久々のデモ。

先週の土曜日久々にデモにいってきた。3年前の大学占拠が失敗に終り、失意のどん底にあった小生は捲土重来を期して野に下ったのであるが、今回が久々のデモ復帰でもあった。多分2010年6月の学生デモ以来じゃないか。

といってもまあ天気がよかったのにポーランドから帰ってきてからというものの、色々と作業におわれて全く外にでれなかったので、たまには外にいくべ、まずはドネルでも食いにいくだ、と例のごとくベルリンに帰還して初めてのドネルケバブを食しにノイケルンの雑踏に身を乗り出した小生の前にこのデモのポスターがどーんと飛び込んできたのである。

でルートは以下の通りだった。

なので、こりゃいかない理由はないので、自宅から一番近いKotbusser Brückeから参加するということになった。結局一人でいったものの、行けばやはり当時の大学講堂占拠仲間は当然として、サッカーチームの同僚やらあまりデモにいかなさそうなヒップスター/ギャル系の知り合い(人は見かけによらないということでした、謹んでお詫びを)などもデモにいたりして結構びっくり仰天だったりする。

デモの日はちょうどDFBPolkalことサッカーの独逸杯の決勝で、街はサッカーファン、ドルトムントファンやバイエルンファンであふれかえっていた。冒頭のドルトムントの香川のユニフォームをきたデモ参加者の写真のように、サッカーユニフォームを着たデモ参加者もその他にも見かけた。ただの冷やかしの可能性も高いが、デモは人が沢山いてナンボだから。

とりあえず雑多なデモだった。反資本主義的シュプレヒコールをするアンチファAntifa(反ファシスト連合、いわゆる極左の代表格)から、左翼党によるEUとドイツ政府による経済政策の批判やら、ベルリン水道の民営化批判やら(これは非常に由々しきテーマ)、反原発を叫ぶ人たちやら・・・。まあ主義主張が多いデモで結局のところ一つとして主張が一つにまとまっていないデモだった。まあデモは通りに出ないと始まらないから其れで良いと言う事にしておこう。

ヤノヴィッツブリュッケを過ぎてアレクサンダー広場へ向う途上。いろんな旗が見える。特に反原発の旗の色が団地の色と・・・。

デモの後、帰って色々リンクをあさっていれば、この日から丁度一年前にスペイン中の都市で中心部の大広場を占拠するというアクションが始まった日でもあり、その一周年記念行動という意味をあって、この先週土曜日は国際的なアクションデーということであった。

この地図には日本での街頭行動についての予告はなかったようにみえるが、実際のところはどうだったのだろう。ところでモスクワでも行動が予告されていたが、反プーチンの動きと加速してロシア中でかなりどえらいデモへと発展していったと言う話だ。もちろん、今回のデモの発端となった一年前の大行動がおこったスペインでもマドリッドの中心部を占拠する試みがあったという。

土曜日のベルリンでの行動はそれでも期待したよりも小規模に過ぎたような気がしなくもない。けれど、こういう試みを通じて繰り返し通りに出ることが重要なのだ。日本で経済産業省の前でテントを張る人たちや5月5日に高円寺で原発全停止をパレードにて盛大にお祝いされた方々(この祝い方はおおいにありと思います、かと思えばこのエポックメイキングな出来事に関するこういう記事もあったのでお読みあれ)の正当性とは一年目にしてはやくも「フクシマ」という言葉の意味のインパクトが失われていく様への警告であり「フクシマ」の犠牲になりつつある人々のことを常に人々の記憶にとどめおくということにある。

Nigdy wiecej wojny (No more war) グダンスクはヴェステルプラッテにて、5月1日。

今年小生は5月1日をベルリンはコトブス門ことKotti周辺ではなく、ポーランド、しかも、第二次大戦の発端の地となったグダンスクはヴェステルプラッテWesterplatteで迎えたので、これはよい機会と当地で厳粛に反戦祈願をして参りました。が、労働者もとい貧乏人のお祭りという雰囲気はグダンスクにはなかったので、少々のストレスところではありませんでした。が、まもなく再来週末はベルリンはカーニバルなのでその分おおいに飲んで騒ぎたいといと思っております。さあ、皆で通りにでて気が済むまで歌い踊り騒ぎましょう。

ではまた自戒。次回はポーランド/ウクライナ話のあらためて第一回目と初日の話。