明日ベルリンからイスタンブール経由へ日本へ帰国する。もう一年がたつというもの。思えば昨年の今頃はフンボルト大学での大学プロテストおよびAudimax占拠に参加し、心身ともに疲弊していた中での帰国だった。
昨年2009年は波瀾万丈ともいえる一年だった。今年は一年があっという間にすぎた、それほど成果をあげたと年ともいえなくもないけれど、次にステップに進む布石はしっかりと打てた年であったといえよう。
来年はきっと飛躍の年にしたいと思っている。
以上2010年元旦の記事再録。
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新年あけましておめでとうございます。
京都に帰って来てまず翌々日の12月27日昼ごろ東福寺にむかった。どうしても重森三玲の造園した苔と飛び石の組み合わせによる実にシンメトリカルに構成された方丈西庭をもう一度みておきたかったというのもある。20年も前に東福寺には来た事があったはずなのに、どうにも記憶になかったが、苔と飛び石のコントラストはおもったよりも地味に映った。それでも、12月末の京都のモノクロームな雰囲気には実に良く会っているような気もした。普段ならば枯れたように移る苔の色が背後の葉の落ちた木々と幾何学上にならべられた飛び石の乾いた色と比べても生気あふれて映える。
恒例マップに小生の足跡を追う。
日中10度前後の京都はその前の週ポツダム大学で寝泊まりした週末にマイナス15度を割り込んだ寒波が押し寄せたベルリン/ブランデンブルクの寒さが肌に残っている身からすれば、春も同然の陽気であった。
京都駅八条口から東福寺まで徒歩で向かう。その間までの界隈はいわゆる京都でも指折りの曰く付きの地帯。京都にも社会的な差別というものが厳然と存在する。歴史的にでもあり、理不尽なものであるのはいうまでもないが。
途中、昭和の始めにたてられたと思しき橋を通過する。最近の京都にはそういう古式な橋も実にすくなくなった。それでも、90年代半ばごろまでそんな風景はそこここにあった。最近特にかわってきたのだろうか。
前にもブカレストの下町を歩いているうちに京都の下町、特に西陣あたりの町並みがフラッシュバックしてきたということを書いた事があったが、去年の4月クリミアはシンフェローポリの下町を歩いていたらやはりそのような風景に突如としてでくわした。多分、最近の小生は、頭のどこかしこ、記憶の片隅にうもれている原風景なるものを無意識のうちに追い求めているのとでもいうのだろうか。それが京都にあるのか、どこにあるのか、いま一つ判然としないのだが。少なくともカメラを握るその手を理由づけている。
東福寺を離れた後は、今熊野、五条坂、六波羅あるいは鳥辺野とよばれる界隈、建仁寺から恵比寿神社、祇園の裏を抜けて四条方面へと抜けた。帰宅してその日午後歩いた距離を調べてみれば、12㌔以上にもわたっていた。
小生が育った京都にはまだまだ知らないところがある。時間がある限りまた歩いていくだろう。
2010年元旦、京・北白川の小生の高校時代の友人宅にて。
ではまた自戒。今年も是非Lügenlernenをよろしく。
[…] 小生がこの界隈に足を踏み入れたのはそうは遠い昔のことではない。むしろ、ベルリンに赴いて、ゼロ年代も終わりにさしかかろうとした2009年の年末だったころだ。そのときの記録は2010年元旦のポストにある。京都でも相当の香しき、京都市中とはまた違ったおもむきの昭和への束の間の帰還を果たせる風景の広がる界隈である。 […]