ポーランドへはまた。

13年前にはじめてプラハからポーランドへ向かった列車の中はとてつもなく暑かった、と記憶している。

プラハからヴロツワフへ向かう列車の中。ハンガリーからスロヴァキアを経て、プラハにやってきた小生は当時、夜のプラハを夢遊病者のようにさすらう。あの夏の夜のプラハは日本の夏の夜を思い起こさせるぐらい湿っていたと記憶している。すでに90年代の末だったか。

ここ二年程、ベルリンとプラハの間を行き来するような生活になり、プラハもかつて10年以上前に訪れた時のような目眩がしたような小道の連続する旧市街やマラーストラナーに滅多に足が向かなくなってからもう久しい。それでも、あの時のプラハの小道にまとわりつくような湿気と夜の温みはまだ小生の体が記憶している。

4週間前にプラハにいたおりの天気は不安定で、雨が降ってはやみ、夏の太陽が照りつけるという、気温の上がり下がりはともかく、時折降り募る雨のせいでとにかく湿気だけはもの凄い一週間だった。日が暮れた午後10時でもプラハ中心部は汗ばむような湿った空気で、家の中は蒸し風呂状態とはいわないまでも、気温の割には過ごしづらい夜が続いた。

そんなときには城に登る。小生がいつも滞在する友人宅はスミーホフとマラーストラナーの境目付近。プラハ城の上へ向かうマラーストラーナーの城へ向かう小道では10時を過ぎれば殆ど誰とも出会わない。城の上に上がって初めて誰かに出会う。城に上がったころにはまた小雨がぱらつき出し、また家へと向かって階段を下っていく。

これがプラハにいる時の、誰もが知っているプラハとの、小生なりの付き合い方だ。しかし、それでも、初めて夜のプラハの小道を夢遊病者のように歩いた時に覚えたあの湿ったまとわりつくような空気の重みは、この時は思い出すにはいたらなかった。

さて。 3週間前の金曜日の朝は曇り空だったか。次の週の月曜にベルリンでの用事に会わせて早々にプラハ滞在を切り上げて家路につくことにしたのは、今が観光客であふれ帰ったプラハの喧噪が面倒になったからか。それでも、なんとなしにベルリンに直接帰る気にもならず。中央駅へ向かうトラムの中でも決心はつかず、結局中央駅まで結論は持ち越されることに。

ヴロツワフ経由、ベルリン。

これは90年代末小生がポーランドをはじめて訪れた時、かつベルリンを初めて訪れた時のルートでもある。

結局、出発まで15分に迫っていたベルリン行きのユーロシティに乗るのはやめ、プラハから東に向かう列車に文字通り飛び乗った。列車は小生が飛び乗り扉を手動でしめるとゆっくりと動き出した。その時点ではじめて、昨今のチェコにしてはやけに古風な車両であることに気がついた。

一時間程してパルドゥビチェでモラヴィア方面に行く列車を降り、クウォズコ行きの列車に乗り換える。

かつてはヴロツワフ行きの直通列車があったはず、プラハ中央駅の、いまやドイツの駅のように明るく見通しのよいオープンカウンターになったインフォメーションで、小生はそう尋ねた。それに答えるインフォメーションのおばさんは、昔はと、答えた。けれど、行くのは面倒ではないから、と時刻表と接続をプリントアウトして、プリントアウトした時刻表を見ながら説明してくれるサービスぶり。時代は変わったもの。

そもそも、そのヴロツワフに向かう列車だって、誰に聞いても、しらない、そんな列車はない、と窓口をたらい回しにされ、当時チェコ語はいうにおよばずドイツ語もままならなかった小生は、やっとの思いで駅の中にある筒状の時刻表と小一時間格闘して、ようやくヴロツワフ行きの直通列車の時間を突き止めたのだった。確か、朝7時前出発だった、と記憶している。

ところが今回探そうとして見つからなかった筒状の時刻表。筒状の時刻表があったであろうところには、タッチパネル式の端末がおいてあるという変貌ぶり。アナログさが懐かしいのは小生だけだろうか。

パルドゥビチェから乗ったクウォズコ行きの列車は込み合っていた。バックパックを廊下において、全開になった窓の外へ向きながらビール瓶を傾け談笑する若者たちの一群もあり。雨が時折ぱらつきつつも、晴れ間も見える奇妙な天気であったが、天下のチェコビールを飲むのに天気など関係ない。チェコをしばらく、といっても一ヶ月程度だろうけれど、ご無沙汰になるというのに、プラハを出る前日にビールを一杯も飲んでいないのに気がついた。

その一群も、国境が近づき、山間を走るようになると、一つまた一つと降りてゆき、結局国境のリヒコフにたどり着くころには車内には空いているコンパートメントが目につくようになってきた。しばらく国境の駅に停車しているうちに、車内はあっという間に暗闇を覆れはじめた。なにごとか、と廊下の窓から顔を出すと、あっという間の雷雨。駅員が小生の顔を出すその下を雨にうたれながら走り行く。そして雨の中を列車はゆっくり歩みだす。

またしても雨だ。

ポーランドに行くとすると必ずに雨になる、記憶にある限り。

いや、13年前にたどったはずのこのルートではうだる程の暑さだった。けれど、うだるような暑さであったことはいつもなかった、小生の記憶の中でのこの国の風景は。

ともあれ、まだポーランドにはたどりついていない、その中途だった。列車は雨にぬれた野原の只中を右へ左へと揺れながら走る。

小生のいるコンパートメントの中にはポーランド語の本をめくる初老の男性とロシア語の本をめくるリュックザックを傍らに置いた青年がいる。雨はいつのまにか上がっていた。しかし、国境地帯を走る列車の車窓からは雨雲たれ込める黒い空のみ見える。この車窓と湿った大地と森の間を走る列車には黙々と本のページを繰る乗客が似合っている。

忙しないのは13年ぶりにこの路を行く小生だけか。それ以外はなにもかもがそのままなのだろう。

いつのまにか列車は駅に止まっっていた。ホームにはただMiędzylesieとあった。森の只中という名の駅。ということは、そこはもうポーランドだった。

ホームに降りる。雨上がりの後の肌寒さ。13年ぶり戻ってきたこの駅のホームにたってもなんの感傷もなかった。その場にたっても、13年前のことなど結局何も思い出せはしなかった。

今思い出せるのは4週間前にホームに降り立った時のその湿った肌寒さ、只其れだけ。

これが意外にも今年はじめてのポーランド帰還であった。何度もいうが、ベルリンからポーランドまではただの100キロも離れていない。

それに引き比べプラハは遠い。ポーランドへは行こうと思えばベルリンから毎日でもいける距離であるのに。

ではまた自戒。