鳥居が団地の下。Britzer Damm, Berlin-Neukölln, 17.5.2012

ここのところあまりにも家にひきこもりすぎで、たいした遠出もしていないな、ということに気がついたとある夕方のことだった。

久々に団地逍遥でもしたかったのだけれど、小生宅から一番最寄りのベルリン四大団地の一つであるグロピウスシュタットまでは歩いていくのは面倒な距離なので、もう一度先日言及したRollbergの側を通って、テンペルホーファーフェルドの横を通り過ぎたあと、南に方角を転じ、ベルリンの環状線の線路を跨いで後、テルトウ運河まで歩いて、あとは、運河沿いをとことこ散歩していた。


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運河沿いにBritzer Dammの手前まであるいてきたところで、これまで入ったことのない団地があることに気がついたので、そこを通り抜けながら、家の方角へ向うことにした。

すると冒頭の写真にある通り、なんと、目の前に鳥居が団地の建物の下に組み込まれているという前代未聞の光景に出くわしたのである。かような香ばしき団地の風景。

グロピウスシュタットとノイケルンの間には、見本市のごとく様々なスタイルの団地が乱立している。

ノイケルンの南に境を接するBritzにはかの世界遺産にも登録されたブルーノ・タウト設計によるHufeisensiedlungという戦間期を代表する名作団地(?)があるし、そこからグロピウスシュタットへ歩をすすめていくうちに通り過ぎていくことになる、戦後ベルリンの市街が拡大していくのにしたがい誕生していった多種多様の団地群は見る者をたのしませてくれる。

しかし、団地とはかようなものではすまない問題を抱えていることが、団地の間を逍遥しているうちにきっとみえてくることだろう。

ドイツもといヨーロッパでの「団地」とはネガティヴな意味合いで語られることのほうがおおい。例えば、「団地」=ゲットーであるという。それでも、そのイメージも団地逍遥を繰り返しているうちに極めて一面的な見方であるとも悟らされた。

そこにはどんな形でも生というものがある。ただそれがどんな営みの方をされていたか、あるいはいるかが問題なのである。

団地とは20世紀以降の生のあり方を語る上でのキータームなのだ。一切は住むということにかかわるコンセプトでありそして住むということに関わる生一般を司るアートでもあったのだ。全ては全体主義芸術Gesamtkunstwerkの一環として生み出された。団地の神髄とは、ナチズムやスターリニズムを生み出したものと根を同じくする、ということを付きつとめることができるような場所へと到達することでなければならない。

だから、小生の想像力のはいつのまにか時と場所を越えて、はるかかなた東の国の小生の団地での幼年時代の記憶と結ばれることになったのだ。

だから、いつの日か、僕たちの「20世紀末ごろの団地での幼年時代」について語ることができれば、と思う。

ではまた自戒。