけでたまたまもちあわせていたカメラでHDフォーマットで撮ったヴィデオのデータから音だけを抽出したのを、かつてサンプリングとかいいふらしながらそここで録っていた音をアップしていたSoundcloudにこれまた2010年のメーデー以来二年半ぶりにアップしてみたというわけであります。

そのほかにもこの録音は妙心寺の境内の生活臭を非常によくおさめている。例えば、境内の中を行き来する自転車の音や、自宅へと急ぐおばちゃんたちや学生たちのさいならーという挨拶を交わしている様子などだ。小生自身もよく境内に日向ぼっこにきたり、それこそ日中を読書についやすためによくお堂の前にすわってすごしたりしていたが、この録音で聞こえくる音もやっぱり小生の記憶の中にきざみこまれているかつての日常の断片だったりする。

この日も、この夕べのおつとめの音を鐘楼の向かいにある本堂のたたきの上に座って聞いているうちに、とっぷりと日はくれていった。多分季節ごとに違った風にきこえるんだろうと思う。こういう音が醸し出す風景はやはり特別、まさにあなこれおかしである。ああ京都にかえりたいよお、と思うはこのような時である。

というわけでまた近々、ではまた自戒。