オーデル川越えは小生にとってはいつも特別な瞬間である。
ドイツ側のフランクフルト・アン・デア・オーデルからポーランド側のスウヴィッチェへ、またその逆へ。これまで何度となくこの川を越えてきた。それはポーランドという国の旅の始まりであり、同時にそこでの旅の終わりでもあった。
初めてこの川を越えたのは、もう10年以上も前になるから、20世紀末のことだ。
90年代の末、小生は、多くの日本人が最初のヨーロッパを旅する際に向うであろう、ロンドンやパリではなく、中欧という場所へなにかにせかされるようにして向った。チューリヒを出て、ウィーンへ向かい、そしてブダペスト、ブラチスラヴァ、プラハ、そしてワルシャワと。
そのワルシャワからベルリン行のEuroCityで小生はこのオーデル川を越えてドイツに「帰ってきた」のだ。
ここ数年はポーランドよりもチェコへ向うことが多かった。ベルリンとプラハをいったり来たりすることが続いたりした。
いつもベルリンからプラハへ向う時は、ブダペストかウィーン行きのEuroCityにのっていく。列車はドレスデンを過ぎるとピルナのあたりからエルベ川沿いを走る。そして、いつのまにか国境を越えていて、いつのまにか自分がチェコにいることに気がつく。
でも、そこにはベルリンからポーランドへ向うときのような興奮がない。
バードシャンダウを過ぎ、国境前の最後の駅であるシェーナを過ぎると、いつのまにか列車は、延々とエルベ川沿いを走るうちにチェコ領内へと入って行く。どこで国境を越えたのか、という実感がそこにはない。
自分が今チェコにいるのだ、という実感が湧くのは、いつもシェーナを過ぎてしばらくして、小生の携帯にショートメッセージSMSが入るときだ。小生の携帯がチェコでローミングを始めたという知らせ。極めて機械的な実感。国境検査がなくなり、移動の自由が格段に広がったのはもちろん喜ばしい。けれど、ヨーロッパの中、少なくとも欧州連合内を旅することはとても乾いた体験でしかなくなったのかもしれない。
かつては車窓からみていて、チェコとドイツの家屋の状態の差などでどちらの側にいるのか、という確信はもてたが、最近はそうは簡単に見分けがつかなくなった。もちろん、何度も行き来をしていているので、このあたりからチェコ、ということは容易にみてとれはするのだけれど。
かつてはドイツ/チェコ国境の両側でパスポートコントロールがあったので、自分のパスポートにチェコの警官がスタンプを押すのをみて、違う国へと来た、という実感があった。ところが、チェコのシェンゲン条約加盟以降、最近はあったりなかったりとまちまちだ。それもだいたいドレスデン中央駅停車中かドレスデンをでてバードシャンダウへ向う車上で行われる。まだドイツ国内だというのに。
結局、今回も、また初めてウクライナへ向った2005年の時とやはり同じルートで同じ橋を越えた。

オーデル川を越えてしばらくするとジェーピンRzepinという駅にしばらくとまる。そこで乗務員の交代などがある。
その間、ドイツからの乗客はおもいおもいにホームへ立って、ポーランドでの最初に空気を吸う。もしく一服タバコを吸う。この風景はいつもこの駅に列車が止まるとき、全く毎回同じだ。これを目の当たりにして、自分が今ポーランドに来たのだという実感が濃くなる。彼ら彼女たちそれぞれのオーデル川越え後の光景。
こののんびりさ加減がポーランドという国の一面なのかもしれない、とふと思う。時間の流れ方が、ベルリンからやってきて川をひとつ越えただけで全く異なる、という。
ベルリンからプラハへ向う途上にこういう光景は全くない。ドイツ側のバードシャンダウでもチェコ側のジェチーンDěcínでも列車は止まったと思えば、すぐ動き出す。そして小一時間も経つと、列車の窓からはプラハ城の遠景を拝することができる。
極めてモダンに改装され、ユーゲントスティル旧駅舎もかつての輝きをとりもどそうとするプラハ中央駅に降り立っても、ベルリンとさして時間の流れ方はかわらないことに気付く。それどころ、駅構内から地下鉄の駅へと続く人の列に従っていけば、それも若干早いのではないか、と思ったりもする。

そういえば、前回訪問から今回にかけての一年半以上の間に、ワルシャワの中央駅が大掛かりに改装されたと小耳にはさんだ。まずはその変化ぶりを収めることから今回の小生たちの旅は本格的に始まるといってもよいだろう。
列車はまたポーランドの平原を走る走る、ワルシャワへ。日は段々と西に傾き始める。
ではまた自戒。