インロウタキン的大坂

最近ふとしたことから町田康がデビューしたてのころにやっていったINUというパンクロックバンドの音源を聞くようになったのだが、彼の後のエッセーなどにみられるような、大阪的不条理とそのドツボにはまった者の呻きがその曲の中にすでに声高に聞こえる。最近これがなかなかツボになっている。

町田康、当時町蔵、のアジりも面白いし(というかこの程度のやりとりは関西ではデフォルトである)、二十歳にしてええ声してるなあ、と思うのだが、それよりこのインロウタキンという不可思議なタイトルの歌、歌詞が意味不明すぎるのである。

♪おまえの暮らしは不安でいっぱい何も言えないでインロウタキン
♪わけもわからずに追い詰められてヤケクソになってインロウタキン
♪電車の中で時計を見つめてつぶやく言葉はインロウタキン
♪頭の禿げたおっさんに買われて唾をかけられてインロウタキン

題のインロウタキンとは大阪の寺田町かどっかにある会社の商標「金太郎印」を逆さまに読んだものだということだ。どのような経緯で町田がその「金太郎印」をインロウタキンと読むようになったかは深い謎でしかない。その「金太郎印」は大阪パンク野郎の巡礼スポットだということだが、今度淀川下るときは巡礼しないわけにはいくまい。

インロウタキンの歌詞の、なんとなく大阪ならありうりそうな、恐らく町田の実体験に基づくであろう、不条理のオンパレードの下りもさることながら、実際に大阪ではそんな「インロウタキン」もかくやの、強迫観念を強いるような不可思議不条理なものにわんさか遭遇する。町田康がこのインロウタキンを関学でシャウトしてから、30年以上がたった21世紀ももはや10年が過ぎた今も、相変わらず大阪はどこへいってもそうした「インロウタキン」的不条理に満ち満ちている。

下の記事はおそらく2010年の春にアップした「不可思議天国大坂再訪記」というタイトルのログ。最後にAudimax占拠の日々とかいっているが、そんな時代だったのか。当時の小生にとってはさぞかしい良い息抜きだったろうと心得る。

このログにも小生にとっての大坂的「インロウタキン」にとりつかれてしまったものの苦悩がにじんでいると言う点で、なかなか興味深く読み直すことができた。

あまりにも大坂ローカルなネタかもしれないが、興味をもっていただいた方には「インロウタキン」な大阪にふれていく機会を持たれれば幸いである。

ではまた自戒。

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大坂はどこか一本線がぬけているところではない。

ほぼ2年ぶりに道頓堀へ帰還を果たした。夕食後、道頓堀を歩きながら松竹座の建物をみあげ、なかなかおくゆかしき哉、とおもえば、背後で物好きのフランス人観光客が、シュペール、とかいいながら、ぱしゃぱしゃ写真をとっている。と背後を振り返れば、その向かいの建物の軒の上では見たこともないほど巨大なタコがうねうね踊り狂ってる。これぞ、大坂、ついに大坂に帰還したわ、ここはワルシャワのプラガでも、ベルリンはノイケルンでもないわ、と心のなかで大坂帰還祝う。

ベルリンに移ってからまもなく7年になるが、毎日兄貴相手にクロイツベルク、ノイケルン、ヴェディンクでもまれているのにもかかわらず、大坂では、お好み焼き屋のおばはんにさえ、心底口答えさえもできる気がしない。

たとえば上の写真はあきらかに大坂での小生の敗北の歴史を物語っている。大坂のお好み屋はちっとも甘くないのである。甘すぎてすみません、といってるのは、ちっとも甘かない、といっていることと同義なのである。

そう、大阪のお好み焼き屋でおばちゃんに、どのソースにすんねん?、わからん、まかせるわ、おばちゃん、と答えて、ほんなら甘くで段取りつけとくわ、というおばちゃんに対して、マヨネーズの上にマヨネーズを噴射され、どっぷりと黒くソースを塗られたお好みは普通に辛すぎる、そんな不条理である。

ところで、小生が8歳のおり、初見にてドロップキックをかましたくなった、あのくいだおれ人形ももはや道頓堀商店街には影も形もなくなった。ついに小生におそれをなして逃げ出したか、ついに小生の時代が訪れたわ、おほほほ、と心の中でにやけながら、くいだおれの建物をロトチェンコもかくや斜め75度異化するかのごとくに上をみあげれば、とうていドロップキックもどどきえないはるかな高見の上からくいだおれ親父があいもかわらず太鼓をたたきながら小生を嘲笑しているのが見えるではないか。

こうして、またしても一敗地にまみれてしまうという屈辱を味遭わされた小生であったが、そんなにきさまはカーネルおじさんと一緒に道頓堀にたたきこまれるのが怖いのか、あんな高いところににげやがってと、負けず嫌いを言い訳に、小生を愚弄するくいだおれ人間を鼻で笑うことにしたのであったが、小生の再度の敗北は明瞭であった。

(注;阪神タイガーズの21年ぶりのリーグ優勝が決まった1985年10月16日、大阪市の繁華街ミナミを流れる道頓堀川では熱狂的なタイガースファンが優勝を祝って夜中にもかかわらず戎橋の橋梁から飛び込む姿が相次いだ。 さらに、ケンタッキーフライドチキンの創始者カーネル・サンダース像をこの年のMVP・バースに見立て胴上げして道頓堀川に投げ込む事件もあった。これにちなみ、その後の低迷を「カーネル・サンダースの呪い」などと呼ぶ冗談が一部のファンの間で流行し、『探偵!ナイトスクープ』で取り上げたことがきっかけとなり、都市伝説として定着した。wikipediaより。)

というわけでもはやこうなるしかないのである。御臨終。

なにかとおもしろい体験を今回もしたのだが、例えば日本橋のデンデンタウンの横丁にある摩訶不思議なアニソン喫茶。メイドもおるゆえ、メイドカフェなのだが、アニソンをうたってくれるという、小生の高校時代の悪友の一押しの店だとのことで同伴したのだが、やはり、おるのは大坂の女子であった。歌もなぜかみなうまかった。

いうまでもなくくいだおれと大坂は永久に不滅であります。

このあとこのオッサンにおもっきりメンチを切られる事に・・・。

大阪におる人是非近いうちにジャンジャンやりにいきませぬ。小生もただ今空いてまっせ。ベルリンに帰ったらAudimaxと論文の日々が再開するので遊びたいのです、今は。

ほんなら又自戒。