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最近聞いてみたらおもしろかったのでアップ。これも一年以上前のホームページがクラッシュする以前の記事。
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昔日本にいるころ良く集音マイクとMDをもってよく東京都内津々浦々をサンプリングと証しながら色々音を集めてまわっていたのだけれど、そんなこと もベルリンに来て以来、いつしかしなくなって久しい。最近、いつももって歩いていたフィルムカメラが二台とも壊れて、すでに2ヶ月くらいになるのだけれど、そんなわけで写真もとらなくなった。デジカメは相変わらず持ち歩いているのだが、当然のことながら満足のいく像はえられないし、最近はやたら動画をとることにしか使っていない。
とった動画の映像をみていると、(いうまでもなくデジカメの動画機能でとったものだから像の質は当然のことながらよくはない)、意外や意外、録音された音 の方にこそむしろ関心がゆく。人間の目とカメラとの関係同様、人間の耳とはまた別の音をカメラは録ったりもする。そしてその録った音からその音が録れれた 場所の像をイメージする、そして、ロゴスから出力する、という作業を今、バルカンでとったビデオを見ながら行っている最中なのだけれど、それを突然ベルリンでもやってみたくなった。
音から実際その音が録られた場所をイメージするには、実際に聞こえたこと、そして、録られた場所などの限られた情報から推理するしかない。それこそ、自分の想像力の随を総動員しなくてはならない。あたられたイメージからではあたられたイメージ以上のことを膨らませることはできない。聴くということからイメージを形象するには相当の想像力が必要なはずだ。しかし、音も、ある一つの場を織りなすひとつのイメージの構成要素となる。そんな人間の知覚のうちのひとつから一つの街の像なるものを作りだす、そんな試みをいつかはやってみようとおもってなかなか実現しなかった、あるいは、そういう機会にめぐまれなかったいうべきか、技術的な問題もあって、そんなわけで録った素材もで忘却の淵。そういう素材もそのうち復活させることも考えながら、ここのところ肌身欠かさず持ち歩いているipodtouchについているヴォイスレコーダーで試しにそのカフェの音を録ってみれば、おもった以上にかなり音がひろえることがわかり、今日のベルリンの日常初サンプリング。場所はMitte最後のDigital Bohemienの拠点のひとつ、もといこの界隈の古典ともなりつつあるWeinerei Cafe。なにが聞こえるだろう?どんなカフェを想像する?
1. March 2010, Weinerei, Fehrbelliner Straße, Berlin-Mitte by Luegenlernen
ではまた自戒。
また遥々来てしまったよお、ブラチスラヴァ、と一年振りのブラチスラヴァ上陸は昨年11月最終週。ベルリンを朝7時前の列車に乗れば、日はまだ地平線の下、チェコを北から南へと横切ってやってきたスロヴァキアへ列車がさしかかろうとするころには冬の短い一日も終わりにさしかかるところ。小生がはじめて降り立って14年にもなろうかとするブラチスラヴァの中央駅の、この先十年たっても変わることもなさそうな社会主義時代に建設された愛想のかけらもない駅舎を早々にあとに、トロリーバスの停留所がラッシュでごった返すその最中には日はとうの昔にトップりと暮れていた。バスに乗りようやくその日の宿にたどり着き荷物を置いて、さあ、今度こそスロヴァキア飯を食おうと町中へと繰り出す小生であったが、頭の中をよぎるのは去年の12月23日での見事なまでの泥酔ぶりでのブラチスラヴァ到着の顛末とその日の夜の出来事であった。(詳細はここより)
さて。そんなこともあり、昨年末の背教の罪を背負いながら町中へ向った小生であるが、相変わらずこの街は同じドナウ川沿いにあるウィーンとブダペストという大都市の間にある小国の首都の悲しさか、首都なのにどうにも田舎町のである印象はぬくえず、にもかかわらず首都なる高慢に溺れるとるがゆえに今一つ好きになることはできぬ。それもそのはず、スロバキアという一国の首都になったのはビロード離婚の1992年のことであって、それまではチェコスロヴァキアの第二の都市、其れ以前はハンガリーの一地方都市(一時期ハンガリー王国の首都がここに置かれていたとはいえ)であったにすぎない。
小生がはじめてこの街を訪れたのは90年代も終わりにさしかかろうとするころだったが、ウィーンからブダペストへ行き、そこからプラハへ向う途上にとりあえずよってみただけのブラチスラヴァでしかなかった。その後に訪れることになったプラハの前にはブラチスラヴァの印象など残りようも無かったというのは、いまさら大げさでもなんでもない。
ともかく2011年末のブラチスラヴァ。季節はクリスマス直前ゆえ街が華やかにネオンで飾られているのをみるのは初めてである。がゆえ、田舎くさい首都の雰囲気とはいつもと違った感があるものの、あいにくこの日はドナウ川畔の街をスッポリと霧が覆って数十メートル先は霧中で、空気は街中なぜかカビ臭いことこのうえなし、さらにそれがこの街の田舎臭さと胡散臭さに輪をかけており、やっぱきてもしゃーなかった、とりあえずこの街に来てしまったのはヨーロッパ写真月間なる田舎街の分際でナマイキなイベントがあるからということもあったのが、次の日一通り展示まわってさっさとチェコにいってしまえと思うのであった。
ところで丸一日を汽車の中で不用意に過ごしてしまったがゆえに、腹はグルグルなる一方。とりあえず飯だ、酒だ、いや、とるもとりあえず麦酒だ、ということでとりあえず適当な場所を探して腹を満たそうとなったが、旧市街へ至るの市街をあるけば、またまたあるではないか、あの忌々しき「Kebap」のネオンが。しかも、昨年よりももっと目につくようになるとは。
ふざけやがって、田舎町の分際で「Kebap」とは厚かましいぞ、この野郎、ベルリンの「Döner」を神のごとく崇める小生をただの「Kebap」とあるようなしょぼいネオンで誘惑とは片腹いたいわ、おとといきやがれ、でやんでい、と小生は心の中で大言壮語を吐くものの、腹はグルグルまわる事をやめないし、長汽車旅の勢か、なにぶん一日中ろくな飯をくってこなかったせいか、足取りはやはり重い。そうこうするうちに旧市街をぐるぐる廻るうちにたどり着いたのは中央広場Hlavné námestieだった。
ところが、クリスマス飾りとその周辺にたつ諸々の屋台をみて、小生は「Kebap」という幻影を払うことどころか、その屋台にて、麦酒の代わりにホットワインを手にし、グリルの屋台であぶられる肉の固まりを胃の中へなんとかねじ込むことに成功する。という感じで意外にも容易に「Kebap」なる亡霊を撃退することに成功した小生は足取りも軽く、ホテルのレセプショニスト曰く地元の穴場との話通りの若者であふれかえる旧市街の片隅の場末酒場で立て続けに麦酒を胃の中へ流し込み、1年振りのスロヴァキア帰還を祝うのであったが、飲んだ麦酒はなぜかピルスナー(チェコではプルゼンスキープラヅドロイというが)であった。そういう細かいことは気にせず、明日は地ビールにすればよい、のだと思う帰り道の出来事に話はうつるのが、こんな日の結末は案外とあっさりしたものだった。
くそざまみやがれ、と酔いに任せて変に足取りも軽い小生は昨年の「背教」の場へと足を向けることになるが、真夜中近くのブラチスラヴァ中心部はすでに人通りもなく、トラム通りにあったはずの件の「Kebap」屋は案の定もう閉店していた。こうして小生は一年前の「リベンジ」をいつの間にか果たしていたのであった。
しかし看板をみればみるほど、また入ってみたくなるのは小生だけだろうか。この写真にあるようなコック姿のオッサンが店先で増殖してるような看板はいたるところでみるが、こんな格好でケバブを切っている兄貴やオッサンを実際にみたことはついぞない。
ではまた自戒。
ポーランドへはまた。
13年前にはじめてプラハからポーランドへ向かった列車の中はとてつもなく暑かった、と記憶している。
プラハからヴロツワフへ向かう列車の中。ハンガリーからスロヴァキアを経て、プラハにやってきた小生は当時、夜のプラハを夢遊病者のようにさすらう。あの夏の夜のプラハは日本の夏の夜を思い起こさせるぐらい湿っていたと記憶している。すでに90年代の末だったか。
ここ二年程、ベルリンとプラハの間を行き来するような生活になり、プラハもかつて10年以上前に訪れた時のような目眩がしたような小道の連続する旧市街やマラーストラナーに滅多に足が向かなくなってからもう久しい。それでも、あの時のプラハの小道にまとわりつくような湿気と夜の温みはまだ小生の体が記憶している。
4週間前にプラハにいたおりの天気は不安定で、雨が降ってはやみ、夏の太陽が照りつけるという、気温の上がり下がりはともかく、時折降り募る雨のせいでとにかく湿気だけはもの凄い一週間だった。日が暮れた午後10時でもプラハ中心部は汗ばむような湿った空気で、家の中は蒸し風呂状態とはいわないまでも、気温の割には過ごしづらい夜が続いた。
そんなときには城に登る。小生がいつも滞在する友人宅はスミーホフとマラーストラナーの境目付近。プラハ城の上へ向かうマラーストラーナーの城へ向かう小道では10時を過ぎれば殆ど誰とも出会わない。城の上に上がって初めて誰かに出会う。城に上がったころにはまた小雨がぱらつき出し、また家へと向かって階段を下っていく。
これがプラハにいる時の、誰もが知っているプラハとの、小生なりの付き合い方だ。しかし、それでも、初めて夜のプラハの小道を夢遊病者のように歩いた時に覚えたあの湿ったまとわりつくような空気の重みは、この時は思い出すにはいたらなかった。
さて。 3週間前の金曜日の朝は曇り空だったか。次の週の月曜にベルリンでの用事に会わせて早々にプラハ滞在を切り上げて家路につくことにしたのは、今が観光客であふれ帰ったプラハの喧噪が面倒になったからか。それでも、なんとなしにベルリンに直接帰る気にもならず。中央駅へ向かうトラムの中でも決心はつかず、結局中央駅まで結論は持ち越されることに。
ヴロツワフ経由、ベルリン。
これは90年代末小生がポーランドをはじめて訪れた時、かつベルリンを初めて訪れた時のルートでもある。
結局、出発まで15分に迫っていたベルリン行きのユーロシティに乗るのはやめ、プラハから東に向かう列車に文字通り飛び乗った。列車は小生が飛び乗り扉を手動でしめるとゆっくりと動き出した。その時点ではじめて、昨今のチェコにしてはやけに古風な車両であることに気がついた。
一時間程してパルドゥビチェでモラヴィア方面に行く列車を降り、クウォズコ行きの列車に乗り換える。
かつてはヴロツワフ行きの直通列車があったはず、プラハ中央駅の、いまやドイツの駅のように明るく見通しのよいオープンカウンターになったインフォメーションで、小生はそう尋ねた。それに答えるインフォメーションのおばさんは、昔はと、答えた。けれど、行くのは面倒ではないから、と時刻表と接続をプリントアウトして、プリントアウトした時刻表を見ながら説明してくれるサービスぶり。時代は変わったもの。
そもそも、そのヴロツワフに向かう列車だって、誰に聞いても、しらない、そんな列車はない、と窓口をたらい回しにされ、当時チェコ語はいうにおよばずドイツ語もままならなかった小生は、やっとの思いで駅の中にある筒状の時刻表と小一時間格闘して、ようやくヴロツワフ行きの直通列車の時間を突き止めたのだった。確か、朝7時前出発だった、と記憶している。
ところが今回探そうとして見つからなかった筒状の時刻表。筒状の時刻表があったであろうところには、タッチパネル式の端末がおいてあるという変貌ぶり。アナログさが懐かしいのは小生だけだろうか。
パルドゥビチェから乗ったクウォズコ行きの列車は込み合っていた。バックパックを廊下において、全開になった窓の外へ向きながらビール瓶を傾け談笑する若者たちの一群もあり。雨が時折ぱらつきつつも、晴れ間も見える奇妙な天気であったが、天下のチェコビールを飲むのに天気など関係ない。チェコをしばらく、といっても一ヶ月程度だろうけれど、ご無沙汰になるというのに、プラハを出る前日にビールを一杯も飲んでいないのに気がついた。
その一群も、国境が近づき、山間を走るようになると、一つまた一つと降りてゆき、結局国境のリヒコフにたどり着くころには車内には空いているコンパートメントが目につくようになってきた。しばらく国境の駅に停車しているうちに、車内はあっという間に暗闇を覆れはじめた。なにごとか、と廊下の窓から顔を出すと、あっという間の雷雨。駅員が小生の顔を出すその下を雨にうたれながら走り行く。そして雨の中を列車はゆっくり歩みだす。
またしても雨だ。
ポーランドに行くとすると必ずに雨になる、記憶にある限り。
いや、13年前にたどったはずのこのルートではうだる程の暑さだった。けれど、うだるような暑さであったことはいつもなかった、小生の記憶の中でのこの国の風景は。
ともあれ、まだポーランドにはたどりついていない、その中途だった。列車は雨にぬれた野原の只中を右へ左へと揺れながら走る。
小生のいるコンパートメントの中にはポーランド語の本をめくる初老の男性とロシア語の本をめくるリュックザックを傍らに置いた青年がいる。雨はいつのまにか上がっていた。しかし、国境地帯を走る列車の車窓からは雨雲たれ込める黒い空のみ見える。この車窓と湿った大地と森の間を走る列車には黙々と本のページを繰る乗客が似合っている。
忙しないのは13年ぶりにこの路を行く小生だけか。それ以外はなにもかもがそのままなのだろう。
いつのまにか列車は駅に止まっっていた。ホームにはただMiędzylesieとあった。森の只中という名の駅。ということは、そこはもうポーランドだった。
ホームに降りる。雨上がりの後の肌寒さ。13年ぶり戻ってきたこの駅のホームにたってもなんの感傷もなかった。その場にたっても、13年前のことなど結局何も思い出せはしなかった。
今思い出せるのは4週間前にホームに降り立った時のその湿った肌寒さ、只其れだけ。
これが意外にも今年はじめてのポーランド帰還であった。何度もいうが、ベルリンからポーランドまではただの100キロも離れていない。
それに引き比べプラハは遠い。ポーランドへは行こうと思えばベルリンから毎日でもいける距離であるのに。
ではまた自戒。
小生の小言
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