山が転がる。Rollberg, Berlin-Neukölln

小生の自宅の近く、ベルリンはノイケルンにRollbergという界隈がある。

ここにはかつてのベルリナーキンデルの醸造所があって、長い間、といっても、その跡の再利用をめぐっていろいろ試験的に文化的な催しが開かれたり、またはクラブとして使われていた時期があったりした。自前の醸造タンクをもったビアハウスもキンデルが北ベルリンのヴァイセンゼーに引っ越してからかつての醸造所の中にできたが、もう5、6年前になるだろうか。


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ところが、最近そのかつてのキンデルの地下倉庫がCubeというクラブとしてオープンしたのだけれど、ノイケルンで(まさか毎晩そんな値段であるわけもないが)20€もする(らしい)入場料のせいで、ヒップスタークラブもしくはジェントリフィケーションの権化とか小生の周辺では皮肉られてもいた。実際小生もまだそのリニューアル後のキンデル地下倉庫にはまだ足を踏み入れていない(というかいっても仕方が無いと思っている)。

キンデルの醸造所の側にはこれまたカオスなバルカンや東ヨーロッパの香ばしき蚤の市がでていることもあったが、その場所にも結局大手スーパーマーケットがオープンすることとなった。まあ、どこでもある工場跡の商業地域のようなものにできあがったのだが、その界隈も結局なんとなく特徴のない界隈になりつつあるとしている。

そんなものが瞬く間にできてくるノイケルンもまぎれも無くべルリンの一部なのであって、おそらくゲットーという言葉がささやかれていた時代がもはや過去のものになりつつある証なのだろう。それどころが、ヨーロッパ中からノイケルンへとヒップスターどもや(ってか一回その定義やっときましょう、次の御題として)やツーリストが殺到する昨今なのである。ますます貧乏人には住みづらい世の中になったものである。

そんな浮世ばなれしたベルリンはノイケルンのRollbergにはまだ他の世界と隔絶したような場所がある。それが通称“Rollbergsiedlung“(「ロルベルク団地」)と呼ばれる集合住宅街、つまり「団地」である。“Rollberg“といえば通常この団地のことをさすのだが、ここはノイケルンでもとりわけ悪名高い地域とされている。

RollbergはかつてはMietskaserneというベルリンが産業革命とともに発展をとげて19世紀後半に大量の労働者の居住させるためのアパートが乱立していった場所であり、時の経過とともに衛生状態も悪化、犯罪も多発地域となっていた一方で、労働運動も活発化し、20世紀初頭にはベルリンを代表する労働者もとい左翼の拠点となった。1920年代や30年代には労働争議のこじれと反ナチ運動によって、警察との衝突も多発し、バリケードを築いて労働者がたてこもるという自体も頻発したという。

そんなRollbergも戦後50年代から60年代にかけて住居状態はさらに悪化し、地域全体を一度更地にして、そこに新たな住居や施設をたているという通称„Flächensanierierung“という再開発の対象となり、現在そこにみられるような「団地」が出来るに至った。

もちろん、地域を解体してなおもそれよりそこに留まることになった人たちは少数派で、新しくできた「団地」へと入居したの人々の大半は大量のGastarbeiter、移民労働者とその家族だった。現在もそこの居住者の三割強は外国籍あるいは国外にルーツをもつ人たちで、そして、人口の四分の一は18歳以下だとか。

もちろん、これはこのRollbergだけのトレンドではないし、ノイケルン全体でも特に珍しいケースでもない。そもそもベルリンにおける「団地」とはそうした人々のために建てられたもの、あるいはうがった言い方をするならば、「収容」するために建設されたともいえる。こうした「団地」はベルリン、特に西ベルリンではベルリンの壁周辺の地域に大量に建造された。

ところで、この“Flächensanierung“は、しかし、1970年代以降のヨーロッパの大都市でおこった社会運動を語る上でもキータームともいえることを指摘しておきたい。この再開発の名のもとの“Flächensanierung“は同時の西ベルリンでも計画されて、その結末の一端はWeddingのBrunnenstr.沿い(もちろん当時は壁沿い、現在も移民系人々が集中して住む「団地」ともいえる住宅街がある)やクロイツベルクはコトブス門Kottbusser Tor近辺に見られる。

クロイツベルクではKottbusser Tor周辺、Skalitzer Str.沿いの界隈だけでなく、いわゆるSO36というクロイツベルクの東側、シュプレー川とSkalitzerstr.の間の区域の大半が特に“Flächensanierung“の対象となった。当時のその界隈もトルコ系のガストアルバイターとその家族や低所得者などが集中して住む界隈で、空き家も多く、その地区の家屋の大半の荒廃ぶりも極限をきわめていたというが、そうした家屋に移ってきたのがいわゆるHausbesetzter、つまりスクワッターなのである。その中にはアナーキストや68年世代なども多く含まれていただろうが、そういった“Flächensanierung“の対象となった区域(ベルリン以外ならばハンブルクのアルトナやザンクト・パウリといった地域など)が70年代以降の社会運動や文化活動の拠点となっていった。Hausbesetzung、家屋占拠あるいはスクワットはそういった行政による都市空間の均質化の企みとしての“Flächensanierung“へのプロテストという意味もあったといってもいいのだろうか。そんなこともあり、警察とパンク、アナーキスト、Antifa(アンチファシスト連合という極左)などが、近年まで、特に壁の崩壊後は東ベルリン中心部に舞台をうつして、自主自営による居住空間と文化活動の空間を求めて、絶え間なく衝突を繰り広げることになっていったのである。その名残は毎年5月1日のメーデーの日に垣間みることができる。ここ数年来すっかりストリートフェストのようになってしまったけれど・・・。

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ベルリンで「団地」(ドイツ語ではPlattenbausiedlung、あるいは“Die Platte“ともいうが)とは非常にネガティブな意味合いがつきまとうことが多いけれど、小生の目にはこの“Rollberg”も普通の団地だ。移民系の人たちも多く見える。

夕方時々、近くにあるかつてのテンペルホーフ空港の跡へと散歩に出かける時に側をよく通る。世間的にはProblemkiez、いわゆる犯罪や社会的な問題を多く抱える地域などといわれるが、この季節の夕方には広場で人々が談笑したりや建物と建物と間では子供たちがボールで遊び回っているのが見える。人の気配が全くしない時間帯も一方である。ただの通行人にはみえないものがあるだろう。それでも、無機質にも写るいわれるそんな団地の中にも普通の人々の普通の営みがあるのだけはわかる。

ここ二年程ベルリンのそういった団地といわれる界隈やその団地がある郊外をよく歩いて来たが、うわついたベルリン中心部を離れ、そうした場所に赴くと、なにがしらこの街の深い「襞」に触れられるような気がする。むしろ解消しきれない深い混乱か。いや、それはどこにでもある大都会の「襞」の深部なのではなかろうか。

そろそろそういった話もしたいと思う。それなりに普段見知ったものとは違ったベルリンの顔、あるいは他のヨーロッパあるいは世界中の大都会とそうはかわらないベルリンの顔が見えて来ることだろう。

というわけで又自戒。