ベルリン-ドネツク-エクスプレス: 2012年4月3日午後2時50分。ベルリン東駅。

これから長旅に出る直前だというのに、しかも、最初の数日はかなり強行軍であるが分かっていたというのに、とにかく体調がすぐれないままベルリンは東駅Ostbahnhofのホームに小生はいた。

これからいくのはヨーロッパのメキシコあるいは中国ともいわれるポーランドのさらにその向こうのウクライナなのである。となるとウクライナはヨーロッパの・・・、何なのだろう。

ウクライナといえばコサック、コサックといえば大草原、大草原といえば遊牧民、遊牧民は酒を飲む、酒と言えばウォッカ、ウォッカといえばロシア、だめだ。もう一度。

大草原だ、大草原といえば、小さな家だ、そして馬だ、馬といえば、遊牧民、遊牧民といえばやはりモンゴルだ。 かつてウクライナにはモンゴル人がやってきて、例えば、ウクライナの南の先っぽにはモンゴル人の末裔でもあるクリミア・タタールというマイノリティも住んでいる。一度クリミアにいってときに、ベルリンでよくしっている日本人のなんとかさんとものすごく似ている人がのった乗り合いタクシー(通称マルシュルートゥカ)を運転していて、おもわず、どうもこんにちわ、御日柄もよく、なんて本当に日本語で挨拶してしまいそうになったこともある。ウクライナはじゃあヨーロッパのモンゴルか。

という冗談はほどほどにしておいて、これからいくのはウクライナなのだ。何をしに?サッカーを見に。サッカーである。

実はウクライナには一度サッカーを見にいってきたことがある。日本代表対ウクライナ代表の試合である。2005年の10月のことだ(もちろん中田ヒデもいた、生で彼の出ているのを見る最初で最後に機会だったが・・・)。 その当時の代表戦の試合会場だったのが、今回のユーロの決勝が行われたキエフのオリンピアスタジアムなのだ。当時ウクライナまで同行させていただいたベルリン在住のジャーナリストの中村真人さんのブログ/ベルリン中央駅にその旅の詳細を記されたエントリーがあるので、詳細はそちらを御覧いただきたい。中村さんのブログにある写真にもあるキエフのオリンピアスタジアムは今回のユーロの決勝の会場になるのだが、そのために当時とは大分趣きを新たにすることになった。

もっともそれも7年前の話になる。今から思えば感慨深い話なのだ。一度日本でロシアへの情熱を失い、一方でベルリンという街にひきつけられた小生を、再びヨーロッパの東へと再度向わせるきっかけになったのだから。人生とは分からないものである。

それが必然であったのか、いまでもよくわからないところがある。けれど、それが小生にとって、その2005年10月のウクライナ行きが一大転機になったことは間違いのないところだ。小生にとってはその7年間分の変化も加味したウクライナでのヨーロッパ選手権の直前の様を目の当たりにできれば、というのが当座の趣旨でもあった。

ところで、今回のウクライナ行き、事の発端は、小生はTwitter上で1月の終わりごろの呟きにさかのぼる。

どういう文脈でそのような発言するのに至ったのかは全く記憶にないのだが、ともあれ「この手のお祭り」が小生のような貧乏人には用がないのは当然であるとしても、東ヨーロッパとか中央ヨーロッパを研究とかほざいている小生のような輩にとっては、たとえユーロが金持ちのお祭りであったとしても、門外漢として見ていてもとおもしろくわけがないはずはないのである。とはいえ、大会前にどれほどこの国際的なお祭りのかの両国が変化をとげたか、それとも相も変わらずかをじっくりみるには絶好の機会であるのには間違いあるまい、ということで、大会前と大会後という祭りの前とその後を見にいくのことこそおもしろおかしき、と考えてのTweetだったのには違いあるまい。

ところがその小生の小言を読んでいた友人のフォトグラファーのM君が数日後やや興奮して、是非同行したいと連絡してきたころから、小生の冗談発言が冗談ではなくなるような様相を呈してきたのである。それ以降M君がしぶる小生のケツを盛んにたたくので、しょうがない、やっぱりいくしかねえか、という感じで(すっかり)その気になってしまったのが、3月の頭ごろだった。

ワルシャワ行きのユーロシティ、通称ベルリン・ワルシャワエクスプレスはほぼ定刻通りやってきた。乗車し予約してあったコンパートメントにいくと、中央駅から乗車していたM君がすでに車中の人であった。列車はゆっくりと動きだし、最近とんとご無沙汰しているワルシャワ通り駅を通りすぎるのを眺めながら、つかの間のベルリンに別れをつげた小生は、一年半以上ぶりのベルリン・ワルシャワエクスプレスの車上で、久々のオーデル川の向こう岸への旅に心をときめかすのであった。それでも、その高揚感に体がおいつかないという不具合も抱え、どうにもこうにもこの先のハードな行程に不安を覚えるのであった。

この旅行の計画の段階での小生たちの目的はおおざっぱにいって次の通りだった。

ユーロの会場となるスタジアム、もとい、そのスタジアムが位置するウクライナとポーランドの開催都市をすべての視察。

開催会場でおこなわれる地元リーグの試合も可能な限り観戦。

そして、開催都市でのスタジアムとリーグ戦以外のサッカーに関わる日常をつぶさに観察。

そこで地元リーグの開催日程をつぶさに検討しているうちに、四月七日にウクライナでの開催会場のひとつであるドネツクで、ナショナルダービーといわれるシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの試合がおこなわるということが判明した。

このウクライナ/ポーランドツアーの計画が浮上したころ、今年二月のベルリン映画祭で“The  other Chelsea“「もうひとつのチェルシー」というドキュメンタリー映画をみたのだが (この作品についてはまた別のポストにあるのでそちらを参照あれ)、この作品はドンバスという東ウクライナのかつてのソ連を代表する重工業地帯にあるドネツクと言う街に本拠地をおくシャフタール・ドネツクというサッカーチームとそのドネツクという街に住まう人々と地域をユーモアとサッカーにもつわる高揚感、そこで逆説的にうかぶウクライナ社会の矛盾と欺瞞を見事に描きだしていた。この作品をみたことが、一度はドネツクという街にいっておくべきだな、という小生の気持ちの背中を押したのである。

こうして小生たちの今回のウクライナ/ポーランドユーロ2012直前ツアーの最大の目標は4月7日のシャフタール・ドネツク対ディナモ・キエフの一大カードの観戦ということに決まった。

ところが、小生は来客や野暮用などで4月3日にならないとベルリンを出発できなくなってしまった。遅くとも7日の朝にはドネツク到着していなくてはならないから、こうして小生たちはベルリンから4泊5日でドネツク到達を目指すこととなった。

そもそも小生のような貧乏人がドネツクまで飛行機でいくほどの余裕はないし、もともと飛行機での移動は小生は苦手としているので、その気は全くなかったのだけれど。なので、やはりポーランド経由で陸路でウクライナへ向うということになった。

が、四泊五日ならば余裕じゃないかということなかれ。ここでもう一度ルート確認をしておこう。

Going in Poland and Ukraine, shortly before EURO 2012 Poland & Ukraine, April-May 2012

当初の計画では、3日午後にベルリンを出発し、ワルシャワ到着は夕方遅くの9時。そこからワルシャワからリビウまで夜行バスで向い、リビウ早朝到着後とりあえず四日一日を過ごした後、次の日五日の朝リビウをたち、五日夕方にキエフ着、そして、六日夕方の夜行列車でキエフをたち、ドネツクには七日日朝に到着の夜行列車で到着の予定であった。

ところが小生の体調不良により、若干の予定変更を強いられることに。

出発前夜の時点で、当初の予定を3日夜のワルシャワーリビウを夜行バス泊をワルシャワの友人宅に一晩の宿を乞うことにし、昼前のバスでリビウへ出発することにしたのだ。

そもそも、ワルシャワーリビウの夜行便では国境通過が深夜な上、数時間は待たされることもあり、その間、パスポートコントロールもとい荷物検査で国境では寝ることはほぼ不可能であるのはわかっていたので、もともと気が進まなかった。その上、体調不良もあり、おそらく寝るのは難しい夜行バス移動では、後々の日程に響きかねないという判断であった。その後もリビウーキエフはほぼ10時間列車移動、キエフードネツクも12時間以上の列車移動そして夜行泊と強行軍を控えていた。

ポーランド/ウクライナ国境、ポーランド側のHrebenneにて。この時も朝9時前のバスでワルシャワをたつが、国境にたどりついたのは午後もかなりまわったごろで、ウクライナ側のコントロールをぬけてリヴィウに着くころには日はかなり西に傾いていた。とにかく暑かった。国境通過待ちの状態で、もともとクーラーの入っていないバスが、サウナ状態になったことが忘れられない・・・。2010年7月。

そもそもベルリンーワルシャワ、そしてポーランドの各都市の移動はともかく、今回のウクライナでのユーロ開催都市の移動はほぼ一日がかりと思っておかねばならない。これからヨーロ観戦に赴かれる諸賢におかれましてはその点を留意の上で、体調との相談もウクライナ/ポーランド移動には極めて重要な要素であることを申し上げておく。

さて。4月3日の午後に戻ろう。列車はベルリンをとうの昔に離れ、シュプレー川上流の森の中をガタゴト行く。今回ウクライナはおろかワルシャワ行きもはじめてというM君は、すでに車内をあちこち歩き回ってネタ収集にいとまがない。

小生もときおりヴィデオをまわしたりするもどうにもこうにも体調がすぐれない。それでもポーランド国境直前の街であるフランクフルト・アン・デア・オーデルの駅に着いたあたりからやはりそれでもテンションが上がって来る。

長旅の初日はいつも長い。ではまた自戒。