ショークヴァへ向かいながら。

突如曇り空のベルリン。現在正午過ぎ、気温15度。曇り時々小雨。明日あたりから北海上の曇り空でも見に行くかな。ではでは、又自戒。

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(昨年7月末にアップのログ)
ベルリンは突如として曇り空の下。ついこの間まで寝苦しい夜が続いていたというのに一昨日から一転して肌寒い日々。それでも、酷暑のせいか、街自体が熱をもっていたのか、建物の中でも地下鉄の駅の中でも異様に外気と比べての湿度も温度が高かったけれど。秋の気配濃厚な空模様。街路樹も風にゆられて、その葉を落としている。

こんな天気の時はいつも北ヨーロッパあるいは中欧を旅している時を思い出す。オランダはアムステルダムにはじめて降り立った時。もう十年以上前。アメリカ周りで着いたオランダは雨にぬれていた。雨がふりしきったアムステルダムの中央駅に立って、はやいとここんな街から出て行かねば、とおもったほど分厚い雲に覆われたアムステルダム。憂鬱な気分をかきたてられるも、その後むかったバルト三国では雨に降られ続き、4月頭の大雪にも見舞われ、日中でもエストニアのタリンではマイナス20度にもなった。

そんな中でもポーランドは特に曇り空が特に似合う。というよりも、小生が当地を旅する時、いつもそこは曇り空。雨はふりやまず。寒さに震えた夜行列車の中。ポーランドに太陽の日差しは似合わない。小生の記憶の中でのポーランドは特にそうだ。

ウクライナにはこれまで2度いったことがある。2005年の10月と2009年4月。どちらも旅の前半は天気にめぐまれるも後半は雨に降り続ける。 キエフ、チェルニーフィッツィ、リビウ、すべて曇り空の下。鶏が道ばたを飛び跳ねる道端。
ガリチアの曇り空の下。それともそれはブコヴィナだったか。ウクライナ側の北ブコヴィナにいた三日間。ルーマニア側の南ブコヴィナにいたのは2008年の春。その時もひたすら雨に降られた。北ブコヴィナの2005年10月は信じられないぐらい肌寒かった。それでも宿をとったチェルニーフィッチの宿はバスタブがあった。水はひたすらくさかったが、それでもバスタブに身を沈めて暖まった体でその日は熟睡した。

2009年4月。長い曇り空に覆われたベルリンの3月が過ぎ、4月になって突如夏模様のベルリンを後にし、小生はクリミアへ一路向かっていた。シレジアを貫く高速道路の上は青空。ヴロツワフから眠れぬ夜行列車で一夜をあかして着いたプシェミスルの中央駅は曇り空の下だった。国境の駅到着の前の夜行列車はウクライナからの労働者たちの群で満員だった。夜行列車を降り、駅の裏側へと急ぐのは他の誰もが同じ。向かう先はウクライナへの国境通過点。欧州連合の最東端にある場所の一つ。

国境の検問所の上の空は案の定曇り空。これから向かう先。ウクライナ。多少のメランコリーは必要なのだ。さもなくば、これから出くわすことになるガリチアの憂鬱な大地には到底堪えられない。

国境を越えた小生を出迎えたのは、3年半前と特に変わらないウクライナの国境の街の風景だった。シェンヒーニ。ロシア人はシェンギーニというはず。ウクライナ語とチェコ語、むしろスロヴァキア語に見いだせる類似点。その点にウクライナは中欧の一部だと感じさせられる。

リヴィウ到着後も雨が降りしきった。宿に荷物をおろしても、小生は夕方雨が降り止むまで宿を出なかった。その次の日も朝から雨が降りしきった。その次の日はクリミアに向かうことになっていた。空路で。帰り道、再度リヴィウを経由することは明らかだった。帰るころに天気が好転していればまた街歩きに繰り出せるだろう。そう思って、リヴィウから少し出てみようとおもった。

こうして小生はショークヴァというリヴィウから北西に20㌔ほど離れた町へ向かうバスの車上の人となった。Zhovkva、 ウクライナ語の綴りで、Жовква、ポーランド語、Żółkiew、イディッシュ語ではZholkvaと綴る。ガリチアはヨーロッパでも一番ユダヤ人の 人口の割合が多い界隈だった。もちろん1940年代までの話だ。ガリチアはその上、1945年までは民族図はポーランド人とウクライナ人とユダヤ人で三分 割できるぐらいだった。ニューヨークタイムズのホームページにこの街を紹介する興味深い記事があるので興味のある方は一読あれ。

ショークヴァへと向かう道筋は雨にぬれていた。30分ほどのバスの旅の後、ついた街というよりも村、村というよりは多少大きい。かつてオスマン・トルコとの戦いで名前をなしたヤン・ソビェスキの曾祖父であるスタニスワフ・ジュウキェフスキの居城のあった街でもあった。そんなトルコとの戦いのために作られた城や要塞はガリチアにはいまだ多数残っている。もちろん、多くは廃墟として自然にかえりつつあるが。

小生の乗ったバスはバスターミナルというにはあまりにもひなびた駐車場の片隅に止まった。雨はいつのまにかやんでいた、と記憶している。バスから降りた小生を迎えたのは数匹の野良犬だった。早速人工衛星のように小生のまわりをぐるぐる周りながら吠えかけていた野良犬も、小生からは何も期待できない、と見て取られるや、また停車場の片隅にまた座り込んでしまった。

野良犬から解放された小生は停車場を後にして、歩を進める。目の前には黒ずんだ外壁の、古い建物が街路樹の間から姿を現わした。一目でそれがシナゴーグだとわかった。それにしてもこの小さな町にはなかなか華やかなファサードをもったシナゴーグ、しかも歴史のある建物であることがわかった。ルネッサンス式の。このシナゴーグは17世紀末に建造されたという。ガリチアにあるシナゴーグはこんな様式のものがおおい。ポーランド側の国境をまたいで100㌔と離れていないザモシチにも似たようなスタイルで建造されたシナゴーグがある。ザモシチはもちろん中欧を代表するルネッサンス式の街。ショークヴァもほぼ同時期に建造されたルネッサンス式の立派な大きさの城があった。

それでもその城は廃墟も同然だった。多分、10年もたてば変わるだろう、いやなにも変わらないのかもしれない。ここは地の果てなのだ。中欧の果てにはそんなメランコリーがいつもある。いつも違う場所で。でも同じメランコリーを味わうことになる。

そんなメランコリーはいつもそんな雨降りの空の下の湿った大地にいる自分を思い起こす時に突如呼び起こされる。雨にぬれたショークヴァのシナゴーグを思い出しながら、ベルリンの今現在の曇り空はあのガリチアの曇り空と朽ち果てるのを待つだけのシナゴーグのある街並みへとつながっているのだ。そして、その町並みの向こうにはなにがあるのだろう、と想像する。それが知りたくて、いつもベルリンからは東へと向かう。そんなものだ。

では又自戒。夏がまたくることを願いながら。