ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月4日午後10時(東ヨーロッパ時間)。リビウ到着。

ポーランドからウクライナへの国境越えは意外にもはやく過ぎた。

といっても2時間はバスの中で待機する必要はあったけれど。それでも、一度もトイレ以外の用事で外にでることも呼び出されることもなく。

なによりもウクライナ側の手荷物検査がなくなった。

バスが国境についたころには日は西の空深くに傾きはじめていて、あれとあれよというまに西の地平線の向こうへ消えていった。時間がたつとともに国境検問状の蛍光灯だけが、しかし、薄暗く検問所の屋根の下を照らし出すのみ。それが空の色の青さと奇妙なコントラストをなしていた。検問所の向こうはただの暗闇。

ポーランド側のパスポートに出国のスタンプを押すだけの形式的な検問の後、バスは黄色と青色につつまれたウクライナ側の検問ブースにはいていく。妙にすべてが新しく映える。急ごしらえの印象は拭えなかったが、表面的には建物や設備はEU側となんらかわらない。

これから久々に、毎日ロシア語をしゃべらなくてはないらいのか、と少々身を固くする。

だが、小生の予想に反してウクライナ側のコントロールも妙にあっさりしたものだった。若い警察官が英語を話したのも驚きだった。片言ではあったが。それで、いままで面倒さを極めたウクライナの入国審査は完了であるならばなんの文句もない。

前回の2010年夏の入国の時には、何度もパスポートの写真(しかしこのパスの写真も10年以上前のものなのだ)と実際の小生を比べて、これは本当におまえか、などといわれ、満員のバスから一人だけ、一度ならずも二度も検問所の建物に呼び出されたりした。

今回の若い女性警官もその時と同じ警察官のようにみえた。

小生を検問所に招き入れた彼女は小生の顔をじっとみる。パスポートにかかれた小生の下の名前を読み上げる。小生は苦笑しながらも、じっと彼女の顔と目を覗き込んだ。お互いがじっと互いの目を見つめ合う奇妙な状態が3秒ぐらいは続いた。すると、向こうの顔の表情がふいに崩れて、ふふふ、といいながら、となりにいたまた別の同僚の女性警官に、これ本当に彼よね、と尋ねる。すると、パス持ってるのは彼だからね、とパスの写真と小生を見比べて、小生の顔を一瞬じっとみたのち、表情を崩して、小生に笑いかけながら、彼でしょう、もういいじゃない、といってパスポートを閉じて、小生の方に押し戻した。そして、バスに戻っていいわよ、どうもありがとう、といいながら停まっているバスの方を指差した。小声で、スパシーバ、とだけ答えて、建物を出ようと扉を閉めようとする時にもう一度彼女と目があった。

その時の彼女かどうか確信はなかったが。その彼女は英語をしゃべろうともしなかった。ロシア語はしゃべれる?Po russky?とだけ短く小生にいいはなち、どこまでいく?、いつまでウクライナに?、という最低最小限のセンテンスのみの質問をなげかけた。ロシア語とはもともとそういう言葉なのだけれど。

もちろんこれにいらだっては旧ソ連圏の旅は始まらない。

こちらもそのときは聞かれたことだけ答えればよい。余計なことはいわなくてもよい。それでおしまいなのなら。

だが、あのときの彼女は妙に小生のパスポートの写真とその当時の小生にこだわろうとした。

単に彼女が職務に忠実であった、ということだけならば、それはそれでよいことだったのだが。

10人ほどのバスの乗客にパスポートが帰ってくる間もなく、バスは目の前の暗闇へ向けて走り出した。

小生の腕時計はすでに午後8時をまわっていた。つまり、ウクライナの位置する東ヨーロッパ時間では標準時+3時間、そして夏時間−1時間であるから、現地の時刻ではもう午後9時だった。

M君は少々焦りだしてた。というのは、リビウではとある現地在住の日本語教師のある人と会う約束をしていて、時間通りならば、もうすでにリビウについていても良い時間だったからだ。約束の時間は午後9時ということになっていたのだが、すでにポーランド側の国境にいるうちに、もはやその時間につくのは無理だというのはあきらかだった。それでも、先方の家と小生たちが泊まることになっている場所はそうは遠くない場所にあることがわかったので、向こうは多少遅くとも待ってくださる、ということだった。

バスはようやくウクライナに入国したばかり。リビウまで100キロとないものの、まだ交通状況によりまだ二時間はみておかなければならないのは分かりきっていた。

しばらくするとまたバスはとある明かりのほとんどない薄暗がりの空き地に停まった。

ドライバーが、両替とか買い物休憩、みんな用事がすんだら出発、はやくおわらせて、という。

時間が時間だったので、到着後の時間のリビウでは確実にできないはずの両替をすませておく。両替所の前にできた列にたちながら、前回の休憩のときに話をした青年と話す。

やれやれ、いつまでかかるんだろう・・・、今日でこのバスに乗るのも2回目だが、前回より確実に長くかかっている。

そういう小生に対して、彼も、今回は工事が多いのさ、ポーランドもウクライナも同じ穴の狢よ、と。

で、ウクライナもユーロの準備はどうなんだ、と聞く小生に対して、酷いもんさ、もっともサッカーはあまり興味がないがね、という。

そう言い残して、両替を済ませた彼はバスと駐車場の薄暗がりのほうへ戻って行った。

20ユーロ札がまだ財布の中にあったので、今日の宿代とタクシー代、夜飯代、朝ご飯代ぐらいにはなるだろう、とふと考えたが、今晩のうちにキエフ行きの列車のチケットも駅で買っておいたほうがよいな、と考える。レートをみると、1€あたりのレートは10.5フリヴナだった。あとから考えると、これはかなり良いレートだったいうことになるのだが。正当なレートかあまり確信がなかったものの、とりあえず多少の誤差は損でもなかろうと考えて、50ユーロを両替しておく。

その両替所は小さなベットとテレビだけがおいてあるだけの手狭な場所だった。おじさんともおじいさんともいえない年齢の男性がこんな時間までこんなところに籠って両替の仕事をしている。ベットがあるということはそこで夜をあかすということもあるということなのか、それとも交代の人のベットなのか、判断はつかない。けれど、その男性の疲れようがつたわってくるような、ベットのシーツの薄汚れぶりと乱れ具合、そしてその小屋自体の薄暗さ。ぶら下がっている電球はもちろん裸。

これがウクライナだ。

バスに戻り座席にもどると、バスはまた動きだした。だがおかしい。小生の左前にすわっていたはずのあの青年の姿がない。

バスをみまわしても彼の姿がどこにもない。斜め前方すぐにすわっていたまた別の青年に、おい、あの前の席にすわってたやつおらんぞ、と話しかけるが、英語が通じないで、手短かにチェコ語でいうと、彼もすぐ前に乗り出して、うわ、おいておかれおったんか、と一緒にドライバーに、ひとり乗せ忘れとんぞ、とすぐさま引き返させる。

すると、件の「Litr」横のガソリンスタンドの側に所在なさげそうにたつ、その青年が見える。バスはすぐさま、またUターンして彼の横にとまり、そして、また動きだす。

バスの乗客のささやかな「お出迎え」をうけた彼は、少々恥ずかしげに小生の席の前に座って,ローストしたひまわりの種を満載にしたビニール袋を差し出す。おいおい、どうしちゃたんだい、と聞く小生に、まあ、こういうこともあるさ、という彼もなかなか、ひょうひょうとしていて憎めない。

そういう小生も一度こんな形でバスに置いて行かれたことが一度ある。

2008年9月にトルコからグルジアの首都トビリシにむかっている最中だ。あの時は南オセチア戦争の停戦直後で、グルジアに向う人間なんぞよっぽどの物好きにほかならなかった。

バスも今回のリヴィウ行きのバス以上に空席がめだっていた。もちろん小生とトルコ人のドライバーのおっさん二人組以外は全員グルジア人だった。

にもかかわらずおいてけぼりをくってしまった。

今でも、トイレからでてきて、バスが目の前にもうなかった時の光景。心臓がとまってもおかしくないぐらいの驚いたことは今でも忘れない。

小生はそのときどんな後ろ姿をしていたのか。よっぽど間抜けな背中だったのだろう。振り向けば、そこにいた人全てが本当に腹を抱えて笑っていた。

それでも、なんとかバスに追いつくことははできたのだけれど。それはまた別の機会に。

バスはあとはリビウまで暗闇の中を往くのみ。どんぶらこ、どんぶらこと闇の中を漕いでゆく。

ウクライナに入って不思議なことに道路の状態はよくなった。バスはスピードをかなりあげているようだった。

時折、小さな村を通り過ぎる。そして、また暗闇の中をバスは漕いでゆく。静かに前へと。

夜汽車のような光景。急激に眠気が小生をおそってくる。ほんのわずかだが浅い眠りに落ちてしまう。

小一時間もしてめざめれば、左前方遠くから段々と街の光がみえてくる。それは数を増すこともなく、まばらな光のまま近づいて来る。

高いところにみえる光はおそらく団地の光。まばらな光の間を、街の中に入ったバスは急ぐ。

リビウは時間のせいもあるのか、すでに街自体が眠りに入ってるかのようだった。石畳の通りを駆け抜け、旧市街近くの道をバスが角から角へ曲がっていっても、それがこれまできたことがある街、という確信もない。

バスは知っている道、中央駅に入る道ではなく、また横へそれていく。なぜ?

もうままよ、と流れる暗い窓の外をながめながら、わずかな光の街灯の中に見える通りの角を追いかける。そのうちバスはしった市場の横を通り過ぎているのかと思えば、中央駅へと続く石畳を滑走している。

そして突如、さんざんみなれたリビウ中央駅が突如目の前に飛び込んできた。しかし、それにしてもこの日は豪壮にライトアップされていた。

やっとついたリビウ。時間は午後10時をとうにまわっていた。ワルシャワをでてすでに10時間が経過。

でもウクライナに戻ってきたか。ドネツクまでの旅はまだ半ばも来ていない。明日も長い一日になる。

ではまた自戒。